Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    ぱにこ

    雑多

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 2

    ぱにこ

    ☆quiet follow

    「狂気山脈再び」のセッションから約二年ですね。セッションの内容を活字で読みたい…!と考え、自給自足してしまいました。未完成ではありますが、ひとまず。
    そのままの内容+α‬で独自解釈を含んでいる部分もあります。(ダイスの成功失敗も配慮して内容考えてるところもあるのでぜひ配信と一楽しんでもら嬉しいです)
    何か問題があれば消しますので教えてください🙇🏻‍♀️
    みんな最高~!!フゥー!!カロパは終わら

    #狂気山脈再び
    theMountainsOfMadnessAgain
    #むつー卓
    freeTable

    狂気ノ片鱗―もう登山なんかやめてよ!

    大丈夫だって。あれは僕のちょっとした不注意だから…明日からは予定通り、××に登るよ。

    ――っ…!そんなこと言って!!本当に…死んじゃったら…!!どうすんの…?!

    だから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。

    ―……帰ってきてよ、睦月…!!絶対だからね…!

    ごめん、泣かないで、ごめんね…






    「!!!!!」


    また、同じ夢を見た。
    「ごめん、僕絶対帰るから。君のとこに」
    枕元には、昨日届いた封筒が変わらず置いてある。
    『第二次狂気山脈登山隊 採用通知』

    封筒には、そう印字してあった。






    1. 出会い

    「皆、集まってくれてありがとう」

    立ち上がったのは、最も老齢の男だった。老齢とは言っても、ウェアを着ている上からでもがっちりとした筋肉が見て取れる。耳障りの良い、落ち着いた声だ。

    「僕はケビン・キングストンだ。イニシャルをとってK2と読んでくれると嬉しい」

    男は、もちろん“K2”は1人で踏破しているよ、と笑う。“カラコルム山脈測量番号2号”…標高は世界第3位、しかしその登頂難易度はエベレストをも凌ぐ山だ。それを1人で…「ケビン・キングストン」、名前が独り歩きしている訳では無いようだ。物腰の柔らかさとは裏腹に、男のその目には底光りする野心が見え隠れしていた。

    「今回パーティのリーダーを務めることとなった。よろしく頼むよ」

    そう言って、K2はにこりと微笑んだ。空気はしん、と静まり動かない。一癖も二癖もある登山家達が作る独特のそのひりついた空気にも慣れた様子で、彼は順に自己紹介をしていくよう求めた。

    「では僕…から行きましょうか?」

    徐に手を挙げたのは、銀縁の眼鏡をかけ、長い前髪をきっちりと分けた几帳面そうな若い男だ。紫色の目が覚めるようなウェアに身を包んでいる。

    「皆さん初めまして。木吉晴、と申します。今回は皆で協力して、この登山を成功させましょう」

    見た目の割に、爽やかなセリフを口にする。

    「ああ、そうだな。…聞くところによると、色んな山を調査してるそうじゃないか」
    「そうですね。仕事柄色々な山に登ってると思います」
    「その知識はすごく頼もしいよ、よろしく」

    K2がポンと木吉の肩に手を置く。
    そういえば…地質学者で、山を調査しているという登山家の話は聞いたことがある。この男のことだったか。ひょろりとした線の細さ、血色の良くない白い肌(僕が言えたことじゃないか)の割に、瞳の奥に燃えるものがあるのは、K2と近いものを感じる。

    「おいおいK2さん!最高のパーティって言うから、俺来たんだよ?みんな若いしさ、大丈夫かよ!」

    次に声を上げたのは、テレビで見知った顔の芸人『払々』だ。派手なオレンジ色のウェアを着たその男は、にやにやと胡散臭い笑みを浮かべている。テレビで見ているままの姿だ。
    席についた木吉は、思うところがあるのかぐっと細い眉を怪訝そうに寄せている。

    「大丈夫だ、君も含めて最高のパーティさ。違うか?」
    「ままま、今回の登山楽しみにしてっから!頼むよ~。…ちなみに、今回の山さ!すっげえ金になるモンが眠ってるって言うじゃんかあ!それ、俺一人で発見した場合、山分け?どうなる?」

    男は相変わらず動じないK2の肩を馴れ馴れしく抱く。左手は指を輪っかのようにし、丸っきり現代風悪代官のテンプレのような風貌だ。

    「ちょっと。本当にそんな心づもりでやれる山だと思っているんですか」

    堪らずといった様子で、木吉が鋭く声を突き刺す。

    「いや、払々君の実力は本物だからな。私の国でもテレビでよく見かけるよ。な」

    『アタック前に諍いを起こすな』とでも言うようなK2の圧に、木吉は不服そうに目を閉じ引き下がった。払々も、どっかりと再び椅子に腰を下ろす。
    先程にもまして冷えきった空気の中手を挙げたのは、パーティ唯一の女性だ。目つきは鋭いが容姿端麗で、セミロングの黒髪を揺らしている。

    「次は、私かしら…穂高梓です。日本生まれ、医者をしています。今回はパーティの医療スタッフとして参加させてもらいます。職業登山家って訳じゃないから、皆さんのように先鋭登山の実績はないけど…それなりに、山は登ってるつもり」

    K2が彼女の肩に手をあてる。

    「彼女は僕が個人的に声をかけたんだ。信頼していい。そこいらの自称登山家よりもよっぽど登れるよ」

    K2の話では、彼女は国境なき医師団で紛争地帯を走り回りながら、休日には様々な山に登っているらしい。すごい人間もいるものだ。自分のしたいことだけやって、周りを顧みない僕のような人間とは、何もかも違う。
    ぺこりとお辞儀して、梓はこう続ける。

    「…ずいぶんと日本人が多いパーティなのね」
    「そうだな。日本の登山家のレベルが高いのは、今に知ったことじゃないさ」

    ありがとう、とK2が梓を座らせる。このパーティでは唯一、長年培った信頼というものを感じさせるふたりだ。

    「じゃあコージー、よろしく」

    次に立ち上がった男は、若く、軽薄そうな外国人だった。金髪碧眼、さらに身にまとっているウェアは頭からつま先まで超がつくほどの高級品で固められている。登山用品メーカーで勤める俺には、それらすべてが今にも倒れてしまいそうな金額だとわかった。

