羽化「緊張してます?」
注射に怯える子供を諭すように、あたしを膝の上に乗せる男は小首を傾げてそう言う。伸ばした腕が腰を抱いて、あたしの身体はじわじわと熱に飲まれていく。
「いいえ」
可愛げのない仏頂面を真正面から睨みつけると、「そうですか」と抑揚の無い声が返ってくる。
あたしの嘘はこいつには通用しない。お気に入りのルージュやチークと同じ、これはあたしのために吐く嘘だ。この男に心を喰われないための。
「あんたこそ、興奮してる?」
「しないんですか?」
おもむろに顔を寄せられ、熱い息がむき出しの喉を撫でた。
「愛する人と1つになるってときに、興奮しない男なんていませんよ」
ゆるやかに微笑んで、柔らかく啄むようにあたしの喉へ口づける。
ジョルノは確かにあたしを愛している。そうでもなければ、合理主義が服を着て歩いてるような彼がわざわざあたしの血を求めるはずがない。
ジョルノはあたしを愛しているのだから、あたしを食い殺すはずはない。「愛する人と1つになる」のは、人間が人間である故の欲求だ。あたしの血が彼の中に流れる。それを甘美と感じるのは、彼が紛れもなく人間だから。彼が飢えを満たすためにヒトを喰らうけだものではないから。だけど――
喉元を愛撫していた柔らかい唇の感触が、不意に鋭い衝撃に変わる。ヒトにしては伸びた犬歯が肉に食い込む。
反射的に、彼の身体にしがみつく。触れた肌に互いの鼓動がどくどくと反響して、全身がその振動に浸される。
安心して、と一言囁いて、優しく頭と背中を撫でられる。あたしの呼吸のリズムに合わせて、ゆっくりと、手のひらで、こわばった身体をほぐしていく。いつもと同じように、ベッドの中でするように、惜しみない愛であたしを包んでいく。
愛で殺される瞬間は、どれほど幸福なのだろうか。
「――っ!」
ヒトが感じてはいけない衝撃が、喉を貫いた。
――喰われる。吞み込まれる。あたしという存在が彼の中に溶け出していく。
被食者の原始的な恐怖と法悦にも似た絶対的な快感が混濁して、あらゆる思考をなぎ倒していく。
喉元の熱に向かって全身の血が逆流する。心臓が裏返る。あたしを抱きしめる腕が、背中を撫でる手が、あたしの全てを絞り上げる。
灼けるように熱い闇の中へ、意識が呑まれていく。
――
「大丈夫ですか、トリッシュ」
いつもの抑揚の無い声で、目が覚めた。
一抹の申し訳なさが入り混じったような、きょとんとした顔がじっとあたしを見つめている。
「吸う場所が良くなかったですね。初めてにしては冒険しすぎた。次は肩とかにしましょうか」
ジョルノは返事も聞かず、淡々と言う。「次」は確定事項なのだ。そういうところで妥協は一切しない男だから。
「別にいいわよ、どこだって」
「良くないですよ」
つんと口を尖らせて、あどけなく拗ねた口調で言う。
「君の反応が見られないなら、意味が無いじゃあないか」
やはりこの男は人間なのだ。けだものより恐ろしい。