赤音に振られたココくん ずび、ずび、と隣を歩く九井は鼻を鳴らし、それをBGMにして空を見上げる。
九井が赤音を好きなことくらい、見ていれば分かったことだが、まさか小学生の時に大人になったら結婚して欲しいなんてプロポーズまでしていたとは知らなかった。
今年の誕生日はやけに嬉しそうにしていたと思っていたが"赤音をお嫁さんに迎えに行く"なんて言い出すとは思わなかった。浮かれた様子で「1日って赤音さん家いる?」と連絡が来た時、こんな現実を突きつけられるとは思ってもいなかったなぁ。
「どっか遊びに行くか?」
「うっ、ぐっ……うぅ……」
「そういや最近バイクのカスタムしたんだぜ」
「うぅ、イヌピー……」
「エンジン音がでかくなったから聞いてけよ」
赤音は大学卒業後、普通の一般企業に就職し、そこで会った先輩と付き合い出した。付き合いはそこまで長くないものの、相手の男性が歳上ということもあり結婚の話も前々からちらほら出ていたらしい。
大学生になって赤音が一人暮らしを始めてからは近況などほとんど知らず、乾自身も彼氏の話を聞いたのは最近のことだった。
今回は地元の友達が転勤で北海道へ行くお見送り会があり数日前から実家に帰って来ていた。赤音の帰省を歓迎した母親が豪勢な飯を振る舞い、ケーキやお菓子をテーブルに並べる。
久しぶりの実家だと嬉しそうにケーキを食べていたのも束の間、九井と顔を合わせると赤音は気まずそうに恋愛事情を告げた。
ショックで動かなくなった九井を見て、なんとなくまずい雰囲気になったことを察し、乾は九井を連れて一緒に遊びに行くと家を飛び出した。
半ば強引に手を引っ張って家から離れる。車一台が通れるほどの通りを曲がったところで一息吐くと、ふらふらと付いてきていた九井はその場に泣き崩れてしまった。
知っていたけど言わなかった、ならまだしも乾もそこまで詳しく赤音の恋愛事情は知らず驚きを隠せない。それに九井も本当に大人になるまで赤音のことが好きだったのかと思うと胸が痛い。何も出来ずに立ち竦んで時間が経つのを待つしかなかった。
見慣れた横顔からポロポロと涙が溢れだす。腕を引っ張り立ち上がらせて、人の少ない場所を探しに歩き出した。
行き先はない。ただ、見慣れた地元の街を意味もなくふらふら歩いてるだけ。知り合いに会うかもしれないのに九井は泣き止む気配はなく、ぼろぼろと涙を流し情けない顔をしている。
どこか誰もいない場所なんてないだろうか、そんなことを空を見ながら考えた。
「そういや昔あった公園ってまだあんのかな」
独り言のように呟いて、なんとなく馴染みのある公園に足を向ける。その公園は住宅街の中に挟まれるようにあり、桜の木が埋め尽くされている公園だった。春は桜の花で満たされるものの、誰も管理していないのか普段は公園内が暗く、昼間でもほとんど人がいない。なんなら夜にあの公園に行くとおばけが追っかけてくるという都市伝説まである。
十年以上前でも廃れていたんだから、もう立ち入り禁止になっていてもおかしくない。それでも泣き止まない九井を隠すにはもってこいだと思った。
黙ったまま歩いていると、ついて歩く九井も少しずつ落ち着いて、ようやく涙が止まったようだ。それでもまだ鼻水は垂れてくるし、顔はぐちゃぐちゃに腫れ上がってるし、他人に見せられるものではないが。
そうもしているうちに公園の入口が見え、その空間からさらさらと桃色の花びらが道路に舞い落ちている。あった。懐かしい光景に思わず前のめりになり、振り返って九井の濡れた手を掴んで引いた。
「わっ、イヌピー?」
ぐんぐん風を追い越して公園の立札で足を止める。"桜公園"と書かれた公園は相変わらずどんより暗く、ペンキの剥がれた遊具がぽつんと佇んでいた。
「あった……」
「はぁ?」
「あったぞココ!」
昔の記憶と今が一つに結びつき、何だか子供に戻ったみたいに胸が跳ね上がった。気付いたら九井の手を引いて中へと入り込んでいた。
無機質な鉄棒に錆びついた滑り台、砂が固まった砂場やギィギィ煩いブランコ。そんな遊具の周りをぐるりと木々が取り囲み桜の匂いが胸を満たした。
「懐かしいな、昔遊びに来たこと覚えてるか?」
「……この公園、変な噂あったしそんな遊びに来てねぇよ」
「でもあのブランコでココが落ちたの覚えてるぞ」
「おい、そんなの忘れろよ!」
「そんで滑り台逆走してさ」
「……」
「下から登るオレをココが突き落として……蟻地獄っつったっけ。オレが足滑らせて滑り台の横んとこから落っこちて、そしたらココが泣いてんだもん。おふくろもビックリしてたぜ」
