シンメ秋のハグ祭り暗い倉庫の中、二人の男が対峙している。
「テメェ、いい加減にしろよ…!」
「こっちのセリフだ大馬鹿野郎!」
白いカッターシャツはビリビリに破れ、髪を乱した二人が胸ぐらを掴み、睨み合っている。
口元やこめかみに青痣、乾いた血液が付着し、頬には土埃が黒く付着していた。
「どうしても行くってんなら、俺を殺してから行けよ…あんな組織の言いなりになる必要なんかねえだろ、目ぇ覚ませ」
「てめえに関係ねえっつってんだよ。俺が決めた人生だ、誰にも指図は受けねえ」
「こンの…分からず屋が!!」
バキィ、と頬骨が抉れる音がする。
ふらふらになりながら、出口を目指す男に、しがみつくもう一人の青年。
互いのプライドを賭けて、引くに引けない状況の中、割れた窓から差し込む小さな赤い光。
青年の額に一瞬当てられた照準に、友人を振り切ろうとしていた男は目を見開き、思わず彼を突き飛ばす。
直後、屋内に響き渡る銃声。
「ぁ……ぁ……」
暗転する中、青年の絶叫がこだまする。
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「……で、ここで思わず名前を叫んでしまったと」
「……フン」
居酒屋のテレビで放映中のドラマ。真っ黒な背景に白文字でキャストの名前がスクロールで流れていく。
大学進学と同時に上京した主人公が十数年ぶりに出会った幼馴染。明朗快活だった彼に当時の面影はなく、借金のカタに怪しいビジネスや裏稼業の汚れ仕事を請け負っていた。
友情か、金か。
男同士の意地とプライドが交錯する任侠系のドラマは、主人公の大学生に八乙女楽、幼馴染の青年役に十龍之介がキャスティングされていた。
毎週のように小競り合いから殴り合いまで、何かしらの喧嘩を繰り広げる二人の姿に、ドラマ放送後はトレンドが阿鼻叫喚の嵐になることでも話題だった。
とうの昔にクランクアップを迎えた楽と居酒屋で放送を見ていた二階堂大和は、楽の唇の端に残る微かな傷に、撮影が過酷であったことを悟って、お気に入りのつくね串をそっと楽の取り皿に寄せた。
今夜の放送分は、最終回一つ前の回。
組織を抜けさせようとする主人公が、海外の取引に向かおうとする幼馴染を止めようと取っ組み合いの喧嘩になり、組織の銃口が楽の額を捉えた瞬間に、龍之介が楽を突き飛ばす。
撃たれたかどうかは分からずに、楽が龍之介の役の名前を絶叫するところで放送は終了した。
「でもまあ、こんだけ必死になってたら、そりゃ十さんの名前を呼ぶよなー」
「うるっせえな。茶化すだけなら帰るぞ」
「ごめんごめん、ごめんて。お兄さんお酒を酌み交わすお相手がいなくて寂しかったナー。一緒に乾杯して欲しいナー」
「棒読みすぎんだろ。ほら」
真っ白な肌をほんのり桜色に染めた楽が、飲みかけのグラスを掲げる。お疲れさん、とグラスを合わせた二人は、ぬるくなったビールを流し込んだ。
撮影後に打ち上げしようぜと誘い誘われた定例会で、偶然放送していたドラマを見ていた大和は、楽が唇を尖らせてチミチミとビールを啜っている様子に片眉を上げた。
酒を進めて根掘り葉掘り聞いていくと、どうやら楽はこのシーンの撮影中に重大なNGを出してしまったらしい。
『ぁ……ぁ……』
銃は、急所を外れたものの、幼馴染の頭部に当たっていた。
『よか……った……』
それだけを告げて倒れた幼馴染の笑顔は、紛れもなく十龍之介の普段の笑顔だった。
『ぁ…、ぃや、だ……、龍…龍!!』
カット!