    「俺はコージー・オスコー!出身はオーストラリア。よろしく」

    自信に満ち溢れた表情。狭いロッジに男の大声が反響し、耳をキーンと飽和させた。

    「彼は今回の登山隊のスポンサーとなってくれた、オスコー財団の御曹司だ」

    K2の補足に、彼はすぐさま噛み付いた。

    「御曹司だなんて言い方やめてくれよ!俺はいわゆる、金持ちのボンボンとは違う!!自らの足で、自然に抗う一流のアルピニストだ!今回の登山だって、親父が金を出さなかったとしても、俺は登っていたさ!!」

    唾でも飛んできそうな演説の勢いに圧倒される。続けてコージーはこう語った。

    「いいか、俺は俺の力で登るんだ!オスコー家の力で登るんじゃあない!!」

    さすがのK2も、その勢いには少々困り顔だった。…そのキラッキラのウェアで言っても、彼の演説に説得力は無いが。

    「いや結局金出してもらってんじゃねえかよ…」

    自分の心中がそのまま聞こえてきたかと思えば、その言葉の発言者は先程の悪代官男、払々だった。何だ、案外常識人なのかもしれない。

    「まあまあ、頼むぞコージー」

    ぱっと元の人当たりの良い笑顔に戻った払々は、そう声をかけた。

    「まかせろ、足を引っ張らないでくれよ?」

    ため息をつきたくなるのをすんでのところで我慢していると、K2に名を呼ばれた。

    「じゃあ最後、弘中くん。いいかい?」
    「ああ、はい」

    パーティに多少不安はあるが…
    たとえ全滅しようとも、五体満足でなかろうとも。僕だけは絶対登頂する。
    行くんだ。天国に一番近い場所に。
    そう覚悟を決め、顔を上げた。

    「弘中睦月です。今回はこの山にすべてを賭けて、望みたいと思ってます。皆様、どうかよろしくお願いします」





    2. 開始

    ―狂気山脈――
    推定標高10300m、エベレストをも超える世界最高峰。つい先日、行方不明になった旅客機の捜索の際に発見されたばかりの、巨大な山脈。

    「…そして大規模な登山隊が組まれた。名だたる登山家たちが参加した。だが彼らは失敗した。帰還者ゼロだ」

    第一次登山隊。彼らが全滅した。だから僕たちが行く。第二次登山隊に志願した者であれば、当然皆知っているだろう。K2が語る基本的な情報に、木吉だけが唇を噛み、拳を握りしめている。

    「今までにない大きな山が姿を現した。何が起こるかわからない、危険な挑戦になる……」

    その言葉で、一次隊の最後の通信の話を思い起こす。彼らの言葉は支離滅裂で、まるで狂気にでも侵されたかのような様子だった、と…
    しかし、恐怖に身が凍りつくような感覚はK2の言葉が振り払った。

    「だが、夢がある!そうだろう?」

    先程までの余裕のある態度とは変わり、その目は少年のように純粋な好奇心に輝いていた。全員を見回してから、ペンのフタを開けて説明を再開する。

    「航空機が借りられないから、犬ぞりを借りて4000m地帯まで移動する。そこから標高差6000mの登山だ…目標は山脈最高峰、ただ1つ!」

    ホワイトボードに貼り付けられた地形図に、赤いインクで移動ルートが描かれ、最も高い地点にぐりぐりと印が塗り込まれた。

    「航空写真から割り出された地形図を元に、最も登頂確率が高いルートを割り出した。第一次登山隊が通ったルートとほぼ同じものだ」

    一通り喋り終えたK2がペンを置き、質問を募る。誰も発言しなかった。

    「……僕は無いです」

    さっさと準備すべきだと思った。少しでも登頂確率を、上げられるように。

    「K2さん、何か一次隊から情報は無いのか?」

    払々が声を上げた。例の笑顔は引っ込んでいて、代わりに真剣な表情を浮かべている。「実力は本物」なのだ。彼も登山家だ。

    「あー…その事なんだが…実は、無いんだ」
    「何もか」
    「ああ。まだ準備期間はある、それも含めて、情報収集した方がいいだろう」

    何となく、木吉をちらりと見やった。腕を組んで、先程K2が赤く塗った道程を無言で睨んでいる。僕らが行くルート…『第一次登山隊が通ったルートとほぼ同じもの』と言っていたな。

    「…大丈夫かな?」

    K2の言葉に、ふっと澄まし顔に戻った木吉が、

    「いや、大丈夫でしょう?」

    とこちらに顔を向けた。
    僕が木吉を見ていたのだから当たり前だが、ばちりと目が合ってしまい何となく気恥ずかしく、目を逸らしてしまった。

    「大丈夫です」
    「よし、では作戦を立てよう!まずは装備だが……」

    諸々の話し合いを行い、その日はそのままお開きとなった。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    登山開始、当日。
    雪上車で、僕たちは白銀の世界を走っていた。水平線の奥には、“狂気の山脈”がその威容を現している。

    「げほっげほっ!!」
    「払々さん。大丈夫ですか」

    払々は初日より顔色がどことなく悪いように見えた。激しく咳き込んでいる。

    「ああ、時差ボケで睡眠不足、かな…げほっ、ちょっと風邪を拗らせたみたいで」
    「初日の僕と同じくらい顔色悪いですよ。体力無い同士、仲良くしましょう」
    「つれ~!!こいつと一緒かあ~…くっそ、梓ちゃん誘って一緒に過ごそうと思ってたのにっ…」

    軽口を返せるくらいなら、まあ大丈夫そうか。

    「みんな、体調が悪いのは同じみたいですね」

    ハキハキと割り込んできたのは、初日と同様紫色のウェアを来た木吉だ。彼の顔はキラキラと輝いており、見るからに誰よりも元気に満ち溢れていた。得意げに眼鏡をクイッと上げる。

    「ほら、ペンギンがいますよ。あの辺とかに」
    「……げほ……」
    「…………」




    暫くして、K2は徐に微妙な空気を破った。

    「進めば進むほど、人類の文明から遠ざかっていく…ここには本当の、手付かずの自然しかない。まさに、神の聖域だ。かつてエベレストを登ったマロリーたちも、ここまで不安じゃなかっただろうな」

