冬眠前 山をお化粧していた真っ黄色のイチョウや、真っ赤なモミジも終わりごろ。ひゅうっ、と鼻の奥にツンとくる風と、残りのあったかさを洗い流す雨が木立をさびしくしていきます。
オオカミのトリコさん、毒ヘビのココさん、キツネのサニーさん、クマのゼブラさん、リスの小松くん。仲良しな彼らも、来年ヤマザクラが咲く頃まではお別れです。冬眠しないトリコさん、サニーさんは冬の雪山で食糧を探すときにでも、ぱったり顔を合わせることがあるかもしれません。でも、冬眠するココさん、ゼブラさん、小松くんは誰にも会えません。
青色も白色ものっぺりとした空模様。1日ごとにさみしくなる山では、みんな冬の準備に大忙し。
大食いのゼブラさんはもっと大食いに。
ちっちゃな体におっきなふわふわ尻尾の小松くんは冬眠中のご飯を集めるために行ったり来たり。
おひさまを吸って暖まった岩の上に足を投げ出して座って日向ぼっこしているココさんも、のんびりしているように見える今だって冬眠の準備を進めています。
つまらなさそうにお空を見上げていたココさんは、他のヘビと比べてずっとよく見える目をふいに草むらへ向けました。
「やあ、そこでかくれんぼしているのは誰だい。かわいい尻尾がとび出ているよ」
ほんとうはそんなもの出ていませんでした。でも、ココさんがそう言うと、ふわふわ尻尾がぴょっこりと顔を出します。
「また失敗かぁ……ココさんってぼうっとしているように見えても、全然ぼうっとしてないんですね」
ちっちゃなまぁるいお耳のついた髪の毛にたくさん葉っぱをくっつけた小松くんでした。ちっちゃな体をちぢこめ、隠れて近付き驚かせようとしていたようです。
「冬眠の準備で体が怠くて動かないだけで、周りはしっかり見ているものさ。キミが会いに来てくれたことにいち早く気付くためにもね」
おいで。ココさんが腕を広げますと、小松くんはまばらに鱗のついた筋肉質な腕に、ぴょんこっと飛び込みました。
「ココさん、また少し痩せましたか?」
「何日も前から何も食べてないんだ。冬眠するとき、お腹になにか入っていると困るから……」
「ヘビの冬眠って大変なんですね。実はボクも、最近あんまりごはん食べてないんです。ほっぺたのお肉噛んじゃったのが痛くて痛くて……」
「あらら、それはいけないね。今がいちばん忙しい時期だろう? ……ああ、ボクが言えたことではないか。手伝ってあげたいけど、動き回れる体力は無いんだ。ごめんね」
ココさんは申し訳なくって謝りましたが、小松くんは怒っていませんでした。
「中身のぎっしり詰まったクルミをたくさん集められたのは、ココさんが良い木があるの教えてくださったおかげですよ」
抱きしめあってにこやかにおしゃべりしていますが、これは本来ならありえないことです。とっても危険な毒があるから、誰もココさんを好き好んで触ったりしないし、どれだけお腹が空いていたって食べようとも思いません。
けれど、ココさんが毒ヘビだと知っているはずの小松くんはそんなの知らないかのように、ほっこり笑顔でぎゅーっとココさんを抱きしめます。小松くんのちっちゃな腕ではココさんのおっきな体を囲いきれないので、風の強い日にふっとばされないよう丸太にしがみついているようです。
「あったか~い……おひさまのかおりがする……ボク、ココさんに抱っこされるの好きなんです」
ちっちゃなお耳をときどきぴろぴろ動かしながら、色っぽくない胸にほっぺたをくっつけ、安心しきった顔をする。
そんな小松くんを抱っこしていたら、ココさんは体の真ん中あたりを炙った針でチクリと刺されたような気分になり、とっても意地悪なことを言いたくなりました。
「それだと、小松くんが好きなのはボクじゃなくて、おひさまだって言っているように聞こえるよ。日向ぼっこしていたら誰だっていいんじゃないの?」
髪の毛にからまった葉っぱをやさしく取ってあげるココさんですが、あんまりやさしくない口調です。
