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    yukisane0804

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    yukisane0804

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    こちらのフィガファウの続きです https://poipiku.com/439850/7364118.html
    修正・加筆版はGALLERIAとぷらいべったーに載せています~

    #フィガファウ
    Figafau

    AndL.(2)   二


     僕の顔が以前のものに戻ってから数日が経った。
     アンドロイドの顔で過ごしたのは僅か一日にも満たない時間だったし、その間に自分の姿を目にすることもなかった。けれど自覚しているよりも自分の肉体や見た目がアンドロイドになったことに僕は緊張していたようで、反射する滑らかな性質のものから目をそらす癖のようなものがいつの間にか染みついていた。


     フィガロは僕の顔を手術した後、車いすに僕の体を乗せると、どこかずっと待ち望んでいたことかのように僕をあの室内から連れ出した。僕が眠っていた部屋の隣室は、暗めの茶色のフローリングに白の紙クロスの壁紙を貼ったシックな雰囲気の部屋だった。いわゆる事務デスクや壁掛けのホワイトボード、革張りのソファ、IHのコンロと電気ケトルがあり、会社の一角と言われればすんなりと受け入れられた。(僕はまだ就職活動を始める前だから、あくまでイメージの会社だが。)患者からの贈り物だろうか、手紙や折り紙、押し花の栞が飾ってあるのが愛らしい。
     けれど、けれど僕は部屋の外に出るのに肩がこわばった。物の多い部屋は不意に残酷な現実を突き付けてくるのではないかと思って、怖かった。
     何かの拍子にフィガロの施してくれた外見に綻びが生じたら。僕がそれに気づかずによく磨かれたフローリングやソファに張られた革越しに自分の姿を見つめてしまったら。
     ある日、突然自分の見た目が自分のものではなくなってしまったらという荒唐無稽な想像が、僕にとっては現実の延長線上にあるのだ。数日のうちにこの緊張に些か慣れたが、緊張や恐怖自体が払拭される日は来ないだろう。カフカの「変身」はもう読めないと思う。

     フィガロは緊張している僕に対して、数日くらい何もしないでいることには慣れているんだと言って、少しだらしがなく振舞った。僕に余計なことを考えさせないよう、隣にいて付き合ってくれたのだろう。
     例えば、ソファの前の机にインスタント麺をいくつか並べて「ファウストはこういうのよく食べる?俺はあんまり食べなくて、思い切って買ってみたけど胃がもたれるんだよね。食事機能を付けたら君が食べてよ」と言いつつ裏面表示を見たり。そういうとき、食事機能がいつか付くのかと思いつつ、僕も一緒に裏面表示を見ていた。添加物に意味はあるのかとか、かやくとはどんな語源かとか、食べないくせにフィガロはそういう話に詳しかった。
     また例えば、手術前の眠りにつくときにどんな花を思い浮かべてしりとりをしたのかも話した。「花の名前なんて知らない」と僕が言わなかったから、詳しいんだろうかと気になっていたらしい。僕が壁に貼ってあるしおりを指さしながら「あれはガーベラ、あれはダリア」と唱えると、フィガロは微笑ましいものを見るように目を細めた。
    「もう少ししたら診療所の前にシオンが咲くよ。君の瞳よりはずっと浅い紫だけれど」
     僕は口説き文句のようでびっくりした。先日そういう夢を見ていたから過剰に意識しているのかもしれないが、医者という仕事は患者から勘違いされて言い寄られるトラブルが多いと何かの本で読んだ。おまけにフィガロはハンサムだ。(少し古い言葉のような気がするが、美形とかイケメンとかとはニュアンスが異なる気がするのでこの言葉を用いる。)僕はこの男のことがかなり心配になった。
    「誰にでもそういうことを言うのか?」
     フィガロは目を丸くすると「あはは」と声をあげて笑った。声を上げて笑う彼はいつもよりも幼く見えて親しみを覚える。けれど、僕はこの先に何があっても、この思わせぶりな男にだけは恋をしないぞと固く誓った。


