アオオモ 無題晴れた日には、外で食べるようにしている。
それは、外で食うと美味いとか、そんな明るい理由ではなくて、他の人と食事を取るのが居心地が悪いからだった。
アカデミーの食堂に、外から来た留学生の居場所なんてあるわけがない。名目上、年齢や出自など関係なく意欲を持つ者すべてが学べる場所ではあるが、生徒内ではそんな名目なんて意味がなかった。
まぁ、あとポケモンたちが外の方が喜ぶというのもあるけど。
アカデミーから少し離れた木陰で、アオキは自分で作った塩おにぎりを頬張っていた。野生のポケモン達がアオキのことを気にすることもなく歩いて行く様を眺めていると、パタパタと足音が近づいてきた。
「アオキ、お待たせしました」
「オモダカ生徒会長・・・」
「その呼び方はやめて下さい、はいどうぞ」
約束をしていたわけでもなく、待っていたわけでもないのに、オモダカはそう言ってアオキの前に瓶を差し出した。シュワシュワと音を鳴らす瓶を受け取れば、手に痛みが走るほどキンキンに冷えていた。クレベースに頼んで冷やしてもらったのです、と自慢げに胸を張っているオモダカに、おにぎりとサイコソーダは合わないんじゃないかと思いつつも、もらい物はすべて受け取る主義なので、遠慮なくゴクリと飲み込む。
「!!」
口が凍りそうなほどの冷たさと、痛みが走るぐらい強い炭酸。爽快感が体中に染み渡るが、それより刺激が強すぎる。
アオキが炭酸に喉をやられている隣で、オモダカがアオキのおにぎりを一つとり、ぱくりと頬張り始めた。無断で自分の食べ物を盗られているのに気にならなかったのは、彼女がアオキのお弁当の横に、食べきれないほどのサンドウィッチの入ったバスケットを置いているからだった。アオキよりも金も食材も、好奇心もあるオモダカの料理をアオキは割と気に入っていた。
アオキもバスケットからサンドウィッチをとると、半分ちぎってムクホークにやると自身も大きくかぶりついた。一口目、ベーコン。二口目、ベーコン、三口目、・・・・・・。ムクホークは気にすることなく好物を食べているが、アオキは追記に鳴って隣の彼女に声をかける。
「すみません。これ、具はなにいれたんですか?」
「ベーコンですよ」
「ほかには?」
「ベーコンです」
「・・・・・・・・・」
「それは、ベーコンのサンドイッチで、これがポテトサラダ、トマトにカニ、ほかにもいろいろと作ったのでどんどん食べてくださいね」
前回のオモダカ作のサンドイッチは何が入っているのかわからないほど具がぐちゃぐちゃに入っていたのだが、今度は具を一種に振り切ったらしい。個性的すぎて理解ができない。
ピィィィ
アオキが、ポテトサラダのサンドイッチをかぶりついていると、ベーコンのサンドイッチを食べ終わったムクホークがバサバサと羽を鳴らしながら、声を掛けてきた。アオキはソーダを口に含みながら、空を見上げる。雲一つない青空に、煌々と輝く太陽があるだけだった。
「ええ、構いませんよ。怪我しないようにして下さい」
そう答えれば、ムクホークは大きな羽音をたてて、ぐんぐん上昇していき、あっという間に小さな影になった。
地べたに座っているアオキからでは分からないが、知らない空では、心地よい風が吹いているのだろう。風に乗って旋回する姿を見あげながら、ふと、隣をみれば、相棒が空を飛ぶのを嬉しそうに眺めているオモダカがいた。
指先に付いた米粒をペロリとなめながら、オモダカはポケットから四つ折りになったプリントを取り出した。
「先生に呼び出されてしまって、遅くなったのです」
ぽつりと話し始めたオモダカは、少し落ち込んでいるのだろう。いつもの声の張りがなかった。あまり他人に踏み込むつもりもないアオキもつい、オモダカの手にあるプリントをのぞき込んでしまった。
