オレとアンタの特別なケーキ「あ、獪岳だ」
通りを挟んだ向こうにあるケーキ屋を眺めると、ちょうど店に入る獪岳の後ろ姿を見つけた。本日の主役に捧げるケーキを受け取りに来たんだろう。このまま知らんぷりして帰ってもいいんだけど今年のケーキがどんなのか見たくて、手に持った寿司にちょっとだけだからと呟くと、ケーキ屋に足を向けた。ガラス越しに全身真っ黒な後ろ姿を見ていると、やっぱりこれは変なルールだよなぁと思ってしまう。
今日はオレの誕生日なのに、オレが食べたいケーキは食べられない。獪岳が選んできたケーキを食べることになっている。爺ちゃんがむかし決めたルールのせいだ。三人が一緒に住みだして十年ちょっと、誕生日はずっとそうしてきた。
オレは通りを渡ってケーキ屋の前まで行くと、自動ドアのボタンを押して店に入った。珍しいことに店内は獪岳ひとりしかいなくて、まだケーキを受け取ってないようだった。
「お待たせしました、ご予約のケーキです」
ケーキを眺めて時間を潰しているところに声をかけられたのか、真っ黒な頭が上を向く。獪岳が邪魔でケーキが見えないのでそっと近づいて横から覗きこむと、ショーケースの上にはいつもと違う色のデコレーションケーキが鎮座していた。厚めにスライスされた黄色いフルーツがバラの花に見えるように盛りつけられていて、「ぜんいつくんおたんじょうびおめでとう」と書かれたメッセージプレートが、このケーキの美しさを台無しにしているように見える。
「オレのケーキ、今年はマンゴーなの?」
「は? 見てんじゃねぇよ、サッサと家に帰ってろ。お前はナマモノ持ち歩いてる自覚があんのか」
オレの荷物をちらりと見て、舌打ちと共に追い払うような仕草をしてきた。コイツ、本日の主役に対してなんて言い草だよ。
「アンタ毎年桃なのに、この黄色いフルーツなんなのさ」
「うるせぇよ、消えろよカスが」
「口悪すぎじゃない⁈」
「今年は黄桃を使用しております」
パティシエのお姉さんが説明しながらオレを見て、くすりと笑った。その理由を深く考えなくてもわかってしまって、ちょっと恥ずかしくなる。
「オレ、黄桃って缶詰でしか見たことないわ」
「今年からできるって言うから頼んだんだよ。生じゃ食ったことねぇしな」
「アンタ、ほんっとうに桃が好きだねぇ」
「桃が好きなのは俺だけじゃねぇだろうが」
オレの言葉に気を悪くしたのか、ジロリと睨まれた。おーこわ。
たしかにアンタだけじゃなくて爺ちゃんもオレも桃が果物の中で一番好きだから、毎年このケーキを楽しみにしてるんだよね。
獪岳が不機嫌な顔を戻して正面に向き直ると、すでにケーキは箱に仕舞われ紙袋に入れられていた。支払いは予約時に済んでいるから、あとはもう受け取って帰るだけだ。
紙袋を持とうと獪岳が手を伸ばす。持ち手を掴みかけたところでお姉さんが声をかけてきた。
「ロウソクは小さいのを十六本にしますか? 大きいの一本と小さいの六本にしますか?」
「ああ、ロウソク。小さいの十六本でお願いします」
「え、やだよ! オレもう高校生なんだからロウソクはいいです!」
オレは獪岳の横から身を乗り出すと、お姉さんに向かって力一杯答えた。獪岳が睨みつけてくるけど構うもんか。
「十六本つけてください」
「あ、ちょっと獪岳! オレもうロウソクいらないって、イテッ、イテテテ、痛いって!」
オレの顔が獪岳の右手で力一杯押しのけられる。腕を思いっきり伸ばすから、手のひらの付け根が頬にめり込んでめちゃくちゃ痛い!