「……だから、忘れろって」
思い出話に花を咲かせ、あの頃と同じくブランコに並んで座る。古くて座っただけで折れそうな音がするが、あの頃に戻ったみたいで楽しかった。
九井も同じくブランコに座り、桜の花びらで白くなった地面ばかり見詰めながら黙っている。
さっきまでの悲しい気持ちが少し楽になっただろうか。ギィギィと足でブランコを揺らす。
「つかさ、オマエは赤音に夢見すぎなんだよ」
「うるせぇ! だって赤音さん以上に可愛い人見たことねぇもん」
「オマエが美化させてるだけだって」
「はぁ……マジで結婚してくれると思ってたのにな……イケメンって言ってくれてたし……」
乾いていた目元にまた涙が溜まっていく。ああ、また泣くかな。こういう時って、思い切り泣けと助言するのと、泣くなと励ますのとどっちがいいんだろうか。恋愛相談なんてしたことないからよく分からない。でも九井が泣いたら一緒に遊べないし、それは嫌だと思った。
ブランコから立ち上がって泣きそうになった九井の前まで行きしゃがみ込む。見上げれば充血した目の九井と視線が合った。涙でキラキラ輝いている。その顔がなんだか不細工で、愛おしく思えて笑ってしまう。馬鹿だよな、そんな大昔の記憶をまだ大切にしてたなんて。
そっと頬に触れると濡れて冷たい涙の跡が指についた。
「恋で傷ついた心は新しい恋でしか治らないらしいぜ」
昔誰かが言ってた。ただ格好つけていただけかもしれない。でも九井を励ますにはいい答えなんじゃないかと思った。九井は一途だし、優しいし、頭もいいし、真面目だし。付き合いたいって思う女いっぱいいるに違いない。
次の恋は上手くいく。そんなおまじないを心の中で唱え、背筋を伸ばし顔を寄せる。そして触れた唇はちょっとだけ濡れていて、冷たかった。
「は、えっ……え?」
「泣き止んだ」
「え、今、は? イヌピー?」
「やれやれココは泣き虫だからな」
「ちょ、オマっ……」
「同じ顔した弟が励ましてやるよ」
九井が分かりやすく顔を赤くし狼狽えてブランコの持ち手を掴み直す。乾は心臓がバクバク煩いのを隠してそっぽを向いた。冗談のつもりだったのに、ビックリして隙が出来た九井はあどけなくて可愛かった。親友の初めて見た表情に冗談が冗談でいられなくなる。何やってんだ。考えても分からない。身体が勝手に動いていた。自分から仕掛けたはずなのに全く自然に振る舞えない。
すると九井がブランコから立ち上がりパーカーのフードを引っ張った。途端に後ろに倒れそうになって踏ん張るも、二歩、三歩後ずさってしまう。よろめきながら振り返ると血相を変えた九井がこっちを睨んでいた。
「オマエ! オレのファーストキス!」
「別にいいだろ、そんなん早く捨てろ!」
「赤音さんのために取ってたのに!」
「ちょ、女みてぇなこと言うなよ」
「うるせぇ! 一発殴らせろ!」
「おい、やめろって!」
思うがままに九井のパンチが飛んできて、それを出来る限り避けてやる。しかしその一発が上手く頬にぶつかって視界が揺れた。痛ぇ、声を出して頬を摩ると、気が済んだのか九井もでかいため息をついた。
「ファーストキスがイヌピーって……」
「……そんな落ち込むなって」
「本当、笑えねぇな」
九井はそう言いながらも朗らかに笑っていた。つられて乾も笑いが込み上げる。
「ビックリさせて元気出させる作戦成功だな」
「んだよソレ」
「頭いいだろ」
「はぁ……多分しばらく引きずるから、イヌピー酒でも付き合って」
「おう、今日から正式に解禁だもんな」
「マジ最悪な誕生日」
元気出せって、そう言って背中をバシッと叩いてやる。九井はまたギャーギャー煩かったが、元気が出たみたいでホッとした。
それより背中に触れた手のひらが熱く熱をもっている。ドキドキして、胸が柔らかくなって、優しい気持ちが溢れてくる。
あー、もしかして、これは。気づいたら終わりな気がしてそっと蓋をする。いや、気付いてしまったのだけれど、暴走しないように理性を働かせるのだ。乾はベンチに座り直しポケットに入れたガムを噛んだ。風が吹くたびにはらはらと舞う桜の花で鼻がむずむずする。本当にウザいほど綺麗に咲いてるな。
白い花の絨毯を踏み締め、九井もベンチに腰掛ける。背もたれに身体を預け僅かに覗く空を仰いだ。
「なぁ、久しぶりにバイクでどっか連れてってくれよ」
「新しい恋のランデブーだな」
「相変わらずそういうの好きな」
乾は否定せず、呆れて笑う九井と目配せをする。照れ隠しに昭和のヤンキーみたいなこと言ってみただけだけれど、まぁ、そういうことにしておこうっと。
おわり