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    ぱしぇりー

    @paxueli

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    ぱしぇりー

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    とりとめのないシショコグ。2021年8月

    「お布団敷いてあげるから、自分の布団で寝なよ」
    「イヤ」
    「イヤか〜……」
     昼前に帰った彼女は作業着のままで俺の布団に潜り込んだ。疲れているのだろうか。俺が何を言っても「イヤ」と返すだけなのだった。
     俺は近頃はこうして昼でも寝転んでいるが、寝ているわけではなくてただ体を休めているだけだ。モゾモゾと寝返りをうっては体を持ち上げてみるなどして、また布団に戻るのだ。
     彼女にこんな弱った姿を見せたくないから、彼女が俺のそばにいる夕方だけは体を起こしていたが、それができる時間も短くなってきている。発作も前より随分多くなった。
     ここまで来れば、もう強がる必要もないのかもしれないが、これは俺のけじめなのだ。彼女にいらぬ心配など、掛けたくないのだ。

    「ねぇ、あなた……」
     もう寝たかと思われた彼女が口を開く。しかしその目は閉じたままである。俺の襟をぐっと掴んだかと思えばぱっと離し、空っぽになった手を少し彷徨わせて、ぱたりと布団の上へ落とす。その衝撃で眉を顰め、ゆっくりと瞼を開く。
    「すみません、寝ぼけていました……ただいま」
    「おかえり。昨日帰らなかったからどうしたかと」
    「忙しかったんです。今度はちゃんと連絡します」
     彼女が滑るように布団から出て行く。ぬくもりが離れる。
    「お昼はもう食べましたか」
    「まだだけど……俺が作ろうか?」
     彼女は首を横へ振って、台所へ行く。
     こちらへ移ってからは、家事は殆ど全て彼女がこなしていた。俺を追ってこの辺境の支部へ異動しただけでなく、体の悪い俺を気遣って、仕事から帰れば懸命に家のことをこなす彼女の献身に、感謝をどんなに伝えても足りない。

    「お米がなくなりそうですね」
     米櫃を傾けた彼女は冷蔵庫に掛けたカレンダーの端にメモをする。まめまめしい彼女の細やかな仕草は仕事柄か、それともその逆か、彼女の描く図面などを思い出して俺はひとりで笑うのだ。
     彼女は三歳でかんながけを習って、五歳で図面を描き始めたようなひとであるので、俺は彼女に図面の描き方を教えることはなかったが、米の炊き方は教えた。
     メモを片手に俺の話を聞く彼女の刺さるような視線を浴びながら、米を炊いた。ずっと使っていなかった土鍋を彼女にくれてやった気がする、どうだっただろうか。

     ちゃぶ台におかずが並んで行く。彼女は料理がうまくなった。休憩時間に料理本と睨めっこしていると噂に聞いたが、その真偽は定かでない。しかし彼女はどこまでも真面目であるので、休憩室の硬い椅子に腰掛けて、湯気の立つツヤツヤとした料理が表紙を飾る本へ顔を埋める様子は、想像に難くない。それが俺のためであることを加えると、愛おしくて仕方がない。
     ちゃぶ台の端へ鍋敷きを置いた彼女が、鍋つかみを探してそのあたりを行ったり来たりする。
    「鍋つかみなら、この間洗濯しなかったか?」
    「あ、そうでした」
     彼女はすぐにそれを見つけて、台所へ戻る。

     廊下を挟んですぐの台所から彼女が戻るのに随分かかったので何かあったのかと少し心配したが、当の彼女は俺の心配などつゆ知らず、手に鍋を持ってニコニコと戻ってきた。
    「お米が少なかったので、土鍋で炊いてみたんです」
     彼女がごとりと台へ置いた鍋には見覚えがあった。目が合うと、彼女ははにかむ。
    「あなたにいただいた鍋ですよ。ずっとしまってあったんです」
    「物持ちがいいね」
    「だって、嬉しかったから」
     彼女は鍋の蓋を開けて、しゃもじで米をほぐす。炊き立てのいい香りがする。
    「どのくらい食べますか」
    「お前と同じくらい」
     俺は腕を差し出す。今日はいつもより食べられる気がした。

