僕は彼に愛されたいだけ 僕は別に司くんを好きなわけではない。付き合いたいわけでもない。ただ、司くんは勘違いしているようだった。
僕はただ、司くんに愛されたいだけ。司くんが、僕だけを見ていてくれればいいだけ。
***
「彼女ができたんだ」
そう言うと、目の前の彼はほんの少しだけ悲しい目をした。予想通りだった。
「……良かったじゃないか! どんな女性なんだ? いつから付き合っている?」
「3ヶ月くらい前からかな。柔らかい茶色の髪の色を肩の辺りまで伸ばした、背の小さい優しい人だよ」
「そうか……」
ああ、たまらないな。この切なげな声。
僕に彼女がいることを知ったら、司くんはもっともっと僕を見てくれる。彼は独占欲が強いから、簡単に諦めることもしないだろう。むしろ燃え上がるタイプだと思う。だから伝えた。
「類! 今日は心ゆくまで飲み明かそうではないか! 金曜日だしな!」
「え、いいけど……。どれくらい飲むつもり?」
「知らん!」
「ええ……。酔った君を介抱するのは大変なんだよ?」
司くんは本当に僕が好きみたいだ。いっぱいお酒を飲んで、悲しさを紛らわそうとしているのかな。可愛い。
「……ね、もっともっと、僕だけを見て。僕に溺れてよ、司くん」
その呟きは、酔い潰れて寝ている司くんには届かなかった。
***
「類のベッド⁉︎」
食器を洗う手を止めて、蛇口を閉める。
「うわあ、寝起きから元気だねえ。おはよう司くん」
好きな人のベッドの上、という事実に動揺しているようで、司くんはあたふたしながら布団から抜け出した。期待以上の反応に嬉しくなる。
「……お、おはよう……。オレは、どうしてここに……」
「覚えていないとはタチが悪い。君は昨日散々に酔っ払ってまともに歩けなくなっていたから、仕方なく僕がここまで連れ帰ってきたんだよ」
「なんだと……⁉︎ そ、それは申し訳ないことをした……」
「いいよ。もう慣れたから」
司くんは相当僕に気を許しているのか、飲むたびに簡単に酔っ払ってしまう。優越感に満たされながら介抱する時間は至高のひと時だった。いつか僕の前でしか酔えない身体になってくれないかなあ、なんて思うくらいには。
「朝ごはん、作ったから食べていきなよ」
「え……そこまで迷惑をかけるつもりは……」
「迷惑なわけがないよ。君と朝ごはんを食べるなんて初めてだから、やってみたくて」
分かりやすく頬を染める司くんのために作った朝ごはんを一緒に食べる。もぐもぐと動く口が可愛い。
「……そうだ。なあ、類」
「ん?」
「昨日からずっと不思議に思っていたんだが、お前はどうして彼女と付き合い始めたんだ?」
「告白されたから」
どうしてそんなくだらない質問を……と疑問に思ったが、急に嬉しそうに「そ……そうか!」と言った司くんの顔を見て全部理解した。けれどあえて、理由を聞いてみた。
「? どうしてそんなに嬉しそうなんだい?」
「気にするな!」
知ってるよ。僕が彼女を愛していないことに気付いたんだろう? これでまだ、自分には希望があるって。
***
彼女はいつも時間ぴったりに家にやってくる。ピンポーン、とインターホンが鳴る音が聞こえてきて、散らかった本を片付ける手を止めて「はい」と返事をする。
「あ、おはよう。佐藤です」
「やっぱりね。少し待っていてくれるかい。部屋の片付けがまだ終わっていなくてね」
「気にしなくていいのに」
「彼女の前では格好つけたいものなんだよ」
「……ふふ、分かった」
こんな薄っぺらい戯言を本気にするのは世界中でこの女だけではないか? いや、女というのは全員そういう生き物なんだろうか。よく分からないし考えても無駄か。とにかく片付けないと。彼女は綺麗好きな男が好みらしいから、頑張ってそれに合わせないといけない。ああ、面倒くさい。司くんの視線を独り占めするために手に入れた彼女とはいえ、本当に面倒だ。
なんとか部屋を綺麗にして、玄関の扉を開けた。
「……おまたせ。寒いなか待たせてすまなかったね」