「進路志望調査ですか?先週末が提出期限だったはずですが」
「はい、提出していないのは私だけだと」
口ごもるオモダカをみるのはアオキは初めてだった。
「貴方なら何だって選べるでしょうに。成績優秀、そのうえ生徒会長、さらには史上最年少チャンピオン」
そして、アオキは口にしなかったが、オモダカの家柄であれば、将来など何も心配する必要はないはずだった。少なくともこのアカデミーを継ぐ事ができる。
「なりたいものなんか、わかりません。やりたいことなら、たくさんあるのですが、…多くの人にバトルが楽しいということを知ってもらいたい。ナッペ山をスノーボードで駆け下りてみたいですし、料理もお菓子も作りたい、面白いオブジェも作ってみたい、それに後は、音楽・・・ラップでバイブス感じてみたいんです」
次々と並べられる夢はつきることがないようで、アオキまで巻き込まれるような気がしてめまいがした。
「でも、それって、今でもできるではないですか」
オモダカは、身を乗り出してアオキの顔をのぞき込んだ。碧眼の中にある光がゆらゆらと揺れていた。正面から見つめられて、アオキは思わず目をさまよわせる。
「アオキは何を書いたのですか」
「・・・普通に会社員と書きましたけど」
オモダカのように、個性的でも強い輝きがあるわけでもない、取り立てて特徴のないアオキには、選択肢なんて普通のものしか見当たらなかった。オモダカが、その返答に目を見開いて大きな声を上げた。
「ポケモントレーナーではないのですか!!」
「だって、個性のない自分には無理でしょう。昨日だってあなたに負けた」
「負けたらトレーナーになってはいけないわけではないでしょう。貴方には才能がある、バトルだって好きでしょう?」
「それに、ここパルデアじゃあ、ポケモントレーナーってだけじゃあ、食っていけないでしょう」
アオキは最初から目指すことすら、愚かだとあきらめていた。
「え・・・・・・」
ゆらゆらと揺れていた瞳の輝きが、徐々に弱くなっていく。風の中に揺れるろうそくの火のようにはかなく消えていきそうだった。
ひどく傷ついた表情を見せるオモダカに罪悪感を覚えたが、それは現実だった。バトル人口も少なく、文化として認知されていないこのパルデアでは職業どころか趣味ですらやっていけないかもしれない。
オモダカが指先を眉間に寄せ、幾秒か思案すると、ぱちりと目を開いた。
きらきらと輝く光に当てられて、アオキは目を細めた。
「そうですね、今は無理かもしれません。でも、必ず私がかえてみせます!!」
青空の下でも輝く星のような瞳がアオキをまっすぐ見つめる。オモダカの中でなにかが目覚めたようだ。
「えっと、あの、自分はそういうの興味ないというか、普通に生きていければ御の字で」
「いいのです。私が好きでやるのですから」
もう、アオキの言葉は彼女には届かないのだろう。一度心に決めたことは揺らがない。
「アオキが、いえ、誰もが夢をあきらめるようなことがない場所に、このパルデアを変えてみせます」
突拍子もない夢を語りだしたオモダカは、アオキには手に負える気がしなかった。
「はぁ」
「貴方は、必ず、強くなる」
オモダカは吐息を感じるほどに身を乗り出して、唖然としていたアオキの手をぎゅっと握りしめた。
「貴方は、私を越えて、さらなる高みに」
そして、空高く指さした。彼女が指さす先には、雲一つない青空の中、まぶしいばかり太陽に吸い込まれるように消えていったムクホークがいた。
青空の下、小さく交わされた誓いだった。
◆
「パシオ?ですか?」
ネモとその隣にいたアオイが首をかしげる。リーグ内の会議室、薄暗い部屋でスクリーンに映された緑豊かで様々な施設のある島が映し出された。その映像をポインターで指し示しながらオモダカが説明する。
