私はただ、彼が好きなだけ メイク良し。髪型良し。コーディネートも、良し。
駅前の化粧室の鏡を見て、「よし!」と気合いを入れる。今日は久々の彼とのおうちデート。肩の辺りまであるミルクティーベージュの髪の毛を内巻きにして、前髪もしっかり固めて、昨日買ったばかりの薄い桃色をしたお気に入りのワンピースを着て、ロングコートを羽織って。耳には彼の髪色と同じ紫色のピアス。歩くたびに聞こえる、茶色のショートブーツのコツコツって音が今の私の気持ちを表してるみたい。早く彼に会いたいって楽しそうに響いてる。
鞄に入ってる、彼と見たいと思って借りた映画のDVDをチラチラと目に映しながら、信号が青になるのを今か今かと待ち望む。
「……わあ」
信号が青に変わり歩き出すと、遠くから綺麗な金髪をした、かっこいいお兄さんとすれ違った。思わず二度見しちゃった。
「あらやだ……。私ったら」
だめだめ、私には彼がいるんだから。頭を左右に振ってお兄さんの顔を打ち消す。たしかに鮮やかな金色がよく似合う方だったけど、彼の方が数倍、ううん、数百倍かっこいい。
彼の顔を思い浮かべたらもっと会いたくなっちゃって、さっきよりも早足で住宅街を歩く。そして彼が住むアパートの階段をるんるん気分で登って、扉の前に立って、手鏡を取り出して、少し乱れた髪の毛を整える。うん、大丈夫。
ピンポーン、とインターホンを鳴らすと、「はい」という返事が。
「あ、おはよう。佐藤です」
「やっぱりね。少し待っていてくれるかい。部屋の片付けがまだ終わっていなくてね」
「気にしなくていいのに」
「彼女の前では格好つけたいものなんだよ」
「……ふふ、分かった」
彼の家はいつも綺麗に片付けられてる。大学で使う教材やよくわかんない機械? みたいなのが少し床に置かれているくらいで、生活に必要ないものは一切置かれてないって感じ。食器もちゃんと洗ってあって、冷蔵庫の中身も綺麗で、洗濯物が積まれているなんてこともない。きっとすごく綺麗好きなんだろうなあ。
「……おまたせ。寒いなか待たせてすまなかったね」
「全然! 入ってもいい?」
「ああ、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
うーん、久しぶりの彼のおうち。やっぱり心地良い。靴を綺麗に揃えて中にあがる。ワンルームって狭いのかなと思ってたけど彼曰く1人で暮らすにはちょうどいいみたい。
「座ってて」という彼の声に甘えて、低いテーブルの前に座る。やがてあたたかい紅茶を淹れてくれた彼が「はい」と言ってマグカップを渡してくれた。
「……ふう、おいしい」
「うちに来るのは久しぶりだったよね?」
「うん。最後に来たのはクリスマスだったかな。だから……2ヶ月ぶりくらい」
「一緒にイルミネーションを見に行ったときだね」
「そうそう! 楽しかったよね〜。そのあともさ……」
……や、やばい。思い出しちゃった。よりによってここで。顔が熱い。彼のことが見れなくなっちゃった。
「…………したよね、ここで」
「……!」
「……どうしたんだい?」
「い、いや、あの、なんでも」
「したくなっちゃった?」
いつのまにか隣に座っていた彼に人差し指と親指で顎を軽く掴まれて、むりやり目を合わせられた。まって、本当に。そんなかっこいい顔で微笑まないで。近づかないで。
もっと好きになっちゃう。
「…………おいで」
「…………うん」
ちゅ、と軽くキスをされて、引き寄せられる。後ろにあるベッドに連れて行かれて、押し倒された。やだ、午前中からこんなこと……と、ベランダから見える明るい日の光に後ろめたさを感じながら、覆い被さる彼の男性な顔立ちに見惚れる。
……………………。あれ?
「類くん」
「なあに?」
「昨日、ここに誰か、来た?」
なんか、このベッド、匂いがする。彼のじゃない、別の匂い。香水……かな? 今までこの家で嗅いだことがないやつ。なんで? なんでベッドで彼以外の人の匂いがするの? 私以外の誰かをここで寝かせたの? どういうこと?
