先天性R型脳梁変成症【先天性R型脳梁変成症①】
この本丸の小豆長光はサトラレ(正式名称は先天性R型脳梁変成症)だ。人間のサトラレ同様、他の本丸の小豆長光よりも能力値が高く、時の政府もこの戦力は貴重な財産とし、保護していくことを決めた。
本刃に自身がサトラレであることが知れると霊力が乱れ、その強大な力が暴走してしまう恐れもあるため、こちらも人間のサトラレ同様に決して本刃に自身がサトラレであることを知られないように注意が必要であった。
ただ、この小豆長光は裏表がなく、思っていることと実際に話していることにほとんど差がなく、邪なことも考えることがなかったため、そこまで彼がサトラレであることを意識していなかった。
山鳥毛、その刀が顕現されるまでは。
「おはよう、山鳥毛」
『きょうもうつくしいね。ほうせきの ように きらめく あかいひとみも、つややかなかみも、なにもかも うつくしいよ』
挨拶とともに流れてくる賛美に山鳥毛はたじろぐ。すぐ後ろにいる南泉に小声で「お頭、挨拶するにゃ」と言われ、ようやく
「おはよう、小豆」
とだけ返すことができた。
『すがただけではなく、こえも うつくしいな。このよの すべての うつくしいものを つめこんだら かれになるんじゃないだろうか? かれの うつくしい ひとみが わたしを うつし、かれの うつくしい こえが わたしのなを よぶ。なんて すばらしいのだろう』
ただ、挨拶をしただけでこれである。山鳥毛は自分の頬が赤くなったのがわかった。サトラレの厄介なところは想像しているヴィジョンも他者に伝えてしまうことだ。今、本丸にいる皆は小豆が想像しているやけにキラキラしている山鳥毛の姿を見ていた。小豆の通常思念派の届く範囲は狭く、それこそ数メートル程度なのだが、たちまち山鳥毛が関わると何十メートル先まで拡げてしまうのだ。
『すきだよ』
『いとおしい』
『すきだ』
『きれい』
『かわいい』
『あいしてる』
文章にもなっていないような、山鳥毛を愛おしく想う感情が絶え間なく溢れている。そんなあたたかい感情に包まれ本丸にいる刀剣達もほわ~とした気持ちになった。ただ、ひとりを除いて。
「こ、子猫、助けてくれ……!」
「えぇ、無理ですにゃ、オレにはとても……!」
顔を真っ赤にしながら小声で南泉に助けを求める。それに小声で返しながら、南泉は爆発寸前の山鳥毛の心中を察した。ただでさえ恥ずかしがり屋なのだ。とても耐えられるものではないだろう。こんな砂糖を蜂蜜とメープルシロップで煮込んだような甘い言葉を投げ掛けられたら。
「お、お頭、さっき主に呼ばれたって言ってなかったにゃ? は、はやく行くにゃ」
「え? あぁ、そうだった!」
なんとか助け船を出してみる。
「そうかい、いってらっしゃい」
『あぁ、もう いってしまうんだね。できれば いとおしい きみを ずっと みていたいのに。しかたがないが、さみしいよ』
小豆の切ない気持ちが本丸中に巡る。山鳥毛のためとはいえ、罪悪感がすごい。
「お頭、ほら……」
「あぁ」
一瞬かたまってしまった山鳥毛の手を引き無理やり歩かせる。とりあえず、ここから去ってしまわなければと思った。
『南泉……、きみが うらやましいよ、わたしも かれの てを ひいて、なにもかもから うばいさってしまいたい。そして、だれの めにも ふれさせないで、じぶんだけの ものにして、あいしたい』
あまりにも熱烈な愛の囁きに山鳥毛の刻印は真っ赤になっていた。
【先天性R型脳梁変成症②】
今思えば、彼が顕現する前より、その想いの欠片を感じることは度々あったのだ。
例えば、兄弟刀である大般若長光と酒を飲んでいるときだった。ふいに小豆は大般若の瞳を見つめ
