passionate gaze大きな背中だと思った。
前世での師範、今世での幼馴染の父親である慶蔵とも、前世で終ぞ勝てなかった上弦の壱、黒死牟とも違う背中。
炎柱であり、今世では猗窩座の歴史の教師である煉獄杏寿郎の背中はとても大きいと思ったのだ。
それは見た目のことだけではなかった。
実際の大きさで言うならば、悲鳴嶼の方が大きい。宇髄もそうだ。
だが、猗窩座には彼らと同じくらい……もしかしたらそれ以上に頼り甲斐がある背中に思えて仕方がない。
教師と生徒として再会したものの、杏寿郎には、前世の記憶はないようだった。
(そうでなければ、自分にあんな笑顔向けないだろう)
全ての生徒が大切だと、どの生徒にも分け隔てなく接する杏寿郎。
顧問である剣道部員や、歴史が好きで杏寿郎のところへ来る生徒には笑顔が多いもののそれは接する時間の違いだけだった。
(杏寿郎は変わらないな…)
炎柱の時は、柱として。
歴史教師の時は、教師として。
己の最善を尽くす、鍛錬を怠らない。
太陽のような男、それが杏寿郎だ。
猗窩座は今日も授業中、彼の背中を見つめる。
板書をするために背中を向けた時だけ猗窩座は真っ直ぐに杏寿郎を見つめるのだ。
己の罪を自覚している猗窩座は、万が一でも杏寿郎が前世を思い出さないようにと彼に近づくことはなかった。
それは授業中も同じ。こちらを見ている時は視線があわないように動いていた。
背中だけは、それぐらいなら許してくれと見つめていたのは……
(こんな俺に好かれても嬉しくないだろう?
だけど、生徒でいる間だけだから許して欲しい)
少しでもこの目に焼きつけたかった。
前世からずっと求め続けた男のことを。
多くは望まないから。
その大きな背中を見つめることだけは、見逃して欲しいと猗窩座は希った。
そんなある日、クラスメイトから杏寿郎が社会科準備室まで来るようにと言っていたと聞かされた。
提出物でも忘れたのかと聞かれたが、その手のものはきちんと出しているはずだと猗窩座は首を傾げた。
猗窩座は半分は気が重く、だがもう半分は杏寿郎の近くに行けると胸が高鳴るのがわかった。
(杏寿郎から呼んだんだから……少しくらい話しても、いいよな?それくらい、許して欲しい)
「煉獄先生いらっしゃいますか?」
「素山か?すまないが奥まで来てくれ」
「はい、失礼します」
入室の許可を得て、猗窩座は社会科準備室に入った。
少し奥にある杏寿郎の机。
そこに座って書き仕事をしていた杏寿郎は
「もう少しで終わるから、そこのソファで待っていてくれるか?呼び出したのにすまないな、時間は大丈夫か?」
「今日は部活がない日なので大丈夫です」
「そうか、よかった」
ソファに座り、横目でちらりちらりと杏寿郎の姿を見やる。
(真剣な顔だ。本当に仕事に、己のすべきことに手を抜かない。お前は今生でも日々鍛錬を重ねているのだな)
その邪魔をしたくない。
前世で杏寿郎を殺した自分に出来る唯一のことだ。
改めてその決意をしたときだった。
杏寿郎が
「よし、終わった」
と言いや否や猗窩座のそばに来たのは。
数人が座れるソファにいた猗窩座の隣に座ると、杏寿郎はまじまじと猗窩座を見つめた。
予想外の行動に猗窩座は狼狽えて、顔をトマトのように赤くした。色が白い猗窩座だから、余計に目立つ頬の色、それを楽しげに見つめる杏寿郎は猗窩座が見たことがない大人の顔で微笑んだ。
「ふふ、やっと見えた」
「え……?」
杏寿郎は猗窩座の頬に手を置くと
「君は俺の背中ばかり見つめてきたからな。
こんなに愛い顔で見てくれてたとは、堪らないな」
「え?せ、せんせぃ……何を言って…」
「気付かないと思ったか?あんなに熱く見つめられて、授業中なのに君のことばかり気になったから、大変だったんだぞ」
猗窩座の金色の瞳を見つめながら、目を少しも逸らすことなく杏寿郎は言葉を続けた。
「なあ……、“猗窩座” 。
これ以上我慢は出来ないんだ、悪い教師に付き合ってくれるか?」
「ひっ!?」
触れていた手がゆっくりと滑り顎まで動くと、杏寿郎は猗窩座の顔をクイっと持ち上げて今にも唇が重なり合いそうなほど近づけた。
「猗窩座、返事を。
君のことを俺のものにしたい。
あの日の望みを叶えてくれるか?」
「あの日って!お前、覚ぇ……ん、うんっ…、ふ、んんーっ」
目を見開いて驚きを隠さない猗窩座の小さな唇を塞ぎながら、杏寿郎は片方の手は顎においたまま、反対の手は猗窩座の手を指を絡ませ合うように重ね合わした。
苦しいほどの口接けに猗窩座の双眸はぎゅっと閉じられ、与えられるものに翻弄され続けた。
「猗窩座……、この瞳も、頸も……全て俺のものだろう?」
「きょ……じゅ、ろ…」
「君が覚えてなければ、俺も諦めたかもしれない。少なくとも、教師の間は我慢しただろう。
だが、君は俺の欲に火を付けた。
イケナイ子だ、あんな風に見ては君の心を俺に差し出しているようなものだ」
上手く息がつけず、ぼんやりとしてきた頭で猗窩座は必死に杏寿郎が言うことを理解しようとした。
だが上手く出来なくて、ただわかったのは……
「もう君は俺のものだ。やっと手に入れた……俺の愛しい鬼」
淡い初恋は終わりを告げたことだけだった。
杏寿郎が幸せなら、それで良いと思ってた。
未だ己の存在が、杏寿郎の未来を狂わせたのではないのかと疑念も残ったまま。
それでも。
(俺を望むのなら、俺の全てを持っていけばいい。償いの気持ちもある。
だけど……一番は……)
「俺がお前のだというのならば、お前も俺のものだ、杏寿郎」
お前が手に入るなら、俺の命まで持っていけばいい。
猗窩座はそう思いながら、杏寿郎の背中へと手を伸ばした。己の意思で、杏寿郎を選んだのだと示すように。
【了】