はぁ、かわいい。とっても。
オベロンは傍らのモースの王様をこれ以上なく意識しながら、浮つきそうになるのを堪えていた。
用心深く森を抜けた二人は、キャメロットの大穴へ向かうために街のはずれで馬車を待っていた。オベロンはちょっと遊びに行くだけさ!と言っていたが、ここまで来ると逆賊の諜報活動を手引きしているようなものである。
「もう立派な反逆者だぞ、オベロン」
「謂れのない誹りが聞こえるぞぅ!それはさておきだ、王様がこの国を焼き払ってしまう前に、僕の生まれ育った土地を見てもらいたくてね。どうせきみ、生まれてこの方ブリテンをゆっくり見て回る暇すらなかったんだろう?」
「そいつは否めない事実だが……国事犯にあんたの姿を借りたままにさせておいていいのかい」
オベロンが編んだチュニックの上に、夜空色のクロークをしっかりと被っていたモースの王様は、顔にかかっていたフードを手で軽く払い退けた。自分とよく似たかんばせが露わになって、オベロンはふふふと肩を揺らして笑った。
「そのままでいて」
刹那的で愚かな妖精の性質がそうさせているのだろうか? 指名手配中のお尋ね者に容貌を真似られているなんて、普通ならば生きた心地がしないだろうに、翅の氏族のような背格好の嵐の王を見ていると、オベロンは嬉しくて堪らなくなってしまう。
それは大穴を見に行きたいと申し出たオベロンを一笑に付さず、姿を変えてまで歩み寄ってくれたモースの王の厚意を思い出してしまうからだったが、嬉しさが勝るばかりに細かいことまで忘れてしまえるのは異常だ。
「俺、あんたに着いていって大丈夫かな。軍に突き出される心配はしてないけど、危機意識の観点で不安になってきた。いざとなったら見捨てて行くから……」
嵐の王にとっては恩人への義理よりも、与えられた使命の方が重いのだ。オベロンは酷いなぁ! とわざとらしく悲嘆にくれたが、ぱっと笑顔に戻ると蹄の音がする方を指差した。屋根つきの馬車が遠くの方に見えた。
「ねえ、見て王様。ああいうのに乗るのも初めてだよね。安い乗合馬車だけど勘弁してくれるかな」
うやうやしく嵐の王へ差しのべた手は素直に握り返されて、オベロンは心臓がきゅうと締めつけられた。何百年と生きてきたけれど、初めて味わう気持ちだった。
ごとごとと揺れる乗合馬車の中で、オベロンと嵐の王は身を寄せ合って後部座席に腰をかけていた。傍目にはなかよしの妖精と奴隷に見えたに違いない。嵐の王は物珍しそうに、嵌め殺しの窓から外の風景を眺めている。
“きみはどうして大地を焼いていたんだい……”
腹を裂かれて血みどろだった嵐の王の容体が安定した頃、オベロンは兼ねてからの疑問を万感の思いで訊ねていた。彼を探している間中、ずっと知りたかったことだ。
過程をすっ飛ばして結果だけを出す妖精たちによって、焼け落ちたものはあっという間に建て直されてしまうだろう。女王軍を疲弊させるにしてももっと器用なやり方があるはずだった。もしかしたら彼は威力偵察に駆り出されているだけで、謀反を企む首魁が別にいるのかもしれない。そういったオベロンの推測は当たらずと雖も遠からずだった。
「――俺には、“ブリテンがどれだけ手遅れになってしまったのか巡検して、あわよくば滅ぼしてこい”という使命がある」
妖精にとっての生きる目的みたいなもの。
随分と穏やかな口調で告げられたそれは、世話になった礼代わりに返答くらいはしようという嵐の王なりの誠実さが透けて見えた。
「きみ、もしかして北方から派遣されてきたマヴの御使いだったのかい?」
「まさか。国家の転覆も乗っ取りもするつもりはない。俺をこんなところに寄越したのはこいつ……」
そういうと嵐の王は鋭い爪先で地面を指差した。
「ブリテン島の意思によって、この国の一切を燃やし尽くし、無かったことにする」
うっすらとでも妖精眼を持っていなければ、彼の言葉を信じ難いと突っぱねていたかもしれなかった。けれども妖精とは異なる彼の肉体と、モースたちを操る権能を見ているとああそうなのだなと腑に落ちてしまう。
嵐の王は、あんたのことも葬り去ってしまうよと笑んだが、オベロンは先ほどから彼のいう“無かったことにする”という言葉に、畏怖どころかむしろ例え難い魅力を覚えていた。
「僕はブリテンを襲う厄災がどこから来ているのか、何物が引き起こしているのかも気になっていたんだけど、あれもきみに纏わるものだったのかな」
「800年前の大厄災ならそうじゃないか。なにしろこの国は色んなものに呪われていてね……」
そうか。雨の氏族。そうやって滅んだのか。
嵐の王がぽつぽつと語る一万二千年前の過ちを聞きながら、オベロンは自分が生まれる前に潰えた氏族に想いを馳せた。
「楽園の妖精がもたらす恩恵を独占しようとした雨の氏族は、結託した他の四氏族によって一夜のうちに討ち滅ぼされました」
消えた氏族に対する風聞はこのようなものだったが、実際は違う。彼らは始祖の罪深さを他の妖精に思い出させようとしたから、“面白くない”と根絶やしにされたのだ。オベロンの属する翅の氏族も、その際雨の氏族へ矛を向けている。
一通り喋り終わるとモースの王は草臥れたのかむにゃむにゃと眠そうにし始めて、オベロンは「ごめんね、無理にお話しさせて」と眉を下げて謝った。
「いいんだ。誰かに聞いて欲しかった」
こんなものを一人で抱えるなんて耐えきれないというような物言いだった。
窓枠に張り付いて妖精馬に興味を奪われている王様を見つめながら、ブリテンも酷なことをするとオベロンはため息をついた。
使命を遂行しろというのなら、ブリテンは彼に人格なんてものを与えるべきではなかっただろう。なにしろ嵐の王は実直さを持ち合わせていたばかりに、元々は同志であった女王陛下に打診して取り付く島もなく大怪我を負ったのだから。