優しい夜今日も遅くなってしまったな……。
近侍の仕事を終え、歌仙は自室へ向かい廊下を歩いていた。
時間は夜九時。
近侍としての仕事が溜まってしまっていたので、夕食を取りそびれてしまった。
今から台所へ行ったら何か、みそ汁くらいは残っているだろうか……。
そんなことを考えながら、自室のふすまを開けるとそこには思いもよらない光景が広がっていた。
「あ……おかえりなさい……。」
「……お小夜……。」
こざっぱりとした品のいい室内、小さな飾り棚には先日入手したばかりのお気に入りの花活けが飾られている。
間違いなく歌仙の居室だ。
その中央に置かれた小さな座卓には、小さな手で握られたのだろう。小ぶりなおにぎりが三つと、鮮やかな黄色が美しい沢庵。そして湯気を立てるみそ汁椀が置かれていた。
そしてそのそばにちょこんと座るのは、小夜左文字。
「これは、お小夜が用意してくれたのかい……?」
「そろそろ戻ってくるかな、と思って……。」
小夜がこくりと頷くと、歌仙の顔はパッと明るくなった。
ふわりと、まるで花のような微笑みを浮かべ、優雅に礼を述べる。
「ありがとう、ちょうど台所に何か残っていないか、探しに行こうと思っていたところなんだ。残飯を漁るなんて雅ではないけれど、空腹を抱えて眠るよりはいいからね。」
小夜は歌仙が喜んでくれたことが嬉しいのか、少し顔を赤らめ、小さな声でぼそぼそとしゃべる。
「夕食時にいなかったし……それに、今日の歌仙はなんか、顔色が良くないです。」
顔色……?
言われて歌仙は、ふいっと壁にかけてある小さな鏡に目をやる。
室内ではその色合いまでよくわからないが、なるほどたしかに目の下のクマは濃く、疲れがにじんでいるかもしれない。
「そうか、お小夜は心配してくれたんだね。うれしいな。早速頂くよ。」
歌仙がおにぎりを頬張ると、それは少し硬く具は入っておらず、塩気の強い味がしたが、それでも歌仙にとっては何物にも代えがたい優しい味であった。
小夜は勝手知ったる様子で、茶箪笥から急須を取り出すと、慣れた手つきで茶を2人分入れる。
「お小夜、お茶いれるの上手になったね。」
「……歌仙が教えてくれたから。」
歌仙がにっこり微笑むと、小夜は少しだけ恥ずかしそうに下をむいた。
「あ、歌仙。食事が終わったら、一緒にお風呂に入りましょう。」
「え?風呂……?」
歌仙が、おにぎりを飲み込み損ね、目を白黒させるが小夜はそのまま言葉を続ける。
「最近、歌仙はシャワーだけで済ませているでしょう。それでは疲れが取れないと誰かが言っているのを聞きました。」
小さな声だが、確固たる意志を感じさせる言葉だった。
歌仙は言葉が続かない。
確かにその通りだ。ここ数日、忙しくこうして食事を取り損ねたり、風呂に入らずシャワーで済ますことも多かった。
「お小夜にはかなわないねぇ。」
歌仙は、目じりを緩ませると急いでおにぎりを飲み込んで、風呂の準備をするのだった。
◇◇◇
「え?今日はココで寝るのかい……?」
「いけませんか……?」
風呂に入り、小夜はへたくそなりにドライヤーで歌仙の髪を乾かしてやり、いざ寝支度を整えたところで、小夜が驚くべき発言をした。
歌仙の部屋に泊まっていくという。
「そんな……兄上たちが心配するのではないかい?」
「大丈夫です。ちゃんと兄さまたちには伝えてあります。」
言いながら、小夜が敷いている布団はどう見ても一つだけ。
歌仙は、小夜の気持ちを考えて、顔が熱くなるのを感じる。
小夜と歌仙が恋仲とは言えないまでも懇意にしているというのは、この本丸の誰もが知るところだ。
歌仙だって、その気持ちに嘘はないし、正直に言えばいつかはその先に進みたいと思っている。
(でも……そんな…急に……。)
「歌仙……?」
そんな歌仙の顔色に気づいたのか、小夜が小さく首を傾げた。
「僕はお小夜のことは好きだよ……。でも急に……同衾だなんて……。」
真っ赤になってしまった歌仙に、小夜はきょとんとしている。
「歌仙……何もしません……。一緒に眠るだけです。僕は体温が高いみたいで、僕と一緒に寝るとよく眠れる、と兄さまたちが言いますから。」
言いながら、小夜は歌仙の手を引いて布団へと導く。
おずおずと歌仙が横になると小夜はすっぽりとその腕の中に納まるようにして体を丸めた。
気恥ずかしさに、緊張感も漂ったが、風呂で解れた体にお互いの体温は心地よく、すぐにリラックスした空気に代わっていく。
「……本当だ。お小夜は暖かいね。」
歌仙の言葉に、小夜は少しだけ微笑んだようだった。
「僕も、歌仙が大好きです。兄さまたちと同じくらい……。だから……一緒に寝たって、かまわないでしょう。」
小夜の珍しく少し拗ねたような声。
歌仙は、胸の中の暖かい少年の体をぎゅっと抱きしめた。
「そうだね。お小夜。僕もお小夜が大好きだよ。」
すると、小夜はふいっと顔を上げて、その唇を歌仙のそれに小さく重ね合わせた。
「な!……何もしないって!!」
「挨拶です。おやすみの……。」
真っ赤になる歌仙の胸に小夜はまた顔を埋めた。その温度はさっきより少し高くなったように感じられた。
◇◇◇
「歌仙くんが寝坊なんて、珍しいねぇ。おーい、起きているかい?」
翌朝、歌仙の部屋を訪ねてきたのは燭台切。
ノックして小さく襖を開けると、その先に見えたのは小夜だった。
「おや、小夜ちゃん。」
小夜は、夜着姿のまま、布団に腰かけると口元に人差し指を当てて、小さく「しぃっ」と、燭台切に示す。
「おっと。ごめんね。」
歌仙は、まるで子供のような寝顔で眠っている。
きっとすごく疲れていたのだろう。
小夜が、燭台切に目で合図すると、燭台切もこくりと頷き、すっと障子をしめた。
「最近近侍の仕事も忙しかったものね。今日は歌仙くんはお休み……っと。」
食堂脇の小さなボード、非番のマークのの下に歌仙の名前が書き加えられる。
そして、静かな部屋に残された小夜は。
よく眠る歌仙を優しいまなざしで見つめ、ふいにその頬に挨拶ではない意味のキスをしたのだった。