「きょうだいのひとみはあかいのだな」
と言った。
『きょうだいのあかもうつくしいが、わたしのしるあかとはすこしちがう』
そのときは何と比べているのかわからなかったが、すごく優しくて温かな感情が伝わってきたので
「兄弟の瞳は綺麗な蒼だねぇ」
と返した。
「そうかな、すこしてれるね」
『あのひともこのあおをきれいだといってくれたことがあったな』
伝わってくる、柔らかな愛情、そして寂しさ。その人はここにはいないのだと思った。
「さ、もう一杯飲もうか」
「あぁ」
彼のひとが酒を嗜むかは分からないが、それまでは晩酌の供が必要ならば自分が勤めようと思った。
例えば、南泉一文字と同じ戦場に出陣したときだった。誉を取った南泉を見ながら、
「さすがは一文字のかたな、だな」
と言った。特に接点のない刀から突然にそう言われ南泉は驚いた。
「あ、当たり前にゃ」
「ふふ、そうだね」
かつては軍神の佩刀であり、この本丸で特別な力のある刀に誉められ、南泉は自分の頬が熱くなるのがわかった。
「おや、かおがあかいよ」
『あのひともささいなことでよくほおをあかくしていたな』
誰のことを想っているのかはわからなかったが、すこし楽しげで、だけど大切に想っていることが伝わってきて、南泉の心もぽぉっと暖かくなる。
「あんたも流石、軍神の刀だにゃ」
「ありがとう」
この強くて優しくてあったかい刀にこんなにも想われているなんてどんなひとなんだろう。いつか自分も会ってみたいと思った。
例えば、燭台切光忠と内番の畑仕事をしていたときだった。
「まさか、かたながはたけしごとをするなんてね」
「そうだね、僕も最初は驚いたよ。でも、美味しい野菜が出来たら嬉しくて、どんどん好きになっちゃったなぁ」
「はは、わたしもだ」
穏やかに笑い、瑞々しい野菜を手にしながら、
『あのひともさいしょはおどろくだろう』
ここにいないひとを想って笑う。その慈愛に満ちた感情に、光忠はも穏やかな気持ちになる。
「愛情込めて育てたものを頂くんだ、どうせなら美味しく料理してあげないとね」
「もちろん」
『あのひとにもわたしのつくったやさいでりょうりをつくってたべてもらいたいな』
そのときまで一緒に料理の腕をあげ、盛大にもてなす準備をしておこうじゃないか。
様々な刀が彼の想いに少しずつ触れ、その温かさに、その寂しさに、そのひとが来るのを待ち望むようになっていた。
「ああ、小鳥に呼ばれたか。上杉家御手選三十五腰のひとつ、無銘 一文字。号して山鳥毛だ。我が家の鳥たちは集まっているか?」
ふわりと花弁が舞い、そのひとは立っていた。
「あぁ、山鳥毛、きみもきたんだね」
『あいたかったよ、いとしいひと』
まるで満開の桜が散るように、景色が桜色に染まる。
あぁ、やっと会えたんだね。
この本丸にいる、皆が焦がれていた、そのひとだったから。
そこにいる全員分の桜花弁で小豆長光の愛しいひとは迎えられたのだ。
【二度目の冬】
『しろい、いき』
『きらきらしてる』
『さむいだろう?』
『さむいね』
『はなのさきがあかくなっている』
『かわいい』
『あ、かくれちゃった』
『かわいい、はなさき』
『くちびるも』
『もっとみていたい』
『きみは、きれい』
『きれい』
パラパラと雪のように彼の想いが降ってくる。雪のように淡い。でも雪とは違って暖かなものが。純粋で穢れのない愛の言葉。それは心地のいいものだった。
ただひとり、その想いを一身に受けている山鳥毛以外にとって。
庭の雪掻きをしながら火照る顔をマフラーで隠し山鳥毛は俯く。それを隣で同じように雪掻きをしていた南泉一文字が小声で咎める。
「お頭、急に顔を隠しちゃ不味いにゃ。不自然にゃ」
「し、しかし、だな、子猫。あのように想われるとな」
