プロトタイプ「離せよ!あのクソオヤジがキメェ目して追い回してくるからぶっ飛ばしただけだろうが、ヤキ入れんならアイツの方だろ!!」
「大人しくしろ!!」
静かかと思えば響き渡る怒号。近くの刑務官が加勢にドタバタ駆け込んでくる。
うずくまり鼻を押さえながら泣いている中年男、その手は赤く濡れている。片や刑務官数名から取り押さえられながらも未だ食って掛かろうと声を荒げる若い男。
せっかくの余暇時間が。気も休まりやしない。
阿久根燐童は読んでいた本を閉じ、ため息をついた。
アサヒカワにある収容施設。小窓からは吹きすさぶ雪が伺える。
「ああ、お疲れ様です。こちらは片付きましたよ」
工業地帯の夜景を遠くに臨む埠頭の一角。月だけがこちらを見つめている。誰にも助けを求めることはできない、誰にも姿を見られることがない空間。先ほどの惨状は、もともと何事もなかったかのように、すべてが燐童によって隠滅されていた。スマホを手に取り業務終了の連絡を入れる。
「「ご苦労だったな。」」
二重に聞こえる女の声。
どうして。
複数のヒールがアスファルトを叩く。
混乱が表情に滲むがそれもほんの一瞬で、すぐに取り繕う。
「貴女方が来てくれるなんて、珍しいですね。何かありました?」
ここ最近は電話か文面でのやりとりばかりで、現場で動いているのは実際に手を汚す立場である燐童のみだった。しかし、どういう風の吹き回しか。
高飛車にこちらを見下ろす視線。いつものことではあるが、この異様な状況と相まって酷く居心地が悪い。
「阿久根燐童、お前を逮捕する。」
「……え?」
「新しい、もっと融通の利く駒ができた。お前は邪魔なんだ。」
いたって業務的な口調で告げられた内容を、すぐに理解することはできなかった。
近づいてくる女の部下たちから逃げようとするも多勢に無勢、抗議の余地すらなく身柄を拘束される。燐童もまた窮鼠だった。
判決は終身刑。
当然だ。今後、政権の獲得を目論む言の葉党。その裏の闇を言いふらされたりしたらたまらない。
でも納得なんてできるわけがない、お前たちの命令でやったことなのに、なぜお前たちの正義で裁かれなければならないんだ。
女の箱庭から蹴り出すように、燐童ははるか遠くの収容施設へ異例の早さで移送された。
時折、面会と称して来訪する中王区の女。
最初は納得できないと理由を問い詰めていたが、返ってくるのは逮捕直後の問答と同じもの。
現在となっては話すのも馬鹿らしいとダンマリを決め込む。無益な時間。
所詮その程度の存在。
よく考えればこんな役割、用済みになったら蓋をしてどこかに埋める他ない。言の葉党、中王区の安寧、未来の栄光のためならば。
やっと人から必要とされたと思ったのに。現実はどこまでも残酷だ。
あんなに忠誠を誓っていたことも間抜けすぎてつくづく笑えてくる。
他の受刑者に比べ小柄で可愛らしい(十分客観的に自分を捉えた結果だ)燐童は、それはもう舐められた。人目につかないところに連れていかれては、片端からのしていく。
見た目だけで人を判断し相手の力量を見極められないヤツら。その浅慮さはこの刑務所にお似合いだ。
この退屈な地獄ではヒエラルキーがものをいう。何事においても。弱い者は淘汰される。
――ガシャァァァン!!!ドンッ
体育館での運動の時間。大きな衝撃音、ゴール下で這いつくばる人間。すぐさま人だかりになる。
少し離れたところで遠巻きにされ、立ち尽くしている男。
何かと思えば、からかわれた男が逆上しその相手をシュートしただとか。馬鹿力が。
無駄な労力を使うなんて、トラブルを起こせば罰則の対象となる。最悪罪を新たに課されかねない、刑期も伸びる。どいつもこいつも馬鹿ばかりなのか。
当事者のくせに我関せずと佇んだ男を改めて見やる。その目は光を灯していないように見えて怒りの炎に侵されていた。
ある日の面会。アクリル板越しに佇むのは見覚えのない男。必ず立ち会うことになっている看守は、男を案内した後どこかへ消えてしまった。
古い監視カメラの作動音がやけに大きく聞こえる。
男は軍の技術開発部に所属する人間だと名乗る。違和感から警戒と混乱の色を強める燐童だが、その後に続いた想像だにしない言葉。思わず聞き返す。
「終身刑を取り消しにしてやってもいいぜ?」
「うーーーん。ここには娯楽が少なすぎる……特に食事、もっと糖分の割合を増やすべきだとは思いませんか?」
「そこ!うるさいぞ!!」
食事中、看守の目も気にせず話しかけてくる隣人。まとめて怒られた。目も合わせてないのに。
隣を伺うと印象的なウェーブヘアが「どうもすみませんね。」と注意した看守へ律義にも返事をする。さらに怒られた。散々だ。
しかし燐童にはその不快感を長く保たせる余裕も、豚の餌同然の食事の味を味わう余裕もなかった。その大きい上体を丸め覗き込むように、なおも燐童に話しかける隣人をよそに昼間の男の言葉を反芻する。
「その代わりお前には、真正ヒプノシスマイクの被験体になってもらう。」
真正ヒプノシスマイクとは、対象に催眠をかけ、マインドハックするマイクだと補足される。
言の葉党の連中にもまだその存在を明かしていないという、まだまだ試験段階の代物。その実験台。
「上手くいけば、また娑婆で生活できるだろう。質は保証しねぇがなぁ。」
……端的に言えば、言の葉党の不利益となる記憶を根こそぎ刈り取り娑婆に返すということ。うまくいけば女たちにその効力を見せつけることができ、うまくいかなくてもいちデータになるだけで、この男に不利益は生じない。
ここで一生飼い殺しか、記憶をなくした状態、最悪自分のこともわからない状態で野に放たれるか。
究極の2択、そんなの。
「また来るわ、それまでに決めとけよー。」
……そんなの嫌だ!
映画じゃあるまいし。スクリーンの中で起きるような出来事が自分の身に降りかかるとは思わなかった。いや、善良を謳う組織の裏で暗躍、今までの経過も十分フィクションじみているか……。
かくなるうえは。
中王区の燐童に対するただ一つの誤算は、その膨大な機密業務を彼1人に担わせたことだろう。おかげで様々な任務完遂能力とともに、人身掌握などの周辺スキルも習得した。
培った経歴は白かろうが黒かろうが、毒にも薬にもなるのだ。
手ごろな看守に取り入り、せしめた端末から中王区の手駒時代に知り合った知人へ連絡する。いたってビジネスライクな関係で顔も見たことはないが、有能なハッカーだという。
見知らぬ知人、端末、内部の人間から施設内外の情報をかき集める。何をするにも、この寒々として閉鎖された空間では協力者が必要だ。
誰か、有能そうな人間はいないか……。
懲罰房。見張りの看守をどかした先。
「はじめまして、―――」
みんなみんな、俺の道具にしてやる。次は俺が国取りのため、駒を操る番だ。