王はおかしな生態をしていた
妖精を襲わない、人間を殺めない
ただただ、炎と稲妻を好んだ
大丈夫、嵐の王は妖精を襲わないから! 倒壊する家屋に押し潰される妖精がいたとしても、気にも留めないだろうけど。
女王歴800年のこと、モースを軍隊のように指揮する怪物がブリテン南西部を蹂躙し、陛下が築きあげた絶対王政のもと慎ましく栄えていた街は炎に巻かれた。
石造りの家さえ溶かしていく炎に気を配りながら、オベロンは逃げ遅れた小さい妖精達をせっせと拾い集めていた。せっかく織りあがった金糸の絨毯も、モース毒の調査成果も、住処に置いてきたまま炭となってしまっただろうが、命よりは惜しくないと思えた。
「ほらほらみんなお逃げなさい。滑ってこけるんじゃないぞう」
「わぁ!オベロン、ありがとう!」
小柄な翅の氏族の中では珍しく、背丈のあるオベロンは井戸から組んできた水を豪快に妖精たちに引っ掛けると、彼らの背中を見送った。入れ違いに女王軍の忙しない足音が聞こえてくる。
存在税の徴収や理不尽な法は多々あるものの、女王の治世は悪くないとオベロンは思っていた。勿論これがベストではないし、平等を嫌う女王によって作為的に作り出された差別と、弱者を救わないシステムの事は好きになれない。
だが自分を含めて妖精達は、強大なものに押さえつけられなければ、呆気なく自滅すると断言出来るほど哀れな生き物なのだ。目前の滅びを無理やりにでも先延ばしにすることを、果たして健全な営みと呼んでいいものか判断がつかないでいるけれども、女王のやり方もあれで一つの解なのだろう。掘り起こした歴史書を読み解きながら、オベロンはずっとそう考えていた。
背の高い建物は燃やし尽くされて、随分と見晴らしがよくなってしまった。波のように押し寄せるモースの群れが向こうに見える。
嵐の王は国家を転覆させて、妖精社会をあの混沌とした妖精暦にでも戻したいのだろうか。それにしては大雑把過ぎる方法で、夜毎ブリテンの大地を燃やしている。彼が一体何を考えているのか、いつしかオベロンは知りたくて堪らなくなっていた。
慣れ親しんだ街並みを焦土にされて嘆いてもいいはずなのに、オベロンは火煙の中に佇む化け物に憧憬を覚えていた。他の妖精達も似たような感慨を抱いていたのか、モースを率いる怪物には“嵐の王”という呼称がつけられていた。間も無くして、その呼び名を口にする事は女王陛下が禁じてしまった。
北部はマヴにくれてやったが、モルガンの治めるブリテンに王は二人も要らぬのだそうだ。
「うぅ……ぐ、ああぁ……」
排熱大公に切り裂かれた腹を押さえながら、モースの王様は逃げ込んだ暗い森の端で倒れ伏していた。
かつて南の妖精を追い詰めたマヴを見よう見まねに、モースを操り軍を率いてはみたものの、城壁を破って女王の首を獲る。たったそれだけのことが実現不能なほどに遠い。
モース王は罪深い大地が焼けていく匂いが好きだし、降りしきる雨が汚れを濯いでいく光景も大好きだったけれども、何百年もかけて増強された女王軍を相手取れなんて土台無理な使命だけは、放棄してしまいたかった。
「楽園の妖精よ、ブリテンを手放すがいい。与えられた役目を成し遂げろ」
女王へ向けた再三に渡る抗議もついに聞き届けられることはなく、ライネックとの力押しに縺れ込んでしまった結果がこれだ。妖精にも獣にも属さないモース王の身体は、大公の爪に抉られてざっくりと割れ、切口からぼたぼたと魔力を零していた。モースの振り撒くおぞましい臭いと呪いに紛れて姿を眩ましたけれど、気息奄々なのを察知した女王軍によって、国を挙げての追討作戦など行われたらどうしようもない。
はらわたを引きずってでも、アルビオンが墜落した湖水地方まで逃げれば良かっただろうか。あそこには汲めども尽きないモース毒の沼がある。
今さらすぎる思惟とどん詰まりの中、葉擦れの音を聞いたモースの王は息を呑んだ。意志を持った何者かが近づいてくる気配だった。
害意などひと欠片も感じられない、軽やかな足取りで草木をかき分けて現れたのは、武器のひとつも持っていない、白くてきらきらした妖精だった。
《 以下 編集中 》