理想の結婚式ってどんなの? 昨日も今日も雨続き。小松が就寝前に確認した時点では、明日、明後日も代わり映えしない予報が続いていた。
ハントの土産話と収獲物のおすそわけが済むと、相槌を交えながら聞くことに徹していたココが口を開く。
「見たよ、テレビ。小松くん映ってたね」
十星になってからというもの、週に一度はどこかの取材カメラがやって来る。だから照れるより先に「どの特集でしたか?」という質問が小松の口をついて出るのは仕方のないことだ。
「お昼のワイドショーだったね。人気のタレントが6人くらい出てた」
「ああ、あれですね。撮影は春先なのに、梅雨入りしてからの放送時期に料理を合わせないといけなくて……食材の用意が大変でした」
「そうだったの。カップルが結婚式やりたい場所No.1はホテルグルメなんだって話にばかり気を取られていたよ」
撮影の前日まで食材の準備に追われた覚えが強烈だったために、そのような特集だったとココに言われてようやく思い出す。
ドーム型の雨音に囲われたテーブルには来客用のティーカップが二脚、向かい合うはアラサー独身男性同士。
背もたれに預けていた体幹は前傾に移動し、太く長い指が交差する。テーブルを挟む小松とココの顔の距離が少しだけ近付いた。
「理想の結婚式って、小松くん考えたことあるかい?」
そのような話題になるのは自然な流れであったといえよう。
小松はゆっくりと視線を泳がす。
「まあ、ボクも歳が歳ですし……全く考えないわけではないですよ」
「へぇ……結婚を視野に入れている相手はいるの?」
「相手が見つかると占いに出ましたか?」
どうぞ視てくださいとばかりに腕を広げる。直後、まばたきひとつしないココの視線が小松を捕らえた。
黙りこくったいずまいは道を極めた職人が手掛けた彫像を彷彿とさせる。だが、その眼球はどうだ。微動だにしない瞳から放たれる視線が全身をあますことなく突き刺している。
ときに占い師としてアドバイスをくれる美食屋ココとのそれなりに長くなった付き合いの中で、占い師に徹し切ったココと対面したことはほとんどなかった。力を込めれば少しは硬くはなろうが屈強とは遠い腹の内側を、物理的にも精神的にも覗かれているに違いない。そう信じ込ませる説得力さえ伴う迫力に小松の肩がすくみ上がる。
彫像だったものが、血の通った友人に変わり身して微笑む。結果が出たらしい。
「どうでしたか?」
「聞きたい?」
やわらかく微笑んでいた唇の両端が吊り上がれば、ニタリと意地悪げな嗤いに早変わり。婚期を焦っているのであれば、良い結果とはかけ離れた未来を見たのだろう。「聞かなくていいです」小松は腕をクロスさせた。
「運命の女性は小松くんがおじいちゃんになっても現れない。誰かにお見合いでもセッティングしてもらわなきゃ、出会いは絶望的だね。断言しよう」
「聞かなくていいって言ったのに! しかも出会いはって……お見合いしても結婚できない確率高いってことですか!?」
「珍しく弱気だね小松くん。3%に賭けてみようとは思わないのかい?」
「ボクが結婚できる確率3%ってことじゃないですか!!」
「フフ、そう泣きそうな声出さないで。ほら、キミその3%を引き当てて今日まで生きてるじゃない」
勢いよく机を叩いて立ち上がった小松のむくれっ面とはまるで真逆に、占い師は優雅に笑んでティータイム。
カップに新しく茶を注がれ、小松は静かに着席した。
「で、なんの話してたんだっけ」
「理想の結婚式についての話をしているはずでした」
「ああ、そうだったね……どんなの考えてるか聞かせてよ。実際できるかはさておき」
付け足された毒は聞き流す。
「理想の結婚式はある、といっても場所の希望とかは特になくてですね。フルコースは自分で作りたいです。あとは、四天王の皆さんをご招待できたらなー、なんて……恐れ多いんですけど……」
「お呼ばれされなくたって最前列を陣取るとも。メニューはトリコの披露宴のときと同じにするの? 小松くんの料理人生の軌跡そのものと言っても過言ではないし、ぴったりだと思うよ」
ココの言うように、相棒の結婚を祝うために作ったあのフルコースは小松にとっては濃密な人生の縮図である。
「いえ、違うものを作ろうかと。自分のためじゃなくて、結婚相手のために作りたいんです」
「結婚相手が食べたいと思うものを作ってあげたいってこと?」
小松は頷く。
「高級食材をふんだんに使った贅沢の極みであろうと、ありふれた食材でできた慣れ親しんだ味であろうと、望むものならなんだって」
「小松くんらしい答えだ。さぞ幸せだろう、キミと結婚できる女は」
ココは呷って空になったカップに茶を注いだ。
「さて、今度はボクの番だね。ボクの理想は──」
「……えっ?」
反射的に漏れ出た掠れ声が中断させる。小松に遮る意図はなかった。