小松くんは顔を上げます。どっちかがもう少しでも近付いたら、お口がくっついてしまいそうです。
「こうやってボクを抱っこして、一緒にぼうっとしてくれるのはココさんだけなんです。春になるまで会えなくなるの、ボクはすごく淋しいんですよ」
「フフ、ありがとう。トリコやサニー、ゼブラも、言わないだけでキミに同じことを思っているはずだよ。みんな小松くんのことが好きだから」
小松くんは何か言いたげでしたが、ちっちゃな体で、しかもごはんをちゃんと食べないで駆けずりまわったので疲れていたのでしょう。おひさまのあったかさとかおりをたっぷり吸ったココさんに背中を撫でられているうちに、うとうとし始めました。
「ボクの近くなら襲われないから安心しておやすみ。日が沈むまでには起こしてあげるから」
ちっちゃなお耳に口を寄せて、眠気を逃さないよう低い声で囁いてあげますと、小松くんはココさんの胸を枕にして眠ってしまいました。
すやすや、すうすう、乾燥してかさついたちっちゃなお口の端っこに、よだれがたらり。
なんて無防備なんだろう。指でぬぐってあげても、薄く開いた口から同じ量のよだれがたらり。
おひさまのあったかさをたっぷり吸ってかおりたつ小松くんの匂いは、ココさんの心臓を速く、たくさん動かします。
もし、もしも。
もしも雪の下よりもっとずっと下、日も当たらない、誰にもみつからない真っ暗な場所でもこうしていられたら。
想像しただけでも口の両端がいびつに吊り上がり、自力で体温を上げられないはずの体は、いまにも火を発して熱くなる気さえしました。
「小松くん。一緒に冬眠しようよ」
深い眠りに入った小松くんには聞こえていないようです。毒蛇に巻き付かれているにもかかわらず、すやすや、すうすう、気持ちよさそうに眠っています。
一緒に冬眠しようよ。そう言いながら、それは無理だとココさんはわかっていました。
雪解け水が流れるまで何も食べず、飲まず、眠り続けるココさんと違って、小松くんはたまに起きてごはんを食べる必要があります。眠るためだけに掘った穴に連れこんでしまったら、小松くんは死んでしまいます。
それなら小松くんの巣穴に入れてもらえばよさそうなものですが、ごはんを食べた後の小松くんは、きっとココさんの腕に戻ってきてくれません。
あったかくて、おひさまのかおりがするココさんに抱きしめられるのが好きだと言った小松くんが、おひさまのかおりもしない冷えきったココさんに、どうして抱きしめられてくれるでしょうか。
抱きしめて眠って起きたら小松くんがいないのも、小松くんが自分以外の誰かと一緒に笑っているのも、考えただけではらわたがちぎれそうになります。
「だったら起きれなくしてしまおうか」
底を泳いだ魚がヘドロをまきあげた湖のような気持ちでココさんは呟きます。
小松くんの口の中にある怪我に毒を塗りこめばいいのです。傷口から入った毒は、目を覚ますまでにちっちゃな体に行き渡ることでしょう。これで小松くんはお腹が空かなくなります。
ココさんは顎の下から手を添え、眠っている小松くんに上を向かせました。
──お口がくっつくことは、ありませんでした。
眠り続ける最中でさえ、小松くんが片時も離れず腕の中に居てくれる。それはとっても素敵なことです。
でも、小松くんと一緒に見られないヤマザクラなんてちっとも素敵じゃありません。
ココさんは小松くんのかさついた唇の柔らかさをほんの一瞬だけ確かめると顔を離し、それからたっぷり時間をかけて手を離しました。
「小松くんはいつでもあったかいね。ボクなんかと違って」
左の手で小松くんを抱き、右の手は岩の上に。たっぷり吸ったおひさまを、秋風が徐々に奪っていきます。
(小松くんが好きなボクじゃなくなるまで夢を見させてくれ)
目を瞑ると、小松くんのあったかさと呼吸音だけの世界に入ったような気持ちになりました。