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    nakasasou

    @nakasasou
    二次創作短文置き場

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    nakasasou

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    2月の本の出だし
    ホラーっぽい、ちょっと不思議なドみ本予定
    ドが幽霊が見えたりみが女嫌いだったり、独自設定が多いのでなんでも大丈夫な人向け

    未定 集会の直前、三ツ谷が大きなあくびをしながら「おはよう、ドラケン」と龍宮寺に挨拶をした。
     今の時刻は午後七時。
     夏が近いとはいえ、まだ春の気配が抜けない五月の七時は暗くなってから久しく、多くの人はこれから寝る準備を迎えるだろう。龍宮寺達のような不良集団は朝よりも夜の方がもちろん元気だが、三ツ谷は不良集団にいる割には真面目な生活態度で、中学校にも無欠席に近いレベルできちんと登校している。龍宮寺と佐野とは大違いだ。
     そんな三ツ谷が学校をサボって昼寝をして今起きた、というわけではないだろうから、龍宮寺は首を傾げた。
    「こんな時間におはようとか言うの、うちの店のヤツらぐらいだけど」
    「あー……さっき仮眠して、起きたところだったから」
    「仮眠?」
     三ツ谷の顔を覗き込むと、街灯の下で妙に青白く、目の下にはクマがあった。
     いつも忙しそうにしている三ツ谷が眠たげにしていることはよくあるが、忙しいのは今だけだからと、人に気遣わせないようにしているのが常だ。それが今日は本当に参っているようで、少しやつれたようにも見える。
    「なんかあんのか? 家?」
     三ツ谷は母子家庭で、母一人に子が三人いる。長男の三ツ谷自身の下に、少し歳の離れた妹が2人いて、忙しい母親の代わりに三ツ谷がよく面倒を見ている。妹達も色々あるので、保育園で揉めたとか病気になったとか、そういう話もたまには聞く。
    「家じゃねえんだ。オレ」
    「なんかトラブってんのか」
     龍宮寺の問いかけに三ツ谷は少し唸って、言おうか言うまいか迷っているようにも見えた。顔を上げて言いづらそうにしながらも口を開く。
    「……変な夢……ってか、夜寝ると変なことあって。そのせいで最近は夜あんま寝れてねえんだ」
    「変な夢?」
    「知らない女に怒鳴られる」
     夜、三ツ谷が目を閉じてうとうとと眠りに身を委ねる頃、それを妨げようとするかのように毎夜同じセリフで怒鳴られるのだという。
     例えるならそれは、電話口で怒鳴られるという程度のものではなく、建物の天井のそのまた上から降るような大音声なのだそうだ。
     毎夜その声に飛び起きるのは三ツ谷だけで、カーテン越しで就寝している妹たちには聞こえてないらしくすやすやと健やかに眠り続けているらしい。
     それに安堵して再びうとうとしようものなら、また同じ声が降ってくる。その繰り返しで、まるきり眠れていないらしい。
    「昼間は平気なのか」
    「今んとこ、学校で昼寝したり、妹を迎えにいく前に仮眠してる時は平気」
    「それ……本当に夢か?」
    「やめてくれよー。やっぱ、そういう話?」
     三ツ谷がゲンナリした顔で龍宮寺を見上げたが、本人としてはそう言われることも覚悟していたようで驚いた様子はない。覚悟はできていたのだろう。
    「なんか感じる?」
    「今ここにいねえんだったら感じねえよ」
    「そーいうもんなのか」
    「そーいうもんなんだよ。そんな便利じゃねえの、霊感とか言ってもよ」
     龍宮寺にはいわゆる霊感というものがある。
     自分には見えている人が他の人には見えていないとか、行先に真っ黒な何かがあってそちらには進めないとか、そういうぐらいの霊感だ。祓えるとか話をして問題解決できるとか、そういう便利なものではない。
     龍宮寺の実家となっている風俗店に時々出入りする怪しい老占い師の話では、龍宮寺の生まれ育った場所のようなところには人の思念が残りやすいらしい。
     老占い師自身も龍宮寺と似たような身の上らしく、いないはずの人がいるように見えたりすることが多いそうだ。