     そして数日して僕が緊張に慣れた今日、フィガロがポケットにスマートフォンを持ちながら尋ねた。何故僕が彼のポケットを知っているかと言うと、彼がこれ見よがしにデスクから取り出してポケットにしまうところを見ていたからだ。フィガロはときどき演出がかったことをする。意図はよく分からない。
     僕が腰かけているソファまで大回りでやってくると、彼は悠然と口を開いた。
    「君のスマートフォン、データが抜けたけど見たいかい?もし反射するものがまだ怖いなら、やめておいた方がいいと思うけど」
     データ自体はずいぶん前から取れていたんだろう。僕の様子を見計らっていたに違いない。僕はデータが生きていたこと自体に驚き、反射への恐怖を忘れて「見たい」と言った。
    「君も若者だね。どうぞ」
     フィガロは画面を下に向けてそれを僕の手のひらの上にのせた。スマートフォン自体はフィガロの使っていた古いものだから彼の指紋を借りてロックを解除し、そのあとは自力で挿入されたデータを読み込む。始めはまごついていたこの体の手指の操作にも、数日のうちにだいぶ慣れた。インスタント麺のカップを熱心に握っていた甲斐があるというものだ。
    「会話の履歴は消えてしまっているかもしれないけど、連絡先は残っているはずだよ。心配する知人たちがいるだろう。連絡を取るなら俺は席を外していようか?」
     僕が人と話して感極まったり取り乱したり、そういう部分を見られたくないだろうと慮ってくれたのだ。その好意には素直に甘えた。


     まず悩んだ末、僕は家庭教師の生徒たちに連絡をした。友人たちも大事だが、個人的な親しみに加えてご家族と契約をして子供の世話を見ている以上、果たさなくてはいけない役割がある。
     ヒースクリフ、シノ、僕の三人のグループチャットに「御無沙汰している」と一言打った。続けて長い文章を打ちかけては消してを繰り返し、結局大して気の利いた言葉にならないまま「君たちへの授業を欠席してすまない」と送信する。多分二人のことだから心配のメッセージなどを送ってくれたと思うのだが、それはやはり消えていた。だが先回りしてそれを告げてしまうのは、文句を言う権利を二人から奪うことになりそうでやめておいた。釈明は責められてからすればいいだろう。
     携帯に表示されている日付を見ると、事故の日から三週間が経っていた。高校も大学も、夏休みは終わっている。大学のように空きコマがあるわけではないから、勇んで連絡をしたものの返信があるのはしばらく先だろう。まだ十四時にもなっていない。

     一度誰かに声をかけると枷が外れたようにとでもいうのか、紋切り型で「御無沙汰している。」と友人たちに送信を続けた。ゼミの教授には少し時間をかけて考えたかったので後回しにする。
     返信が早かったのはレノックスという高校時代からの付き合いのある男だった。一つ年上に対して驕った言い方になるが、僕を慕って手を焼いてくれる人物だ。こうなった経緯は話すと非常に長いので省略する。
    「今どちらですか?」
     簡潔だが、彼の性格からするに告げればすぐに駆けつけそうな予感が充分にする一言だ。僕自身も場所はよく分からないが、フィガロに聞けば教えてくれるだろう。けれど僕は果たして駆けつけてくれる彼と……レノックスに限らず会いたいと言ってくれる人物と、会ってよい状態なのだろうか。それに、人間をアンドロイドにできるような設備がある建物だから、人の出入りに対して厳しいのではないだろうか。
     判断をフィガロの仰ぎたい気持ちになって返信を躊躇っていると、追加で一つメッセージが届いた。
    「気が急いてしまいました。あなたがご無事なら一先ずよかったです」
     心配をかけたのだと、分かってはいたが改めて思うと胸が痛んだ。
    「連絡先は残っていたけどメッセ―ジの履歴は消えてしまったんだ。どういう風に聞いていたか分からないが、心配をかけてしまってすまない」
    「事故に遭って意識がないと聞いておりました。しばらく大学にはいらっしゃらないとも」
     どういった事故に遭ったとか、どういった怪我を負ったとか、そういうことは聞いていないのだという。レノが誰から聞いたかはさておき、おおもとを辿れば情報源はフィガロのはずなので真っ当な判断だった。彼の手によって全く怪我を負っていないような綺麗な見た目の肉体に戻ろうというのに、本来の大怪我(という範囲で済んでいるかは分からないが)の有様を告げてしまってはいけないだろう。
     一方、レノックスは気の利く優しい人物なので聞かないが、気になることではあるだろう。重い前髪に隠されて一見すると分かりにくい、しかし存外素直な眉がぐっと下がっているレノックスの姿が瞼の裏に浮かんだ。僕にとって特別縁の深い相手だし……と正直なことを話してしまいたい気持ちがあるが、「肉体をアンドロイド化したんだ」と話したところで彼の心配を取り除けるだろうか。僕はあんまり話し上手な自信がなかった。これはレノックス相手に限った話ではなく誰に対しても自信のあることではないので、打ち明け方を熟考し、答えが出るまでは誰にも言わずにおこうと思った。

