呼び出されても抵抗する気は起きなかった。もうとっくの昔に両手では足りない数になっているのだ。さすがに諦めもつく。カインの抗議程度では、ブラッドリーが行動を変えることはないのだと。それでもため息ぐらいは許してほしい。重苦しい息が口から零れた。
ある日の放課後に、ブラッドリーの秘密とも呼べない秘密を目撃してしまってから早一か月。どうしてこう頻繁に呼び出されているかと言えば。
「カイン」
思っていたより近くで声がする。普段の授業中には聞くことのない、甘く優しい声。動揺に震えた指先を気づかれぬように握りこむ。近すぎると文句を言おうとして、それより早く髪に触れた指先に息を飲んだ。
「随分めかしこんでんじゃねえか」
かわいいな、と笑い交じりの声が耳を撫でた。俺に会うからかとでも言いたげな口調に、思わず眉間に皺が寄る。声の通りに楽しそうな顔を睨みつけた。
「……クロエの練習に付き合ってただけだ」
服を作ることが好きで、将来は服に合ったヘアアレンジもしてみたいのだと言う友人の練習台に、カインの長い髪は打ってつけだった。上手に出来たと笑う友人の前で元通りにしてしまうのは勿体なくて、ただそれだけ。ブラッドリーに会うからしたわけじゃない。
そう告げてもブラッドリーの表情は大して変わらなかった。弧を描く瞳に見つめられて落ち着かない。
「ここにはいねえのに?」
そう広くもないこの準備室の中には、確かにカインとブラッドリーだけしかいない。だからといって、カインが髪を元に戻さない理由を決められては困る。違う、ともう一度否定してそっぽを向いた。
「家族にも見せたかったんだ」
「へえ」
楽しそうな笑い声が耳をくすぐり、武骨で器用な指先が髪を梳いた。小さく跳ねた肩に気づかれないようにと心底願う。少しでも気にしていると思われたくなかった。だってこれは、カインがブラッドリーの秘密を外に漏らさないようにするための演技だ。カインの心を奪って、言うことを聞かせる為だけの。そんな不誠実な振る舞いに気持ちを傾けたくなんてない。
それでも、視線で、声で、仕草で。カインが特別なのだと示されれば無視することも難しかった。それが悔しい。
きゅっと唇を引き結び、手元のプリントに視線を落とす。少しだけくすんだ色の紙に印刷された数式は、残念ながらカインのことを助けてはくれなかった。それでも目を離すことができない。
髪を梳いていた指がするすると上に上がり、止める間もなく髪留めを外した。編み込まれていた髪が頬に落ちる。思わずブラッドリーの方を見て、後悔した。
落ちた髪を耳にかけ、いとおしそうな色を灯した瞳がカインを見つめる。
「あんな姿、他の奴に見せんなよ」
「っ、だから、家族だって言って」
「それでもだ」
俺だけにしろ、と独占欲の塊のようなことを言って、頬を撫でる。耐えきれなくなって手を振り払った。大きく距離をとる。
「あんた、こんなの……やりすぎだ!」
「どこがだよ。どんだけ手加減してやってると思ってんだ」
本気でやってやろうか、と言われ、思わず口ごもってしまった。だからいいだろと手を伸ばされ、はっとして叩き落とす。
そもそも。
「いつも言ってるだろ!こんなことされたって、あんたのことは好きにならない!」
ブラッドリーが楽しそうに笑い声を上げた。
「そりゃ楽しみだな」