     彼女は俺より食べるのがはやい。俺が遅いというほうが語弊がないかもしれない。
    「食べづらいよ」
     すっかり食事を済ませた彼女が俺の顔を覗き込むので、俺は咀嚼音にまで気を遣ってしまう。
    「今日はたくさん食べますね」
    「お前の料理がおいしいから。いや、いつもおいしいけど今日は……」
     唸る俺をみて彼女はすべてがわかったように微笑むが、俺はどうしても言葉にしたかった。
    「俺のために頑張ってくれてるのを、今更実感して嬉しくて」
     ぽっと湯気が立った彼女が慌てて顔を隠す間に、俺は最後の一口を飲み込む。
    「皿は俺が洗うから」
     俺が皿をいくつか重ねて立ち上がると、彼女も残りの皿を持って立ち上がる。
    「いいのに」
    「だめですよ」
     二人で並ぶ台所は狭い。俺は彼女を押しのけて皿を洗う。俺が譲らないことを認めた彼女はじゃあ、お願いしますと漸と言って下がった。

     俺が戻ると、彼女は隣の部屋から持ち出した製図板にまだメモ書きの図面の原型を並べていた。家で仕事はしない、という約束で、彼女はそれを守っていた。本部に比べてこの辺りはずっと穏やかで、持ち帰る仕事すらなかったからかもしれない。
     しかし、趣味でも何かを作るひとであって、今いる部屋と、廊下を挟んだ斜め向かいの部屋と、キッチンと繋がったダイニングにトイレと風呂、物置という小さな平屋の一室を作業部屋にしたほどだった。居間……らしいのだが俺も彼女も布団を敷くこの部屋の広さが十分だったのに加えて、俺は寝転んでばかりいるので、残ったたったひとつの部屋を作業部屋にしてくれても構わなかった。
     その彼女が作業部屋から道具を持ち出して、俺の布団の横へ置くのは、単に日当たりのいいこの部屋の明かりが欲しいから……というわけでは無いはずだ。彼女の控えめな一面と俺は見る。

    「ン、これ修理の図面じゃないね」
     横から覗き込む俺に、彼女は紙を広げながら返事をする。
    「漁船をつくるんです。エンジンを積みます」
    「一から設計?」
    「はい。骨が折れます、師匠に助言をいただきたいところです」
     俺はもう彼女の師匠と名乗れるほどではなかった。彼女はとうに俺を追い越していた。
     俺がその草案をじっくりと眺めて、浮かんだ疑問などを話すと、彼女は忙しく筆を動かす。少しでも役に立てたようで、俺は自然と上がっていた肩を下ろす。

     俺はあくまでも整備士で、一からの設計は苦手だった。欠けたところを埋める、パズルのような設計が好きだった。
     彼女も俺のところへ来たときは整備士で、しかし勉強を怠らず、ついに設計家のようになっていた。それでも現場主義の彼女であったから出世が遅れたのだと、よく仲間に言われていた。

     俺は起き上がっているのがつらくなって、ついに横になる。彼女が筆を滑らせる音が止まる。
    「師匠」
    「何?」
    「……いえ、なんでもありません」
     眠くなりましたと言って、彼女はそのまま横になる。畳の上では痛いだろうに。

    「コーグ」
    「はい……」
     彼女の返事が朧げだ。眠りに落ちる前の彼女には、どこか遠くへ行ってしまうような、そんな儚さがある。
    「コーグは、いつになったら俺のことを名前で呼んでくれる?」
     俺は何かに急かされるように、今言わねばもう一生言わぬ気さえして口にした。一緒になってもう五年になる。いつまで師匠と呼ぶつもりなのか、と俺が右へ顔を向けると、彼女と目が合う。
    「もしかして、俺の名前知らない?」
    「知ってます」
     閉じかけていた瞼を押し上げて、彼女が返事をする。
    「知っていますけど……恥ずかしいから」
     目を伏せる彼女は少女の顔をしている。眠気を孕んだ頬がその幼さを引き立てる。彼女はいつまでも初心だ。
     おねむの子供の機嫌を損ねてはいけないと、俺は口をつぐむ。
    「日没ごろに……起こしてください」
     彼女がそう言って目を閉じる。きらきらと光を放つ目元が静かになって、俺の視線はそのしっとりとした唇に移る。すると、彼女の顔は年相応の、少し苦労をした大人の顔に見える。
     師匠、師匠と俺の背を追った彼女はすっかり大人になって、それでもまだ俺のそばにいる。契りを交わした折に固めた覚悟も、今では少し揺らぐのだ。お前が頑なに俺の名を呼ぶのを拒むのは、いつまでも俺に師匠でいて欲しいからか。
     彼女が静かだとしんみりしてしまっていけない。独りでいればこんなにつらくないだろうに、それでも彼女から離れられないのは、やはりこのひとと同じ夢を見たいからなのだと、寝息を立てる彼女の手を握って、俺も目を瞑る。
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