     そんなわけで、自分の視界が特別なものだという認識もないが、人によっては気味悪がるのも分かるので、龍宮寺自身は幽霊が見えたり感じたりすることを限られた人にしか教えていない。
     三ツ谷は龍宮寺のそういうところを知っているうちの一人で、自身は全く見えないようだが龍宮寺の霊感を信じてくれている。
    「それは家だけで聞こえるのか?」
    「それがさぁ」
     三ツ谷がうんざりとした顔でため息まじりに項垂れた。
    「ためしに近所の公園で寝てみたんだけど」
    「風邪ひくぞ」
    「いきなり母ちゃんみてーなこと言わないで。まあ、それでもやっぱ起こされたわ。公園中どころか街じゅうに響くような声だったけど、全然誰にも聞こえてねえの。犬も吠えねえ。叩き起こされるのはオレだけ」
    「……三ツ谷にだけか」
     三ツ谷の背後を注視してみるが、今そこに何かがいるようには思えなかった。
     龍宮寺に分かるのは目の前にあるものだけで、三ツ谷が触れた怪奇現象の残滓のようなものまでは流石に見えない。原因を取り除く手伝いをしてやりたいが、そのためにはその怪奇現象の現場に居合わせないとならない。
    「なあ、今日はオレんち泊まってみるか?」
    「ドラケンちでも同じだと思うけど。オレだけ聞こえて誰も聞こえない」
    「やるだけやってみようぜ。見える人間とか聞こえる人間がそばにいたらなんか感じるかもしれねえし」
    「迷惑かけたくねえよ」
     困ったように笑って見せる三ツ谷の背中を強く叩いた。
    「迷惑とか言うな。そんなわけあるかよ。だいぶ前に占い師のじいさんがくれたお守りみてえのとかもあるからさ。ダメもとで」
    「そっか……じゃ、甘えさせてもらうわ」
     三ツ谷は明らかに安心したように表情を緩め、集会が終わった後に妹たちを寝かしつけてから龍宮寺の部屋に集合することにした。

     龍宮寺がベッドに腰掛けてバイク雑誌を眺めていると、ドアがノックされる。
     返事をするとドアが開いて三ツ谷が顔を出した。手にはコーラのペットボトルが二つとスナック菓子があった。
    「ウッス。土産」
    「気がきくじゃん」
     身を起こして手招きすると、三ツ谷は小さなテーブルの上にそれを置いた。
     近寄ってきた三ツ谷の手を引き寄せて、ベッドに座らせる。ベッドの端に腰掛けた三ツ谷は目をそっと伏せて、落ちてくる龍宮寺の唇を受け入れた。
     三ツ谷の唇は少し乾いていて、龍宮寺はそれをそっと舐めた。舐めると三ツ谷も龍宮寺の唇を舐め返してくれる。かさついた唇に触れる舌の熱が心地よい。
     何度も角度を変えて交わす口付けの柔らかさを堪能して、三ツ谷の唇からかすかに漏れる甘い息に満足する。これはしばらく前から続く、二人だけの時の挨拶だ。
     三ツ谷は女性が苦手だ。
     厳密に言うと、恋愛とか性愛とか、そういう感情で近寄ってくる女性が苦手なのだ。つまり、家族愛の母親や妹、それから幼馴染で半分家族のような近しさの柴柚葉のような女性は全く問題がない。
     恋愛的な好意をもって三ツ谷に近付く女性がとにかく苦手なのだと言う。
     それに気が付いたのは中学二年の頃、三ツ谷の所属する部活の一年後輩の女子から告白された時だったらしい。
     可愛らしく「好きです。付き合ってください」と告白されただけらしいが、三ツ谷は自分の全身の血の気がひいて、脂汗が流れ出たのを感じたらしい。やっとのことで出来うる限り丁寧な断りをしたようだが、その日の夜の集会で、三ツ谷は龍宮寺に相談をした。
    「オレ、女の子ダメなのかもしれない」
     この世の終わりのような顔をして言う三ツ谷に、真剣な顔で何を言っているのかと眉を顰めたが、話を聞いて笑い飛ばさなくて本当に良かったと龍宮寺は今でも思っている。
     笑い飛ばしていたら、恐らく殴り合いになっていたことだろう。 
     相談の中身がどう紆余曲折したのか今では互いにはっきりと覚えていないが、女がダメでも男ならいけるかもしれないとか、そんな感じで盛り上がってしまった。
     その日、二人はなし崩し的に初めてのキスをした。
     それ以来はなんとなく習慣のように、二人きりになると、キスをしたり体に触れ合ったりする、性的な触れ合いをするようになった。
     単純にそういうことに興味がある年頃なのは自覚しているが、誰でもいいとは龍宮寺は思っていない。触れ合っている間、三ツ谷が安心したように身を委ねてくれるのをそれなりに心地よく思っている。