その後、ツボに入ってしまった龍之介と監督が落ち着くまで撮影は中断。NGテイクを量産するという珍しい撮影になったのだという。
自身のことなのにどうにも恨みがましく苦々しい声で説明する楽に、大和は「今年のNG大賞受賞、おめでとさん」と、高級ビールのグラスを追加で注文することしかできなかった。
「あんたら二人が喧嘩するトコなんて想像つかないんだよな」
「喧嘩、したことねえかも」
「……マジで?」
萎びた枝豆を吸い込みながら、二人の喧嘩事情について聞いていく。
TRIGGERの三人は全員プロフェッショナルとして自立しているイメージが強い。
だからこそ、意見の相違などでぶつかることは多いのでは。と考えていたのだが、楽の様子を見るに、本当に喧嘩をすることはないのだろうと察せられた。
「ガチ喧嘩したことなかったから、こん時の龍、マジで怖くてさ」
「あの迫力で怒鳴られたら、チビるかもしれねえ…」
「震え上がって縮まるよな」
「な」
ブルリ。と二人で震えて身を抱える。
「絶対に龍を怒らせないって、撮影終わった後に誓った」
うんうん。と頷いて、残りの一切れだっただし巻き卵を掴む。楽よりも一切れ多くなっていることに気付かないでくれと願いつつ、思いついた話題で楽を気を逸せることにした。
「ドラマの役引きずって、気まずいってことはないのか?」
「意外と大丈夫だった。というより、役を引きずりたくないのと、くさくさした雰囲気が嫌すぎて、普段よりも距離感近くなってるかもな」
「へぇ」
どうでも良い情報が流れてきて、大和はネタ振りに失敗したことを悟る。
「天にも釘刺されちまった。大男二人でいつまでハグ祭りやってんだって」
「ハグ祭り」
「龍がどっか行っちまうんじゃないかって、役が入ってると不安で仕方なくなるんだよ」
「んで、家に居ても龍がその空気を察するのか、何かにつけてハグしてくる」
「暑苦しいんだけど、龍だって思うと、すげえ安心するんだ」
「へぇ……」
とんでもなく暑苦しく、とんでもなく甘ったるい。
ナチュラルな惚気に、思わず追加でイカの塩辛を注文する。甘いものの後には塩辛いものが良い。
想像するだけで暑苦しく、この体格の男二人がぎゅうぎゅうとハグし合う場面を想像して、大和は天の心中を察して合掌するしかなかった。九条、ドンマイ。
「お。龍が迎えに来てくれるってよ」
会話の隙間でラビチャの通知音が鳴る。楽が嬉しそうに目を細め、スマートフォンをタップして返信を始めた。
(嬉しそうにしちゃってまあ…)
この二人の仲の良さを理解してはいたが、想像以上に喧嘩という行為は二人の精神をすり減らしていたのかもしれない。
キンキンに冷やされた作り置きの塩辛に当てられたのだと言い訳をして、大和はビールの残りを飲み干した。
「二階堂、寮まで送るぜ。運転すんのは龍だけど」
「あ、ああ。サンキュー」
数十分後、大和はタクシーを選択しなかったことを心から後悔した。
「楽!」
「龍!」
会計を済ませて、店の外で一発。
「大和くん!」
「お疲れ様です十さ…グェ」
まさかの大和に対してもハグをしてくる龍之介。ホールド力の高さに思わず呻いてしまう。
駐車場に到着し、車に乗り込む時に何故かハグをしてから助手席に座る楽。
後部座席でシートベルトをかけようと手を伸ばし、ロックをしようとした瞬間に、運転席に座った龍之介から再び楽にハグを一発。いや、計三発か。
自分へのハグはノーカンとしても、余りにも頻度が高すぎやしないか。
思わず手を離してしまい、勢いよくシート脇に戻って行ったベルトを再び引っ張った大和は、おそるおそる二人に問うた。
「えっと……お二人さんはこんな感じでハグを?」
「ん?」
「え?」
曇りなき眼で見つめてくる前方座席の二人に、大和は首を傾げてハハハ…、と乾いた笑を返すしかなかった。
車の中で、話にでてきた単語を思い出す。
ーーハグ祭り。
言い得て妙な表現だったが、これを毎日共同生活の場で見せられたら、欧米暮らしの経験のある天でさえきついに違いない。
願わくば、早くドラマの放送が終わって、二人の心の平穏が戻りますように。
「二階堂、今日はありがとな!」
「大和くん、お疲れ様!」
「んぐぇ…ちょ……っと、二人ともやめなさいってば! ここ! 寮の前!!」
玄関先で大男二人からのハグを受け、呻いて足掻く大和の姿に爆笑した環が写真を撮影。
自棄になった大和が、『飲み会後のハグ祭り』とラビッターに投稿した写真が爆速で拡散した後の大混乱とトレンドの盛り上がりは、ファンと当事者たちの間で語り継がれる伝説となったのだった。
完