     ぽつぽつと返信が届き始めるころ、フィガロが隣室から「揉めてない?」と顔をのぞかせた。みんな真っ当に心配の言葉をかけてくれ、揉めることなどあるんだろうかと思うが、彼くらい長生きをすればない火種が燃えて揉め事になる経験もあるだろう。僕は努めてあっさりと受け流す。
    「揉めてない。でもやっぱり、みんな今どこにいるかを尋ねるから答えあぐねている」
    「君にお見舞いに付き合う気力があるなら、ここの所在地を彼らに伝えてもいいよ。君が反射物にあまり緊張しなくなってきたから、そろそろ写真集めを始めようかと思っていたんだ。お見舞いついでに写真を持ってきてくれるなら助かるだろう」
     僕が作り上げたあっさりよりも遥かにあっさりと、僕の主治医はそういった。
    「僕をアンドロイドにして、ここに機密情報とか隠さないといけないことはないのか」
    「そうだね。なくはないけど、お見舞いで露呈するほど甘い管理はしてないよ」
    「それはそうかもしれないが……」
     僕は思わず口ごもった。フィガロがいいというならいいのだろう。僕の状況も、この場所の管理も、フィガロの管轄なのだから。だが胸に不安が残る。数日をゆったりと過ごす間にはさほど強くなかった「早く元の体に戻りたい」という焦燥が胸に灯る一方で、「別の方法はないのだろうか」と友人らとの面会を先延ばしにしたい気持ちが背中を這っている。
     フィガロは真っ直ぐに僕の隣にやってきてソファに腰を下ろす。一瞬釣られて沈んだ体がスプリングで少しだけ跳ねた。フィガロは僕の背に手を当て、覗き込むように僕の瞳を見上げた。
    「どんな不安を抱えているのか話してごらん。大丈夫だって言ってあげる。大丈夫じゃないことは、大丈夫にしてあげる」
     背中を這っていた「問題の解決を先延ばしにしたい」という気持ちは、彼の手によって少しずつ消えていた。僕は彼の言葉にこたえるため、自分の中にある不安を整理し言葉にする。
    「あなたの仕事が魔法みたいに素晴らしいことは分かっている。けれど僕は友人たちに受け入れてもらえるかが不安なんだ。友人たちのことを誠実で心温かい人物だと分かっているのに、こんな不安を抱いてしまう僕は不誠実なんだろうか」
     フィガロはゆっくりと瞬きをした。その動作は花の上で羽を休める蝶の一呼吸のようにも感じたし、瞬きとは短い時間を示すものだということを忘れるくらい長い時間を生きた神様の動作のようでもあった。
     彼の上まつ毛と下まつ毛に挟まれて、瞳の中に反射している僕は窮屈そうに、ひどく情けない顔をしている。
    「君が抱えている不安は二つだね。自分が変わってしまったのではないかという不安。そして変わってしまった自分を見て、友人たちが変わってしまうのではないかという不安」
     僕は黙ったまま彼の言葉を待った。
    「自分の仕事に胡坐をかいていうわけじゃないけど、君は変わらないよ。英雄でも、魔法使いでも、人間でも、アンドロイドでも」
     彼は黙ったままの僕に構うことなく言葉の続くを振らせた。
    「そして、他人に対する変わってしまったかもしれないという不安はあってみないと払拭しない。払拭できない不安を抱え続けるという選択肢もあるけど、俺は早く会いに行けばよかったって今でも思うよ」
     フィガロはゆっくりと目を閉じた。瞼の裏には、今なお残る後悔を向ける相手が浮かんでいるのだろう。こんなに近くで話しているのに、突然彼と僕の間に見知らぬ誰かが立ちふさがったような錯覚を見る。
    「あなたが後悔するほどの時間を経て会いに行って、その人は変わっていなかった?」
    「変わっていなかったよ。ただ俺は彼からの信用は失っていて……つまり変わったのは俺の方だ」
     言葉遊びで躱されたと思った。けれどそうして庇うくらい、フィガロにとってその人物は大切な人なのだ。今ここにいる僕が仮にその人に敵意を向けたところで、何ができるわけでもないというのに。