「ライヤー王子によって建築された人工島。様々な場所から植物や岩を選んで作られた、特別な場所です。森や草原だけでなく、火山、氷河、など緑も豊かで、ポケモンセンターや思う存分バトルのできる環境はもちろん、様々な施設や遺跡があります」
「すごい!いろんな場所があるんですね!」
表示されたスライドに、目を輝かせる少女達につられるようにオモダカもにこりと笑みを浮かべた。喜んでいる学生たちの姿を、ほかの同席者たち、リーグの各部門の役職者、アカデミー関係者達が微笑ましく見守っていた。
「そして、この島には世界中から有名なトレーナーが集まります。各地域のジムリーダー、四天王、そして・・・チャンピオン!」
映し出されたのは、各地方のチャンピオンが談笑していたり、クリスマスやハロウィンを満喫している姿だった。世界中に配信されているバトルの映像では見られない、ありのままの彼らの素顔。
「それぞれが、バトルの強さは言わずもがな。ポケモンやバトル、ライバルに対して大きな思いを抱く者です。彼らと交流することで、我々パルデアのトレーナーの成長につながり、パルデア導く大きな糧になると考えています」
オモダカが一つスライドを進める。それと同時に、先ほどまで写真や映像メインだったものが
「昨今の世界情勢より、パシオ側も入国規制を行っており、新規入国に関しては審査を課しております。要件としてまずは、リーグの健全な運営状態、関連施設との連携…」
オモダカの説明に、うんうんとうなずいているネモと途中から思考停止して呆然としているアオイ、嫌な予感に顔をしかめているボタンなどの学生の隣で、アカデミー校長であるクラベル校長も真剣なまなざしで話を聞いていた。
「これまでの皆さんの努力と協力のおかげで、このパルデアリーグも入国申請の要件を満たすことができました」
クラベル校長やリーグの幹部たちが拍手でオモダカをたたえる。
「ありがとう。これから書類審査、実地審査と課題が求められますが、パルデアリーグ・アカデミー双方で協力し、パシオへの切符を手に入れましょう!!」
オモダカの声に会場から喝采があがった。
その後いくつかの質疑応答に応え、参加者たちを見送った後、オモダカが会場を片づけ部屋の明かりを消そうとして、ため息をついた。振り返れば、部屋の一番隅のイスで舟をこいでいる部下がいた。
「アオキ」
声をかければびくりと震えて、アオキは目を開いた。寝ぼけ眼のまま周りを見て、自分の状況を察したのだろう、渋い顔をした。四天王戦ですら、自分の番が終われば寝る男だ。苦言を呈したところで、聞き流されるだけだろう。分かってはいたが注意しないわけにはいかない。
「営業部長から見えない位置に座ったからと言って、開始前から寝てしまうのはおやめなさい」
「・・・資料を拝見しましたが、特に自分が関与するようなことは書いてないように思いますが」
アオキに事前配布して置いた資料は、渡した時のままで読んだ形跡は見当たらなかった。だが、優秀な男だ、社内の動きやオモダカの行動から話の内容は予期していたのだろう。
「チャンプルジムは中間地点でもあり、難所の一つ。ジムリーダーである貴方は重要な役割を持ちます。そして、貴方は四天王の一人でもあるのですよ」
「しかし、自分を審査に立ち会わせるつもりはないでしょう。貴方がパルデアの未来を考えているのであれば、後進の育成についても考えていますよね。まぁ、資料作成ぐらいならしますけど」
やる気のない態度に頭を抱えるオモダカを前に、アオキはよっこいしょと言いながら椅子から立ち上がった。
「あなたは、いったい何がしたいんですか、パシオに行って」
「そうですね・・・」
リーグ委員長として、パルデアの発展ばかりを考えてきたが、オモダカ個人としての願いは考えてこなかった。額に指先をあてて数秒思案する。