「つけてください、小さいの十六本です」
「なんでいっつもオレだけ! アンタ、自分の誕生日はロウソク立ててくんないでしょ、オレだけとかやだよ!」
「残念だな、このケーキはロウソクとメッセージプレートがセットのケーキなんだよ。食べたかったらロウソク立てろ」
「オレいらないって言ってんのに? なんでセットなの⁈」
「誕生日ケーキだからだろ」
ふんっと鼻を鳴らすとそっぽを向いてしまった。いやいやいやいや、なんかおかしいでしょ、オレの意志は⁈
オレたちのやりとりを聞きながらもお姉さんは素早く十六本のロウソクを用意し、ケーキの箱にテープで止めた。口元が微かに震えているから笑いを堪えているんだろう。いいさ笑ってくれ。十六本のロウソク立てて祝われるオレを想像して笑ってくれよ。
「ぜんいつくんはロウソクお嫌いですか?」
お姉さんは少し困ったような顔で話しかけてきた。隣で早く帰りたそうにしている獪岳の圧を感じるけど、まるっと無視してやれ。
「嫌いってわけじゃ無いんだけど、オレの誕生日ケーキって毎年すっごくキレイだからさ。なんか勿体無いんだよね、ロウソク立てるの」
「その割には毎年楽しそうに吹き消してるだろうが」
「そりゃあ、ロウソク立てて火をつけたらね! テンションあがっちゃうんですよ!」
「じゃあいいだろ、なにが不満なんだよ」
誰よりもはしゃぐくせに、と言われて言葉に詰まる。別に不満とかそんなんじゃないんだよ、わかんねぇかな。
「だってさ、オレの誕生日に買うケーキは獪岳が好きなケーキだから。キレイなまんまで食べてほしいっていうか、さ」
「ロウソク刺した痕が残ったって味なんか変わんねぇよ」
バカじゃねぇの、と言いたげな顔をして獪岳はオレを見た。そのまま紙袋を持つとお姉さんに小さく会釈をしてドアに向かっていく。慌てて後を追うけれど、あっという間に店を出て行ってしまった。お姉さんの「ありがとうございました」を背に受けながら、オレも早足で店を後にした。
一歩店の外に出ると、昼間よりはマシになったぬるい空気が体を包み込む。ビルの白壁にはうっすらオレンジがかった陽光があたって、陽が傾く早さに季節はもう秋なんだと実感する。
「ねぇ、待ってよ」
オレの声に獪岳の足がぴたりと止まった。待ってくれるんだと思った瞬間また歩き出したけど、歩調はゆっくりなのですぐに追いついた。
「言っとくけどな」
オレの方なんかこれっぽっちも見ない。眉間に皺を寄せ、まっすぐ前を見たまま話しかけてくる。
「俺はお前に遠慮なんかしねぇ。俺が食いたいケーキを選んできたし、今年も頼んだだけだ」
「知ってるよ、毎年桃のケーキだもんね」
どんなに食べたくても、アンタが自分の誕生日に絶対食べられないケーキだ。
「勘違いすんなよ、これはお前の誕生日ケーキだ。俺が選んだお前のための誕生日ケーキだ。ちゃんとロウソク立てて、お前が火を消すんだよ」
「じゃあ、アンタもロウソク立ててよ。オレが選んだケーキにロウソク立ててよ」
「やなこった。お前は自分が食いたいケーキを選んでねぇからな。ルールを守らねぇヤツのケーキに立ててやるロウソクはねぇな」
そこまで言うと、獪岳はオレを置いて歩き出した。オレはどんどん前に進んでいく背中に向かって小さく怒鳴る。
「オレだってオレが食べたいケーキを選んでるんですけどね!」
嘘だ。オレはオレが食べたいケーキを選んでない。みんなで食べたいケーキを選んでる。だってオレには獪岳みたいなこだわりなんか無い。小学生の時はチョコレートケーキにしてたけど、中学生になってからは二人に喜んで欲しくてクラスの女子だったりテレビや雑誌で美味しい、面白いって言ってたケーキをチェックして選んできたんだ。
いや待てよ、それだってオレが食べたいケーキなんじゃないの? オレが食べたいケーキは獪岳と爺ちゃんがビックリして笑って、美味しいって言うケーキなんだから。
オレは手に持った寿司が崩れないギリギリの速さで駆けると、獪岳を追い越して前に立ち塞がった。負けないぞ、と固く拳を握り込み、真っ直ぐ大きな目を見る。
「間違ってないよ、オレの食べたいケーキはあれでいいんだよ。毎年みんなで最高のケーキを食べたいと思ってんだから、オレの選ぶケーキは間違ってない!」
オレの反撃にビックリしたのか、獪岳は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。大きな目がさらに大きくなって、割とこの人童顔だよな、なんて思ってしまう。
「勿論、獪岳のケーキだって間違ってないよ。だって爺ちゃんが決めたルールはオレの誕生日は獪岳が選んだケーキ、獪岳の誕生日はオレが選んだケーキを食べる、だもん。どんな理由であれ、お互いが選んだケーキを食べるんだから、どっちもあってるんだよ」
ぎゅっ、と獪岳の眉間に皺が寄った。怒ってるっていうよりは困惑してる、そんな表情だ。
「……お前はなんで先生が誕生日のルールを決めたのか知ってるか」
「うん、知ってる。「二人とも優しくなれるから」って言われたんだけどさぁ、なるわけないよね。オレたちずっとケンカばっかしてんだもん」
「それには同意する」
決して仲がいいわけではなかったから、オレも最初は嫌がらせのように自分が食べたいケーキを選んでた。でも、何年も暮らしているうちに獪岳の好みを知って、オレの誕生日の季節でしか獪岳が食べたいケーキがないのがわかって。それからだ、オレは獪岳が喜んでくれるケーキを探すようになったんだ。
爺ちゃんが決めたルールでオレたちが優しくなれたかなんてわかんないけど、オレも獪岳もお互いの誕生日に最高のケーキを用意してやろうって気持ちだけは一緒なんだよね。
「オレはアンタが選ぶ桃のケーキが大好きだよ。だってあれ、世界に一つしかないんだもん。あの店のフルーツケーキは予約の時に果物やクリームの量を変更できるから、アンタが毎年すっごく考えて注文してるの知ってるよ」
「なんで、それを」
獪岳の眉間の皺が深くなる。オレが知ってるなんて思いもしなかったんだろう。
「そんなの簡単だよ。オレは町中のケーキ屋を知り尽くしてる男だからね」
オレとしてはニッコリ笑ったつもりなんだけど、獪岳にはドヤ顔に見えたようで、小さく鋭い舌打ちが返ってきた。
「知ってて黙ってたのか」
「黙ってたなんて人聞きの悪い。アンタが最高に美味しいって思ったケーキを毎年誕生日に食べてるんだってわかって、オレはすっごく嬉しかったよ」
毎年オレのために獪岳がケーキを用意するなんて、こんなの奇跡だと思わない?