    ガタガタと揺れる車体の音が響く。K2は窓枠に肘をつき、水平線を眺めていた。

    「いや、マロリーだって俺たちと一緒の気持ちだよ…」

    水分を取って少し落ち着いたのか、払々が静かに口を挟む。その横顔を見て、ちゃんと喋っていればなかなか良い男だと思った。

    「誰も登頂した事の無いこの山!ワクワク、としか言えねえよ」
    「いやあ、なんとも言えない気持ちだ。不安と言っていいのか興奮と言っていいのか…難しい所だが」

    再び静寂が車内を包む。僕たちの緊張を映している様だった。払々も、言葉にこそその色は見せないが、初日と比べ動きの少ない表情筋を見ると、彼なりに緊張はしているのだろう。にしても、この何もかも非日常である状況でテレビで見ているままの言動とは、大した男だ。
    ペンギンを観察していた木吉は、K2の発言に何か思うところでもあったのか、先程までとは打って変わって静かに窓の外を眺めている。引き結んだ唇が印象的だった。その瞳に映っているものは、果たして僕たちと同じものだろうか。
    そのまま、雪上車は煌めく雪の上を進んだ。

    「―よし、着いたぞ。ここからは犬ぞりだ」

    『南極物語』なんかに出てくるような、強そうなハスキーだった。
    しかし3000m地帯に達した頃、犬たちに異変が起きる。

    「おい!犬!進め!!俺の言うことが聞けねえのか!」

    彼らは突然足を止めてしまったのだ。ブルブルと震え、顔を恐ろしく引き攣らせて、山に向かって唸り声を上げている。怯えている、ような感じだ。怒鳴り声を上げるのは、そりを引いていたコージーだ。

    「困ったわね、どうしたのかしら」

    梓が首をひねり、払々はわざとらしく肩をすくめる。

    「おいおいコージー。お前が任せろって言うから頼んでたのに…」
    「だから俺のせいじゃねえって!俺はちゃんとやってる、いつだって!」
    「いやいやいやいや…」

    木吉も、理性的な口振りでつらつらと文句を垂れた。

    「そこは置いといて、1000m手前で止まってしまったのは…些か問題があるかもしませんね」
    「いや、そんなのこいつらにゆーこと聞かせりゃあ…ほらお前ら早く行けって!!」

    コージーの思いも虚しく、彼らは1歩も動かないどころか、何頭かはリードを引きちぎって一目散に来た道を引き返してしまった。

    「おい…どこいくんだよ!!マジかよぉ!!……はぁ…」
    「お前どんな育て方したらこうなんだよ!」
    「だから俺のせいじゃねえって言ってるだろ!俺ん家にはな、犬が7匹いるけど、全員俺にメロメロだぜ」

    コージーと払々の口論に、木吉がまたも口を挟む。

    「でも逃げていきましたよ?」
    「……」

    そうなんだよなあ。

    「…っ、知らねえよっ、でも俺じゃねえ!」
    「まあまあ…」

    K2がコージーをなだめる。そのまま彼はそりを降りて、パチンと両手を鳴らした。「切り替えよう」という前向きな意思だ。

    「行程が1000m延びただけさ。準備しよう」

    やれやれ、とパーティが荷物をまとめ始めた中、難しそうな顔をした払々が隣で呟くのが聞こえてきた。

    「このコント…使えるかもな…」

    この状況で、なんて楽観的な事を考えているんだか…。僕は何だかおかしくなった。

    「はは…生きて帰って見られるといいですね」
    「そうだな、待ってろ?」

    瞬間、コージーがぎろりと食いつく。

    「おい見せモンじゃねえぞ!!」
    (じ、地獄耳だ…)

    コージーの言葉に驚きつつ、僕たちは少々道程の長くなった登山の準備を進めた。


    3. 4000mへ

    当たり前だが、3000~4000mというのは、日本での最高峰富士山の高さと同程度かそれ以上の標高だ。登山を始めて感覚が麻痺しているが、今の時点で十分命の危険があるということは、理解しておかねばならない。
    それこそ、猛吹雪の中でのアタックなんて、命を捨てる行為と同じだ。そう、猛吹雪なんてことになったら…

    「うんっ…、猛吹雪だね…!!」

    K2が声を張り上げる。

    (…幸先が良くないな)

    早速一日目の天候は猛吹雪だった。

    「おい、どうなってんださっきまであんなに晴れてたじゃねえか!!」

    容赦なく吹き付ける暴風に耐えながら、どうなってやがる!とコージーが吠えた。本当にその通りだ。山の天候は変わりやすいが、ここまでメーターが振り切ってしまうと、最早神がかり的な何かを感じてしまう。

    「……スケジュール調整した、K2のせいだ」
    「この中に雨男ならぬ雪男がいるらしいですね」

    こんな状況で冗談を吐く男二人。
    そういえば、地質学者兼登山家…木吉が挑戦した山は大抵彼が足を踏み入れた時だけ気候が荒れていたそうだが、偶然だろうか。
    顔を顰めて、K2がまた声を上げた。

    「まさかこんな所でこんなに降られてしまうとは…まだまだ天候は安定してると思ったんだが、こりゃ散々だな」

    彼はキャンプを提案し、全員が賛同した。

    「はあ…」

    今度こそ本当にため息をつく。1日目からコレとは、先が思いやられる。

    「本当に、"雲行き"が怪しいな」

    ボソッとそう呟くと、オレンジウェアの男が僕の隣にひょっこり現れた。

    「上手いね!睦月くん」

    …誰にも聞かせるつもり無かったのに。

    「はあ…ありがとうございます。とにかく今日は早く寝ましょう」

    ウェアのジッパーを、上まで引き上げた。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    テントから這い出ると、強い日差しに目が眩んだ。
    快晴だ。

    「…登りましょうか」

    僕の呟きに、K2が応えた。

    「何だったんだろうな昨日のは!通り雨じゃないが…山はなあ、気候が読めないからな」
    「山の天気は変わりやすいですから」

    昨日感じた「神がかり的な何か」を振り払うように、そう断言した。

    「そうだな…じゃあ、行こうか」

    僕たちは今度こそ、4000m地点へ出発した。最高峰への、最初の1歩だ。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    「おい、ブロッケンだ」

    払々の言葉に皆が前方を向く。
    ブロッケン現象。僕たち登山家にとっては見慣れた光景だ。僕ら自身の影が映し出されて起こる。その時、太陽は僕らの後ろに…後ろ?