「類い希な才能を持った才能もつ若者に出会ってみたいですね」
「結局そこですか・・・」
オモダカの答えに、げんなりとアオキは眉を寄せた。そのまま部屋から出て行こうとすると、オモダカに前を遮られた。
「貴方も、思わないのですか?」
まっすぐに見上げてくるオモダカの瞳はいつだって、まぶしいほどに輝いていた。たとえ、オモダカが傷つくことがあってもその光が曇ることはなかった。オモダカは洗練された所作で、胸元に手を当てる。
「もっと外の世界を知ってみたい、自分を試してみたいと思ったことはないのですか」
「自分には今の生活が割とあっていると思っています」
アオキの言葉は想定内ではあったが、オモダカは口元を結んだ。
「その場所にはあなたを認め、称賛し、ライバルのように互いに切磋琢磨し合える存在がいるかもしれません」
「そういうの、興味、ありませんから」
オモダカと向かい合っているのすら、疲れるとばかりに顔を曇らせて、アオキは肩を落とした。どんなに、言葉を尽くそうとも、人の心を変えるのはたやすいわけではないことは、オモダカは十分に分かっていたはずなのに、旧知の仲と言うこともあって、踏み込みすぎてしまった。
オモダカはリーグ委員長として、完璧な笑みを浮かべた。そして、アオキのネクタイが乱れているのに気付く。
「分かりました。しかし、パルデアリーグの一員として力を尽くして下さい。あと、居眠りは評価にひびきますからね」
キュッと音を立て、ネクタイを整えれば、アオキも嫌そうに頷いた。
「・・・はい」
部屋を出て行こうとするオモダカの後ろに、ただ付いてくるだけのアオキが、オモダカには理解できなかった。
◆
「飲み過ぎですよ」
たしなめるハッサクをよそに、グイッとグラスを開けたチリが口を開いた。
「今日な、オモダカさんとなぁ明日の審査の面接練習やってんやけどな」
酔っ払い特有の据わった目のまま、ピッと背筋を正して、眉間に人差し指をあてる。
「すべてのバッジを集めていない方、つまり一次試験を通過できない方に面接をする意義はあるのですか、あの人、ごっつええ笑顔で聞いてくるんやで。そりゃ、チリちゃん固まるしかないやろ」
「あの人のやりそうなことです」
あきれたように目を細めて、唐揚げをほおばるアオキと異なり、ハッサクは穏やかに笑う。
「チリの気持ちも分からないわけではないですがね、トップはチリに考えてもらいたいのでしょう。それに、小生もアカデミーでの審査に同席させてもらいましたが、案外、先方も痛いところを突いてきますですよ。クラベル校長が気の毒でした」
「それホンマ?」
ハッサクの言葉に、目を丸くするチリ。酔いが回りつつも、真剣に考え始めたチリのスマホロトムが音を鳴らした。おん、職場からや、とチリが明るい調子を取り戻して応答する。
「はい、チリちゃんやで」
その表情が一瞬で固まった。
薄暗い病室のベッドで横たわるオモダカは、高名な美術家が作った彫像のように映った。
エリアゼロでの事故でオモダカが重傷負ったという報を受け、三人が病院に向かうとすでに処置の終えたオモダカの病室に案内された。
チリはただ側に立って、オモダカの胸元が上下しているか確認し続けるしかなかった。そこへ、ハッサクが医師から状態を聞いて戻ってきた。
「命に別条はありません。今週は入院して安静が必要とのことです。大事にならなくって良かったですますよ・・・」
「良かった・・・」
チリがその言葉に顔をクシャリとゆがませる。小さく震えるチリの肩をハッサクが支える。
「悲しんでばかりいてはなりませんよ。明日も、審査があるのでしょう?」
その言葉に、はっと我を取り戻したチリが息をのむ。
「明日は、チャンピオンランク試験の説明がメインやからトップがおらんでも、何とかすることはできるかもしれへんけど。バトルの実地審査が・・・」