     僕はフィガロからこの建物の所在地を聞いて、レノックスにも、ヒースクリフとシノにも、ネロにも、送った。
     フィガロの瞼の裏には特別な誰かがいるのだ。やっぱりこの先に何があっても、この思わせぶりな男にだけは恋をしてはいけない。そこで恋をするかはさておき、僕は僕が生きてきた人間関係の中に帰っていかなくては。
     一通りの連絡をしてスマートフォンの電源を落とす。フィガロの言葉で不安はいくつか軽くなったはずなのに、暗転した画面には見覚えのない眉間のしわを深く刻んだ僕の顔が反射していた。

    「お見舞いの予定がある日は普通の病室で過ごそうか」
     数人に所在地を伝えたことを話すと、ソファに身を預け、足を組んでくつろぎながらフィガロはそう言った。僕は顔への施術後もあの歯医者のベッドのようなもので寝ていたけれど、些か風変りすぎる室内なので見舞い客を迎えるには適していないだろうとのことだ。
     僕を反射への恐怖から守るため、窓がなく物がなく殺風景な部屋は、アンドロイドだ反射だのの説明ができない以上、医者から不適切な管理を受けているとの誤解を与えかねない。それに、先述の通り歯医者のベッドのようなものなので、普通のベッドに比べて明らかに狭い。僕は未だに寝返りのような大掛かりな運動ができないため不自由していないが、一見すると拘束でもされて窮屈な寝具に寝かされているように思うだろう。
     恩人を、友人たちから誤解されたくはない。僕はそれを了承した。
    「まさかアポもなしに遊びに来たりはしないだろう?誰かが来るまでにその病室を散らかして、ある程度の使用感を出しておかないとね」
    「使用感?」
    「ごみ箱の中に紙くずを入れたり、枕元に髪を落としたり、飲みかけのペットボトルを置いたり、そういう工作だよ」
     ずっとそこで生活するわけではないんだなと、まず思った。
     窮屈な寝具が嫌になったわけではない。僕につきっきりで数日を暮らしたことを考えると、フィガロは現在医者としては休業中なのだろう。病室は空いているだろうに見舞いの日だけ病室で、あとはこれまでと同じ部屋で……という意図がよく分からない。僕はまだ歩けないため、移動の際はフィガロが僕の車いすを押している。移動する部屋数が三つに増えるのは、彼への負担だと思った。
     僕が釈然としないでいると、フィガロは苦笑した。
    「窮屈なベッドで悪いけど、あの寝台は君の肉体の充電ポートなんだよ。行動範囲を広げることはできても、あの部屋を断ち切ることはできないんだ」
    「そうだったのか。気づいてなかった」
    「あんまり言いたくなかったんだ。眠るという生命らしい行為への認識を、充電という機械らしい行為で上書きしてしまうんじゃないかと思って」
     フィガロは眉を下げて、少し居心地が悪そうだった。
    「言いたくなかったのに、どうして言ったんだ?僕はそんなに分かりやすい顔をしていた?」
    「うん、まあね。分かりやすい顔というか……聞きたいことだろうと思ったんだよ。いずれ分かることならその時が来るのを待ってもいいかもしれないけど、なんとなく、君に信頼されたくなって」
     言いながら、フィガロは僕と目を合わせなかった。嘘をついている雰囲気はないが、どこか心ここにあらずとでもいうのだろうか。併行して考え事でもしているように見える。一番初めの夜、タブレットを意味もなくスワイプしながら治療方針を話した姿にも似ていた。
    「あなたのことは信頼しているよ。隠し事があったって構わない。なんとなくだけど、隠し事も僕のためにするんだろうと分かるよ」
     その言葉を聞き届けるとフィガロは細めた視線を僕に向け、そのままゆったりと脚を組み替えた。僕と彼の間にあるコミュニケーションには、絶妙に噛み合わないことも少なくない。殊更、視線のみ意図を汲み取ることは未だ困難だ。僕は素直に首をかしげた。概ね大抵の人に伝わるジェスチャーだと認識している。これに対してフィガロが何も言わないのならそれでいいのだ。今のところは。