    「ドラケン、今日はどこまですんの」
     ベッドに腰掛ける三ツ谷の背後に座り込んで、体重を預けさせた。三ツ谷の背が当たっているところが温もっていく。三ツ谷の服のボタンを外してから、タンクトップの裾から手を忍ばせて龍宮寺は腹部をさすった。
    「ん? 寝れば」
     さすった手を上へ移動させて、三ツ谷の胸に指を這わせる。柔らかい乳首を指先で摘んでこねると、勃ちあがって龍宮寺の指先を楽しませてくれる。
    「寝れねえよ」
    「なんでだよ。眠いんだろ。体温高えけど」
    「人の乳首いじっといて言うセリフかよ」
    「気持ちいい?」
    「ん……」
     乳首は、互いの体を触り合っているうちに発見した三ツ谷の性感帯だ。
     龍宮寺はそこをいじっても快感を得られないが、三ツ谷は強烈な快感を得られたらしい。捏ねたり弾いたり、ねぶったりすると、気持ちよさそうに身をくねらせて龍宮寺の肩に頭を預けて首筋に鼻を擦り寄せる。
     今日はそこにあくびも加わって、三ツ谷の胸元が大きく広がったと思ったら、首筋にフワッと息がかかる。
    「やっぱ眠いわ」
    「だから寝ろって」
    「ドラケン、あったけえ……」
    「子供体温で悪かったな。お前もあったけえけど」
    「や、ありがたい……ごめ、眠い」
     そのまま、龍宮寺にもたれて三ツ谷は規則正しい寝息を立て始めた。起こさないようにベッドに下ろし、龍宮寺は部屋の扉に占い師からもらった半信半疑のお守りを立てかける。
     超常的な力があるわけではないからそれの効果は分からないが、養い親が商売をやっていることもあって、お札やお守りにそれなりに意味を見出している部分はある。願掛けのようなものだろう。
     部屋の電気を消して三ツ谷の隣に寄り添って二人で一つの毛布に包まると、互いの体温ですぐに温まる。眠気は龍宮寺にもすぐにやってきた。
     隣室を使う嬢の仕事の声をうっすらと子守唄のように耳にしながら、龍宮寺の意識は遠のいた。

     寝入ってからどれぐらい経った頃のことか分からない。
     扉を叩く音がやけに大きく響いて、龍宮寺は目を覚ました。隣にいる三ツ谷も目を覚まして「何」と眠たそうにしている。
     時計を見ようとしたが、隣の部屋の物音が一切しないので龍宮寺は手を止めた。隣の部屋どころか、周りの音が何も聞こえない気がする。
     雑居ビルは案外物音がするものだ。廊下を歩く音、空調の音、シャワーを使うボイラーの音、店の中をうっすら流れる音楽、それからビルの外のかすかな雑踏。
     何も物音がしないなんてことは通常ではあり得ない。
     本能的に感じる違和感を寝起きの頭で整理しようとしているうちに、また扉が叩かれた。
     この音だけはまた強く重たく響いている気がする。龍宮寺は、扉を叩く音から常にはない緊張を感じていた。
     少なくとも、普段から龍宮寺の部屋をノックすることのある店の人間が発している音ではないと思った。
    「ねえ」
     女の声がする。店の人間は入れ替わりが激しいので龍宮寺がはっきりと覚えていないうちにいなくなる者も多いが、それでも全く知らない声だと感じる。三ツ谷が身を起こして、龍宮寺の腕を強く掴んだ。
    「ねえ、まだ寝てるの? ちょっといい?」
     その声は誰かに似ているような、でも誰とも似ていないような不思議な響きをしていて、全身が粟立った。女の声だと思う。けれど女の声ではないような気もした。
     隣の三ツ谷の手が震えている。
    「……あれか?」
     尋ねると大きく頷く。三ツ谷の手が掴まっているところから龍宮寺の腕にじんわりと湿り気が広がる。
    「分かった。落ち着け」
     自分の声も震えそうになるのを、格好つけて堪えた。三ツ谷にはバレているような気もするが、指摘はなかった。
    「オイ、なんだよ。何時だと思ってんだ」
     できる限り迷惑そうな素振りで尖った声を出す。龍宮寺の声を聞いた主は、それに悪いとも思っていないようで、息を呑む気配もない。ただ、そこに何かがあるだけだった。生きている者の気配とは思えなかった。
    「ちょっと話があるのよ。ねえ開けてよ」
    「嫌だね。こんな時間に話す義理はねえだろ」
    「なんでよ、開けてよ」
     ドン、と扉が強く叩かれて、女の声がささくれだつ。それに弾かれるように、三ツ谷が立ち上がってベッドから降りようとする。龍宮寺は慌ててその手を掴んでベッドに引き戻し、後ろから抱き締める。
