『今夜、きみに会いたい』ペーパー「おばさん、なんて言ってた?」
裸のままベッドに寝っ転がって乾がそう問う。純粋に見つめる瞳に耐えられなくなった九井はそっと目を逸らした。
「あ〜……まぁ、うん……痩せてた」
「……そっか」
「やっぱ実家には帰れねぇな」
温かく迎え入れられるとは思っていなかったが、環境が随分変わっていたことに九井自身付いていけなかった。
考えてみれば当然だと思う。腹を痛めて産んだ息子が犯罪者になり、自分の都合で家に帰られても最早迷惑でしかない。
抱き締められて、ほんの少しだけでも情が残っていたのだと分かったが、結局その後は虚な瞳で目も合わなくて、自分がどんどん追い詰められていった。
実家に帰った方がいいと言ってくれた乾には申し訳ないが、しばらくは戻れないだろう。もし和解するなら、時間が必要だった。
電気の消えた天井をジッと眺めて悲しいとか虚しいとかごった返す気持ちを渦巻いていると、そっと指が手のひらに重なり、ゆっくり、しっかりと繋がれた。
「じゃあ、大学に受かったら一緒に挨拶しに行くか」
「え」
「おばさんビックリするぜ。自慢の息子だって喜んでくれる」
「あんま期待すんなって。もう、昔みたいにはいかねぇって分かってるよ」
諦めではない。自分がしてきた事実がそうさせてしまったのだ。乾がなぜそこまで親との関係にこだわるのかは分からないが、九井自身よりずっと気にかけていた。
「ココ。オレ実はドラケンと店始めた時、お袋んとこ行ったんだ」
乾は得意気にそう言う。
「最初は居留守使われた。何時間か粘ったけど全然出てきてくんなくて。結局違う日にドラケンと一緒に挨拶行ったんだ。そしたらオレには会わないけどドラケンとは仲良くなっててさ……そっからちょっとずつ、会う回数を増やしてるとこ」
繋がれた手のひらを握り直す。まるで大丈夫だと言われてるようで、思わずイヌピーの方を見てしまう。
「だから大丈夫だ。ココにはオレがいるし、オレにはココがいる。受験が落ち着いたら会いに行こうぜ」
優しくて、温かくて、なんだか泣きたくなった。窓から見える星たちが薄い膜で滲んで消えて、鼻の奥がツンと熱くなった。
誰かがこんなにも想っていてくれるなんて、勿体無いほどの幸福ではないだろうか。
「イヌピー……」
「ん?」
「なんで、そんなに……」
「オレたちマブだって言っただろ」
「……うん」
「ココのためなら、それくらいたいしたことねぇよ」
朗らかに笑う乾が大人の顔をする。いつだって救われていたのは九井の方だというのに、乾はためらいもなく尽くしてくれた。
今は、すぐに前を向くことは難しくても、この手を離さなければ強くなれる気がする。
そして自分の弱さも受け止めてくれるような気がした。
「それに、おばさんだって本当はココに会いたがってるかもしんねぇだろ」
どうしてそんな根拠のない自信があるのだろうか。勉強ならすぐに分かることが、自分のことになると全く分からない。足を踏み入れる恐怖というものが、欠落しているように見えた。
乾は引き攣った顔をした九井を見て笑ってみせる。それまでもお見通しだと言うように。
「オレがココに会いたかったみたいに、おばさんだってココに会いたかったのかもしれないだろ? でもムカつく気持ちもあるからこの前はあんな態度だったのかもしれないし、まだ全然分かんねぇじゃん」
「まぁ……」
「ダメだったら、その時は一緒に落ち込んで、また一緒に頑張ろう」
折れてしまっていた心に絆創膏を貼ってくれたみたいだった。
喧嘩して、傷だらけになって、痣が出来ても、いつか癒えるように心だって癒えていく。
例え完全に元に戻らなくても、隣で手を握ってくれるなら、もう少し、もう少しと動き出せるから。
「ああ……イヌピーがそう言うなら、頑張ってみようかな」
ほろりと涙が頬を伝う。それを隠すように抱き締められた。
隣に居てくれて、マブだと、好きだと言ってくれて、不確かなものに支えられて、今を生かされている。
世界から全てを奪われたって、今手の中にあるものから新しい大切なものが生まれるということを、星になったあなたにも伝えたいと心からそう思った。