「オレ、来年も再来年も獪岳のスペシャル桃ケーキが食べたいし、アンタのために選んだケーキを食べてほしいって思ってるよ」
来年の話をしたら鬼が笑うって言うけれど、オレはそんなこと思いたくない。来年そうなるように、今を頑張ればいいと思う。
「来年も、ねぇ」
獪岳は呆れたように呟くと、ケーキを持ってない方の手を伸ばしてオレの頭をひと撫でし、横をすり抜けて歩きだした。オレは置いていかれないように歩調を合わせてついて行く。
「待ってよ」
「……さっさと帰らねぇと、寿司は傷むしケーキが温くなる」
「そりゃそうなんだけどさ、オレの話聞いてた?」
「聞いてたよ。お前の願い事を叶えて欲しかったら、俺の勉強の邪魔すんなよ。お前がしょっちゅう部屋に入ってくるから集中できねぇんだよ」
「じゃ、邪魔なんかしてないし! 毎日長時間勉強してたら疲れると思って、アイス食べようって声かけてただけだろ!」
「はっ、どうだか」
バカにしたような声。でも、どこか嬉しそうだ。
「ねぇ、どこの大学受験するの? それがオレの話と関係あんの?」
「大ありだ。第一志望は家から一番近い国立。ダメだったら飛行機の距離」
「何その落差!」
「やりたいことができる大学がそこしかねぇんだよ」
「じゃあ第一志望絶対受かって!」
「だから勉強の邪魔すんなっつってんだろうが」
「してねぇし!」
興奮して上がりかける右腕を押さえられ、「ぶん回すんじゃねぇぞ」と重低音の声を出される。瞬間、去年スキップして持ち帰った寿司の惨状を思い出して力が抜けた。
「スミマセンね……」
「まったくだ。去年俺にボロクソ言われたのを忘れたのか」
「ちょっとだけ忘れてた。……ねぇ、オレのお願い叶えてくれるの?」
「お前の願いなんか知らねぇよ。俺は俺のやりたいようにするだけだ。その結果お前の望みが叶うってだけで、それが本来の目的じゃない。このケーキと一緒だ」
紙袋をちょっと掲げてオレに見せる。獪岳がゴリッゴリにカスタマイズした桃のケーキは今じゃオレの好物になっていて、獪岳から贈られる誕生日プレゼントみたいになっちゃってる。自分の食べたいようにしてるだけだって本人は言うけれど、オレからしたら毎年どうもありがとうだよ。
それでもいいよ。自分がしたいことした結果だと言って、いつだってオレの願いを叶えてきてくれたから。だから来年も行きたい大学に受かって、オレに桃のケーキを食べさせてくれるんだろう?
「先生が待ってる、早く帰ろう」
獪岳は西の空をチラリと見て呟くと、歩くペースを上げた。オレも無言で頷くと獪岳の隣に並んで歩く。
西の空は濃い橙色の太陽が今日という日に別れを告げようとしていた。オレの誕生日はこれからが本番だよ、なんて心の中で夕日に語りかけて獪岳を見ると、獪岳も眩しそうに夕日を見ていた。
「来年も一緒に見れたらいいのにな」
無意識に呟いた言葉は獪岳の耳にちゃんと届いていて、「お前がどんだけ頑張っても天気ばかりは難しいだろ」と笑われた。
くそう、見てろよ。オレは不可能を可能にしてやる。来年の誕生日を覚えてろよ。