爪先に綺麗に塗られたマニキュアを見て、思わず頬が緩む。練習中だから簡単なものを、なんてクロエは言っていたけれど、SNSで見るのと変わらないぐらい完璧な仕上がりだった。細かい作業が苦手なカインではこうはいかない。先程写真をアップしたが、また一枚撮りたくなってうずうずした。夕焼けに照らされた赤色は、教室で見ていたものとはまた違ってかわいい。
最終下校の時間が迫る廊下に人影はない。少しならと立ち止まってスマホを構えた。一番ネイルがかわいく見える位置を調整する。
「何やってんだ」
「わっ」
背後から声をかけられて肩が跳ねた。慌てて振り向き、見知った顔が見えてほっと息を吐く。ブラッドリーと名前を呼ぼうとして、ばちりと視線が合って固まった。
カインが選んだのは、赤いマニキュアだった。どの色が良いかと聞かれて、折角だしいつもは選ばない色にしようと思って。紫がかった深い赤。ワインみたいなこの色が、秋らしくてかわいいんじゃないかって。
他意はなかった。深く考えていたわけでもない。だけど、何だかブラッドリーの瞳の色に似ているなと思ってしまうと駄目だった。そっと視線を外し、スマホをしまう振りをして指先を隠す。
視界の端で、ブラッドリーが顔を顰めたのがわかった。
「何、やってんだよ」
「いや、その……何でも、ないんだ」
言い訳が思いつかなかった。スマホを握りしめる手に汗が滲む。ブラッドリーが悪いわけじゃない。見られて困るようなことでも、ないと思う。ただ、どうしても素直に話すことができなくて俯くしかない。じわりと熱くなった頬は夕日の色に紛れていてほしかった。
何を言ったらいいのか分からなくて口を開けない。いつもなら気にもしない風の音が妙によくきこえてきた。
「……怪我でもしてんのか」
ぽつりと落とされた声に思わず視線を上げた。ぶっきらぼうだけど不思議と穏やかで、だけどはっきりと心配の色が浮かぶ瞳がカインをじっと見つめている。自然と眉が下がった。首を振ればほっとしたように目を伏せるブラッドリーに、ますます罪悪感が強くなった。
本当のことを言ってしまったほうが、いい気がする。でも、向かい合ったまま告げる勇気はなかった。
「えっと、ちゃんと言うから、……後ろ向いててほしいんだ」
不可解そうな顔をして、それでも素直にブラッドリーが背中を向けてくれた。
スマホをカバンにしまってから、深呼吸して気合を入れて。背中にくっついたら驚いたようにブラッドリーの肩が揺れたけれど、それを謝る余裕はなかった。ぎゅっと目を閉じて、指先を前に出す。
「この色っ、ブラッドリーの目の色みたいだなって思って……それで……」
段々言葉が萎んでいく。意識してしまったとは声に出せたものの、ブラッドリーが聞き取れたかはわからなかった。でもこれ以上は無理だ。前に出していた手をぎゅっと握りしめて引っ込めた。そのまま一歩、二歩と後ずさる。
「そ、そういうことだから大丈夫だ!心配かけてごめんな!」
また明日、と早口で告げてくるりと背を向けた。全速力で階段を駆け降りる。手すりを握る指先が目に入ってしまって、耳まで熱くなってしまう。だけど、しばらく落としたくないなと、そう思った。