「人に話させたんだから、ボクにも話す義務があるってもんだろ?」
耳を塞いでしまいたくなった。
結婚観というものを、ココの口から語られるのだけは聞きたくなかったのだ。
好意を友人の関係性でひた隠しにして縛りつける──たった今にも進行するこのひとときが、いつか必ず終わってしまう現実を突きつけられることに他ならないのだから。
話す義務などありゃしないと猛烈に否定したいのが本心だが、それは“友人”のすることではない。
「そもそも、ココさん結婚願望あったんですか」
小松のすべきことは滞りない会話の続行。声の震えは太ももを抓ることで押し込めた。
「そりゃあね。小松くんだって、一緒になりたいと思う人くらいはいるんじゃないの? 実際に結婚できるかは別問題としてさ」
毒の添えられた言葉は、ココには結婚したい相手が確実に存在しているのだと暗に示す。
明日にでも幸せの報告があるかもしれない恐怖。先延ばしにしていただけで、それは小松の気持ちが友人の範疇を踏み越えたときからずっと付き纏っていたもの。
危惧が現実となったとき、ひとつの計画が実行される。
式当日までココと会うことをやめ、寝食をなげうって披露宴で出すフルコースを考案する。思い出から探しても、妻となる人と歩む先の人生にも、これより美味いものは食べられないものと信じさせるフルコースをふるまったら、その日のうちに退職届を提出して一生涯かけた宇宙での冒険へ繰り出すのだ。二度とココの人生に登場しないために。
これは祝福ではない。心を射止めた伴侶がどんなに料理を作って食べさせようと薄められない『人生で一番美味い』記憶として、死ぬ間際に好きな人から求められたいという愚かしい願望を叶える呪いである。
この計画には問題が三つある。
料理で感動させたい相手が超一流の舌をもつ美食屋であること。
二度と地球に帰らない冒険に妻帯者である相棒が応じてくれるかどうか。
人との関わりを拒絶する陸の孤島に居を構えるココが盛大な披露宴を行うのか。
計画というにはあまりにも非現実的な妄想である。
「居なくはないですけど……それよりココさんの理想の結婚式について聞きたいです。披露宴のご予定は?」
「あまり人は呼びたくないかな」
「トリコさんたちは?」
「うーん……ちょっと悩むけど……うん、呼ばないかも」
紅茶で温まっていた気道が冷える。
同じ釜の飯を食い、過酷な修行を積んだ三人が呼ばれないならば、他に誰がお呼ばれされるというのだ。その時その場所にいなかった人間で、彼ら以上にココと信頼関係を築いた者が何処にいる。
披露宴の無い結婚式にシェフは用無しである。
「式だけ挙げるんですね。ココさんのタキシード姿、見てみたかったな」
「何を言ってるの。披露宴はやるんだから小松くんがいなきゃ始まらないよ」
「えっ! でもトリコさんたちは呼ばないって……」
「キッスを呼ぶつもりだよ。ボクのこと覚えてくれてるといいけど」
「披露宴というより一家団欒ですね」
「一家団欒……ね。フフ、良いねその言い方。ああ、なんて素晴らしい響きだろう……」
声色や表情に暖かく甘い空気が含まれる。小松の言い回しがいたく気に入ったらしかった。
墓穴を掘った。降りしきる雨の下で春の訪れを喜ぶようなココを前に、小松は己の軽率さを悔やんだ。
「ね、小松くん。その一家団欒で、ボクのフルコースを調理してくれないだろうか」
願ってもない申し出が雨音にまぎれて降ってくる。
小松の脳内で、蝶舞う花園に女が踊った。美食屋四天王のフルコースに舌鼓を打ってココの隣で笑い、キッスに新しい家族として紹介される女の顔は、知らないが故にのっぺらぼうだ。
無言の小松に、ココが口火を切る。「もちろんタダでとは言わない」
「小松くんの結婚式で食材調達で入り用なら協力を惜しまないつもりさ。体質とポイズンドールがあるから、環境適応とフットワークの軽さでいえば誰にも負けないからね。それにボクは料理もできるから、メニューの相談にも乗ってあげられる。今日みたいにお茶でも飲みながら打ち合わせしようよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
矢継早に加算されるタダ働きの提案がウエディングドレスのっぺらぼうを掻き消した。
「それじゃあココさんの負担が大き過ぎますよ! もしそうなったら、別でなにかお礼をさせてください」
「何でもいいの?」
「もちろんです!」
「じゃあ……友人代表スピーチはボクに読ませて」
懇願の内容に小松は言葉を失う。
自分が結婚したら友人として祝福してくれるつもりのココ。
ココが結婚したら片恋の置き土産に呪いをかけるつもりの自分。吐き気すら催す浅ましさ。小松は苦虫を潰した表情で奥歯を噛みしめた。
沈黙は当然のように、小松の意図しない解釈をされる。「ごめん忘れて」
