tango 家臣が肖像画を差し出す。絵の中の娘は微笑み、ふくよかな体をゆったりとした服に包んでいる。
「これは?」
「ご紹介をいただきました。多くの子をなす家系の娘です」
別の肖像画ではほっそりとたおやかな娘が艶やかに微笑んでいる。
「この娘は、近隣でも美しいと評判だそうです」
「シェンウー様、クルマ様はまだ幼いのです。もしまた流行り病が起きれば……」
シェンウーの父はすでに亡く、先だっての流行り病で亡くなった後妻との間にもクルマしか子がいなかった。継母の葬儀を終えたばかりとはいえ早く妻を娶り、子をなしてほしいという家臣の気持ちはわかる。分家もあるとはいえ、直系の方がより継承の儀の成功率が高い。しかし、まだ亡きひとの面影がシェンウーの胸の奥には宿っている。
「美しいと評判の娘なら、婚約者などもいるのではありませんか?」
せめてもの抗議をと尋ねると、家臣は首を横に振った。
「婚約などいくらでも破棄できますよ。継承家系に嫁ぐことは名誉でもあります」
それも事実だ。継承家系の血を絶やさぬことはユーゲンの、カクリヨの至上命題の一つであり、そのためならかなり強引なこともできる。どうやって断ろうかとシェンウーが眼鏡の奥で思案を巡らせていると、尖った声が降ってきた。
「何やってんの。客が来たっていうのに」
「はっ!貴方は」
「ヴリトラ」
「ハァイ、これ活けておいて」
喪服姿の青年は、手にしていた花束を家臣へ渡すとまっすぐにシェンウーの側へ立った。
縁談用の肖像画を一瞥したヴリトラはふうとため息をついた。
「まだ義母君の喪も明けていないじゃない」
「当家のことでございます。継承者といえども」
「ああ、理由?あるわよ?」
シェンウーにだけ聞こえる小声でごめんなさいと呟くと、ヴリトラはシェンウーに身を寄せた。服の生地を注意深く重ねて毒を宿した肌が触れぬよう、細心の注意を払ってしなだれかかる。
「シェンウーにはアタシがいるもの」
「は?」
「その、しかし」
血が混じり、継承がしづらくなるため継承家系同士の婚姻は禁止されている。それ以前にいかに艶やかに美しくともヴリトラは男性だ。子を宿すことはない。
「アタシより綺麗な子を連れてきてから言いなさいね」
「ヴリトラ様」
「シェンウー様!」
するとシェンウーは微笑んだ。大気が動いたとヴリトラがなんとなく感じた次の瞬間。
「んっ」
シェンウーはためらいなくヴリトラを抱き寄せ、唇を重ねた。
どのくらいそうしていたかわからない。ただ触れているだけなのにひどく熱くて苦しい。力の入らない手でシェンウーの胸を押し返そうとする少し前にシェンウーは彼を解放した。代わりに喪服の胸に細身の体を抱きとめる。
「というわけですので、まだ妻をめとるつもりはないのです。ああ、そうそう。このことは内密にお願いしますね」
「しかし」
「いいですね」
「……」
声に力を籠めると家臣は無言で頭を下げた。
「軽い飲み物をお願いします」
「……かしこまりました」
それとなく退出するように命じると不承不承頷いた家臣が退出した。
扉が閉まり、少し経ってからヴリトラはシェンウーを睨んだ。
「馬鹿!何すんのよ!」
「すみませんね。私が相手で申し訳ない」
「違うわよ!アタシの体のこと知ってるでしょ!」
毒を操る魔を継ぐために、ヴリトラの継承家系に生まれた適性者は幼いうちから毒を飲んで育てられる。ベニモンアゲハなど毒草を食べる蝶が羽化すると全身に毒を湛えるのにも似て、長ずる頃には体液の一滴にも毒を帯びてしまう。継承の儀式をするしないに関わらず、恐るべき毒の貴人と化す。口づけなどしようものなら即座に毒が回るはずだ。穏やかな微笑みに隠して、毒に苦しんでいるのではないか。かつて、火事で取り残された自分を助けてくれた時も彼は自身の怪我よりもヴリトラの身を案じていた。それを知るからこそ、焦る青年へシェンウーは笑みを深くした。
「ええ。ですから、先に障壁を張らせてもらいました」
障壁と呼んでいるが、不可視の鎧で全身を覆うようなものだ。障壁越しに触れるのであれば毒が回ることはないか、あっても弱まるだろうとシェンウーは判断した。
「おかげさまで、この通り無事です」
シェンウーは口を大きく開けて見せた。毒による腫れやただれは起きていない。
「良かった。でも、もうしないでね」
滲む涙を手の甲で拭うヴリトラの頭をシェンウーは撫でた。
「ファングー、泣きたい時は泣いていいんですよ」
「リンクィ」
「おや、懐かしい呼び方ですね」
「アタシのこと、元の名前で呼ぶからよ」
「ここには今、誰もいませんから」
シェンウーはヴリトラの頭をまた撫でた。
「だから、アタシに触ると」
「大丈夫だと言ったでしょう。それに」
「それに?」
「私は護る者なのです。守れる限りは、守りたい」
「……アンタらしいわね。でも、アンタの心は誰も守れないわよ」
「貴方がいるでしょう」
「はぁ?アタシは自分のことだけを愛するの。それでいいのよ」
「でも、来てくれましたよね」
亡き人をまだ思っている自分の気持ちを汲んでくれる青年に、シェンウーは笑みを深くした。
「全く、どいつもこいつも。運命の相手探しだの、守るだの。アタシはただの毒蛇だってのに」
ヴリトラはふう、と大きく息をついた。
「お茶飲んだら帰るわ。うんと香りのよいやつ、お願いね」
「ええ」
シェンウーは呼び鈴を鳴らして、従者を呼んだ。