人には悩みというものが少なからずある。高校生の俺たちの悩みなんてもんは、部活、勉強、恋愛…なんてものなんだろうと思う。
そういう俺も最近、ある悩みで頭を痛めていた。
「御幸、そろそろミーティング」
ノックと共に開いたドアの向こう、倉持が簡潔に要件を口にした。
開いていても頭に入ってこなかったスコアブックを閉じて、「ああ…うん」と曖昧な返事をした。
「お前さ、最近おかしくね?」
「なにが?」
倉持の言葉は、的を射ている。表に出さないように気を付けてはいるが、観察眼のあるこいつの目には明らかにおかしく映っているだろう。
「いや…別にいいけど」
階段を下りた先に人影が見えて立ち止まる。沢村と小湊だ。
「いいって」
「なんで⁉さあ遠慮せずに!」
「いや、逆になんで?」
「なんだよ、もめごとか?」
倉持が声をかけると二人の視線がこちらに向けられた。
「御幸先輩、洋さん、お疲れ様です」
「お二人揃ってお出かけですか⁉」
「バカ、ミーティングあるって言っただろうが。春市、こいつまたなんかバカなことでも言ってんのか?」
「バカバカって言いすぎじゃないですかね⁉」
まるで漫才のような五号室のやり取りにもやもやしながらも、俺の視線は当たり前のようにある場所に吸い寄せられていた。
そう、俺の悩み。それは、同じ男で後輩の尻、である。
数日前に風呂で一緒になった時から、なぜか俺の頭の中から消えてくれない丸くて柔らかそうな尻。今もスウェットを押し上げるほど、パツンと上向いた丸い尻から目が離せない。
どうにか触れないだろうか。どんなに柔らかいのか、確かめてみたい。
四六時中、寝ても覚めても、何なら夢の中でも、ずっとそんなことを考えてしまうのが、俺の悩みだ。
「キャップ?具合でも悪いんすか?」
ふと沢村の声に我に返る。
「あ?いや、なんか最近疲れが取れなくて」
ふと出た言葉がよりによっておっさんみたいなセリフで、倉持はじとりと横目で睨みつけてくる。
「おっさんですね!」
そして、肝心の沢村はわはは、と笑い声付きでそんな事を言う始末。
「うっせぇよ。お前らの相手すんのも疲れんだよ」
「で?何してたんだよ、お前らは」
「あ~…栄純くんがお尻を触れって」
「「は?」」
きれいに倉持と被ってしまったが、まさしくそれである。俺の思考読まれたのかと思った。
「俺最近下半身を重点的に鍛えてるんすよ!で、さっき東条と金丸に下半身しっかりしてきたんじゃない?って言われて、確かに最近尻がでかくなった気がするんすよ!で、春市に触って確かめてくれって」
マジか…なんでそういうこと俺に言ってくんねぇんだよ。言われたらすぐ触るのに。
なんてことを考えてると知られたら隣のお兄ちゃんに蹴られること必至だ。
「僕は前を知らないし比べられないって言ったんですよ。急に触れって言われても」
困ったように笑う小湊は、本気で困惑しているのだろう。
「ふ~ん」
倉持は興味なさげに聞いていたが、おもむろにがしっと沢村の尻を掴んだ。まさしく鷲掴みだ。
おい!なんだよそれ!俺がどれだけ悩んでると思ってんだ!そんなに簡単に触るのかよ!