    「待ってください、ブロッケン?太陽はあっちですよね」

    木吉が不審そうな顔つきであさっての方向を指さす。その通りだ。太陽は後ろにはない。僕たちの影じゃない。

    なら、あれは何だ?


    その時。


    ぞくりと経験したことがないほど、背筋が凍りついた。

    笑ったのだ。影が…大きく口元を歪ませて。

    (……そんなハズがないだろう。落ち着け睦月)

    ぶんぶんと頭を振って、嫌な感情を退散させる。

    「…いやっ、まあまあ、ただのブロッケン現象だろ!有り得ないって、こんなの」

    冷や汗の浮いた顔で、払々が乾いた笑い声を上げた。

    「梓ちゃん怖くなかった?大丈夫?」
    「こ、怖い…?いや、そんなことはないけどどうして?ブロッケンなんてよく見るじゃない」
    「そうだよねえ…うん…」

    考え込む払々の横で、コージーがばたばたと空を指さしている。

    「お!おい!!なんか今、笑わなかったかブロッケン!なあ!!影が笑ったよなあ!」
    「…!…コージ~。ギャグは止めろって…ただのブロッケン現象だ、見たことあるだろ?」
    「ギャグじゃねえって!ブロッケンなんていくらでも見たさ、俺は一流のアルピニストなんだ…でも笑ってるブロッケンなんて、見た事ねえんだって!!」

    払々は徐にコージーの背中に手を当てた。うんうんと頷きながら、小さな子どもに語りかけるような様子だ。

    「経験の差だなあ、頑張っていこうな?」
    「なんだよ、俺は真剣だぞ!」
    「コージーさん落ち着いてください…」

    変わらず騒ぎ立てるコージーに僕も声をかけた。恐らくこれは皆が目を逸らそうとしている問題なのだ。僕らは見てない。あれは、普段のブロッケン現象なんだから。

    「まあ、とにかく進もう。時間も限られているからな」

    K2の声で、再び移動を始めた。
    僕は先程"ブロッケン現象"があった空をまた見上げてみた。そこには晴れ渡った空があるだけだった。

    一度抱いた恐ろしい不信感。それはなかなか消えるものでは無い。皆の心に、不安の影を落としたことは間違いないだろう。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    「すみません」

    ずっと無言だった木吉が、声をかける。

    「あそこ。雪がパラパラ落ちてる。クレヴァスがあるかも知れません、気をつけましょう」

    それ、僕も気になっていたところだ。先に声をかけてもらって、有難い。

    「木吉さん僕も同じことを考えてました。あそこのクレヴァス、危険です」
    「払々さんも見えますか?あそこ」
    「いやあ、ふたりとも頼りになるねえ!全然気づかなかったよ。ありがとう!じゃああそこ、避けていこうねえ」

    払々は手で日除けを作りぐっと顔をしかめて、そう言った。それがセリフと相まってなんだかおじいちゃんの様で、危うく笑いが込み上げるところだった。

    「じゃあ、梯子を掛けていこうか。"備えあれば憂いなし"だな。気づいてくれて助かった」

    テキパキと手際よく掛けられた梯子を渡って、僕らは先に進むことが出来た。K2、流石の手腕だ。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    「払々さん…」

    たぶん僕は心配と呆れが入り交じった目をしていたと思う。

    「ま、今のは道間違っただけだからさ!次は上手くいくって」

    あっけらかんと笑う払々に、集中砲火だ。

    「本当に合ってるの?こっちで…」
    「よろしくお願いしますよ…」
    「一度間違ってるんだから、慎重に行った方が良くないですか?」
    「頼むぜえ?!これ以上俺の足を疲れさせないでくれよ」

    コージーが軽口を叩いた途端、それまで平気な顔をしていた払々は振り返り、指を突きつけた。

    「コージー。お前には言われたくない!」
    「何だってんだよ!!」

    はあ、全くこの人たちはどうしてこうも張り合ってしまうのか…

    「喧嘩はやめて下さい、ふたりとも」
    「あいつが先に突っかかってきたんだぜ?」
    「おいコージー落ち着けってえ…」

    そんな事を言い合っているうちに、何とかキャンプに到着した。霧が出てきている中、間一髪という所だろう。

    「ホワイトアウトにはびっくりしたけど、ようやく着いたなあ…」

    払々が大きく伸びをする。

    「一時はどうなる事かと思いました」
    「1時間ホワイトアウトが早まっていれば、危なかったかもしれん」
    「芸人である払々さんの…"持ってる所"なんですかね」

    僕の適当な発言に、払々は「そーだねー」と適当に返事し、K2は「それは関係あるのか?」と笑った。

    「カメラマンが来てたら、結構撮れ高あったんだけど…梓ちゃんとのココロの距離♡も、近くなったかな?」

    本気なのかおふざけなのか、歯が浮くようなセリフを吐き散らかす払々。梓はばっさりと切り込んだ。

    「何言ってるの道間違えてたじゃない…私言ったわよね?こっちであってる?って!もうちょっと時間がかかってたらホワイトアウトだって危なかったのよ」

    怒涛のようにぶつけられたお説教を、払々は「結果オーライだからさあ~」と受け流した。本当に、独特な空気感を持つ男だ。周りを巻き込んで虜にしていくところが、払々にはあった。





    4. キャンプ①

    「梓ちゃん」
    「え、何?」

    声にも隠しきれない不信感が表れてしまった気がする。言い寄ってくるこの男。同い年くらいらしいが、人当たりの良すぎる笑顔が逆に近づき難く、少し苦手だ。

    「梅おにぎり…持ってきたんだよね」

    …なんて?

    「梅おにぎり。持ってきたんだよね」

    その手には、たしかに白い塊がふたつ握られていた。

    「え、梅おにぎり?持ってきたの?」
    「ここに温かいお茶も、沸かしてるからさ」

    何で?梅おにぎり?というかお茶??