「もうそろそろ慣れてくださいにゃあ。この本丸に来てもう一年経つにゃ。季節も二度目。二度目の冬を過ごすというのに」
「子猫よ、あれは一度目だから二度目だからという問題ではないような気がするのだが」
「いいから、もっと堂々とするにゃ! 小豆長光に自分がサトラレだって気付かれたらどうなるか。それがどんなに辛いことか、お頭が一番わかってるはずにゃ!」
「あ、あぁ、わかっている。わかっているとも」
この本丸の小豆長光は先天性R型脳梁変成症(通称サトラレ)だった。
人間のサトラレ同様、能力が高く、それどころか霊力もずば抜けて高かった。彼がそうなれと念じれば、小豆長光に付随する逸話がすべて彼のものになってしまう。それは付喪神としての領域を超えるほどの、圧倒的な力だった。
だからこそ、この小豆長光は当初、戦場を独り駆けるだけの戦闘道具となるはずだった。刀剣男士として本丸で過ごすこともなく、ただ殺すだけの道具として。
それを阻止したのはこの本丸の審神者と刀剣男士達だった。
小豆長光がこの本丸に顕現したのも冬だった。
庭に積もる雪と椿を見つめながら、彼の想いはポロポロと零れた。
『あいたい』
『きみに』
『うつくしい、きみ』
『いくさは、いやだ』
『たたかうのは』
『いたい』
『でも、きみに』
『きみに』
『ひとめでいいから、あいたい』
『あの』
『ゆきのなか』
『まっていた』
『きみに』
『きみに』
『あいたいと、ねがっていた』
それが何を言っているのか、誰を想って言っているのか、すぐ側に立っていた審神者にも、近侍の歌仙兼定にもわからなかったが、その想いの透明さは胸が痺れるほどに感じた。
彼をただの戦闘道具にしたくない。
そう強く思った。
審神者や当時本丸にいた刀剣男士の尽力のかいもあり、晴れて小豆長光はこの本丸の一員となった。
もちろん、彼は皆の苦労など知りもしないし、知ってしまったらここでの生活は終わってしまう。
だけど、皆が暖かく受け入れてくれていることは感じていた。
白い死の世界からここは遠い。
まるで、春の木漏れ日の中だ。
そんな風に。
「山鳥毛、あたたかいおちゃをいれたよ。あとすいーつもある」
『とびきりのすいーつ』
『きみにたべてほしい』
『あまくて』
『きれい』
『きみみたいに』
「あ、あぁ、ありがとう、小豆」
「うん」
『だから、わたしのうつくしいやまどり、そばにおいで』
「こ、子猫、一緒にいただこう」
「オレはいいにゃ、腹減ってないし」
逃げようとした南泉一文字のジャージの裾を掴み山鳥毛は必死で彼を引き留めた。
「子猫、頼む、ひとりにしないでくれ」
「お頭~、いい加減にするにゃ! とっくの昔に番ってるくせに」
「それはそうなのだが」
小声でひそひそ話していると、不思議に思ったのか小豆長光はお茶とお菓子を置いて庭先に降りてきた。
そして、その両手を握り、目を見つめる。
「山鳥毛、どうしたんだい?」
『はやく、おいで、わたしの』
『わたしの』
『いとしいひと』
熱烈な想いを間近で受け思わず山鳥毛はのけ反った。
「こ、子猫!」
「だーかーら! もうオレは知らないにゃ~!」
助けを求めて振り返った先に見えたのは、困り顔で逃げていく姿だった。
「山鳥毛?」
『きみはほんとうに南泉がすきだね、すこししっとしてしまうよ』
「あ、子猫は……」
嫉妬する対象なんかじゃない、と言いかけてやめる。それを言ってはいけない。絶対に気付かせてはいけない。
彼ともに二度目の冬を……。
いや、三度目、四度目、もっと先の冬も共に過ごすために。
「小豆、お茶をいただこう」
「うん、きょうのはとびきりのすいーつだよ」
『きみとすごすひびはいつだって、とびきりにあまくて』
『しあわせ』