「どうして?」
「匂いが、違う」
「……ああ。なるほど。昨日家に来た友人がつけていた香水かもしれないね」
「友人? 男の人?」
「そうさ。高校生のときに1番仲が良かった人でね。昨日居酒屋で2人で飲んでだらその友人がすごく酔っ払ってしまって、僕がここで介抱してあげたんだ」
「…………へえ、そっか! 類くん優しいね!」
「当たり前のことをしただけだよ。それよりも、続き、いいかい?」
「…………うん!」
良かった。本当に良かった。これでもしお友達じゃなくて女の人だったらどうしようかと思った。彼は嘘をついていなさそうだし、今この瞬間私しか見てないし、私だけを愛してくれてるし、なんも心配することはないのに。やな女だな、私。
女の人だったら、社会的にどう抹殺して滅茶苦茶にしてやろうか、精一杯考えてた。
***
一緒にお風呂に入って、隣に座って映画を見た。恋愛映画。きっと彼も好きなんじゃないかなって思ってたら「とても素敵なストーリーだったね」って満足げに笑ってくれた。良かった。
***
まさかまさかの出来事。おうちデートをした1週間後に彼と居酒屋で飲んでたら、偶然彼の友人と遭遇した。彼も驚いてたし、友人の方も驚いていたし、なにより私も驚いた。
この前すれ違った、金髪のお兄さんだったから。
「紹介するよ。前に話していた、僕の彼女」
「……あ、えっと、こんばんは、佐藤といいますっ」
「…………。初めまして、だな。オレは天馬司。類からよく話は聞いているぞ。優しい彼女だとな」
「えっ」
「本人の前で言うのはやめてくれないかい?」
「いいじゃないか! 褒め言葉はしっかり伝えるべきだぞ!」
恥ずかしいな、と思っているうちに天馬くんも一緒に飲もうということになって、私と類くんが荷物を端によけた。
天馬さんが座ったのは、私の隣だった。ベッドで嗅いだ香水の匂いがした。
……なんか、すごく良い人っぽいな。彼と仲良しなんだから良い人じゃないわけがないのは分かってたけど、なんだろう、明るくて元気で、でも礼儀正しくて、仕草も全然乱暴じゃなくて。おまけに顔も良い。すごく話しやすい人だったから、お酒の力もあってこの一夜で結構仲良くなれた。彼との高校時代の思い出話なんかは面白くて、奇想天外で、声を出して笑った。
でも意外だった。高校生の頃の彼ってそんなに活動的だったのね。大学生の彼しか知らないから、なんか、胸がちくっとした。私の知らない彼を天馬さんは知ってるんだって。
ずるいな。
私も知りたいな、彼のこと。それから天馬さんのことも。天馬さんを知ることが彼を知ることにつながる気がするの。ああ、もっともっと。もっともっともーっと、彼の全てを私の脳内に焼きつけたい。
***
私が天馬さんと知り合ってから、彼と天馬さんが飲みに行く回数が増えた。大抵誘うのは天馬さんの方らしくて、私が「今日会えるかな」って思って連絡すると大体「今日は司くんと飲みに行くんだ」と断られる。本当に仲良しだなあ。どんな話をしてるのかなあ。私の話とかしてるのかなあ。してるといいなあ。
そんなふうに断られることが週に3回くらいになった辺りで限界がきた。毎日会いたいから毎日連絡してるのに、いっつも天馬さんの名前が出てくるの。これは一体どういうこと? 彼と天馬さんは本当に仲が良いだけ? ただの友人? 本当に? 私よりも会う回数が増えているじゃない。彼女である私より大事な人なんて彼にいるわけがないのに。
今まで、男の人だからって油断してた。今の時代、恋愛は異性とじゃなきゃダメなんて決まりはなくなってきてるんだ。天馬さんが彼を好きになることもあるんだ。気持ちは分かるよ、彼は本当に素敵で優しくて、いつも私の話を聞いてくれて、かっこよくて、背も高くて、丁寧に抱いてくれるんだから。でもさ、違うじゃん。天馬さんのものじゃない。彼は私の恋人なんだもの。高校時代に仲良しだったからって関係ない。今、彼の1番は私。それなのに、どうして彼は天馬さんの誘いに軽く乗ってしまうのかしら。
…………。天馬さんにしつこく迫られて、断れないでいるんだ。
絶対そうだ。彼は優しいから、本当は私といたくても天馬さんに誘われたら頷くしかないんだ。ああ、かわいそうに。
「ねえ類くん。天馬さんって本当に素敵な人ね」
「え?」
「素敵な人だけど、最近は少し、強引じゃないかしら。いくら仲良しだからって、類くんのこと、独り占めにしちゃダメだと思うの」
ある日の夜、類くんのおうちにお邪魔してたわいのない話をしている途中で、私は天馬さんについての話題を出した。ここではっきりさせないと。無理して天馬さんに会わなくていいんだよって。
「天馬さんには彼女がいないから分かんないのかも。こんなに彼氏と会えない日が続くと、彼女がどれほど悲しむか」
「…………」
「だから類くん、天馬さんとはもう、会わないで欲しいな。なんか私不安で。天馬さんも類くんのこと大好きなんじゃないかって。だから、天……」
「ねえ」
すごく低い声が聞こえてきて、思わず話すのをやめた。なに今の。類くんの声……だよね? おそるおそる隣にいる彼を見ると、彼は真剣な顔で私を見つめていた。
「僕といるのに他の男の名前ばかり聞こえるんだけど?」
「……えっ」
「司くんの話はやめて」
「る、るいく……っ、んッ」
――これは、嫉妬だわ。
こんな甘くて情熱的なキスをされたのは初めて。彼は天馬さんの名前を出されるのも嫌だったんだ。そんなに私のことを想ってくれていたなんて、私ったら。
私は彼に愛されている。
でもごめん。天馬さんが彼を好きじゃないって証拠がまだないから、もう少しだけ疑わせてほしい。盗聴器をつけるくらいは、許して?