    「何で私がお茶好きって知ってるの?怖いんだけど!」

    自信満々に私の好物を差し出してくる払々に、思わず笑いが込み上げてしまった。

    「言ってたじゃん!」
    「そ、そうだったかしら…まあじゃあ、いただくわ、ありがとう」

    おにぎりは、この凍てつく外気温でさすがに硬くなってしまっている。

    「それがまた、いいんじゃない」

    払々は、そう呟いた。謎の感性を持っている。芸人さんって皆そうなのかな。
    がちりと凍ったおにぎりに前歯を突き立てる。硬っ。つめたいし。

    「…梓ちゃんはさ」
    「何?」
    「日本に帰ったら…何してるの?」

    直近で日本に帰った記憶を遡る。
    …思い当たらなかった。

    「うーん…あんまり私は日本に帰ることが、そもそも無いから。ほら国境なき医師団で、色んなとこ行ってるから」
    「ああ、そっか」

    払々は目を細めた。感情の機微が読み取れない。寂しいような、誇らしいような、そんな表情をしていた。

    「じゃあ、ここを下山したら…日本米、持っていくね」
    「私のところに?!」

    私の驚いた顔を見て、払々は鈴を転がしたように笑った。始めて、本当に笑っている彼を見たような気すらした。子どものように、素直に笑う人なんだ。

    「送ってくれればいいわよ、嬉しいけど」

    ついつい、釣られてこちらも笑顔になってしまう。『芸人』、天職だ。

    「会いたいじゃん…!」

    彼は大げさに泣きそうな顔をした。

    「いや来なくていいわよわざわざ!お米届けに来られても困るわ、私」

    楽しい。会話のキャッチボールが。こんなことは、何時ぶりだろうか。

    「お返しできないもの、そんなの」

    会話の余韻に、笑顔を浮かべ星を見上げる払々。その瞳は夜空の灯りを反射して輝いている。気づけば、思ったことが口から出てしまっていた。

    「テレビで見た通り、元気な人なのね」
    「ありがとう、褒め言葉と受け取っておくよ!梓ちゃんもすごく綺麗なコだね…」

    払々はパチンと指を鳴らし、早口でまたキザなセリフを並べ立てる。

    「はいはい…」

    少し氷の解けた梅おにぎりをゴリゴリと口にした。

    温かいお茶が、全部とかしてくれた。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    「おい皆、外に出てみろ!すごい空だぞ」

    K2の呼び掛けに、僕たちはそれぞれテントから這い出た。促されるまま見上げると、そこにあったのはオーロラに埋め尽くされた満天の夜空だった。
    梓の淹れてくれたコーヒーを啜り、空を見上げる。ふいに、忘れようもない泣き顔が頭を過ぎった。カップから立ち上る湿気を含んだ湯気が、心を浸す。

    「こんな美しい夜空は初めてだよ」

    K2はそう呟くと、さらに続けた。

    「今ここにいる私たちは幸運だ。そうは思わないか?」

    幸運―そう言われれば、そうなのだろうが。そう言いきれはしないと思った。一次隊が壊滅してしまっている手前…。木吉は、無表情のまま目を伏せている。

    「登山家の栄誉は数あれど、やはり世界最高峰!人類初登頂!これに勝るものは無い。エドモンド・ヒラリー、エンジン・ノルゲー、あるいはジョージ・マロリーかも知らんが、彼らが初めてエベレストを登った時、その栄誉は二度と他の者には手に入らなくなってしまった。…そのハズだったが」

    K2はコーヒーをぐっと喉に流し込む。

    「しかし、今になって新たに、エベレストを超える、前人未到の世界最高峰が現れた…こんなチャンス、後にも先にもきっとこの1回きりだ。登山家にとってこんな幸運があるだろうか」

    K2は心から誇らしげにそう言いきった。興奮を顕にした口ぶりだ。

    「…たしかにそうですね」

    たしかにそうだ。間違ったことはひとつも言っていない。全て事実。

    「ああ…幸せさ、こんな光景も見られて。誰も登ったことの無い山に、登るんだからな」

    木吉は、変わらず無表情のままだ。コーヒーは少しも減っていなかった。
    再び、夜空の威容に目を移す。僕は、ふと問いかけた。

    「この景色…K2さんは、誰と見たいですか?」
    「誰と?そうだなあ…」

    K2は目を丸くする。…唐突な質問だった。


    「うん、今このチームで見られていることが、1番幸せかも知れないな。同じ志を持つ、仲間だからな」

    にこりと微笑むK2に、なぜだか期待が打ち砕かれたような感覚を覚えた。

    「そうですよね…」
    「弘中くんは、誰かと見たいとかあるのか?」

    他意はない。K2にとっては、ただ質問を返しただけだ。でも僕にとっては……

    「いやあ、別に…僕は……まあ………そうですね…」

    駄目だ、おかしな事を口走りそうだ。彼女のことは、彼らには関係ないのだから。僕が一人で、背負っていくことだ。背負っていかなければならない。

    「…この話は、また今度にしましょうか」

    固くなった表情筋を無理に動かして笑顔を作った。なぜあんな質問を口にしてしまったのだろうか。

    「…そうか、まあゆっくり待ってるよ」

    K2の、必要以上に他人に干渉してこないドライな態度にある意味救われた。お互いに苦いコーヒーを啜る。
    と、静かにしていたコージーが思い出したかのように騒ぎはじめた。

    「いや~、それもこれも、第一次登山隊が失敗してくれたお陰っすね!」

    耳を疑った。何だこの男は。人としての情緒が欠落しているのか?
    全員が凍りつく中、木吉だけが口を開いた。



    「それもそうかも知れませんね」



    セリフとは裏腹に突き刺すような声色が空気をどきりと心臓が止まる感覚。これまでに聞いたどの木吉の声とも異なる。怒り、自嘲、焦燥…様々なものが入り交じった、そんな黒々とした声色に感じた。

    「木吉さん…?」

    気づけば自分も声を発していた。木吉が浮かべる重たい怒りの表情には、とにかく何か言葉を発して、正気に戻さねばならないと感じさせるものがあった。

    「ん、何ですか?」

    こちらを向いた木吉は、もう元の無表情に戻っている。少し拍子抜けしてしまった。

    「いや、なんか…語気が、強かった気がして」
    「いえ、人の失敗を良かったと言うような人間が、あまり好ましくないだけです」

    一息で冷たくそう言い切ると、木吉は恐らく冷えきっているであろうコーヒーを胃に流し込んだ。

    「何怖い顔してんだよお、ふたりとも」

    僕も入ってるのか。そんなに怖い顔してたか、僕。というか、火に油を注ぐなこの馬鹿。恐らく、いや間違いなくだ。木吉は第一次登山隊に、関わりの深い人がいたのだろう。

    「だって事実じゃないか!彼らが失敗したお陰で俺たちにチャンスが巡ってきた…違うか?」

    何も間違っていない。その通りなのだ。K2がしていたのも、回りくどくはあったがそういう話だろう。だがそういう問題ではない。「彼らが失敗してよかった」なんてどストレートに言うやつがあるか。