「友人代表といったらトリコに決まってるのに。ごめんね、変なこと言って。もう本当に何考えてるんだか……」
居たたまれなさからかココは顔の左半分を覆い、前髪を掻き上げる。
重ねて謝られると、祝福してくれる友人のやさしさを無下にしている小松の方こそ居たたまれなくなるというもの。小松は弾かれるように立った。「いえ、お願いします!」
「すみません、うるさくしてしまって……あの、ココさんが良いならそれでいいんですけど、ココさんの負担を増やすだけでお礼にならないんじゃ」
勢い余って倒した椅子を慌てて戻しながら、小松は首を傾げる。
「怪我はないかい」椅子を倒したことに怒るより第一声に心配する、どこまでもやさしい友人の声は顔を上げた目と鼻の先にあった。
「むしろ楽しみにしてるくらいさ。ボクみたいなのが友人代表として結婚式に呼ばれる未来があるなんて、誰が想像できただろう」
切れ間のない曇がしとしと屋根を濯ぐ。
小松はフッと笑みをこぼす。
微笑むココにつられたのではない。やさしい友人の明るい未来を心から祝福できない己の醜さに笑ったのだ。
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「ああでも困ったな。小松くんにフルコースを作ってもらうためには、メインディッシュを決めて、なおかつキミより先に結婚しなくてはいけないんだ」
椅子の損傷が無いことを二人で確認し、ぬるくなった茶を淹れ直す。
よくもまあ平気でいられるものだ。
ココは内心の棘波を完璧な微笑みに隠し切る。
とにもかくにも生きてさえいれば経験というものはなにかしら役に立つ。美食屋稼業から離れて客商売に身を置いた選択が正解だったと思える日が来ようなど、選択した昔のココには見えなかった未来だった。
新郎新婦の門出を祝うためにあるべき結婚式。ココはその日までに新郎の体を、当日に心を傷ものにする計画を企てている。
食材調達の打ち合わせで出される茶を飲む毎に、小松の体内にはごく少量の依存毒が入ることになる。一度の服用では異常に気が付かない程度であっても、複数回繰り返せば、式当日には立派な中毒者が完成するだろう。
友人代表スピーチの原稿は既に頭の中に。
その文面に新郎新婦の末永い幸せを祈る文言は微塵も含まれていない。地獄へ続くかのような湿っぽい竪穴で海蛍の輝きを見たあの日、あの瞬間から芽生えた恋慕が、手の施しようがない状態になるまでむくむくと育っていく過程を事細かに語り聞かす朗読劇。新郎という光が差した世界の美しさを讃えるだけの一世一代の狂言で、遺言である。
妻となる者が甲斐甲斐しく寄り添って心の傷を癒そうと、地球上で一人しか生成できない毒に汚染された体はどうにもならないだろう。祝の席で狂って死んだ男を、新郎は理由もわからないまま生涯求め続けるのだ。
問題は三つ。
自身が簡単に死なない体であること。
スピーチを完遂するまでに妨害が入れば水の泡となってしまうこと。
トリコを差し置いて友人代表に選出される可能性が極めて低いこと。
計算というにはあまりにも非現実的な妄想かというと、そうでもなくなった。
妨害が入らないようにするのは毒でどうにでもできる。
友人代表スピーチを読ませてもらえる言質はとった。
残るは己を殺す方法のみ。いまやココを殺せる毒は地球上に存在しない。
「メインは宇宙で探してるんですよね。トリコさんから聞きました。ボクが結婚できる可能性3%なんでしょ? なら時間はいくらでもありますよ! 急がずじっくり悩んでください」
小松はテーブルに身を乗り出し、両の拳をぐっと握って鼻息を吹く。
ココは崩れかける仮面をなんとか保つ。
3%は有る。美食屋に復帰してから幾度となく目にした。
小松に結婚願望が在る。現段階で女の影は見えずとも、そうなりたいと願う誰かは存在している。
好意を友人の関係性でひた隠しにして縛りつける──たった今にも進行するこのひとときには、避けようのない終わりが必ずやってくる。
「理想の結婚式、できるといいですね。ボク、ココさんのフルコース調理できる日を楽しみにしてます!」
人好きのする愛嬌と一流の料理人の威厳を併せ持つ笑顔が胸の内の棘波をより一層荒立たせた。
小松くんは知らなくていい、とココは思う。
自分の思い描く理想の結婚式が、自分の結婚を心から祝福してくれる良き友人の明るい未来を奪うことによって成り立つものであることなど。
その友人が結婚しようものなら、自分は片恋の置き土産に呪いをかけるつもりでいることなど。
「うん、期待しないで待ってて」
「ギガギガに期待して待ってますね」
切れ間のない曇がしとしと屋根を濯ぐ。
ココは紅茶を含んでフッと笑みをこぼす。
にこにこ笑う小松につられたのではない。やさしい友人の明るい未来を心から祝福できない己の醜さに笑ったのだ。