そう口から出なかったことを褒めてもらいたい。
「どうっすか!」
「まぁ、前よりでかくなったか」
何度か揉みしだいてから手を離した倉持が、何事もなかったかのようにそう言った。
「前の状態も知ってるわけ?」
普通に言ったつもりだが、思いのほか、声が固くなってしまった。案の定、倉持は怪訝な顔をする。
「別に変なことじゃねぇだろ。男同士なんだし」
確かに。そっか、そうだよな。なんなら、俺は捕手なわけだから、投手の状態を知るのは当たり前のことだ。
「…俺も、確認してやろうか」
一瞬声が裏返った気がするが、大丈夫だ。うん、大丈夫なはずだ。
「キャップ自ら!いいっすよ!どうぞ!」
いや、お前下心ある男の区別もつかねぇの?…下心?いや、違う、俺は沢村の尻が気になってるだけで、別にそれ以上なんか何も…そう、何もない。
「うん…じゃあ」
夢にまで見た沢村の尻。それが今目の前に…。ゆっくりと手を伸ばして掴むとむにゅりと手の中で形を変えたそれ。想像していたよりも柔らかく弾力がある。少し揉むと掌に吸い付いてくるような…なんだこれ、俺の手のためにあるような尻じゃねぇか…もっと…そう両手で揉みしだきたい…。
むにむにとその感触を楽しんでいると、「御幸…てめぇ」と倉持の地を這うような声が聞こえた。
「あの…御幸先輩…栄純くんも困ってるようなので」
小湊の遠慮がちな声もする。しまった、そう思ったがもう後の祭り。
「あ…わりぃ…。つい。お前の尻すっげぇ癒されるわ」
はは、と笑ってごまかすが、倉持の突き刺さるような視線と小湊の憐れむような視線に晒され、俺はゆっくりと沢村から離れた。
「キャップ…俺だからいいようなものの、だめっすよ!そんな触り方したら!」
真っ赤な顔の沢村がぎゃんと叫んで走り去っていった。
「…御幸、お前マジで気づいてねぇの」
「え?なに?ってか、早く行かねぇとまずくね?じゃあな、小湊。悪かったな」
「あ、いえ」
困惑したままの小湊と何か言いたげな倉持に背を向けて、俺はただ監督室を目指した。掌には柔らかな感触だけが残っていた。
倉持の視線に晒されながらもなんとかミーティングを終えて、自室に帰って洗濯物を抱えてランドリールームに向かう。とりあえず、部屋に誰もいなくてよかった。聡い奥村あたりに見られたら、何を言われるか分かったものじゃない。
洗濯機に洗濯物を放り込んでいると、そこに現れたのはよりによって沢村だ。
「キャップ珍しいっすね」
「…なにがだよ」
「洗濯する御幸一也、貴重だなって思いやして!」
沢村はたまに…いや、結構わけの分からないことを言う。俺だってただの高校生で人間だ。何もしないと思われているのだろうか。
「うっせ」
笑って、髪の毛を乱雑に撫でると、沢村はふははと楽しそうに笑った。
あ~…かわいいな、おい。
ふと浮かんだセリフに、なんでだよ!と思ったが、かわいいのだから仕方がない。…そう、ペット。ペットみたいなもんだ。
「あの~御幸先輩」
「なんだよ」
「俺の尻、そんなに触り心地よかったですか?」
それはもう最高でした。
なんてこと言えるわけねぇだろ!なんだこれ、何を言えば正解なんだ?
「…まぁ、最近疲れてたからいい癒しにはなったよ。…こう握るマスコットみたいのあるだろ?あれみたいで」
「ああ、にぎにぎマスコットっすね!なるほど!」
納得するの?こんな言葉で?お前ちょろすぎて心配になるわ。
「じゃあ、そんなお疲れのキャップに俺の尻を揉ませてあげましょう!」
ふんす!と偉そうにふんぞり返る沢村は、なんていうか…こう…とにかくかわいい。いやだからかわいいってなんだ。
「あ~…そう、揉ませてくれるんだ」
「特別ですよ!あ!みんなの前はやめてくださいね、恥ずかしいんで。さすがにさっきも恥ずかしかったんで、ちょっとやめてもらいたかったっす」
いや、俺は恥ずかしいっていうか、普通に殺されるからそれ。さっきのもいつ言われるかと思ってひやひやだわ。
「分かった。悪いな」
「いえいえ、キャップもいろいろお疲れでしょうから!あ!代わりに球捕ってくれてもいいんですよ!」
「まぁ、考えとく」
「マジっすか⁉前向きに!前向きにお願いしやす!」
「お~」
「じゃ、俺は帰るんで!必要な時はいつでも言ってくださいね!」
しゅばっと去っていった沢村の背中を見届けて気が付いた。
あれ?俺合法的に沢村の尻揉める権利得たな?
そして、その後何度も何度も揉んだが、その先にもっとやっかいな悩みがあるなんてこと、この時の俺には全く分かっていなかった。