    「……そうかも、知れませんね。すみません、疲れたので私はもう寝ます」

    カップを梓に返した木吉は既に背を向けてしまって、表情はよく見えなかった。わかったのは爪が食込みそうなほど握りこんだ拳が小刻みに震えていることだけだ。声色からは、もう何も読み取れない。ただただ無感情な声だった。

    「よせ、コージー。こんな日に喧嘩なんてよそう」

    K2が立ち上がってコージーを座らせる。

    「木吉くんの言う通りだ。今日はもう寝よう」

    明日からが本番なんだ、とK2も梓にカップを返した。
    コージーの目には、ギラギラとした純粋な欲のようなものが見える。「世界最高峰、初登頂」に対するものだろう。言わずもがな、K2の目にも僕は同じものを感じる。何ならK2の方には、狂気じみたものすら感じるのだ。
    何か、悪い方向に転がっていかなければいいのだが。
    後味の優れない気持ちで、僕も皆に続いて床についた。コーヒーのカフェインは、暫く僕の睡眠の邪魔をした。


    5. 5000mへ

    「今日は雪は降ってるが、昨日ほどじゃない。行こう」

    昨日はまた酷い吹雪だった。
    後ろを歩く木吉をちらりと気にしてみる。特に変わった様子は無い。普段通りだった。

    「おー、コージーどんどん行くねえ~」
    「当たり前だろ、うかうかしてられるか!いくら食糧があるからってこの先天候が崩れないとも限らない。それが俺の覇道!わかるな?その目に焼き付けろ、俺の背中!」
    「コージー攻めの姿勢っ!いいぞ!」

    払々がまた適当にコージーをおだてている。何だか遊んでいるようにも見えるが。面白いほど調子に乗せられているコージーも、なかなかの才能だと思う。後方では、木吉があからさまにため息をついていた。

    いつものようにざくざくと雪上を進んでいる、そんな時だった。

    (な……何だ、これ)

    目の前に突然広がった、異様な光景。
    天地が逆転した都市……に見える。だがそれを形成する建造物は、人類の技術では到底建設しようもないと思わせる、奇怪な形状で立ち並ぶ。
    脳が情報を処理する間もなく、それらは一瞬の後に全て消滅した。

    ―――――――――――――――

    「な、何だったんだ今のは?!ブロッケンは笑うし、変な都市まで映ったぜ!!」

    コージーが目をかっぴらいて訴えてくる。たしかに蜃気楼は見えたが、そんなに慌てるほどのことでもないだろう。狼狽える彼を適当になだめようとした時。後ろから痛々しく震える声が飛んできた。

    「ぼ、僕も見ました、それっ…!!」

    ぎょっとして振り向くと、焦点の合っていない目、血色の悪い顔にはびっしりと冷や汗をかいた弘中の姿があった。呼吸を激しく乱している。

    (睦月くん?)

    突然取り乱して、一体どうしたと言うのか。ここまでの登山、彼はいつだって冷静だった。

    「ほら見たか!嘘は言ってねえんだ俺はいつだって!」
    「蜃気楼は、ホントでしたね」

    木吉は「は」にアクセントを置いてしれっと呟いた。コージーの方を見もしない。

    「『は』ってどういうことだよ?!ブロッケンも本当なんだって!」
    「まあ、そうなんでしょうね…」

    やれやれ…。弘中の様子は気になるが、険悪な空気にひとまず暖かな南風を吹かせてやろうと次のセリフを考えていたところ、間髪入れずにまた弘中が悲壮な声を上げた。

    「今なら…コージーさんのっ…、言っていることが…わかる気がしますっ…」

    明らかに様子がおかしい。段々と体全体が震えだしているようにも見える。

    「どうした睦月くん?声が震えてるぞ!大丈夫だ蜃気楼だ!」

    あえて大きな声をだし、背中を支える。

    「…いや僕は見てしまったんです……あの…っ、蜃気楼の中に映されたっ……!」

    そこまで何とか言葉を絞り出した弘中は、そのまま頭を抱えかがみ込んだ。

    「ぁああぁ…!!あああああ!!!」

    正気とは思えない弘中の怖がり様に、さすがのコージーも、表情を強ばらせる。

    「…どうした、こんな弱々しいヤツだったか?確かに見た目はひ弱そうだもんな」

    (一言多いっつの!)

    心の中でツッコミを入れている間に弘中は突然起き上がり、がばっと彼のウェアにしがみつく。

    「コージーさんだって見たでしょ?」
    「!あっいやあ?まあ…」

    ぶるぶると大きく震える手に掴まれ、弘中の圧にたじろいだコージーは後退り、言葉を濁す。

    「あんなの、有り得るわけないじゃないですかっ…!!見たなら!わかりますよね?!」

    恐怖に取り憑かれた様子の弘中。コージーのウェアを、さらに力をこめて握りしめる。
    コージーが苦しそうに顔をしかめたのが見えた。

    「K2!ちょっと睦月くんを落ち着かせよう!」

    ふたりに駆け寄って、弘中をコージーから引き剥がした。解放されたコージーは激しく咳き込んでいる。

    (ただのパニック……?いや)

    そんなありふれたものじゃない。何か恐ろしいものが取り憑いているかのような、普通じゃない取り乱し方だ。K2も驚いた様子で駆け寄る。

    「おいおい、落ち着こう。まあ、混乱するのも無理は」
    「みなさんは見てないんですか?」

    K2の言葉を遮って、底冷えする声が背筋を這う。
    弘中は自らのストックを必死に握りしめている。尖った顎からは汗が滴り落ちた。

    「ぼ、ぼく以外に、みたひとはっ…?!い、いないんですか…!」

    黒々とした瞳で、全員を見回す弘中に圧倒され、K2は必死に言葉を紡いだ。

    「っなんだ、こう遠いところから、こう…光の屈折…がこう…上手いこといって、きたとかじゃないのか?たぶん」

    言葉に詰まりつつ苦しい説明をするK2。それを聞いているのかいないのか、ぶるぶると相変わらず全身を震わせる弘中は、降り積もった雪に崩れ落ちた。彼の頭上には、心做しか強くなった雪が降りしきる。

