ニキマヨ『自己都合な愛情』 好きと言われるたび産まれる違和感が消せない。
純粋な好意を受け止めることができない自分に嫌気が差した。
(……はぁ……だめですねぇ……みなさん、こんな私を……好きでいてくれるというのに……)
新曲のリリース記念で行った握手会が終わり、ESビルの休憩室まで戻ってきた。
夕飯の時間も終わり、自室にいる人が多いのだろう。
休憩室には誰もいなかった。
アイドルでいるかぎり好意を向けられることは誇らしいはずなのに、たまにそれを重荷に感じる時がある。
顔が、
声が、
ダンスが、
誰よりも一番好きだと、熱っぽく語られるたび、これのどこがと違和感を感じてしまい、そう思う自分の不甲斐なさにさらに気が滅入った。
好きで鍛錬した自覚がある部分については、まだ誇ることができたとしても、そうでない部分は……。
結局、自分のことを自分で愛せないから、他の人が愛してくれても疑問に思うのだ。
分かっているけれど、理屈でなんとかなるものでもなく、素直に受け止めることができない自分自身への嫌悪がさらに煮詰まって行った。
それにしても、今日はひどい。
普段はここまで落ち込まないはずなのに……。
(……こんな時は……甘いもの……って、椎名さんがCMで言ってましたねぇ)
今日なら食べられる気がして、重い足取りで共有冷蔵庫を開けて、カップに入ったプリンを手にした。
昔からあるプリンで、しっかり封がされているからか、割と日持ちもする商品だ。
ニキがソファの上でくつろぎつつ、蓋を開けてスプーンですくい、『やっぱ、これっすねぇ〜。悩みなんて吹き飛んじゃうっす』と言って満面の笑みを浮かべるCMが地上波で放送されている。
それがあまりにも美味しそうで購入したは良かったが、胃袋にデザートが入る余裕がなく、ついつい先延ばしにしてしまい、冷蔵庫に入れたままになっていた。
糖分がもたらす多幸感にか、
それとも記憶の中のニキに無意識に救いを求めたのか、マヨイにはもうわからなかったが、手に取り蓋を開けようとして気がついた。
(……あっ……昨日で……)
賞味期限が切れていた。
せっかくの食べ物が食べられなくなったこともずるずると先延ばしにした自分のせいのように思えて、喉の奥が重くなる。
(……なんで……っ)
胸の奥に溜まるどろどろとした感情がとぐろを巻いて、喉奧から顔を出しそうだ。
(……ここは……明るく……正しすぎます……っ)
自己嫌悪にまみれたまま、人目のつかないところに消えたい。
そんな欲求が身を焦がした。
こんなことで、こんなところで、突然消えるべきではないという自制はギリギリ働いて、それでもにじむ感情で手にしたプリンをゴミ箱に投げ捨てようとした時だった。
「……捨てちゃうんすか?
カビ生えてるわけじゃないなら、僕が食べるっすよ?」
「し、椎名さん……っ!?
いつから、ここに……っ!?」
マヨイの手首を掴み、不思議そうにマヨイの表情を探っている。
「いつって……今来たとこっすけど……あっ、これ僕がCMに出てるやつっすね?
マヨちゃん買ってくれたんすか〜美味しいっすよね♪
要らないなら、本当に僕が……」
「……椎名さんは……本当に……食べられれば何でもいいんですね……」
「え……っ?」
嫌味たらしい棘のある口調に、ニキの表情が一瞬こわばった。
こんなことを言うべきではないと頭のどこかでは分かっていても、止まらない。
「だから、私なんかでも……」
何度好きだと言われても、
身体を重ねても、
思いが身体に染みるわけではなく、どこかするすると抜けていってしまう。
ニキに何度も好きだと言われたのに、ふとした時にその言葉が揺らぐ。
いっそ都合がよかったからと言われた方がまだ納得できる。
「……確かに僕は食べれればなんでもいい、みたいなとこあるっすけど……それでもちゃんと好き嫌いはあるつもりっすよ?
美味しいも、これが好きも自信があるっす」
ニキは軽い調子でそう返すと、改めてマヨイの顔を覗き込んだ。
「それよりマヨちゃんどっか悪い?
お疲れって感じっすねぇ」
「……ぁ」
心配されはじめて八つ当たりに近いひどい感情をぶつけていたことに気がついた。
「……すみません。
私……っ」
「いや、いいっすよ。
逆に気を許されてるんだなぁって、ちょっと嬉しくなったくらいっす」
ニキがふにゃっと笑うので、さっきまで胸中にあったどろどろとした感情が急に軽くなってしまった。
明るい日差しの下では暗いことが考えづらいように、ニキといると不思議と深刻めいたことが考えられなくなる。
それに救われていて、そんなところがすごく好きだった。
「……椎名さん……あの……先程の発言は……」
「まーまーマヨちゃんはちょっと座ってて、あったかくて甘いもの作ってあげるっすよ〜」
ニキは無理矢理マヨイを座らせると、再度冷蔵庫を開けた。
そして、使ってもよさそうなものを見繕うと鼻歌混じりに調理しはじめた。
(……あっ、ホットミルク……)
二つ用意しているところをみるに、自分の分も作っているみたいだ。
きっとニキのことだ。
よく眠れるようになんて、その先のことも考えてくれているに違いない。
(……椎名さんは……こんなに素敵な方なのに……どうして、私なんかを……)
その好意の矛先がなぜ自分に向かうのか、理解できず、結局は同じことを思ってしまう。
「……マヨちゃんは、食べられる側の気持ちって考えたことあるっすか?」
「ひぃい…っ!?と、突然なにをぉ!?」
「あっ、食材っすよ!