「全然! 入ってもいい?」
「ああ、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
「座ってて」と言って彼女を低いテーブルの前に座らせる。紅茶の入ったマグカップを「はい」と言って渡すと、彼女は穏やかに笑った。
「……ふう、おいしい」
「うちに来るのは久しぶりだったよね?」
「うん。最後に来たのはクリスマスだったかな。だから……2ヶ月ぶりくらい」
「一緒にイルミネーションを見に行ったときだね」
「そうそう! 楽しかったよね〜。そのあともさ……」
あまりにも分かりやすくて呆れを通り越して心配になるな。そんな気分じゃなかったんだけど、仕方ない。期待には応えなければ。
「…………したよね、ここで」
「……!」
「……どうしたんだい?」
「い、いや、あの、なんでも」
「したくなっちゃった?」
隣に座って人差し指と親指で顎を軽く掴み、むりやり目を合わせた。目の中にハートがいくつもあるみたいだ。くだらないなあ、本当の僕なんて一切知らないくせに、いい男を演じる僕を好きになるなんて。
「…………おいで」
「…………うん」
ちゅ、と軽くキスをして後ろにあるベッドに連れて行き、押し倒した。まだ午前中なのに、と呑気に考えていたら彼女の目の色が変わった。真っ黒だ。
「類くん」
「なあに?」
「昨日、ここに誰か、来た?」
――しまった。
「どうして?」
「匂いが、違う」
「……ああ。なるほど。昨日家に来た友人がつけていた香水かもしれないね」
「友人? 男の人?」
「そうさ。高校生のときに1番仲が良かった人でね。昨日居酒屋で2人で飲んでだらその友人がすごく酔っ払ってしまって、僕がここで介抱してあげたんだ」
「…………へえ、そっか! 類くん優しいね!」
「当たり前のことをしただけだよ。それよりも、続き、いいかい?」
「…………うん!」
彼女は非常に愛が重い。おそらく、僕に近づく女はどんな手を使ってでも僕から遠ざけようとする、そういう人だ。扱いやすいと言われればそうだが、正直うざったくてたまらない。
さてと。抱かないと。
……司くんなら、どんな顔をするのかな。僕にこうされたら。いつもそう考えながら彼女を抱くのだが、とても気持ちが良い。ここを触ったら? ここでキスをしたら? ここで抱きしめたら? 想像力には結構自信があるから、彼女の顔が司くんの気持ちよさそうな顔に見えることもある。愉しい。これをしたらきっと司くんは僕しか見られなくなる。でも、まだ。まだ足りない。もっともっと司くんに愛されたい。愛が欲しい。僕だけを好きでいて欲しい。付き合うなんて単純な関係じゃなくて、僕だけが司くんを独り占めできるような環境に身を置きたい。
一緒にお風呂に入ったあとに隣に座って映画を見たが非常につまらなかった。「とても素敵なストーリーだったね」って満足げに笑ってみせたら、彼女は安心したように微笑んでいたけれど。司くんならもっと僕好みの映画を選んでくれるんだろうなあ。
***
偶然、居酒屋で司くんと会った。彼女と2人で飲んでいるときだった。僕に会えて嬉しそうな司くんの笑顔が僕の欲求を一気に満たしていく。
「紹介するよ。前に話していた、僕の彼女」
「……あ、えっと、こんばんは、佐藤といいますっ」
「…………。初めまして、だな。オレは天馬司。類からよく話は聞いているぞ。優しい彼女だとな」
「えっ」
「本人の前で言うのはやめてくれないかい?」
「いいじゃないか! 褒め言葉はしっかり伝えるべきだぞ!」
その後、「せっかくだし」と司くんと一緒に飲もうと誘って、荷物をよけた。彼女もよけた。まあどうせ、僕の隣に来るんだろう。というか来てくれないと困る。
……と思っていたら、司くんは、予想外にも彼女の隣に座って、楽しそうに彼女と話をし始めた。なぜ? どうして? 司くんは僕のものなのに。僕以外の人間とそんなに長く会話をして、許されると思っているの?