    「……色も!!あんなの光の…反射なんかでっ…!うつる色じゃ、ないですよ!!たしかにみえましたぼくにはっ…!!」

    虚ろな目から零れた涙が、雪上に幾粒も染み込んでいく。血走った瞳は、ある種の狂気を感じさせた。
    その時。一瞬にして、一次隊の最後の通信についての記事―『まるで狂気にでも侵されたような』の一節が、脳内を駆け巡る。
    弾かれたように、弘中の腕を掴んだ。

    「ここはSF映画じゃないんだ!!何も無いさ!!」

    掴んだ腕は、だらんと垂れて少しも抵抗も見せない。弘中はこれまでとは打って変わって、静かに話し始める。

    「やはり人間が来てはいけない場所だったのかもしれない…」

    その表情には、あまりにも大きすぎる絶望が見て取れる。

    「…いや、山は山だ。それ以上でもそれ以下でもないよ」

    K2がそう呟いて弘中の傍らにしゃがむ。たった今”狂気“を目の当たりにしたばかりのK2の言葉は、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

    「行こう。…立てるか?」

    俺とK2で無理やり弘中を立ち上がらせ、再び道無き道を進み始める。
    考えたってわからない。考えようもない。
    進むしかない。進むしかないのだ。この山に潜む狂気は、見て見ぬふりをして――







    6. キャンプ②

    「おいしいです、ありがとうございます」
    「そう。それ飲んで、落ち着いて。ゆっくり、少しずつね」

    梓の言いつけ通り、ちびちびと熱いコーヒーを啜る。心がみるみるうちに凪いでいくようだ。

    「睦月くんも、だいぶ落ち着いたようだね。よかった」
    「一時はどうなる事かと思ったよ…」

    案外世話焼きな払々だけでなく、木吉までもが心配そうに僕の顔を覗き込む。

    「まあ、何かの間違いだろう。あれからは何も起こらなかったわけだし」

    相変わらず穏やかに微笑むK2。しかし、パーティの顔には隠しきれない疲れが滲み出ていた。それも、体力的な疲れではなく―――

    (どうすんだ、自分で自分のパーティの足を引っ張るようなことして…)

    正直、なぜあんなにも我を忘れて取り乱してしまったのか今となってはさっぱりわからない。とはいえ、自責の念は積もるばかりだ。ぎり、と唇を噛む。

    「…確かにそうですよね。先程は、取り乱してしまい申し訳ございませんでした」

    深く頭を下げると、K2の耳触りの良い声がすぐに頭上に降ってきた。

    「いや、いいんだ。限界な環境だからな、5000だ…半分とはいえ、十分高い」

    そうだ。まだ半分しか登っていない。こんな所で精神を乱している場合では無いのだ。僕は第二次登山隊に採用された登山家なのに。
    君と、約束したのに。
    K2の言葉をしっかりと飲み込んで、戒めた。

    「よーし、俺はこの梅おにぎりを解凍してぇ、梅茶漬けを作るぞぉ」

    ふいに、ふ抜けた声が響く。払々がガチガチに凍った梅おにぎりのようなものを取り出して、湯を沸かし始めたのだ。僕のせいで重たくなってしまった空気が解け、体中にじんわりと温かさが広がった気がした。
    払々にしたがって、皆わらわらと食事を始める。僕も持参したカロリーメイトの袋を破いた。

    「今日が最後のお米なんだ。梓ちゃん、一緒に梅茶漬け食べない?」

    鍋の前に腰掛ける払々が、梓に声をかける。梓はうどんを頬張りながら、じっとりと声の主に視線を投げた。

    「何?グイグイ来るけど」
    「いや梓ちゃんカワイイなって思って」

    払々がストレートな口説き文句を吐くと、梓はあからさまに怪訝な顔をした。梓は明らかにそういった軟派な発言には靡かないタイプの女性に見えるが。払々の度胸というか破天荒ぶりには驚くが、感心もする。
    梓は呆れ返った様子で応えた。

    「そんなおちゃらけた気持ちじゃ、登れないわよ」
    「いやいや…取り乱しちゃった睦月くんにコーヒー、すぐに差し出してあげて、優しいなって」

    突然自分の名前が出てどきっとする。確かに、梓のコーヒーにはかなり救われている。
    …というか、何だこれは。ギャルゲか?僕たちもいるよ、払々さん。
    しかし梓はまったく本気にしていないようだ。

    「どうせ誰にでも言ってるんでしょ」

    立ち上がった梓は、そのままゴミを捨てに行ってしまった。
    その背中を哀愁漂う瞳で見送った払々は、おそらく二人分と思われる量の梅茶漬けをかきこみ、コージーに泣きつく。

    「コージ~今日も梓ちゃんに流されちゃったよ…」
    「なんだ?やらんぞ俺のゴハンは」

    コージーは案の定まったく話を聞いていなかった。脇に積み上がった高級ブランドの缶詰は、みるみるうちに彼の胃の中に吸い込まれていく。

    「お前いっぱい持ってきてるだろ、一つくれよ~」
    「バカ、お前にあげるメシなんてあるか!これは俺の30日分の食糧だよ」
    「何でだよぉお前昨日もいっぱい食ってたじゃん」
    「いいモノはいっぱい食べないとな、俺くらいになると」

    ぐでんと軟体動物のようにコージーにもたれかかっていた払々は、突然しゃきっと座り直すと右手の親指を立てコージーにウインクした。綺麗に揃った白い歯が光る。

    「しゃーねえな、じゃあ明日くれよな!」
    「何であげる前提なんだおかしいだろ!自分の食えよ!」

    べシリとコージーが払々の右腕を払い落とす。
    軽口を叩き合うふたりに、なんだか日常が戻ってきたような感覚にさせられた。テレビで見ていた払々の姿も……
    …というか、払々って何だ、変わった名前だな。ぺいぺい…PayPayだ。時勢を反映してるのかな。ずっと文明が無い場所にいるから、既に少し懐かしい。PayPayで支払いとか。「ペイペイッ」て感じの音が鳴るんだよ。そう…