まだ、オモダカの寝顔から目を離せるほど落ち着いているわけではないが、ぽつぽつと口を動かすチリに、ハッサクはうむと肯いた。
「それでは、チリはリーグに戻って明日の準備を。職員への周知も任せますですよ。それが終わったら、早めに休む、いいですね」
「でも、トップが」
「貴方にしかできないことですよ、さぁ、行って下さいです」
まだ、半ば強引に、チリを病室から追い出したハッサクがふぅと息をついた。二人の背後で静かに状況を見ていたアオキが口を開く。
「順番的にはハッサクさんが出るのが妥当だとは思いますが」
「そうですね。小生は四天王最後の砦。その役割として、トップ不在のリーグを守る覚悟はありますが。…アオキ、あなたはそれでいいのですか」
急に問い返されて、アオキが眉を寄せる。
「えっと、何がです?」
「オモダカの中には、夢をあきらめた少年がいるのですから」
「はい?」
「あなたはリーグ職員なので知らないでしょうが、割とオモダカ理事長とは語り合うことが多いのですますよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「昔、努力を重ね邁進していけば、何にだってなれる、何だってできると彼女は信じ切っていたようです、夢はいつか必ず叶うものだと。でも、彼女が信頼し側にいた少年がこのパルデアでトレーナーの夢を諦めてしまった。それが悔しくて、悲しくて、仕方がなかったそうです。とにかく、きっかけは何であれ、子供たちのためにより多くの可能性を、選択肢を準備してあげるのが、大人の役割だと、今では心から仕事に取り組んでいるようですがね」
生徒に語りかけるように聞き取りやすく、優しい語り口だった。
「まぁ、小生は、その場にいたわけでも、そのころのオモダカを知っているわけではありませんので、これ以上のことは言えませんが」
金色の瞳がギラリと薄闇で光った。
「女性が夢を語っているのです」
アオキの脳裏で夢を語るオモダカの姿が思い浮かぶ。彼女の瞳には、キラキラ光る星のような輝きがいつだって瞬いていた。
「支えてやるのが男の務めではないですか」
答えることもなく、オモダカの寝顔を見つめているアオキに、ハッサクは目を閉じた。
「どうしても、アオキの前だと説教臭くなってしまいますですね」
それだけ言い残すと、ハッサクは病室から出て行った。
必要最小限の照度の部屋。空調の音しかしない静かな病室で、アオキは目を開かないオモダカを見下ろしていた。
◆
パルデアリーグ入り口、普段であれば子供達やポケモン達が出入りしているが、今日はほとんど出入りがない。そんな中、藍に輝く宵闇のような深い色の髪を揺らし、一人の女性が颯爽とした足取りで入ってきた。
そのまま、奥に入っていこうとする女性の前に、立ちはだかる者がいた。
「病院から連絡もらったんや、退院許可下りてない患者が抜け出したって」
「・・・・・・・・・・・・」
「誤魔化してるつもりかもしれへんけど歩き方もおかしいで。顔色も悪いし。ポピーちゃんが尊敬しとる人のそんなぼろぼろの姿見たら、どう思うかぐらいわかるやろ?」
詰めるようにオモダカの前に立つチリは、人前ではみせることのない冷たい表情をしていた。常人であれば、目をそらすような圧に、オモダカは全く動じることもなく、笑みを向ける。
「ご安心を、様子を見に来ただけです。病室に何かあった場合の責は私にあるとしたためて参りました」
「そもそも抜け出すんがおかしいゆうとるんや」
双方譲る様子もなくにらみ合いが続く。二人の間に緊迫した空気が漂う。
しばらくにらみ合っていたが、チリは背後に人の気配を感じて、目線を動かした。受付の女性が押してきたのは、車椅子だった。
