深爪「ブラッドショーって深爪ね」
ガヤガヤとする食堂で、銀のトレーを掴み座る席の向かい、フォーク片手にフェニックスはそう言った。
「爪柔くてさ、すぐ二枚爪になるんだよ」
「あ~、私と逆ね。私硬くて割れるの」
フォークを掴む手を開き見せてくる彼女の手は、俺よりも少し長い爪が切り揃えられていた。
掴むスプーンでチリコンカンを掬い、口に運びながら彼女の指と自分の指を見比べる。フェニックスの爪は、俺よりは長いが女性にしては短く少し雑に切られていた。細く長い指はそのまま再度フォークを掴み、チキンを突き刺し口へと運ぶ。何というか、彼女はその辺の男のより男勝りで、いい意味で格好いいと思う。
「始めさ、随分大事な恋人がいるんだと思ってた」
「なんで?」
「爪。そんなに深爪に切ってるからよ」
だから、傷付けたくない恋人が居るのかと思ったと言われ、そう言うことかと自身の爪を見た。確かに、そんな理由で爪を切る人も居る。けど、俺達アビエイターに取って身体は大切だ。爪一つ、体調管理である。
だから俺は爪を週に一回は切るし、その切り口を丹念にヤスリで慣らしていく。全ては、自己管理である。
「考えすぎだよ」
「みたいね。アンタにはなんの影もないもの。友好的で仲間思いなのに、そう言った相手には一歩引いて壁を作ってるって感じ?」
「なに? 俺人間観察されてるわけ?」
「別に。けど、背中を任せる相手になるんだから、観察しとかないとね。信用出来るかは大切よ」
「まぁ、たしかにね」
チリコンカンを口に押し込み、手に持つパンを齧りそんな会話をしたのは、たぶん初めて彼女とトップガンで出会った数日後のことだった気がする。
「爪、また切ってるのか?」
「ヤスリかけてるだけだよ」
砂漠の格納庫の椅子に座り、撫でる指先にヤスリをかけている俺の手元をマーヴェリックが覗き込む。手に持つ二つのマグカップのうち、一つへ口を付けつつもう一つを近くのテーブルへ置いてくれる彼は、向かいの椅子へと腰掛けた。長い足をジーンズに包み、しっかりとした上半身を白いTシャツに包む彼はその襟元を少しバイクのオイルに汚し、その頬が黒い煤で小さく模様を描いていて笑ってしまう。
しっかりと日焼けした肌へ走る黒い汚れは、たぶんその手で汗を拭ったのだろう。
「マーヴ、また汚してる」
爪切りをテーブルへ置き、伸ばす手で頬を撫でて彼に見せれば年上の彼は瞳を瞬き、そして恥しそうにまたその頬を襟元で拭うから可愛らしい。まるで小さな子供がするようなその仕草は、彼が昔からする癖で、その度に服をオイルで汚すから昔母が良く怒っていた。
「もう終わったの?」
「もう少しかな」
「じゃあ、作業が終わったらシャワー浴びなよ」
「そうするよ」
伸びる手がテーブルへ置いたマグカップを掴み、俺の方へ差し出してくるからお礼を口にしてそれを受け取る。だが、マグカップを受け取り引き戻そうとする手へ彼の視線が注がれるから小首を傾げた。
「俺の手がどうかした?」
「…いや、子供の頃の君は爪切りが嫌いだったからさ。ちょっと新鮮でさ」
マグカップを持っていない方のマーヴェリックの腕が伸び、同じくマグカップを持っていない方の俺の手へと指を絡めてくる。俺の手より一回り小さな子供指が指へと絡み、その深爪な爪をスルッと撫でてくるから、なんとも思考が良くない方へと流れてしまう。嬉しそうに、楽しそうにそうするマーヴェリックの動きには他意はないのだとわかるのに、たまにこうして不意打ちでされる行為に彼を意識してしまう。いや意識するも何も、昨夜だってそう言う行為をした相手だし、常に俺は意識しているのだが、それとは違うゾワゾワとした欲を孕んだ意識が向いてしまうのだ。
「……昔、フェニックスに言われたよ」
「ん、何を?」
「深爪過ぎるって」
「ふふ、確かにね。けど、君の爪は柔らかくて直ぐに怪我をするから、深爪な方がいいよ」
「うん。…けど、今はどっちかって言うとマーヴのために深爪してるんだけどね」
「ん?」
「マーヴの中に傷作りたくないからね」
「ッ!?」
意味わかる?
なんで彼の指の腹を撫で、同じく短めに切られた爪までをなぞってその顔を見つめれば、彼はその目元をジワジワと赤くなるから、更に誂う様に呟いた。
「けど、マーヴに引っ掻かれるのは好きだよ」
「あっ」
「俺にされて気持ちよくて、無意識に引っ掻いてくるアンタ可愛いからね」
無意識に離れようとする指を今度はこちらから絡め取り、その指先へと唇を寄せる。
「だから早く俺の相手してよ」
コーヒータイムもいいけど、早くシャワーまで済ませて。そういう意味も込めてチュッとリップ音のするキスをその指先へ送れば、マグカップへと顔を寄せるマーヴェリックはズズッコーヒーを啜り視線を逸すから可笑しくて、汚れていない頬へも唇を寄せて口付けた。スンッと匂うオイルの匂いは、たぶんあと少しでボディーソープの香りに変わるだろう。
おわり