トン、トン、トン
俺1人のはずの静かな家に、やけにゆっくりとした階段を上がる足音が聞こえてくる。
誰だろう。兄者が帰ってきたりしたのかな。
何となく部屋のドアを開けると壁に寄りかかってやっと立っている状態の兄者がいた。
「兄者、もしかして体調悪いの?移さないでよね〜」
つい、いつもの憎まれ口を叩いてしまう。だが、いつもならうざったらしい反応がすぐ返ってくるのに今日はやけに静かだ。逸らしていた顔を兄者に向けると真っ赤な、潤んだ瞳と目が合った。
「り、つ…?」
ガタンッ
「え、あに…じゃ…?」
「兄者っ!」
急に視界から兄者が消えて、倒れたのだと数秒遅れて理解する
真っ赤な顔、熱い体温、苦しそうな浅い呼吸。
パニックになってしまった凛月は兄がこのまま死んでしまうのではないかと怖くなり、目からこぼれた雫が頬を伝う。
「兄者っ!兄者!起きて!」
必死に叫んで揺らしても、目を覚まさない。
誰か、誰か助けてっ……、
近くに転がっていた自分のスマホを鷲掴み、履歴の1番上にあった真緒の番号をタップする
1コール、2コール、3コール。
『もしもし〜?凛月?』
「まーくん、助けて」
『…どうした?』
「あにじゃが、おにぃちゃんが、死んじゃ、う、やだ、ひとりにしないで、たすけて、まぁく、」
『凛月、落ち着け。今どこにいる?』
「お、うち…っ」
『わかった。すぐ行くから待ってろ』
再び静まりかえる廊下。
暫く放心していたのか兄の苦しそうな咳が聞こえてハッとする。
どうしよう、どうしたらいい?驚く程に熱い体を冷やしてあげた方がいいのか、はたまた冷やさないようにしてあげた方がいいのか。回らない頭で必死に考えるも答えは出ない。本当はベッドへ寝かせてやりたいが、力はそこそこ強い方ではある自分でも意識の無い兄をベッドまで運ぶのは到底無理な話だ。
「…どうすればいい?」
力のない情けない声が静かな空間へ消えた。
とりあえず、自室から取ってきたブランケットを優しくかける。
自分が体調を崩して、移さないようにと実家に帰ってきた時は何故かいつも兄がいて看病をしてくれる。だが、兄が体調を崩して倒れたのに、どうしたらいいか分からない何も出来ない自分が嫌になってまた涙が零れる。
「しなないで……」
涙で震えた、縋るような小さな声が、情けなくて苦笑した。
♦♦♦
「凛月!」
「まぁ、く…?」
うるさいくらいのサイレンの音と共に真緒が駆け込んでくる。
「救急車来てくれたから、もう大丈夫だぞ」
ふわりと暖かさに包まれたと思うとすぐ、離れていってしまった。
ここにいては邪魔だろうと自分の部屋に隠れる。
どうせ今の自分は役立たずだから。
ドアの隙間から覗くと兄は担架で運ばれていき、緊迫した大きな声が飛び交う。
助けに来てくれたはずなのに悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡って、また涙が零れる。
早く、早くお兄ちゃんを助けてよ、
怖くて怖くて涙が止まらない。息が苦しいことに気づいて必死に呼吸をしようとするが上手く息が吸えずにぼたぼたと涙ばかりがが落ちていく。
「はぁっ、は、はっ、ひゅ、」
息って、どうやってするんだっけ
「凛月っ!」
「大丈夫、大丈夫だから。俺に合わせて息吸って」
暖かい、大きな手が背中を撫でてくれる。
ゆっくり、大きく、吸って、吐いて。
ようやく落ち着いた頃には、すっかり疲れてしまって真緒に寄りかかる。
「ありがとう、ま〜くん」
「どういたしまして。お前から電話来たとき、ほんと焦ったんだからな〜?」
「兄者に付き添わずに俺のところに来てくれたのは愛だよねぇ」
「あんな状態の凛月放っておけないだろ。ほら、顔すごいことになってるから洗ってこいよ」
「むぅ。はぁい」
「もう少ししたら病院行くぞ〜」
鏡に映った顔は、涙でぐちゃぐちゃで眼の白い部分まで赤くなってしまっていたけど、擦っていないおかげか腫れてはいなかった。
「泣いたってバレるかなぁ…」
♦♦♦
独特な匂いの白い空間。《朔間》と書かれたプレート横の引き戸を恐る恐るノックする。
「はい」
ドアを開けるとベッドから少し体を起こして座っている兄者と目が合う。
あぁ良かった、ちゃんと生きてる。
「お兄ちゃん!」
思わず飛び込んだ腕の中はいつもより少し熱くて、微かに聞こえる鼓動に安心してまた、涙が溢れてくる。
「心配かけちまったな、ごめんな。」
「怖かった、死んじゃうかと思った」
「大丈夫、ちゃんと生きてる。明日帰れるから。」
「ん、」
ぐすぐす泣く俺を点滴の繋がっていない方の腕で器用に抱きしめ、頭を撫でてくれる。
「衣更くん、ありがとう」
「いえ、無事で良かったです」
振り返って見たま〜くんの顔は、とても、優しかった。