「おん、ありがとうさん」
人の良い笑みを浮かべながら礼を言うと、チリは、オモダカの方に向き直る。
「これでも付き合いはそれなりに長いんや、・・・オモダカさんが何を思っているかは分かっているつもりや、チリちゃんが言ったぐらいじゃ退いてくれんのも」
「・・・・・・チリ」
「観るだけやで?」
「ええ、ありがとう」
ゆっくりと車椅子をすすめながら、チリがオモダカに語りかける。
「オモダカさんがこの審査を受ける言いだしたときは、この忙しい時期になんでなん?って思うとったんやけどな、ようやく分かった気ぃするわ」
チリがあまりすることのない、ひどくゆったりとした話し方が心地よく、オモダカはうっとりと聞き入っていた。
「ネモもアオイもよその地方のバトルを本格的に勉強始めた。ポピーもな、チリちゃんの代わりに露払いしっかり全うしてくれた。負けてもうたけど、チリちゃんがいるから大丈夫だって泣かんかったんよ。・・・こんなにも託されるのっていうのが重たいもんだとは思わんかったわ」
グスリと鼻をすする音と、取り繕うようにトーンの上がった声。オモダカは口元を上げた。
「ほんま、こんな重要な場面を見逃して、オモダカさんもったいないコトしたわ」
「・・・・・・ええ、本当に」
チリがエレベーターのボタンを押し、揺らさないようにゆっくりと中に入る。挑戦者側のエレベーターに乗るのはずいぶんと久しい。中の構造はそれほど変わらないのに、普段とは違う緊張が走る。オモダカは、今では多くの役割を背負い人を見定める立場にいるが、かつてはただの挑戦者だった。
「今は、実技審査の最終戦。二勝二敗やから、臨時の総大将が決めてくれるはずや」
「そうですか」
おそらくは、ハッサクが場に立っているだろう。バトルの力量は無論のこと、激情家にみえて、内面では俯瞰し冷静な一面も持つ、心身共に卓越した人物だ。彼ならば大丈夫。そう思い、オモダカは一つ頷いた。
電子音と共にエレベーターの扉が開き、人工的な光を打ち消すような強い光が目を焼く。
手で日差しを遮りながらも、リーグ職員、ネモやアオイなど学生達の声がかれるほどに声援が耳に届いた。この場にいる全員が熱狂している。こんなに、熱のこもったバトルはこのパルデアで観るのは久々だった。
目が慣れてきて、ようやくオモダカの瞳に移ったのは、バトルコートにたつ、くたびれたスーツ姿の背中だった。白髪交じりの髪、見慣れた背中だった。
本来、オモダカが立つべきだった場所に、アオキが立っていた。
オモダカの夢の根幹。
異国から来た留学生。口数も少なく、人と関わりを持とうとしない学生だった。その彼がじっとオモダカのバトルを見つめる姿が印象的だった。声を掛け、手を引き、ようやく共に歩いて行けるライバルができたと思ったのに、彼は、このパルデアという土地で、とうに諦めてしまっていた。
オモダカの中でずっと生き続けていた思いが、徐々に大きくなっていく。
彼が望まないのであれば、せめて、未来を担う子供たちがそんな想いをしないですむようにと、願いはきえることはなかった。
今でもあの時の情景が思い浮かぶ。澄んだ青空を、我が物顔であんなに自由自在飛べるムクホーク。
飛ぶことを諦めるといった人の、ずっと望んでいた人の、背中が逆光で輝いて見えた。
貴方は、必ず、強くなる
オモダカの想定も、計算も
夢も、願いも、祈りも、越えて、
雨も風も、越え
空を遮る雲も、越え
過去も、越え
私を、超えて
「アオキ、勝って」
声援にかき消されるような小さなつぶやきに、猫背の丸い影が、揺れた。
「どうやら、業務開始のようです」
風向きが変わり、男の髪が乱れる。強い追い風に、オモダカの髪が大きくたなびく。応援に声を上げていた子供達が急な風に体勢を崩していた。長い髪が視界を遮る中、ネクタイを直したアオキの口元が上がっているのが、一瞬だけ垣間見えた。
