ミッドナイトハニー『――上質な甘さを君に』
楽屋のテレビから聞き慣れた声がして、台本から顔を上げる。
『それは経験したことのない、最上級の艶』
琥珀色のとろりとした液体が滴るエフェクトから、銀色のスプーンに垂らされる粘度の高い透明な液体。
カメラに挑戦的な瞳を向けたまま、ティースプーンに乗せられた液体を口に運び、ペロリと真っ赤な舌で唇を舐めとる。
『ハニーディップで夜を彩る』
「今日から放映開始だったね、このCM」
「天」
画面に注目していたために、天が楽屋へ入ってきたことに気が付かなかった。
お疲れ様。と声を掛け合って、龍之介は台本へと再び目を落とした。
楽に蜂蜜のCMの話が舞い込んできたのは、数ヶ月前のこと――
女性向けの化粧品やジュエルなど、煌びやかな商品のイメージキャラクターとして、TRIGGERがCMを務めることは少なくない。
洗練されていて、上品で。高級路線を貫いてきたプロモーションが功を奏して、数々のCMやアンバサダーを務めてきたTRIGGERだったが、今回の商品に関しては意外性のある人選だったを言わざるを得ない。
「はちみつって、瞳の色で龍とか、甘いモノ関係でいうとボクなんだけどね」
「意外だったよね。楽をイメージキャラクターにって」
有名な食品メーカーが、海外のブランドと共同開発した新しい蜂蜜。オーガニックにこだわり、より高級感のある食感と甘さがウリなのだと。打ち合わせを終えた楽が、資料を片手に蜂蜜の食べ比べをしていた夜を思い出す。
天の言う通り、楽の放つ色気や目線の鋭さは、甘さや柔らかさと言った女性的な表現には似つかわしくないと捉えられがちだ。
龍之介は自身が料理をすることも相まって、今回のような食品とのコラボやCMに選ばれる件数では三人の中ではトップだった。
天も、ドーナツが好き。と公言していることもあり、楽や龍之介と比べて甘さの残る表情や、ふとした瞬間に魅せるあどけなさに、胸を打たれる顧客が続出する。
そんな過去を踏まえても、楽が蜂蜜のイメージキャラクターを務めることは意外だった。ネットニュースでも取り上げられ、満を持してのCM放映。
(エロいな……)
CMを見た率直な感想を思い浮かべて、龍之介は台本を閉じた。
ほんの数十秒だったけれど、色味の抑えられた色調の中で、くっきりと浮かぶ琥珀色の液体を舐めとる楽の真っ赤な舌が、脳裏に焼きついて離れない。
+++
その日の夜。
TRIGGER邸では静かな夜が流れていた。
天は早々に自室に引き上げてしまい、音量を抑えたテレビからはニュースを告げるアナウンサーの淡々とした声が聞こえている。
ソファに腰掛け、昼と同じ台本を広げている龍之介だが、文字は全く脳内に入ってこない。
「まだ寝てなかったのか」
「楽……」
浴室から、ほこほこと湯気が立ちそうな熱気を纏って楽が戻ってきた。台本からチラリと目だけを覗かせて、龍之介は自分の頬が湯気が立ちそうなほど熱を持っているのを感じていた。
「……? どうした、龍」
「えっ、あ、なんでもないよ」
「ふーん…」
楽はタオルを肩に掛けたまま、キッチンへと姿を消した。後ろ姿を目で追い、テレビ画面の楽の姿を重ねて思い出してしまい、どきりと跳ねる心臓にふるふると頭を振って煩悩を散らす。
楽が小さなトレイに乗せて運んできたのは、二人分のティーカップと、蜂蜜の瓶。
「お湯に溶かして飲むだけでも、体があったまるって聞いたんだ」
ティーポットに落としているのは天が大量に購入していたカフェインレスの紅茶の葉だった。
三人で自由に使えるゾーンに置いてあったそれを拝借した楽は、温めていたティーカップに蒸らした紅茶を注いでいく。
「な、見た?」
「何を?」
楽がいたずらを企むような無邪気な笑みを浮かべて、蜂蜜の瓶を開ける。
ふわり。と甘い香りが、二人の周りを取り囲んでいく。
「CM」
端的に告げた楽が、瓶から蜂蜜を掬い上げる。
「っ」
息を飲んだ龍之介に、楽がふ、と笑みを溢した。
「な、どうだった?」
「どど、どうって」
スプーンが、紅茶がなみなみと注がれたカップの上で傾けられる。CMと同じように、とろりと流れ落ちていく、琥珀色の透明な液体。紅茶の香りと合わさって、ぶわ、と甘い香りが広がっていく。
「見たんだろ? 俺のCM」
龍之介のカップにもはちみつを注ぎ、かき混ぜて差し出したあと、楽は蜜が少し残ったスプーンを口内に迎え入れる。
「が、く……」
真っ赤な舌が、琥珀色を舐め取る。
「ん……やっぱ甘ぇ」
トレイの片隅に置かれていたもう一本のスプーンで、楽は再び蜂蜜の瓶から琥珀を掬う。
龍之介の持つ台本は、最早本来の役割を成していない。紅潮した頬を隠したまま、向かいに座る楽の動向を、台本の上から覗かせた琥珀色の瞳を見開き、食い入るように見つめている。
「龍、台本しまえ」
楽が、スプーンで救った蜜を指に乗せる。龍之介に見せつけるように、人差し指は楽の口内へと吸い込まれた。
こくり、と龍之介の喉が上下する。は、と吐き出された龍之介の吐息に、楽は満足げに目を細めて、蜜の残るスプーンを龍之介へと差し出す。
「ん……」
促されるまま蜂蜜を舐める。くらりと目眩がしそうなほどの甘さに、目の奥がチカチカと明滅するほどの衝撃に襲われる。
目の前にある真っ白な指と共に舐め取ったら、どんな味がするのだろう。
「なあ、エロかっただろ?」
舐めた唇が赤く濡れ光る楽が、再び蜜を掬って口に含む。
目の前にいる楽のほうがえっちだよ――
龍之介が楽に感想を伝えられたのは、近づいてきた楽の唇が離れた数分後のことだった。
完