    「バカ、何してんだ」
    「だって、開けろって……」
     暗がりの中でも三ツ谷の目がどこか遠くを見ているようにぼんやりと揺れているのが分かった。外の声に引き摺られているように見える。
    「ざけんな。絶対に開けねえ」
    「でも」
    「いいから寝てろ。アイツの今日の相手はオレだ」
     三ツ谷の顎を引き寄せて、龍宮寺は強引に唇を塞いだ。差し込んだ舌で乱暴に掻き回しながら三ツ谷の舌を吸い上げると、三ツ谷の体から強張りが解けていく。
     キスをしながら何度かゆっくりと瞬きをする三ツ谷の目が眠そうに細められた。
    「三ツ谷」
    「……ん……?」
     三ツ谷の声が緩んでいる。緊張がなぜか解けているようなのが不思議だが、このまま緊張が解けて眠れるようならいいと思った。
    「眠くなったか?」
     小さな声で囁くように尋ねると、三ツ谷はくすぐったそうに吐息で笑って「ねみぃけど」と囁くように答えてくれる。
    「じゃ、そのまま寝てろ。絶対に声とか出すなよ」
    「うん」
     三ツ谷はゆっくりと体の力を抜いて、ベッドの上で横たわる。少しも待たないうちに、また小さな寝息を立て始めた。この状況で眠れるのはなかなかだが、おそらくこの緊張を未だ感じているのは龍宮寺ただ一人なのだった。扉の外には依然として澱んだ何かがいるが、そこから伝わる悪意めいたものは今は龍宮寺にしか向いていないのかもしれない。
    「夜中にうるせえんだよ。話は今日は聞かねえぞ」
    「開けなさいよ! 開けなさいよ!」
     相手は全く龍宮寺の話など受け付けず、騒いでドアを叩く。扉越しにひんやりと底冷えする冷気のようなものが忍び込んでいて、龍宮寺は体をさすった。
    「開けねえっつってんだろ、しつけーんだよ!」
    「いるんでしょ? ねえ……いるんでしょう?」
     誰のことを指しているのか、名前を聞かずとも分かる。
     三ツ谷の説明通り、確かに女の声は大したボリュームで、雑居ビルのワンフロアに過ぎない店の中に響き渡るような声だ。それでも他の誰も何が起きたのかと騒ぐ様子がないということは、龍宮寺と三ツ谷にしか聞こえていないのだ。
    「開けろよ! 会わせろ! 私のなんだよ!」
     かんに触る声だ。これを三ツ谷は毎夜聞いていたのだろう。確かに気が滅入るし、眠れなくなるのもわかる気がした。
    「黙れ」
    「開けろ! ……開けろ、開けろ、開けろ!」
     女の声がいよいよ騒がしい。怒鳴っているというよりとにかくボリュームが大きいという印象だ。横を見下ろすと三ツ谷は気持ちよさそうに眠っている。
    「開けてどうすんだよ」
    「決まってるでしょ、隆を連れて帰るのよ。隆は私のなんだから。何度言っても分からないのよ、隆は。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も」
    「何をだよ」
     同じ言葉を壊れたように何度も繰り返す声は、もはや女とも男ともつかない何者かの声になり果てている。地を這うように低くて、時折耳障りなほど甲高い。胸がむかつく嫌な声だ。
    「私とどっちが大事なのよ! ドラケンって男と! 私と!」
    「……名前が知られてて光栄だわ……」
     まさか名前を告げられるとは思わなかったので、思わずおどけたことを言ってしまう。
    「ねえ、今そこに隆と一緒にいるのはドラケンじゃないでしょうね。あんた、まさかドラケンって男じゃないでしょうね! ねえ、私とは一晩だって一緒にいてくれたことなんてないのに、ドラケンの横では眠ってるんじゃないでしょうね。許さないから。そんなの絶対に許さないから。許さない、開けなさいよ、許さない!」
     三ツ谷と女の関係性は分からない。しかし、女の声に滲む感情は龍宮寺にもよく伝わってきた。強烈な嫉妬だ。
     どうやら扉を勝手に開けて入ってくる様子はないので、女の嫉妬を煽ることにした。
    「アンタが許さなくてもコイツはここで寝てるよ。気持ちよさそうにな。アンタが憎んでるドラケンと、一緒に寝てる」
     龍宮寺の煽りに、女は簡単に乗ってきた。
     忍び込む冷気の強さとぶつけられる嫉妬の感情の大きさがそれを物語っている。
    「許さないって言ってんでしょ! 絶対に許さないんだから……許さない、許さない。どっちが大事なのよ! 許さない」
