おはよう。そして、おやすみ「はぁ…」
玄湖が、本日何度目かのため息を吐いた。
昨夜、診療所になんの連絡もなしに訪れ、そのままお気に入りのクッションの上で静かに寝始めたミミズクの青年が、このため息の原因だ。
彼は、いつしかこの診療所に訪れては、我が物顔で寝るようになっていた。
玄湖がひと眠りして目が覚めたら、隣で彼が寝ている。なんて時もあった。
そのときは、さすがの玄湖も心臓が飛び出るほど驚いたものだ。
「レイムさん、もう朝ですヨ。いい加減起きてください」
いつものように声をかけるが、それで彼が起きることはない。
(完全に舐められてマスね…)
腕を組みながら眉間の皺を押さえる。
以前は、揺すって起こそうとすれば、肩に触れるすんでのところで腕を捻り上げられた。
最近は、玄湖が変な気さえ起こさねえれば、暴力に出ることはなくなってきたが、さて今回はどうだろう。
玄湖が微睡に揺れる肩に向かって手を伸ばす。
微かにレイムの羽角が動いた。
「わっ!!!」
伸ばした腕が急に前に引っ張られ、寝ているはずのレイムの胸の中にすっぽりと収まる形で倒れる。
「起きてますネ…」
「まだねみぃんだよ」
レイムは呂律のまわらない口調で答えたが、玄湖の手首をしっかりと握りしめていた。
「オマエも寝ろ」
そう言うと、玄湖を抱き枕のようにして、もぞもぞと再び寝る姿勢を整える。
「アナタがいると狭くて寝れまセん」
「嘘つけ。昨日、書類整理だの薬の開発だのして一睡もしてねェんだろ」
レイムの暖かい体温が、玄湖を眠りの淵へと誘いつつある。
たしかに一晩中頭を使って、知らないうちに身体は休息を求めているようだ。
しかし、彼に言われて素直に「はい、そうですか」と寝たくはない。
玄湖はなけなしの力で、レイムの拘束から抜けようと足掻く。
案の定、貧弱な腕では逃れられるわけもなく、虚しく力尽きた。
隣からくつくつと笑う声が聞こえてきた。
「はぁ…。もういいデす。このまま寝ます」
そう言うと、玄湖は大人しく彼の温もりに身を委ねる。
「はじめから、そうしやがれ。◯◯◯◯エルフ」
「さっさと寝てくだサい。◯◯◯◯ミミズク」
耳元から聞こえる、優しい声色をもった汚い言葉に反抗するも、レイムは最後まで聞き終えることもなく、規則正しい寝息を子守唄のように反復させる。
「まったく。これじゃ午後まで診療できませんネ」
レイムを帰して、診療所を開けるつもりでいた玄湖はしてやられたと苦笑する。
レイムの方へ身体の向きを変え、あどけない寝顔を真正面からじっと見つめた。
悪戯してやりたいほど無防備な寝顔だが、どうせガードされるのがオチだ。と断念する。
ふと、顔のそばに投げ出されていた手が目に入る。
(相変わらず細い手でスね……)
あまり食べないレイムは、同じ身長の星の子と比べ筋肉がある割に細い。
好物のカレー以外は胃が受け付けないと言っていたっけ。
物思いに更けながらそろりと彼の手を握ると、冷えた指先が温められていくのを感じた。
玄湖の口元が少し綻んだ事に自分自身気づかないまま、静かに瞼を閉じていった。
太陽が真上に昇り、楽園を飛び回るマンタの鳴き声が診療所に反響する。
玄湖は重い瞼を億劫そうに開いた。
隣にいた彼は既に居ない。
眠る前に感じた温もりを求めるように、彼が居た場所を触れてみるが、ヒヤリと指先から体温が吸い取られるだけだった。
「はぁ」
玄湖が、本日何度目かのため息を吐いた。