***
「…………あ、天馬さんの声」
自室でイヤホンをつける。今日も今日とて、彼は天馬さんと宅飲み。彼のおうちで。
「ふふ、2人とも楽しそう」
それがどうしようもなく腹が立つ。いつのまにか、彼の友達にも嫉妬するようになっちゃった。
30分くらい経ったあと、話題は私と彼の関係についての話になった。
『類は可哀想な奴だな』
『? どうして?』
『好きでもない人と付き合っているからだ』
え?
「……なになになになになに、なに。なに? え? なに????」
私の混乱を放って、天馬さんは話を続ける。
『佐藤さんはたしかに素敵な女性だが、類はそこまで彼女を愛してはいないんだろう?』
彼は黙ったまま。なにも聞こえない。どういうこと? それは肯定? 否定? どっち? だって、彼は私が好きで、私も彼が好きで。そうでしょ? そうなんでしょ?
『本当は、オレと付き合って、オレと愛し合っていたい。違うか?』
………………。は? なに? なんなのこいつ。まさか本当に彼のことが好きだったの? ていうか、え? 彼も天馬さんのことが好きってこと? なにそれ? 意味がわかんない。答えなんて聞きたくない。知りたくない。それなのに、イヤホンを外すことはできない。身体が動かない。届かないと分かっていながらも、私は部屋で1人彼に語りかけた。
「類くん、違うよね。天馬さんは友人だもんね。類くんには私がいるもん。ね? そうでしょ? 類くん。……天馬さんと、つ、付き合いたいとか、思って、るの?」
『違うに決まっているじゃないか』
「え」
――私の願いが、希望が届いたみたい。
「そ……うだよね、類くん。私のことが好きなんだもんね。…………よ、良かった……!」
完全に気が緩んで、イヤホンを外して、全身の力が抜けてへなへなとベッドに倒れ込んだ。ああ、涙が出てきた。今まで疑っちゃっててごめんね。これからはもうそんなことはしないから。ずっとずっと、類くんのそばにいるからね。
***
性懲りも無く天馬さんは私達の前に現れた。「司くんに3人で飲みに行こうと誘われたんだけど、どうだい?」って彼に言われたときはあんまりにも可笑しくて笑いそうになったけど、「いいよ」って答えた。
天馬さん、今どんな気持ちなんだろう。失恋したってことだよね。ふふ、かわいそうに。でもごめんね、彼は私の彼氏だからさ。彼とも、私とも、友人として仲良くしてくれると嬉しいな。
待ち合わせ場所に彼といたら、数分後に天馬さんが来た。いつもと変わらない笑顔で、大きな声で「待たせたな!」って。いじらしいわ。本当に。心に傷を負っているはずなのに、懸命に隠してるのね。
いつもの居酒屋に入って、お酒を頼んで、途中でお手洗いにも行って、いつも通り楽しんだ。
――――居酒屋を出たあとの記憶はない。
***
「…………ん…………」
「ああ、起きたか」
「……? 私……って、え、天馬さん⁉︎」
「おっと、無理して立ち上がらない方がいいぞ。相当酔ったのか、歩けなくなっていたからな。ほら、水だ」
「あ、ありがとう……」
冷たい水を一口飲んで、辺りを見回す。街灯もない、人もいない、そんな路地裏で私達は座っていた。
「酔った……って、私、そんなに飲んでたっけ」
「はは、それすら覚えていないのか」
「だって、頭も別に痛くないし……。あ、でも、ちょっとクラクラする……」
「大丈夫か?」
「うん……。ごめんなさい、迷惑かけちゃったみたいで」
「気にするな! オレだって酔うことはある」
「…………あれ? 類くん、ッ、は」
――――え?
押し倒された?
誰に?
天馬さんに?
「――――ッ! ゃ、な、ッッ、――!」
息ができない。
なぜ?
天馬さんに首を絞められているから?
やだ。やだやだやだやだ。なんで? どうして? 苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
「や、め……ッ、ッいき、できっ」
男の人の力に敵うわけがない。必死に全身を動かしても、息苦しさは変わらない。
…………やば、なに、も、き、こえな、てん、まさんが、こわいかおで、たくさん、はなしてる、の、に、なにも、きこえ、ない、わか、らない。
「――――るい、くッ――――」
死にたくない。