この日から胸のざわつきが治らなくて、執拗に司くんに会いに行った。司くんも沢山僕を誘ってくれたし、枯れた欲を潤すにはちょうど良かった。そうだよ、そうやって君はずっと僕に執着していてくれればいい。そのために生きていればいい。一度、僕達が頻繁に会っていることについて彼女がどう思っているのか心配されたけれど「心配ないよ。僕は君に会いたくて会いに行ってるんだから、彼女も理解してくれている」と答えた。もちろん嘘だ。でも、こう言っておけば、司くんは行動に出てくれる。そうすればもっと、僕に依存してくれる。
***
「ねえ類くん。天馬さんって本当に素敵な人ね」
「え?」
ある日、彼女から司くんの名前が出た。
「素敵な人だけど、最近は少し、強引じゃないかしら。いくら仲良しだからって、類くんのこと、独り占めにしちゃダメだと思うの。天馬さんには彼女がいないから分かんないのかも。こんなに彼氏と会えない日が続くと、彼女がどれほど悲しむか」
さっきから、天馬さん、天馬さんって。
「だから類くん、天馬さんとはもう、会わないで欲しいな。なんか私不安で。天馬さんも類くんのこと大好きなんじゃないかって。だから、天……」
「ねえ」
存外低い声が出てしまい、彼女を少し怖がらせたみたいだけれど気にしない。
「僕といるのに他の男の名前ばかり聞こえるんだけど?」
「……えっ」
「司くんの話はやめて」
「る、るいく……っ、んッ」
こんな女に司くんの名前を何度も呼ぶ権利は与えられていない。やめてくれ。司くんの名前が汚れる。手っ取り早く彼女を黙らせる手段はキスだった。どうせ僕が大好きだからこういうことをしておけばすぐトロトロになる。浅はかな女性だ。そんな人間に司くんを汚されてはたまらない。
***
別の日、僕の家で司くんと2人きりで飲むことになった。待ちきれなくて、インターホンが鳴ってすぐに扉を開けた。
「ごめん、全然片付けていないんだけど……」
「いつものことだろう。全く、佐藤さんに対してもこうなのか?」
「それはさすがに」
この気楽さが好きだ。さっそく司くんが買ってきてくれたお酒とおつまみをテーブルに広げて、僕がこの前借りてきた映画のDVDのパッケージを見せた。
「ほう。いかにも類が好きそうなDVDだな」
「だろう? 司くんも気に入ると思って」
これだよ。この関係が気持ち良い。目が、声が、雰囲気が、「好きだ」と伝えてくれる司くんの隣にいる時間が僕は好きだ。愛されていると実感できる、この時間が。
「……なあ、類。最近佐藤さんとはどうだ?」
ふと、司くんが彼女の話を持ちかけた。
「どうしたんだい、急に」
「うーむ……。単刀直入に言わせてもらうが……。類は可哀想な奴だな」
「? どうして?」
可哀想? どこが?
「好きでもない人と付き合っているからだ」
思わず目を見開いた。ここまではっきり言ってくるのは初めてだったから。もしかして司くんは今、とてつもなく大きな挑戦をしているのではないだろうか。
「佐藤さんはたしかに素敵な女性だが、類はそこまで彼女を愛してはいないんだろう?」
これは、もしかして。
「本当は、オレと付き合って、オレと愛し合っていたい。違うか?」
――ああ、やはり。
どう答えればいいんだろう。ここでYESと言えば、きっと司くんは本当に僕だけのかけがえのない存在になる。それは心の底から嬉しい。けれど、現実的に考えれば実現は難しい。なぜなら彼女がいるから。この場合、どうすれば手っ取り早く司くんを手に入れられるのだろうか。
…………。司くんは僕が好き。そして、「僕も司くんが好き」と思い込んでいる。ということは、僕と彼女を別れさせたいと考えているのだろう。それに、何度も言うが僕は司くんと付き合いたいわけではない。
だったら……。
「違うに決まっているじゃないか」
「………………。は?」
フフ、だめだ、笑ってはいけない。司くんの悲痛に歪む顔が可愛いからって、今はちゃんと演技をしておかないと。
「……? だって、友人同士じゃないか、僕達」
「ち……違うッ! 違うだろう⁉︎ だって、そんな、オレ達は……ッ!」
「どうしたんだい、司くん。酔っておかしくなった? 水を持ってくるから待っててくれ」
焦ったふりをしてキッチンに向かい、コップに水を入れる。ああ、司くんが呆然としている。目に光がなくなっている。なんて愛おしい光景だろう。
ここで否定しておけば、今の司くんなら、彼女を消し去ってくれる。
「司くん、はい」
「…………」
