[虎兎]ホット・ホット・チョコレート 冬のある日のことだった。
僕と虎徹さんは、ジェイク事件のあと、直接ヒーローとして誰かを助けたり捕まえたりといったものではない……虎徹さんからすると『ヒーローの仕事じゃねぇ!』取材やテレビ出演などが徐々に増えていた。
僕たち個人への興味が高まりつつあるということで、人気商売の側面も持つヒーローとしては歓迎すべきことだと思う。まだまだスカイハイさんのように引っ張りだことはいかないけれど、二人で呼ばれることが増えたことに、僕は密かな満足感を得ていた。顔出しヒーローである僕がアイドル的に扱われるのでも、ベテランであるワイルドタイガーが軽視されるのでもなく、バディヒーローとして求められていると感じるからだ。
その日も二人して取材を受けたのだが、なかなか面白い切り口のインタビュアーで、虎徹さんもあまり嫌ではない風だったと思う。ワイルドタイガーが活躍した過去の事件と最近あった類似事件を照らし合わせて、僕とのコンビの利点を探る……というのは、僕にとっても興味深い話だった。
そんなわけで取材はご機嫌で終わったのだが、僕が運転する車で帰ろうと近くのパーキングへ向かう道すがら、虎徹さんは不自然にキョロキョロとしていた。思い返すと、取材中を除けば朝からなんとなくソワソワと落ち着かないふうではあったのだが……。
「おっ! ちょい待ってろ」
そう言って小走りに向かったのは、市内にたくさんあるチェーンのコーヒーショップだった。
「待て、って……ったく」
白いため息を吐き出して、僕は道路脇の街灯に寄り掛かった。あの人はすぐ、思いつきのままに動いてしまう。店の中まで追いかけようかとも思ったけれど、狭い店内で騒ぎになっても困るし、まだここで待つほうがマシだろう。どうせ次のスケジュールも二人一緒だから、置いていく訳にも行かない。車に戻ってしまうのも大人気ない。
以前はいかなる理由があろうとも、あの人に待たされることが許し難く、何度もくだらない言い争いをしたものだった。今はきっと、自分の気持ちが変わってきたから受け入れられるんだと思う。虎徹さんは……ほんの最初のころを除けば、ずっとこんな調子だ。自分ばかりが変わるのは釈然としないところもあるが、年を重ねれば重ねるほど、簡単には変わらないのかもしれない。
出来れば周囲に気づかれませんように、と次第に冷たくなってきた指に息を吹き掛けながら顔を伏せて待っていると、尖った靴先が視界に入ってきた。
「待たせた。――ほれ」
視線をあげると、虎徹さんの手には二つの紙コップがあった。
「何ですか?」
ん、と差し出されて受け取ると、凍えた指先が触れたところからじんわりと温まり、痛いほどだ。
「やるよ、おごりだ」
おごりだなんて珍しい。
蓋を開けて、すぅ、と湯気を吸い込むと、甘い甘い匂い。ホットチョコレートだ。
「ありがとうございます。少し冷えてました」
「……そか。よーし、飲め飲め、飲んであったまれ!」
口を付けると、舌が焼けそうな熱とともに香ばしい風味が広がる。ほころびそうな顔をこらえて、得意げな顔でふんぞり返る虎徹さんに釘を刺すことは忘れないでおこう。
「まぁ、待たされたから冷えたんですが」
「ぐっ、悪かったな!」
大人向けの店だからか、どぎつくない甘みのホットチョコレートは思ったよりずっと飲みやすくて、熱いうちに飲み切ることができた。それは僕の身体を心地好く暖めてくれる。
隣で同じようにカップを啜る虎徹さんからは、コーヒーの薫りがする。僕は、特にチョコレートが好きだと発言した覚えはないし、実際好きでも嫌いでもない。なのにどうして僕にだけホットチョコレートなのだろうかと不思議には思ったけれど、虎徹さんがやけに嬉しそうに僕を見ていたので、まぁいいかと……その時は深い茶色をした甘い飲み物とともに言葉を飲み込んだ。
二度目もやはり冬だった。
クリスマスのバディ復活劇から年を跨ぎ、僕らが新たな環境にも慣れ、街中が雪で真っ白にデコレーションされた日のことだった。改めて結び直した関係に、恋人というものが加わって、僕も虎徹さんも少し浮かれていたかもしれない冬。
思い返してみても、いつから虎徹さんが特別だったのかはわからない。ただ、気付いてしまってからどんどん膨らんでいった想いは、離れていた時間が消し去ってくれることもなくて、もう伝えなければ破裂してしまう! とでもいうかのように、勢いに任せて告げてしまった。色々なものを吹っ切って戻ってきた直後だったので、開き直りもあったのかもしれない。きっと、そうでもしないとずっと伝えられなかったのではないかと今は思う。自分で思っていたより、僕は臆病だ。