ホラーな意味じゃなくて」
普段から美味しそうと言われ続けたが故にしてしまった勘違いに赤面しているマヨイを気にせず、ニキは続けた。
「食べてもらえて野菜が喜んでるとか言うじゃないっすか。
あれ、自分勝手だなぁって。
だって、野菜は何考えてるか分かんないっすよ?
本当は食べられたくなんてないかもしれないっす。
食べる側の都合を押し付けて、勝手だなぁって。
それでも、それでもやっぱり僕はできるだけ美味しく食べてあげたいんすよねぇ〜。
それが僕にできる精一杯の愛情表現だと思うんで」
ニキが普段美味しそうにご飯を食べるところを思い出しつつ、マヨイはよく分からないまま頷いていた。
そんなマヨイをみて、ニキは自分の中の感情をうまく例えることができてないことを察して、照れ隠しに笑うと続けた。
「あんまり上手いこと言えてないっすね……
とにかく、僕が言いたかったことは自分以外に対する感情なんて、相手の都合なんて関係ない、結局は自分勝手なものなんすよ。
自分がどう思ってるかが大事なんじゃないんすかねぇ」
ニキがそこまで言ったところで、チンとレンジが鳴った。
ニキはマヨイの方にマグカップを二つ持っていくと向かいに座り、机に並べた。
そして、自分の前にはプリンを置くと、潔く蓋を開けた。
「つまり、僕がいいと思ったなら、それでいいってことっす。
僕はこのプリンは美味しくいただくし、マヨちゃんのことは好き!
何でもいいわけじゃないし、僕の中には理由がある。
そういうことっす!」
早口でそう言ったニキは、マヨイの名前が書いてあるプリンを頬張って、少し照れた顔をした。
(……あまい)
ニキがいれてくれたホットミルクは、蜂蜜の味もして甘くそして温かかった。
「……ありがとうございます」
何についてそう言ってるのかマヨイにもわからなかったが、身体の中があたたかくなっていくのは確かだ。
離れていると疑心暗鬼になってしまうのに、そばにいると自然に理解できる。
(……椎名さんといるとあったかい)
カップ越しにニキをじっと眺めると、それに気づいてニキは頬を緩めた。
「もちろん、受け取って返ってきたら嬉しいんすけど」
ニキはそういうと今度はじっとマヨイの方を見て、にっこりと笑った。
「さっきのは今日の分っす」
「……っ」
ニキが何を言いたいのか気づいて、マヨイは頬を赤くして視線を晒した。
マヨイがなぜ私でいいのかと度々尋ねるものだから、聞かれる前に言ってあげるっすと毎日『好き』をくれる。
それは少しづつ……蓄積するように自信をくれた。
そして、自分の中にある思いも溢れて、どうしても伝えてみたくなった。
いつもは、こんなことを伝えても相手に迷惑なんじゃと思うのに……。
「……わ、私も……」
マヨイが口を開くとニキは驚いた顔をして、続きを待った。
それに気づいて、語尾は小さくなってしまったが、それでも最後まで。
「好き…です。
椎名さんのこと……」
ニキの表情が明るくなって、かわりにマヨイはきゅっと身を縮こませた。
「マヨちゃんから言ってくれるの初めてっすね」
「あ……っ、うぅ……すみませぇん」
「何で謝るんすか!?
すっごい嬉しいっすよ!」
(……よかった。
お伝えして……)
ニキはわかりやすく喜んでくれるから、これでよかったんだと思える。
目元が緩む。
(自分勝手に……好き……ですか……)
好意を受け取るということも、送るということも、もっと簡単に考えてもいいのかもしれない。
そしたら、今日伝えてもらった『好き』も、もう少しくらいは受け止めることができるのかもしれない。
「……椎名さんに……喜んでいただけるなら、もう少し……頑張ってみますね」
実現するには少々ハードルが高いのも本当なのだが、いまは素直にそう思えた。
「本当っすか?
すっごい嬉しいっすよ!
僕なりにマヨちゃんのこと……理解してるつもりなんっすけど、それでも……ちゃんと言葉にしてもらえるって、やっぱり嬉しいっす」
「そう……です、ね。
はい。
私も、好きと言っていただけて、嬉しかったです」
その感情を素直に受け止めることができた時、思わずマヨイの表情が綻んだ。
それを表面から受け止めて、ニキは目を見開いた後、思わず赤面した。
「……うわぁ……なんつーか、彼氏冥利につきるっす」
「は、はぃい?!」
「分かんなくっていいっす。
あんまり、この良さが他の人に分かって欲しくない……」
ニキは勢いに任せて、自分のコップの中身を空にすると改めてマヨイに向き合った。
「マヨちゃん、まだ時間あるっすか?
もう少し話しないっすか?
今日何があったとか、そういうどうでもいいことを」
ニキはそう言った後にハッと気がついた。
「あっ、そうだった。
マヨちゃん疲れてるっすよね!?
ごめん……聞かなかったことにして欲しいっす」
「いえ……疲れはどこかに行きました。
できたら、聞いてください。
今日、悩んでいたことを」