司くんはコップを受け取って、一気に飲み干した。
「……オレは、おかしくなんかない」
「……司くん?」
「おかしくなんかないッ! おかしいのは……おかしいのは…………類だ」
「え」
急に抱きしめられて、鼓動が高鳴る。
「つ、司くん、どうしたんだい、苦しいよ」
「あの女のせいだ」
「え……?」
「あの女が類をここまで洗脳したに違いない。あいつさえ……いなければ……」
やはり司くんは、僕の期待通りに――いや、期待以上の働きをしてくれる。可愛い。可愛いなあ。洗脳なんてされるわけがないのに。僕は司くんに愛されたい一心で動いているだけなのだから。
***
1週間後、司くんに飲みに誘われた。「司くんに3人で飲みに行こうと誘われたんだけど、どうだい?」と彼女も誘ったら、「いいよ」と快い返事をもらった。やけに嬉しそうだけれど、この笑顔を見るのも今日で最後なのかな。別に悲しくもなんともないが。
司くんより先に待ち合わせ場所に到着して彼女と話していると、数分後に司くんが「待たせたな!」と言ってやってきた。いつもと変わらない表情と声が演技だと僕には分かっている。
飲んでいる途中、偶然彼女とお手洗いに行くタイミングが重なった。
彼女はそれほど飲んでいないのに途中からやけに眠そうに目を擦っていて、店を出たときに急に倒れ込んでしまった。
「おや、大丈夫かい? おかしいな、そんなに飲んでいなかったはずだけど……」
「類、佐藤さんはオレが送っていこう。幸い最寄り駅が近いんだ」
「いや、でも……」
「大丈夫だ」
――ああ、なんだ。全部司くんの仕業か。
そのまま彼女を司くんに任せて、素直に家に帰った。ワクワクする。なにをするのかな、司くんは。脅すのかな。暴力を振るうのかな。怖がらせるのかな。僕のためだけにそこまでするなんて、嬉しくて仕方ない。僕はもうすぐ、最上の幸せを手に入れるのかもしれないんだ。
***
家に帰って30分ほど経った頃、着信音が鳴った。画面を見ると司くんの名前が浮かび上がっていたからすぐに電話に出た。
『類! オレだ!』
「さっきぶりだね。どうしたんだい?」
『オレ達の邪魔をする女を葬り去ったッ!!』
「…………は…………?」
――葬り去った?
つまり、殺した?
「つ……かさくん、なにを、」
『なあ、今からお前の家に行っていいか? 今すぐに会いたいんだ』
「………………」
この、気持ちは、なんだろう。
まさか司くんがここまでするとは思っていなかった。驚いている。困惑している。呆然としている。
それなのに、じわじわと溢れている、この感情の正体はなんだ?
「いいよ、おいで」
通話を切って、ゴトンとスマホを床に落とす。瞬きができない。思考が追いつかない。
ドンドンと扉を叩く音が聞こえる。インターホンを鳴らさないあたり、司くんはきっと、興奮している。僕に会いたいって思っているんだ。
ガチャ、と扉が開けた瞬間に抱きつかれた。後ろで扉が閉まる音が聞こえる。僕の好きな香水の香りもする。
「……司くん」
「類! 会いたかった! もう、あの邪魔な女はいないんだ! だから、今度こそ本当に……!」
ドクドクと心臓が煩く脈打つ。
「本当に、殺したんだ?」
「当たり前だろう!」
現実的に、考えて。司くんは軍手をしていない。返り血もない。凶器も見当たらない。どうやって殺したのかは分からないけれど、バレるのは時間の問題かもしれない。あまり計画的な殺人には到底思えないから。
――だったら。
「…………そ、っか。そうか」
「……? どうした、類。嬉しくないのか?」
「いや…………。……うん、司くん、顔、見せて?」
「……?」
もしかして、これから、僕達は。
「フフ……。ねえ、これからはずっと一緒だね、僕達」
「――ああ! ずっとずっと、一緒にいよう。愛しているぞ、類」
「ありがとう、司くん」
ギュウっと司くんを抱きしめた。
司くんが警察に捕まってしまえば、僕は司くんに見てもらえなくなる。簡単に会えなくなる。それは困る。邪魔がいなくなった今、司くんはこれからずっとずっと僕だけのものとして、そばにいてくれないと。
それが、叶うんだ。今。
捕まるまでの間、少しでもいい。1日でも、2日でも、司くんをこの家に縛りつけておけば、本当の意味で僕達は幸せを手に入れられる。警察に見つかったそのときには、一緒に死ねばいい。そうすれば、今後司くんは死ぬまで僕しか目に映さないことになる。僕も、司くんのものとして、人生を終えられる。
――この、燃え盛る所有欲が、恋なのかもしれない。