―もう登山なんかやめてよ!
大丈夫だって。あれは僕のちょっとした不注意だから…明日からは予定通り、××に登るよ。
――っ…!そんなこと言って!!本当に…死んじゃったら…!!どうすんの…?!
だから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。
―……帰ってきてよ、睦月…!!絶対だからね…!
ごめん、泣かないで、ごめんね…
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「!!!!!」
また、同じ夢を見た。
「ごめん、僕絶対帰るから。君のとこに」
枕元には、昨日届いた封筒が変わらず置いてある。
『第二次狂気山脈登山隊 採用通知』
封筒には、そう印字してあった。
1. 出会い
「皆、集まってくれてありがとう」
立ち上がったのは、最も老齢の男だった。老齢とは言っても、ウェアを着ている上からでもがっちりとした筋肉が見て取れる。耳障りの良い、落ち着いた声だ。
「僕はケビン・キングストンだ。イニシャルをとってK2と読んでくれると嬉しい」
男は、もちろん“K2”は1人で踏破しているよ、と笑う。“カラコルム山脈測量番号2号”…標高は世界第3位、しかしその登頂難易度はエベレストをも凌ぐ山だ。それを1人で…「ケビン・キングストン」、名前が独り歩きしている訳では無いようだ。物腰の柔らかさとは裏腹に、男のその目には底光りする野心が見え隠れしていた。
「今回パーティのリーダーを務めることとなった。よろしく頼むよ」
そう言って、K2はにこりと微笑む。空気はしん、と静まり動かない。一癖も二癖もある登山家達が作る独特のそのひりついた空気にも慣れた様子で、彼は順に自己紹介をしていくよう求めた。
「では僕…から行きましょうか?」
徐に手を挙げたのは、銀縁の眼鏡をかけ、長い前髪をきっちりと分けた几帳面そうな若い男だ。紫色の目が覚めるようなウェアに身を包んでいる。
「皆さん初めまして。木吉晴、と申します。今回は皆で協力して、この登山を成功させましょう」
お堅そうな見た目の割に、可愛らしい、ありふれたセリフを口にする。
「ああ、そうだな。…聞くところによると、色んな山を調査してるそうじゃないか」
「そうですね。仕事柄色々な山に登ってると思います」
「その知識はすごく頼もしいよ、よろしく」
K2がポンと木吉の肩に手を置く。
そういえば…地質学者で、山を調査しているという登山家の話は聞いたことがある。この男のことだったか。ひょろりとした線の細さ、血色の良くない白い肌(僕が言えたことじゃないか)の割に、瞳の奥に燃えるものがあるのは、K2と近いものを感じる。
「おいおいK2さん!最高のパーティって言うから、俺来たんだよ?みんな若いしさ、大丈夫かよ!」
次に声を上げたのは、テレビで見知った顔の芸人『払々』だ。派手なオレンジ色のウェアを着たその男は、にやにやと胡散臭い笑みを浮かべている。テレビで見ているままの姿だ。
席についた木吉は、思うところがあるのかぐっと細い眉を怪訝そうに寄せている。
「大丈夫だ、君も含めて最高のパーティさ。違うか?」
「ままま、今回の登山楽しみにしてっから!頼むよ~。…ちなみに、今回の山さ!すっげえ金になるモンが眠ってるって言うじゃんかあ!それ、俺一人で発見した場合、山分け?どうなる?」
男は相変わらず動じないK2の肩を馴れ馴れしく抱く。左手は指を輪っかのようにし、丸っきり現代風悪代官のテンプレのような風貌だ。
「ちょっと。本当にそんな心づもりでやれる山だと思っているんですか」
堪らずといった様子で、木吉が鋭い声を突き刺す。
「いや、払々君の実力は本物だからな。私の国でもテレビでよく見かけるよ。な」
『アタック前に諍いを起こすな』とでも言うようなK2の圧に、木吉は不服そうに目を閉じ引き下がった。払々も、どっかりと再び椅子に腰を下ろす。
先程にもまして冷えきった空気の中手を挙げたのは、パーティ唯一の女性だ。目つきは鋭いが容姿端麗で、セミロングの黒髪を揺らしている。
「次は、私かしら…穂高梓です。日本生まれ、医者をしています。今回はパーティの医療スタッフとして参加させてもらいます。職業登山家って訳じゃないから、皆さんのように先鋭登山の実績はないけど…それなりに、山は登ってるつもり」
K2が彼女の肩に手をあてる。
「彼女は僕が個人的に声をかけたんだ。信頼していい。そこいらの自称登山家よりもよっぽど登れるよ」
K2の話では、彼女は国境なき医師団で紛争地帯を走り回りながら、休日には様々な山に登っているらしい。すごい人間もいるものだ。自分のしたいことだけやって、周りを顧みない僕のような人間とは、何もかも違う。
ぺこりとお辞儀して、梓はこう続ける。
「…ずいぶんと日本人が多いパーティなのね」
「そうだな。日本の登山家のレベルが高いのは、今に知ったことじゃないさ」
ありがとう、とK2が梓を座らせる。このパーティでは唯一、長年培った信頼というものを感じさせるふたりだ。
「じゃあコージー、よろしく」
次に立ち上がった男は、若く、軽薄そうな外国人だった。金髪碧眼、さらに身にまとっているウェアは頭からつま先まで超がつくほどの高級品で固められている。登山用品メーカーで勤める俺には、今にも倒れてしまいそうな金額だとわかった。
「俺はコージー・オスコー!出身はオーストラリア。よろしく」
自信に満ち溢れた表情。狭いロッジに男の大声が反響し、耳をキーンと飽和させた。
「彼は今回の登山隊のスポンサーとなってくれた、オスコー財団の御曹司だ」
K2の補足に、男はすぐさま反論する。
「御曹司だなんて言い方やめてくれよ!俺はいわゆる、金持ちのボンボンとは違う!!自らの足で、自然に抗う一流のアルピニストだ!今回の登山だって、親父が金を出さなかったとしても、俺は登っていたさ!!」
唾でも飛んできそうな演説の勢いに圧倒される。続けて男はこう語った。
「いいか、俺は俺の力で登るんだ!オスコー家の力で登るんじゃあない!!」
さすがのK2も、その勢いには少々困り顔だった。…そのキラッキラのウェアで言っても、彼の演説に説得力は無いが。
「いや結局金出してもらってんじゃねえかよ…」
自分の心中がそのまま聞こえてきたかと思えば、その言葉の発言者は先程の悪代官男、払々だった。何だ、案外常識人なのかもしれない。
「まあまあ、頼むぞコージー」
ぱっと元の人当たりの良い笑顔に戻った払々は、そう声をかけた。
「まかせろ、足を引っ張らないでくれよ?」
ため息をつきたくなるのをすんでのところで我慢していると、K2に名を呼ばれた。
「じゃあ最後、弘中くん。いいかい?」
「ああ、はい」
パーティに多少不安はあるが…
たとえ全滅しようとも、五体満足でなかろうとも。僕だけは絶対登頂する。
行くんだ。天国に一番近い場所に。
そう覚悟を決め、顔を上げた。
「弘中睦月です。今回はこの山にすべてを賭けて、望みたいと思ってます。皆様、どうかよろしくお願いします」