     その会話以来、僕は必死で僕の癖を思い出した。「なくて七癖、あって四十八癖」というから、お見舞い用の部屋をほどほどに散らかすための工作を思案したのだ。これまでの生活を思い出すことはしばらく会えない人や家族のことを思い出すことでもあるので多少ナイーブな気持ちになったが、僕は過去の僕の観察に努めた。
     まず、フィガロの言う通り枕元に髪が落ちているというのはとてもそれらしくていいと思う。僕は設定上そのベッドに寝たきりなので、シーツやパジャマに多少の皴もつけておこうともフィガロに提案した。
     次に、床や机に物を置く癖についてだが、これは思いついたものの却下した。寝たきりの人が自力で届かない床に物を置くわけがないからだ。「あんた、そういう風には見えないから意外だよ」とネロには指摘されたことがあり、僕らしさの演出にはよいと思ったのだが残念だ。

    「フィガロは僕の癖、何か思いつかないか。入院患者によくある癖とか、一般的にみられる傾向とか」
    「あるにはあるけど、いつも通りのコンディションじゃないんだから、いつも通りの癖の再現をしなくてもいいんじゃないの?でも真面目に考えつめるところは君らしいんじゃないかと思うよ」
     フィガロはその間、僕に対し遊びを考える子供か何かを見守るように接した。そして、それまではブラックで飲んでいたコーヒーにミルクと砂糖を入れるようになった。あまり話題の多い生活ではないから気まぐれにその理由を尋ねたら「君が微笑ましくて」と言った。意味は全く分からないが、言葉と眼差しが一致しているので真実なのだろう。説明されてなお理解できないことは癪だった。