だから、俺も、という彼の言葉にとっさに反応できなくて、「ありがとうございました、では!」とその場を立ち去るところだった。時々その時のことを笑われるのは腹立たしいのだけれど、それすらもとても幸せなのだ。
その日、珍しく早く仕事を上がれた僕たちは、最近お気に入りのデリで色々と買い込んで、ちょっと豪華なディナーにしようと虎徹さんのアパートに向かっていた。よく食べる二人でも多いかな? と思うような量を抱えて、雪の降る街を歩く。
こんな夜は誰もが少し足早で、いつもは酒や軽食などを売っている屋台も客が少ないのか、ちらほらと店じまいを始めようとしていた。
「あ、ちょっと待った!」
そんな店のひとつの前で突然脚を止めた虎徹さんは、僕が何ですかと言う間もなく、指を突きつけて「これ二つくれ!」と注文した。これだけ買いこんで、その上何を……と思ったけれど、店員が差し出してきたのは紙のカップ二つだった。
「寒いかんな、これ飲んでいこうぜ」
近くのビルの軒先に避難して渡された、暖かなカップ。指先に感じる温もりと漂ってくる薫りに、僕は既視感を感じた。
「最近、帰り道で時々飲んでんだ。美味いぜ?」
猫舌気味の虎徹さんがフーフーと息を吹き掛けながら飲んでいる。それはホットチョコレートだった。
「そういえば――以前もこうやってホットチョコレートを頂いたことがありましたね」
普段飲み付けないので、よく覚えていた――その記憶を引っ張り出してつぶやくと、虎徹さんは少し動揺したような、変な顔をした。
「――覚えてた、んだな」
ふにゃっと笑って、それからカップの中身をぐいとあおった。
次第に強くなる雪の中、先を争うように虎徹さんの部屋へたどり着くと、メールボックスに楓ちゃんからの荷物が届いていた。
「んん? 宛先が……俺とバニーになってるな」
封を開けると、中には綺麗にラッピングされた箱が入っている。緑色のセロファン、濃いピンクのリボン……虎徹さんと僕のイメージカラーを一緒くたにしたようなそれは、贈ってくれた彼の娘の気持ちが詰まっているようだった。
添えられていたカードには、かわいらしい文字で
『バレンタインのチョコを送ります。今年からは、バーナビーさんとお父さんの二人分なので、仲良く食べてください。 楓』
と記されていた。
「バレンタインのチョコ……?」
薄いセロファンのラッピングを剥がしている虎徹さんが、首を傾げて考え込む僕を見て笑う。
「夕飯前だけど、一個ずつ食べて楓に電話しとくか」
虎徹さんが開けた箱の中には、鮮やかなピンク色をしたハートがたくさん並んでいた。
『えっとね、オリエンタルタウンでは、女の子が好きな人に、普段は伝えられない気持ちをチョコレートにこめて贈るっていうのがバレンタインデーなんだよ』
楓ちゃんにお礼の電話をすると、バレンタインについて教えてくれた。それは、彼らの故郷独自の習慣のようだった。
「そうなんですか。チョコレートがキーアイテム?」
「うん! そっちでは違うって聞いたけど――お世話になった人にあげたり、友人にプレゼントしたりっていうのもあるんだよ」
父と娘が離れ離れで暮らすようになってからも、毎年欠かさず送られて来ていたらしい。今年からは僕にもとなって、『パパ』は少し拗ねているのではないだろうか?
「こちらでは、確かに恋人同士の日ですけど、特に決まった何かをというのではなく、花を贈ったり……かな? チョコレートっていうのもいいですね。とっても美味しかったです」
ちらりと隣の虎徹さんを見遣ると、そっぽを向いている。やはり拗ねているのかなと思ったが、どうも――これは照れているのではないだろうか。ディスプレイの向こうで頬を染めた彼の娘と似た雰囲気のような気がするのだが……。
――あれ? もしかして。
チョコレートを贈る、バレンタインデー。
もう一度楓ちゃんに礼を言ってから虎徹さんに代わり、電話は切れた。
置いた受話器から手を離さず固まっている彼も、気付かれたことに気付いたのだろう。僕はそれでなおさら、確信を得てしまう。
――あのホットチョコレートは、そういうつもりだったのか。
冬の寒さに紛れ、何気ない風を装って寄越された甘いドリンク。一体、この人はどんな気持ちで僕に渡したんだろう?
