それが俺の気持ち。 ぱたむと栞の挟んだページを閉じると、僕は一息つく為にキリトが淹れてくれたクリームの沢山入った冷たい珈琲を一口飲んだ。
時計の針が二周していることを考えると随分と没頭して読書に耽っていたらしい。同じ姿勢でいる事に少しばかり肩が凝ったような気がしてぐっと伸びをする。僕にもたれ掛かっているキリトの心地良い重みと何でもないような時間が堪らなく幸せに感じてフッと微笑んだ。
僕がRWに来てからずっと忙しなかったせいだろうか。こうしているとなんだかキリトと二人で過ごした安息日の事を思い出す。僕が淹れたコヒル茶と、キリトが買ってきた蜂蜜パイと、大切な先輩や後輩に囲まれた穏やかな日常。
「読み終わったのか?」
ハードカバーの本を手にしたまま思い出に耽っていた僕は聴き心地のいい声に我に返る。
寄りかかっていたと思っていたキリトはいつの間にか身体を起こして僕をじっと見つめていた。
「少し休憩しようかなと思ったんだけど、なにか聞きたいことでもあるの?」
「いや、特に理由はないんだ」
「……そうかい?」
蜂蜜パイの代わりに蜂蜜の染み込んだバターサンドを口に放り込んだキリトは口端についた食べかすを親指で拭ってぺろりと舐めとると、再び僕に寄りかかる。その見せ付けるような艶めいた仕草から視線を外せば、再び掛かる体重と触れ合うキリトとの距離の近さに少しばかり緊張しながら、再び本を読むべく視線を動かした拍子に視界の端に捉えたくまの人形がいつもと違う事に気付いて首を傾げた。
「あれ、キリト。あのくまさんの体勢変えた?」
青みの強い水色と、黒寄りの濃い色をしたくまの人形は僕らが遊びに出かけた時に僕らの家の子にとお迎えしたくまさんだ。
「あいつ、お前に似てないか?ほら、のほほんとした感じとか」ってからかうように笑うキリトにそっくりの悪戯っ子そうなくまさんがキリトの言う僕にそっくりなくまさんと寄り添う姿がなんだか可愛くて。「そうかな。隣にいる何か企んでいそうなくまさんは君に似ているけれど」なんて返せば、少し難しそうな顔でキリト似のくまさんをじっと見つめてから「これがか?」と何だか不服そうに眉を寄せていたけど、結局どちらともなく購入する運びとなったこの子達は今では僕たちのお気に入りだ。世間には随分と手先の器用な人がいるもので、僕らがUWで来ていた衣装と似たものをオーダーメイドで作ってもらって着せ替えてからというもの以前に増してこのふわふわのくまさんに愛着が湧いてしまった。――キリトがいなくて寂しい時にこっそり抱き締めさせてもらったりしているのは、恥ずかしいからキリト本人には秘密だけど。
そんなくまのぬいぐるみの立ち位置がいつもと少し違う。いつもは横並びにちょこんと座っているそれが、今は向かい合って抱き締めるように座っているのがまるで僕とキリトがそうしているようにも見えて少しばかり照れ臭い。
「なぁユージオくん。確かに今は俺たちにそっくりなくまが抱き合ってるように見えるな」
「うん?確かにそう見えるね」
「そうだろ。だったらさ、それにそっくりな俺たちも、見習って〝仲良く〟すべきだと思う訳でして」
「え?」
咄嗟にキリトの言葉を咀嚼できなくて聞き返せば、少し言葉を詰まらせたキリトがずいっと僕に寄る。
「――だから」
じれったそうな声。
キリトの口調はいつもと変わらないのに、その表情は僕の想像していたものと全然違う。僕の手を掴み、俯くように目を背けるキリトの顔は耳まで真っ赤に染まっている。
「キリト?」
一体どうしたのだろうか。
僕らとそっくりなくまさんが抱き合っていて、それで僕たちもって――?言葉を促そうとしてから、彼の言う〝仲良く〟の意味をようやく理解した僕はハッと息を呑んだ。
「――もしかして、誘ってる?」
そうだとしたら、あまりにも。
イエスノー枕という存在をキリトに聞いたことがあるけど。僕らに似たくまさんに気持ちを代弁してもらったキリトはそのくまの人形を動かす時どういう気持ちだったのだろう。抱き締めてキスをして、その先の事までしてほしいと期待しながらくまを抱き合わせていたのだとしたらあまりにも僕の恋人はいじらしくて可愛すぎる。
