夏の魔法がなくたって 気づけば、その姿を目で追っている。すべての瞬間、スポットライトの真ん中にいるようなやつだ。見ないでいるほうが難しい。
多分、龍水もSAIの視線に気がついている。そうわかってからは隠そうとするのも馬鹿らしくなった。見られるのには慣れているから、どうせこんな視線ひとつ歯牙にもかけないのだろう。
SAIと違って社交的な龍水は、昔からいつもいろんな人に囲まれていた。癖が強い性格ではあるが、それ以上にそのカリスマ性や闊達さは人を惹きつける。あまつさえ、だれにだって「欲しい!」と来たもんだ。
はあ、とSAIはため息をついて、仲間と笑っている龍水ををぼんやりと見つめる。
まるで違う世界の人間だ。そう感じると、もやもやしたなにかが胸の中に影を落とす。これも昔からだ。インドで龍水に関する記事を見つけたときも、こんな気持ちになっていたと思い出す。
つねに人の輪の真ん中にいる人種というのは日本にもインドにもいて、もちろんSAIとはなんの関わりもなく、それに不満もなかった。無関心にすごいなあと横目で見て通り過ぎるだけの存在だった。
でも、龍水に対してだけはそうできなくて。
「……龍水……」
弟の名前をつぶやいた。聞こえるはずがないほんの小さな声に、当然龍水は気づかない。
SAIが見つめても、龍水はふりむかない。それと同じこと。
そもそも似ていないふたりだ。もし兄弟でなければ、知り合うことすらなかったかもしれない。
SAIはなんとか、弟ではない龍水との出会いを想像しようと試みた。
同じ会社……いやだめだ、それはきっとSAIが龍水の会社の社員になるということだ。そしたらもう普通に話すなんてとてもできっこない。
じゃあ例えば、同じ大学に通う学生どうしだったらどうだろう。SAIが院に進んでいたらありえなくはない年齢差だ。
けれど、このストーンワールドで再会したとき、すでに龍水は大学生の年齢を過ぎていた。だからそのころの龍水をSAIは知らない。それを今さら惜しく思う。
大学にいる龍水は、みんなの中心でヒーローのように扱われていたに違いない。もし同じキャンパスにいても、きっとSAIは陰から見つめていることしかできない。
ねえ龍水あたしも海に連れてってよなんて群がられているのを遠くから見ながら、夏の海で龍水が選ぶアイスの味はなんだろう、ラムレーズン、いやさっぱりしたソーダかな、なんて益体もない思考に半日を費やしたりして、そんなどうしようもない日々。
もし奇跡みたいな確率で話すきっかけがあったとしても、緊張でどもってしまってなにもしゃべれなくて、あとで死にたくなってしまう。チャンスだったのに、仲良くなれたかもしれないのに、そんな後悔でその夜は眠れない。
卒業していつかどこかで、そういえばあいつ結婚したらしいよと聞かされて、胸の疼きに耐えながら、ふうんとなんでもなさを装う。
べつに、好きだったわけじゃないし。
もともと生きる世界が違うアイドルみたいなそんな存在だった。僕なんかじゃとても手が届かないような。
その目をこちらに向けてもらいたいと願うことすら高望みと笑われてしまうほどの。
龍水、そう呼ぶことさえ叶わない。
「──……龍水、」
吐き出すように、もう一度その名前を口にした。
「なんだ」
「うわっ⁉︎」
突然間近から返事がしてSAIは反射的にのけぞる。
いつのまにか、SAIの思考の真ん中に居座っていた張本人がすぐそばにいた。驚いたり緊張したり、さっきまでの思考を見透かされていないかと心配したり、いくつもの要因で心臓がドッドッと痛いほどに脈打っている。
「どうかしたか、SAI」
「どっ、えっ? なにっ?」
「俺を呼んだだろう?」
さっきのが聞こえたのか、いや違う、龍水が指しているのは今つぶやいたほうか。だめだ、混乱している。遠くにいた存在が手を伸ばせば届く距離で、SAIの言葉を待っているという現実に。
だから、頭に浮かんだことをそのまま口に出してしまった。
「おまえさ、好きなアイスの味なに?」
「は?」
あまりに突拍子もない問いかけに、さすがの龍水も目を見開く。しかしSAIの真顔に本気でたずねていると理解したらしい。数秒考えてから口を開く。
「特にアイスが好きなわけではないが……よく食べるのはバニラだな」
「……なあんだ、つまんないなあ」
あまりに普通の答えに拍子抜けする。
「ラムレーズンとかソーダとかっ、いろいろ考えてたのに」
「ああ、ラムレーズンは好きだぞ、だがソーダは食べたことがないかもしれん」
「え……。ハ、おまえ本当にボンボンだね、僕が言えた義理じゃないけどさっ」
砂糖や酸味料を水と混ぜて凍らせたような安い氷菓を友だちと道端で食べる、そんな光景には縁がない人生だった。SAIだって早くに家を出ていなかったら食べる機会はなかっただろう。
「貴様はどうなんだ」
「僕?」
「好きな味があるのか」
僕のことなんかどうでもいいだろ、そう面倒そうに答えようとして、龍水の目の温度に捕まって息が止まった。
痛いくらいに、熱い。
SAIが龍水に焦がれるのと同じ熱さで、龍水の目が燃えている。龍水は、SAIを求めている。
そうだ、こいつは僕の弟なんだ。望まなくたって、似ても似つかなくたって、一等近い星のもとに生まれた。手が届かない、はずかない。
「……べつに、知りたいんなら教えてやってもいいよ」
ひび割れた手で龍水の頬に触れると、その肌がかすかに震えるのがわかった。
「今夜、来いよ」
そうささやいた。龍水だけに聞こえるように。
命令するような口調になったのは無意識だった。いや、もしかするとわざとだったのかもしれない。
普段の豪快さはすっかり鳴りを潜め、落ち着かなげに目をそらした弟の姿に、自分はこれが見たかったのだと理解してしまったから。
龍水が、こくりと小さくうなずく。
「わか、った」
この従順さ。あの龍水が。
ぞく、と興奮で背筋が震えた。
SAIを見る龍水の瞳の奥。そこにはっきりと情欲と期待が揺らめいていた。
それを見てとった瞬間、SAIの心を支配した歓喜、高揚、そしておさえられない優越感。こんなに強い感情が自分の中にあったことに驚く。
ざまあみろ、と今まで龍水を見つめた数多の視線に、大声でふれまわりたい気分だ。
勝手に上がる口角を見られないよう、手のひらで覆い隠した。
──魔法なんかなくても、こいつは僕のもの。