     怨嗟の声が収まらない。勝手にこっちに入ってくることはできないのだとは認識しているが、激しい恨みの声を聞き続けるのは愉快な体験ではない。
     龍宮寺はベッドを静かに降りて扉に近づく。近づくほどに冷気が強く、身震いしてカーディガンを羽織った。
    「オイ!」
     扉を内側から強く叩いて威嚇する。
    「許すとか許さねえとか、アンタが決めることじゃない。コイツはオレといる方いいってよ。オレを選んだんだ。諦めろ」
    「うるさい!」
     癇癪を起こすように、外から扉が大きく揺れる。そしてややあってからべったりと張り付くような泣き声が這い寄ってきた。
    「どうしてドラケンが大事なのよ。どうしてドラケンを選ぶの。どうしてこっちを見てくれないの。どうして、ねえ、どうしてなの」
     湿り気を帯びた声が徐々に大きくなる。泣き声が耳鳴りに変わる。龍宮寺は頭の芯に響く音に耐えながら一言「悪いな」と静かに告げた。
    「いや、嫌なの。ねえ、一度でいいから私を見てよ。私、好きなの、隆。ねえ、なんでもする…なんでもするから……」
     泣き声は依然として続いていたが、もうそれ以上かける言葉は見当たらない。
     いつの間にか泣き声は耳鳴りにならず、ただの泣き声に聞こえていた。
    「諦めろよ。オレはアイツをアンタに渡したりはしない」
    「どうして。ちょうだいよ。ねえ、私には隆しかいないの。隆だけなのよ……私に優しくしてくれるのは隆だけなの。笑ってくれるのも隆だけなのよ……」
    「諦めろ」
    「いや……いや……いや……いやよ……いや……」
     声が小さく沈んで、薄れていく。忍び寄る冷気も和らいで、もうこれ以上話すことはないと理解した。そう思うと、不意に龍宮寺も眠気が戻ってきて、ベッドに戻る。
     穏やかな顔で眠る三ツ谷の横に潜り込むと、不思議と耳鳴りも消えた気がして、そのまま龍宮寺は眠りについたのだった。

     扉を叩く音で目が覚める。
     龍宮寺が時計を見るとまだ午前六時で、普段の起床時間よりも一時間以上早かった。
    「なんだよ」
    「なんだよじゃねーぞ、ケン坊」
    「……今度は人間かよ」
     聞き慣れた嬢の声だったので、舌打ちをしながら布団から這い出した。三ツ谷はまだ眠っている。
     内側から扉を開けるが、なぜか普段より重たい感覚がある。開きづらい。細く隙間を開けて外を見ると、見慣れた嬢が薄着のまま龍宮寺を睨んでいた。
    「昨日、ジョーカーとなんの遊びしたんだよ」
     三ツ谷が初めてここに来た時の女達はもう一人もいないが、いつの間にかジョーカーと言うあだ名は周知されている。
    「は? 何もしねーで寝てたけど」
    「それだけで廊下とドアがこんなになんねーだろ」
    「こんなって……」
     無理やり開くと、何かが割れる音がした。ひんやりとした冷気が漂っていて、薄着の嬢は体を震わせた。
    「なんだこれ」
     廊下と扉の外側は鈍く光っているように見えた。扉の外側を軽く叩くと、何かが割れて床に落ちて砕ける。拾い上げてみると冷たく、龍宮寺の指先の熱で温められて溶け落ちた。
    「……氷?」
    「水遊びでもしたのか、堅」
    「マサウェイさん」
     向こうから歩いてきた養い親が、呆れたような顔で滑りそうな嬢の腕を掴んだ。
    「水遊びしただけでこんなになると思う?」
     ならないのはもちろん分かっているはずだが、養い親としてもそれ以上何かを言う気はないようだった。龍宮寺に幽霊のようなものが見えることを彼も知っている。時々、妙な現象に巻き込まれることも。
     今回もその中の一つだと飲み込んだのだろう。一つため息をついて諦めたようだった。
    「……なんでもいいけど、二人で氷溶かして拭いとけよ」
     まだ何か言いたげな嬢を連れて、養い親は事務室に戻っていく。時間的にももう店に客はいないはずなので、嬢の勤務時間も終わりだろう。
    「ドラケン? なんかあった?」
     ベッドから這い出して扉の内側から顔を覗かせる三ツ谷は「冷えるなァ、エアコン?」と呑気に言った後、外の惨状を見て絶句した。
     二人で掃除をすることになったと伝えても、三ツ谷は文句一つ言わなかった。
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