「文句が あれば トップに お願いしますね」
◆
執務室で、審査委員よりフィードバックを受けながら、オモダカは神妙に肯いた。
「・・・以上、この場ではここ迄となります。審査結果は追って書面にて回答させていただきます」
「はい、よろしくお願いいたします」
オモダカが審査員に深く頭を下げる。インナーで隠してはいるが、かすかに包帯が首元から覗いていた。
「しかし、あなたを含めパルデアリーグは各人の業務負荷が非常に大きい。優秀な人材の集まりだというのは理解しましたが、これでは誰かがかけたとたんにバランスを失う。早急な業務の見直し、人員配置が必要だと思います」
「…はい」
淡々と告げられる言葉に、オモダカも深く頷いた。自身のけがも含め、健全な運営状態でないことは重々わかってはいたことだ。
「まずは、そのケガを直していただくことが第一ですが」
男性が手を差し出した。オモダカが目を丸くして男性を見つめれば、男性が意味ありげに口元を挙げた。
「貴方がパシオに来る日を心待ちにしております」
差し出された手を握り返しながら、オモダカも笑みを返した。
「ありがとうございます」
◆
「それでは、トップ、いってきます!」
荷物ではち切れそうなリュックサックを背負って、ネモが大きく手を振る。オモダカもその満面の笑みに満足しながら手を振り返す。
「ええ、気をつけていってらしてね」
「トップ!!私、パルデアが素敵なところだって一杯伝えてきますから!!」
オモダカが彼女の前でそんな話をしたことはない。ずっとオモダカの背中をみてきたネモなりの行動だ。いつしか繋がっていく想いに、オモダカの胸が熱くなった。
「どうか、楽しんできてください」
ネモの屈託のない笑みに釣られるように、オモダカも大きく手を振った。
ネモが見えなくなるまで見送ると、オモダカもくるりと身を翻した。そのまま、リーグに戻ろうとすすめていた足がとまる。
「何ですか、その顔は」
目の前にいたのは、精気のない表情をした猫背のサラリーマンだった。彼もまた大きな荷物を抱えて、歩いていた。
「別に」
「ならば、その不満そうな顔をおやめなさい。国外出張が初めてなわけでもあるまいし」
「・・・なんで自分が」
「明日は理事会、そのあとも、イッシュとの交換留学の調整でスケジュールに空きが無いというのはお伝えしたでしょう」
オモダカの説明では納得ができないようで、アオキの雲色の瞳が細められる。オモダカも嘘はついているわけでもないが、伝えていない想いはあった。
アオキはあまり表情豊かな方ではないが、はっきりと不快だと表していた。その様が子供の頃を思い起こさせて、オモダカはクスリとわらう。
オモダカは、大きく一歩踏み出して手を伸ばした。
長身のオモダカでも、背伸びしないと届かないほど、アオキは成長した。
急なオモダカの行動に、アオキはびくりと体を震わせる。抱き返すこともしなかったが、拒絶することもない。
腕をアオキの首に回し、ぎゅっとだきしめる。端からみれば、別れを悲しんでいる恋人同士に映っただろう。だが、オモダカは幸せを胸いっぱいに感じながらアオキを抱きしめていた。
「ありがとう、アオキ」
「業務ですから」
そっけない返事ではあるが、アオキらしくもあった。
「ボンボヤージュ」
新たな旅路へ、自由に飛び立ってほしい。
思いのまま、夢のままに、
そして、あの頃は思わなかったが、
このパルデアに、オモダカの元に返ってきてほしいと。
「出張報告書を楽しみにしていますよ」
体を放し、上司として完璧な笑みをむけると、オモダカはカツカツと革靴を慣らして去っていった。
耳に残るリップ音をこそばゆく感じながら、アオキは上司の後ろ姿を眺めてため息をついた。