First Kiss 一番槍の褒美は何がいいか。そう問われて、ビョルンが包み隠さずほんとうの望みを言うと、彼は大きく目を見開き、しばらく無言のままでいた。
「……それだけ?」
「それだけ」
ふゥん、と鼻を鳴らし、途方に暮れた様子であさっての方角に視線を流して、ぼりぼりと頭を掻く。ただそれだけの、なにげない動作だというのに、甘くすずやかな香りがほのかに立った。彼がいつもつけている、月桂樹の香油の香り。それを聞き出すだけで、三ヶ月もかかった。
「ビョルンお前ね、ちと無欲すぎんか? 一番槍に加えて、大将の首級あげたのもお前だぜ。ふつうはもっと褒美をほしがるもんだ。銀とか剣とかよ」
「銀はじゅうぶん貰ってる。剣は消耗品だ。よく手入れしてあれば、どんな鍛冶屋が打ったものでも、そう変わりねェ」
「そりゃア、お前の腕がいいからだよ。もっとこう、拵えを立派にするとか、鎖帷子とか」
「拵えは、俺は別にどうでも。鎖も要らねェ。あんなもん着てたら、動きが鈍る」
「やれやれ、筋金入りの無骨者だね、お前ときたら」
彼はまたしばらく黙り、考えるそぶりを見せる。それが単なるふりだということは、すでにビョルンにも察しがついている。そして、
「……女は?」
「馬鹿にすんな、アシェラッド」
「ワリイワリイ、ちとふざけすぎたな」
両手を挙げて、にっと笑う。長い睫の奥で、色のあわい瞳がいたずらっぽく光っていた。夜明けの空、夏の浅瀬、わすれなぐさ、アクアマリン。似ているものを思いつく限りありったけ並べても、この色にまさるものはない。
「しかしね、ほんとうにそれだけでいいのか? ほかの野郎どもに示しがつかねェ」
「あいつらには、適当に俺が言っておくさ。あんたからは、応分の褒美を貰ったと」
「見せてみろと言われたら?」
「銀でも見せておくよ。別に日付が書いてあるわけじゃなし、あいつらに判るもんか」
ふっと笑みを浮かべたのは、自分と同じことを考えていると思ったためだろう。しかし実際、ビョルンもノルド戦士の単純さに、少々呆れている。あとさきを考えたり、ものごとの裏を読んだりすることができるのは、ほんのひと握りの人間だけらしい。アシェラッドの許で働くようになって、それをはじめて知ったし、上には上がいることも思い知った。
だからこそ。
「俺がほしいのは、あんたからの褒めことばだけだ」
ふゥん、とアシェラッドはまた鼻を鳴らした。竦めた肩のあたりに、呆れが滲んでいる。
これまであまたの戦場を経験し、多くの指揮官を見てきた。ぼんくらもいれば、傑物もいた。みずから率先して先頭に立ち、兵を鼓舞する叩き上げに、力で押しまくる豪傑。しかし、その誰よりもすぐれた指揮官は、アシェラッドだった。これほどの智略と剣の腕をそなえた者は、そうはいない。
――そのうえ、あんたは美しい。誰よりも。
はじめて彼に挑み、泥の中に沈められたときのことを、今でも頻繁に思い出す。つめたく冴えたまなざしに射すくめられ、畏怖をおぼえたあの瞬間。美しく怖ろしい彼に、このいのちを捧げようと誓った。
けれども感情のそよぎすら見えないとばかり思っていた彼のまなざしに、あるとき親しげな光が揺れて、はじめてほほえみかけられた。心まで奪われてしまったのは、きっとあのときだ。ほほえみとともにこぼれた月桂樹の香りに酔いしれて、もっとあの笑顔がほしいと思った。甘い吐息も、やわらかそうな白金の髪も、なめらかな白い肌も、あのひとのすべてを、この掌の中におさめることができれば。けれどもそれは、叶う見込みもない望みだ。
――だからせめて、あんたに褒めてもらえれば。
「……ったく、しょうがねェなあ、もう」
驚くほど近くで彼の声がして、ビョルンははっと目を上げた。
そのときはもう、遅かった。しがみつかれ抱きつかれ、思わずよろける。慌てて足を踏ん張ったとき、やわらかな感触がくちびるに触れた。くちづけされたのだと気づいた途端、胸がにわかに高鳴り、頭の中が真っ白になってしまった。
気がつくとすぐ目の前で、アシェラッドが人の悪い笑みを浮かべている。口を開きかけると、また彼のうすあおの瞳が、すぐ近くに迫っていた。狼狽するビョルンの耳にくちびるを寄せると、月桂樹の濃密な香りとともに、ひそひそと囁く。
「よくやった、ビョルン。お前ほど頼りになるヤツはいねェよ」
「……なんで……」
「なんでって、お前が望んでいたことだろう?」
しまった、と思った。頭を抱えたい気分だった。そういえば、この男にはなんでもお見通しなのだ。しかし、思い詰めていた心は軽くなった。ならばもう、彼に恋していることを隠さず振る舞ってしまえばいい。
そんなビョルンの胸の裡も、すべてわかっているのだろう。アシェラッドはいつもの軽い調子で続けた。
「ついでといっちゃなんだが、お前、副官にならねェか。この兵団も大所帯になってきたしよ、オレひとりでできることは限られる。そろそろまとめ役になるヤツを、選ばなくちゃならねェと思ってたんだ」
「……それが、褒美?」
「いや、このところずっと考えていたことだけどな。でもまァ、そういうことにしてくれても、構わねェよ。野郎どもも納得するだろうし」
返事など判りきっているとばかりに、彼はビョルンの肩をぽんと叩いて、きびすを返す。小便してくらァ、と歩いてゆく彼を見送りながら、ビョルンはまだ、夢見心地だ。
――副官か。……いいさ、受けてやろうじゃねェか、アシェラッド。
自分の美貌すら、砦を落とすための策に使ってきた男だ。きっとこれも、彼の術中なのだろう。それでもいいと思った。彼こそ自分の命を懸けるにふさわしい男だと、すでにビョルンは知っている。
けれども、たとえ策に過ぎなくとも、いっそう彼に惹かれてやまない。気まぐれに与えられる接吻をただ待つだけでもいい。誰よりも近くで、彼を見つめていたい。
――この身も心も、……あんたひとりのものだ。
知ってしまったくちびるの甘さと、あの瞬間の胸の高鳴りが、ふとよみがえる。それを永久にとどめておけるように、ビョルンは胸元を押さえ、強く握りしめた。
了