僕の言葉にキリトは答えないけど、彼の目が表情がなによりもそれを物語っていて、そのまま口元がにやけていくのを隠すように手で覆うも、僕のにこにこと緩んだ顔までは隠しきれなかったらしい。
「ねえ、キリト」
「なんだよ」
すっかり機嫌を損ねてしまった彼の頬に手を伸ばして、そのままするりと輪郭に沿って頬をなぞれば、小さく身体を跳ねさせる。そんなキリトの姿に笑みを深めて僕は瞳を細めた。
「確かに僕らもくまさんみたいに〝仲良く〟しないとね」
優しく抱き締めてキリトの鼓動を皮膚感覚越しに感じながらふわりと笑う。
マシンボディを得たばかりの時はうまく感じられなかった熱や匂いが今じゃ味覚や臭覚を感じられるようになって、彼にとって本物のキリトの身体を抱き締める瞬間はなんだか切なくも幸せで、僕はぎゅと力を込めると僕の背中を軽く叩いたキリトが「力強すぎ」なんて揶揄いながらも、僕に口付けた。
味わうようにゆっくりと離れたキリトがやがてその細身な身体のどこに隠されていたのだろうって力を込めて僕を押し倒すと、そのまま僕を煽るように口角を上げた。
「……ユージオくんはこうして〝仲良く〟するだけで満足なのか?」
まだ備わっていないはずの感覚のはずなのに、ぞくりと全身を粟立てるような興奮に似た感覚が僕を襲って浅く息を吐く。僕を押し倒したまま不敵に笑うその姿に機械仕掛けの心臓がドクンと強く跳ね上がった気がした。
「俺はこれじゃ足りないんですが、そう思ってるのは俺だけですかね」
僕の唇を優しくなぞるキリトの指先の動きを感じながら、僕は甘く息を吐いた。
語尾が小さくなっていくキリトの恥ずかしい時に出る敬語口調に思わず笑みが浮かんでしまう。
僕を煽る時はあんなに生き生きしているのに。恥ずかしがり屋なキリトの精一杯のおねだりだと思うと愛しくて仕方ない。
「まさか。僕はもっと〝仲良く〟したいと思ってるよ」
こんなにも可愛いことをされて、ここがRWじゃなければとっくに我慢なんてできなかった。いや、今だって我慢なんてできなくて。キリトの腕をぐいと引くとバランスを崩して僕に倒れ込んで来た彼ごとぐるりと回って逆に押し倒す。何だか昔くすぐり合いっこをした時みたいだ、なんて不思議な記憶を思い出してキリトの首筋に優しく吸い付いた。
「………ッ」
UWにいた頃よりずっと白い肌に咲かせた華を優しく指でなぞりながら僕はにこりと笑う。
漏れ出た声を気恥ずかしそう隠そうと腕で覆うキリトのその姿が僕を煽るっていうのはどうやらまだ自覚していないらしい。
「でも珍しいね、君から誘ってくれるなんて」
「俺だって、お前とそういう事――ごほん。たまにはいいだろ、こういうのも」
「そうだね、すごく興奮する」
そのまま合わせた唇を名残惜しそうにゆっくり離したキリトが「まぁ」と続けた。
「こっちじゃ触り合うくらいが精々だけど」
「分かっているならそうやって煽るのはUWかALOに居る時にしてほしいけどね。これじゃあただの生殺しだよ」
生殖器に似たものが付いているとはいえ、流石にキリトに挿れる訳にもいかない。一方的に気持ちよくさせられるのが好きじゃないキリトに無理強いする訳にもいかないし「お前が気持ちよくなれるなら挿れてもいいんだけどな」なんて口にするキリトは僕がどれだけキリトを大事にしたいのか分かっていないから困る。
「そうか?俺は今のお前とのキスも好きだよ」
「そりゃあ僕だって君と口付けするのは好きだけど――まあ、そんな事を言われたら期待には答えないとね」
堂々巡りになりそうなお互いの台詞に僕は今はキリトを堪能しようと覆い被さっていた身を屈める。
僕の首に腕を回したキリトはそんな僕を見て一層嬉しそうに瞳を緩めた。
「はは、ユージオ だって満更じゃないくせに」
「それは君のほうだろ」
僕の身体をなぞって嬉しそうに笑うキリトが口付けて、僕からも口付けて。
何度も交わすそれに僕らはお互い笑い合った。