     初めての見舞客はレノックスだ。彼は「何か召し上がりたいものはありますか?」と手土産のリサーチを入れてくれたが、あいにく食事機能が間に合っていないから断った。
     前日、スマートフォンのメッセージアプリで彼とやり取りをしていると、どこかに外出していたフィガロ思いつめた顔で部屋に帰ってきた。飲みかけのペットボトルを工作するためと、彼自身の食料調達のためスーパーに行っていたはずだ。右手にエコバッグ(正直、ハンサムにも似合わないものはあるのかと感心するほど似合わない)を提げ、左手に何かを握っている。
     一体何だとみてみると、それこそレノックスが眼鏡ユーザーなために記憶に引っかかるものがあった。眼鏡ケースだ。
    「何で思いつめた顔でそんなものを握っているんだ」
    「ねえ、サングラスをかけて面会することになってもいい?相手は気にするタイプ?」
    「サングラス?」
     エコバッグを雑に机上に置いたフィガロが、それとは裏腹に恭しい手つきで眼鏡ケースを開けると、言葉の通りサングラスが入っていた。人相が分からなくなるほど濃い色付きのものではなく、比較的控えめな茶色のガラスがはまったそれはなんとなくオシャレな雰囲気を帯びている。
     サングラスといえば百円均一や衣服の量販店でも購入できるが、きちんとした眼鏡店で購入すると大抵五桁円になるものだ。果たしてどちらの価格帯だろうかと身構えていると彼は僕の緊張を悟ったのか、「高いものじゃないよ」と言った。
    「目元には表情が出やすいだろう。君が困った質問をされたときに、サングラスでもかけていれば違うんじゃないかと思ってね」
    「要するに嘘を悟られないように?」
    「要するとそうなるかな」
    「それは、不誠実ではないだろうか」
     言葉を選んでいる間に口に出す勢いを失ってしまいそうだから、あけすけが過ぎるかもしれないがあえてそう尋ねた。フィガロはそういう僕の言葉が分かっていたように笑ったが、しかし困っていることを隠すこともなく肩を上げても見せた。
    「真実を見せつけることだけが誠実じゃないよ。安っぽいけど、優しい嘘っていう言葉もある」
    「サングラスの力を借りないと嘘をつきとおせないのに優しさだって?」
    「優しさの道具を選ぶのは、君の嘘が上手くなってから」
     嘘をつくのが下手だとまるきり決めつけた物言いに多少思うところはあるが、得意かと言われると人を騙した記憶なんてない。僕はむっと唇を尖らせながらも彼の差し出すサングラスをかけた。
    「これで満足?」
     明らかに僕が不機嫌なことや、すんなりとサングラスをかけたことにではなく、しかし何かだかは分からないが、うろたえるようにしばらく視線を彷徨わせ、フィガロは伺うように僕を見つめた。
    「似合ってないならそう言ったら」
    「似合って……いや、どうかな。俺の見慣れた姿ではないんだけど、うん、これはこれでって感じ」
     失礼な人だ。腕を組み、ふん……と彼から顔を背ける。
     かけろというからかけてみせたのに。僕の瞳を花と比べて見せたときはロマンチストなのかと思ったら、贈り物を身に付けた相手を褒めもしないなんて。
     これを贈り物と呼ぶかどうかはよく分からないが(治療費の一部になっているかもしれない)、他人に選んできた装飾品について「これはこれで」とは初めての言われようで、僕は拗ねていた。
    「どうせ僕には洒脱なものや豪奢なものは似合わないよ」
     僕がぶすくされた声を出すと、対照的にフィガロがやわらかい声を出す。
    「ファウスト、こっちを向いて」
     半分だけ顔を彼の方に戻せば、ちらりとフィガロの顔が視界に入る。ちらりと視界に入るだけでも胸が焼けるような、不思議なほどに甘ったるい、心底嬉しそうな顔だった。
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    Shiori_maho

    DONEほしきてにて展示していた小説です。

    「一緒に生きていこう」から、フィガロがファウストのもとを去ったあとまでの話。
    ※フィガロがモブの魔女と関係を結ぶ描写があります
    ※ハッピーな終わり方ではありません

    以前、短期間だけpixivに上げていた殴り書きみたいな小説に加筆・修正を行ったものです。
    指先からこぼれる その場所に膝を突いて、何度何度、繰り返したか。白くきらめく雪の粒は、まるで細かく砕いた水晶のようにも見えた。果てなくひろがるきらめきを、手のひらで何度何度かき分けても、その先へは辿り着けない。指の隙間からこぼれゆく雪、容赦なくすべてを呑みつくした白。悴むくちびるで呪文を唱えて、白へと放つけれどもやはり。ふわっ、と自らの周囲にゆるくきらめきが舞い上がるのみ。荘厳に輝く細氷のように舞い散った雪の粒、それが音もなく頬に落ちる。つめたい、と思う感覚はとうになくなっているのに、吐く息はわずかな熱を帯びてくちびるからこぼれる。どうして、自分だけがまだあたたかいのか。人も、建物も、動物も、わずかに実った作物も、暖を取るために起こした頼りなげな炎も。幸福そうな笑い声も、ささやかな諍いの喧噪も、無垢な泣き声も、恋人たちの睦言も。すべてすべて、このきらめきの下でつめたく凍えているのに。
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