カブユウユウリがガラルを去ったのは、15歳の春だった。
10年以上玉座を守ってきたチャンピオンダンデを打ち負かし、新しい時代を告げた彼女は順風満帆な生活を送っていたはずなのに、突然海外に行くと言い出した。
チャンピオンをマサルに譲り、彼女は行き先も理由も告げず、飛び出した。
すでに、5年。
彼女を惜しむ声は消えた。世界を変えた少女の名前も聞くことは少なくなった。
それでも、ときおり、バトルをするものには、あの時を忘れるほどに熱狂した瞬間の感覚は忘れられないものだった。
カブもその一人だった。最初に戦ったときから、彼女のセンス、才能に圧倒されていた。
スペシャルマッチインエンジンスタジアム
エンジンシティ主催の特に制限をしないバトルだ。リーグ公式なものではないが、新人からベテランまで参加可能で、地元の面々の参加が多い歴史あるバトルだ。
今回も、ジムリーダーのカブが優勝すると誰も想像していたが、予想外の人物により番狂わせが行われた。
黒いベンチコートを着て、顔をフードを隠した『Y』と名乗る人物。
エンジンジムの現役トレーナーを手持ちの1匹でなぎ倒し、アマチュアトレーナーを無傷で倒していった。圧倒的な実力でのし上がる姿に、観客が沸き上がる。
それを見て、カブは心が燃え上がるのを感じた。
マルヤクデが重い音を立てて倒れる。
・・・あと一回、攻撃機会があれば、削り取れた。自分の采配のミスにぐっと奥歯をかみしめて相手を見る。対戦者として立っていたのは、黒いベンチコートを身にまとい、深くかぶったフードで顔は見えないが、おそらく女性だろう。ベンチコートのサイズがあっていないみたいで、肩の位置もずれ、手も指先しかでていない。
「勝者 Y!!」
ナレーションの声がマイクに乗って会場中に響いた。
歓声が巻き上がり、激闘をした二人をたたえる。
カブはその声援に応えるように手を振る。相手『Y』と名乗る女性は、カブを見つめるばかりだ。その様子に、少し考える。
横を向き、控えていたノブヒロに合図を送れば、すぐにマイクを持ってこちらに走ってきた。
スピーチはこの後場を整えて表彰式にする予定だったが、多少の変更は許されるだろう、ここはエンジンシティだ。
「今日は素晴らしいバトルだった。君から多くのことを学ぶことができた。君の才能に、ぼくの経験が及ばなかったのが悔しかったが、ぼくも新しいプレイスタイルを見いだすことができそうだ。そして、いくつか君に言いたいことがある」
そう言って、呼吸を置く。
「君が着ているのは、ぼくのベンチコートじゃないかな」
少しおどけて言えば、会場から笑いがこぼれる。少し和んだ空気のまま、続ける。
「これはぼくよりも言うべき人がいるのかもしれない、でも、ぼくは今言いたいから言わせてくれ」
会場が静寂に包まれる。観客も待ちわびていたのだ、心躍るのを隠しきれずに、思いを乗せる。
「おかえりなさい、ユウリ」
ワアァァァァ!!!
拍手と喝采が会場をとどろかせた。
その喝采の中、彼女はゆっくりと深くかぶっていたフードを外す。
ゴクリと喉が鳴った。
一目で綺麗だと思った。愛らしい顔のパーツはそのままに、大人びたことで艶やかな美しさが目を引く。
ルイが持ってきたマイクを受け取ると、彼女は静かにしゃべり始めた。
「私が貴方と初めて戦ったとき、精一杯の応援を受けました。チャンピオンになったときも貴方は大人として未熟な子供の私を守ってくれた。5年前にこのガラルを飛び出して、私なりに世界を知ってきたつもりです。・・・そして、昨日二十歳の誕生日を迎えました。今なら大人として肩を並べて歩くことができる、そう思います」
「貴方が好きです」
「・・・え?」
持っていたマイクがこぼれた声を拾ってしまった。
彼女に投げ捨てられたマイクが、ゴッと音を鳴らす。音響設備って意外に値が張るんだよ、なんて思考は余計なことを考えているうちに、胸元に衝撃が走る。
キャアと女性の黄色い声が上がる。
「帰りました、カブさん」
彼女のつぶやきは歓声にかき消されたが、ぼくにはちゃんと届いていた。ぎゅっと体を抱きしめてくる彼女のぬくもりがじんわりと伝わるが、何が起きているのか理解できないぼくには、どう事態を収集すればいいのか皆目見当がつかなかった。
混乱する頭の中、周りを見渡せば、スクリーンに映し出される、抱き合う男女。パシャパシャとストロボとシャッター音が響く。あぁそういえば、これ全国放送だったなと、絶望が重なる。
救いを求めるように、スタッフ席を見ればノブヒロが親指をぐっと上げてウインクしている、君か、裏切り者は。
あわあわと行き場を失った手が泳いでいるのを、どうにか彼女の肩に預け、そっと体を離す。
頬を染めたユウリと目が合う。
あっと思ったときには遅い。
温かいものが唇に触れる。
この日、エンジンシティに最大の喝采が響いた。