白い子と黒い子妻と22歳の時に創業した喫茶店「ラ・ポーズ La Pause」フランス語で"憩いの場"という意味らしい。妻が好きだったフランス映画のワンシーンから拝借したその店名を私は結構気に入っている。
その店も今年で創業43年、当時最先端だった深い赤のベルベットソファも今ではすっかり"レトロ"の仲間入りだ。店主と同じようにガタもくるが、丁寧に磨いてきた刳物の調度品はいっそういい味が出てきた。人間も磨けば光る、古希のお祝いにと孫がくれた深い紫のタイを撫でながら自分もまだまだ、と意気込んだ。
平日の昼間は見知った顔ばかりのこの店に、つい最近、随分と若い常連さんが加わった。数駅先にある大学の学生さんだろうか。若い子に好んでもらえそうなメニューなんてまるで無い古い店だから、まさか常連さんになってくれるとは思わなかった。
最初こそ、店の雰囲気を壊されやしないか心配したものだが、その二人は私の心配を他所に静かにこの空間を楽しんでくれていた。爺さんの考えなんぞ当てにならない、色眼鏡で見ていたのは自分の方だったと気付かされた。
新しい常連さんは二人とも目を引く美丈夫で、白い髪の子は所謂ハーフなのか綺麗な瞳の色をしていた。黒い髪の子もすっきりとした目元が印象的だ。確かに二人ともあの見目ではどこに行っても人が寄ってくるのかもしれない。そんな若い二人にとってこの"レトロ"な喫茶店は丁度いい隠れ家になったようだった。
暑い夏のある日。常連の工藤さんと孫の話をしていると、カランとドアベルが鳴り、若い常連さん達が入ってきた。
いらっしゃい、と声をかけると、黒い子の方がこちらをちらりと見てから定位置の奥の席を見た。私は頷いてすぐさまお冷やの準備をした。汗だくの二人に冷たいおしぼりもセットで持っていく。
テーブルに近づくと、黒い子の方が不思議そうに私を見た。
「あれ、いつも居る女性の方はいらっしゃらないんですか?」
「あぁ、妻は今身体を壊して入院してるんですよ。なので、すみませんがオムそばも今やってないんです。あれは、彼女しか作れないもので」
「奥様だったんですね、それは、どうぞお大事にとお伝え下さい」
よく気のつく子だ、普段はカウンターから出ない私が来たから不思議そうな顔をしたのか。彼らはいつもホットコーヒーとメロンソーダをよく頼んだ。昼食を兼ねて店に来る日はそれに加えて大抵オムそばとホットサンド、食後にはコーヒーゼリーとホットケーキが定番だった。生憎、オムそばは妻の十八番で私には作れない。改めてメニューを見た彼は、いつもの通りホットコーヒーとメロンソーダ、それにホットサンドとたまごサンドを注文した。私はカウンターに戻り、すぐさま準備に入る。
長年愛用しているサイフォンは珈琲を待つ間もお客さんに楽しんでもらいたいとの思いから取り入れた物だ。コポコポと湯が沸き、珈琲が落ちてくる様は見ていると何処か心が落ち着いてくる。
コーヒーの落ちる時間に合わせてメロンソーダも準備しトレンチに乗せる。鮮やかな緑のシュワシュワと弾ける泡に真っ赤なチェリーがなんとも夏らしい。
席に持って行くと、白い子の方がケラケラと笑っていた。どうやら黒い子がおしぼりで汗を拭ったことを指摘しているようだ。黒い子が、ここのお店はミントの香りがして気分がいいからだ、とか、今日の気温が高すぎるからだ、と言い訳をする度に白い子がうんうんと頷きながら楽しそうに聞いていた。
私が席にジュースを置くと、待ってましたと言わんばかりに白い子が飛びつく。これだけ暑ければ確かに美味しいだろう。お腹を空かせた彼らを待たせないように、急いでカウンターに戻り食事の準備に取りかかった。
コンビーフを缶から取り出し茹でてあるアスパラと一緒に炒め、コンビーフの油が溶け出し全体に回ったところで少し胡椒を振る。その間にふんわりと耳まで柔らかい食パンに薄らと辛子マヨネーズとバターを塗る。ホットサンドメーカーに乗せ、そこに炒めた具とチーズを挟み込む。ぐっと力をかけて口を閉じ火にかける。
その間にもう一つのたまごサンドの準備だ。たまごサラダは妻直伝の配合で作ったもの。味が少し心配だったが丸山さんが上手いと言っていたし大丈夫だと思う。ホットサンドよりも少し厚めにカットした食パンにたまごサラダをたっぷりと乗せる。ここでケチケチしないのが大事だ、と教わったので言う通りに盛っている。あ、と思い立ち、ポテトサラダ用のハムを2枚冷蔵庫から取り出した。いつものオムそばが出せないお詫びにちょっとしたオマケをつけた。歳を取るとどうも若い人に何かしてあげたくなるらしい、近所のおばちゃんが飴玉を良くくれた気持ちが今は良く分かる。
そうこうしているうちに、ホットサンドメーカーからピチピチとチーズの焼ける匂いがしてきた。軽くひっくり返して1.2分加熱すれば出来上がり。コンロから外してまな板の上にホットサンドを取り出した。うん、丁度いい焦げ目だ、台形にカットしてお皿に盛り付ける。たまごサンドも同様にカットしたらお皿に盛り付けてそれぞれプチトマトとキャベツを添えて完成。この出来栄えならきっと妻のお許しも出るだろう。
料理を持って彼らの席に向かう。ホットサンドは白い子に、たまごサンドは黒い子に。テーブルのお冷やが減っているのに気づき、その足で水差しを取りに戻る。カウンターから水差しを手に席に行くと、サンドイッチを一つずつ交換して食べてくれていた。どちらもうちの自慢の品だから喜んでもらえていたら良いけれど。
暫くして、二人が席を立ってカウンターに向かってきた。私はレジの前に立ち会計の準備をする。黒い子が集めてくれていたお金をトレーに出す。お釣りとレシートを手渡そうと準備していると、珍しく声をかけられた。
「たまごサンド、美味しかったです。ご馳走様でした」
「お口にあったようなら良かったです。妻も来週には退院する予定なので、また良かったら食べに来てください」
「はい、是非。今度はハムたまごサンドと迷ってしまうかもしれませんが」
にこっと人好きのしそうな笑顔で笑うと、お釣りを受け取りドアに向かっていった。ありがとうございました、と声をかけると先を歩いていた白い子も、ご馳走様でした、と声をかけてくれた。
二人とも若いのに礼儀正しいな、というのも年寄りの色眼鏡かもしれない。
今度妻が戻ってきたら、ハムたまごサンドをメニューに入れるか相談してみようか。
end.