    「ペイペイッ」

    ってね…。


    「睦月くん今ボソッと何か聞こえた気がしたけどなんて??」

    うわ、聞こえてた?しかも本人にだ。すっごく小さい声で言ったのに。

    「あっ…え?な、なんですか?」
    「何だ言ってくれないのかよお…」
    「コージーさん何か言いました?」
    「人のせいにするな!」

    ――――――――――――

    心拍数が収まると、心に空を見上げる余裕ができる。以前のようにオーロラこそ出ていないが、夜空に隙間なく広がる星空はまさしく日常などからはかけ離れた光景だった。
    コージーが梓のコーヒーをがぶがぶと飲み干す。しっしっと僕たちを追い払う手ぶりでこんなことを言った。

    「陰キャども、俺は今一人の食事を満喫してんだ。相手にしないでくれ」

    まったく、なんて精神年齢の低い男なんだ。そこはかとなく自分と同類の香りの漂う木吉に話を振る。

    「木吉さん…僕あの人苦手です…」
    「とてもわかります」

    木吉はノータイムでレスポンスした。眉間に皺を寄せながら、何度も深く頷いている。

    「奇遇だなァ俺も苦手だ!!」

    …僕たちのことを、と言いたいのだろうか。それだけ叫んで、彼はまた缶詰開封祭りを再開した。ずるずると大きな音をたてて貪っている。

    「アイツの人生、いいなあ…」

    払々が目を細めて呟く。

    「払々さんも楽しそうじゃないですか」

    少しだけ皮肉をこめてそう言うと、払々は心から残念そうに首を振った。

    「ないね、そんな事ないよ」

    そうなのか。芸能人で、板の上の人間なのだから、何か僕らの知らない苦労が、やはり彼にもあるのだろうか。

    「梓ちゃんにはフラれるしさあ~」

    やはり、無いのだろうか。

    「そんなグイグイ来られても…あんた何しに来たのよ、山に」

    いつの間にか帰ってきていた梓が、困り顔で口を挟む。また何か軟派な事を喋って、梓にため息をつかれるところまでが容易に想像できた。しかし、払々は至極真面目な顔をして即答した。

    「ん?登るためだけど?」

    梓も僕と同様に考えていたのか、その答えと真剣な雰囲気に少々たじろいでいる。

    「…そうでしょ、じゃあ…登る方に集中しなさいよ」

    払々はそれを聞くと真面目な顔を崩し、ふわりと笑って伸びをする。

    「いいじゃん。楽しみがないとさあ」

    梓は表情を緩ませて応えた。

    「ふふ…山登るのは楽しくないの?」
    「道中はしんどいよ。登頂のときがいちばん気持ちイイんじゃん!」

    「まあ、それもそうだけどね?私は好きだけど、登るの。もちろん登頂するのも」

    心底幸せそうな顔をして、梓はそう口にした。体力的な理由か男性が多い登山家の中で、女性は珍しい部類に入る。少なくとも僕は初めて、こんなにも登山を愛する女性に出会った。

    ――登山なんかやめてよ―

    涙ながらに訴えていた彼女の顔が、ふと頭を過ぎってしまう。

    「こんな女性もいるんですね」
    「…どういう意味?」
    「女性で山が好きな人って、あまりいないもんだと思ってました。…ああでも僕が見た山アニメには、たくさんそんな女の子が出てましたけど…」

    まずい、変なことを口走ってしまった。だが僕の心配もよそに、梓は困ったように笑い声をあげてくれる。

    「合っているとも合っていないとも言いにくいわね…でも、日本では今増えてるって聞くわよ?」
    「山ガール、ずばりそれは山ガールですね」
    「まあそれに俺も、一役買ったかな!」

    払々が得意げに口を挟んだ。確かにないとも言いきれない。あれは人気番組だったし、払々は見た目も悪くない。女性人気がありそうだ。…そういえば、あの番組最近見てないな。

    ――もしも…彼女も払々に影響されたりして、一緒に山に登れるようなことがあったら、どうなっていただろうか。ふと考える。同時に、じわりと心に苦味が侵食した。

    「…女の子と一緒に山登るのって、楽しいんですかね。好きな人と」

    努めて明るい声を出す。

    「俺は今楽しいけどね」

    ここぞとばかりに払々が、今度は梓にウインクをした。

    「私は普通よ」
    「またまたあ」

    そんな軽快なやり取りを眺める。

    (楽しい、だろうな。きっと)

    もしも、彼女が山に魅せられていたら。もしも、彼女と山に登れていたら。
    もしも、あの時彼女も一緒に山へ行っていたら…彼女は、今も元気に笑っていたのだろうか。
    もさりと口に残るカロリーメイトを苦いコーヒーで流し込む。

    (待ってて)

    気持ちは変わらない。必ず帰ろう。天国に一番近い場所に。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🍼
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    ぱにこ

    DONE「狂気山脈再び」のセッションから約二年ですね。セッションの内容を活字で読みたい…!と考え、自給自足してしまいました。未完成ではありますが、ひとまず。
    そのままの内容+α‬で独自解釈を含んでいる部分もあります。(ダイスの成功失敗も配慮して内容考えてるところもあるのでぜひ配信と一楽しんでもら嬉しいです)
    何か問題があれば消しますので教えてください🙇🏻‍♀️
    みんな最高~!!フゥー!!カロパは終わら
    狂気ノ片鱗―もう登山なんかやめてよ!

    大丈夫だって。あれは僕のちょっとした不注意だから…明日からは予定通り、××に登るよ。

    ――っ…!そんなこと言って!!本当に…死んじゃったら…!!どうすんの…?!

    だから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。

    ―……帰ってきてよ、睦月…!!絶対だからね…!

    ごめん、泣かないで、ごめんね…






    「!!!!!」


    また、同じ夢を見た。
    「ごめん、僕絶対帰るから。君のとこに」
    枕元には、昨日届いた封筒が変わらず置いてある。
    『第二次狂気山脈登山隊 採用通知』

    封筒には、そう印字してあった。






    1. 出会い

    「皆、集まってくれてありがとう」

    立ち上がったのは、最も老齢の男だった。老齢とは言っても、ウェアを着ている上からでもがっちりとした筋肉が見て取れる。耳障りの良い、落ち着いた声だ。
    18816

    related works

    recommended works