次第に耳が赤らんできた虎徹さんに、笑みがこぼれてしまうのは仕方がないことだと思う。
「こっそり、なんてあなたらしいですけど」
最初に『ホットチョコレートを奢ってもらった』冬……あの頃はまだ、想いを通じ合わせていなかった。僕に至っては、自覚すらしていない時期だ。あんな頃から想いを掛けてくれていたのだと知って、ひどくくすぐったいような気持ちになる。僕ばかりが変わってしまって、この人は大人だから変わらないのだと思っていたけれど、それは単に大人だから隠すのが上手だっただけなのかもしれない。しかも、こっそり恋人達のイベントを楽しんでいたなんて! やがて僕まで頬が熱くなってきて、掌でぎゅっと押さえた。
それから、並んで座るソファをじりじりと移動して、虎徹さんにのしっと寄りかかる。なんだか今は、ちょっとの隙間も開けていたくない気分だ。
「教えてくれなきゃ、僕はイベントに参加できないじゃないですか」
ぎゅっと力をこめて押すと、虎徹さんは逆らわずに反対側に横倒しに倒れていく。よっぽど恥ずかしかったんだろうか。可愛いな。
くすくす笑っていると、触れている虎徹さんの体も震えてきて、何かと思う間もなく堪えきれないように笑い声がこぼれてきた。まるで僕の笑いが虎徹さんに伝染したみたいだ。
「知っていたら、虎徹さんをアッと言わせるようなチョコレートを贈ったのに」
大仰に嘆いてみせながら一際強く体を押し付けると、ギブアップだと言うようにソファがタップされ、笑いは収まったようだ。
「うーん……じゃ、さ」
よいせ、という掛け声とともに僕の体ごと起き上がってきた虎徹さんが、「あーんしてみな」と言うので口を開けると、テーブルの上に置かれていたハートのチョコレートが放り込まれた。
「何するんれす」
まだ夕飯も食べていないというのに、満腹になってしまったらどうしてくれるのだ。素直に口を開けてしまった自分は棚に上げて、たくさん買い込んできてまだ温められてもいない惣菜が心配になってしまう。
「チョコ、くれるんだろう?――俺は、この甘いやつをもらうわ」
そうして肩を抱かれ、恥ずかしい台詞とともに近づいてきた唇は、軽く触れるだけで去っていく。微かに残された感触がさざなみのように肌を広がっていって、もう少し深いキスが欲しかったのにと目で訴えかけると、後ろ髪をツンツンと引かれて宥められる。
「飯食ったらまたちょーだい」
「……ん。これでいいなら、毎年進呈しますけど」
――毎年といわず、いつだって、ずっと。
口の中で甘く融けていくチョコレートが、それから目尻にしわを寄せて笑う虎徹さんの顔が、僕の気持ちも蕩かしていく。このまま二人でどろどろに溶けてしまっても構わないのだけれど、そろそろ虎徹さんの腹の虫が限界だろうからお預けだ。
「へへっ、ヨロシク。あ、そうだ、チョコもらったら、来月の十四日に三倍返しっつーのが慣例なんだぞ」
「三倍……? なんだかやけに男性側に不利なイベントですが……でもお礼はぜひしたいですね。楓ちゃんには何を贈りましょう? お菓子もいいですけど、きっとアクセサリーとか少し背伸びしたものが嬉しいですよね」
キッチンに向かった虎徹さんを追いながらそう言うと、眉尻を下げた情けない顔で振り返ってきた。可愛い娘に関わることでは、相変わらず決まらない人だ。
「あー……俺、そういうとこでぬいぐるみとか買っちゃうからダメなんだな……」
「いつまでも子供扱いしてるからですよ。食べながらどんなものにするか、一緒に考えましょう?」
テーブルの上を片付けて、惣菜を皿にあける。結局、ずいぶん遅い晩餐になってしまった――と時計を見る。
けれど、テーブルの隅に置かれた彼の娘からの贈り物も、そして彼自身がくれたホットチョコレートも、冬の寒い夜には十分なほど僕を満たしてくれるものだった。
「あ、バニー、俺にも三倍返し……」
「あなたさっき、僕からチョコ受け取ったんでしょ? ていうか僕にも三倍返してくれるんですか」
それとも、ベッドの中で?
窓の外にはまだ止む気配のない雪が降っている。きっと雪で霞む灯の向こうに、たくさんの恋人たちが僕らと同じように甘い時間を過ごしているんだろう。
彼らと僕らの為にも、どうかこんな夜は腕のPDAが鳴りませんように。