「だったら、してやろうか?」
口には出せないようなこと、と妙に甘ったるい声が言う。台詞だけ聞けば良い男の口説き文句だが、表情はどう見たってカインをからかっている時のものだったからため息しか出なかった。そもそも、ここは署内の仮眠室なのだ。
「そういう話じゃないだろ」
「そういう話だっただろうが」
「飲み会の話がか?」
あのメニューはおいしかっただとか、あの酒の銘柄はなんだろうだとか、同僚に最近恋人ができたらしいだとかそんな話しかしていない。そういえば、付き合うことになった時に特別な仕草をしてもらったらしいが秘密なのだと言っていたとは話したか。それが幸せそうで、いいなと思ったとも。
「そういう意味じゃないことくらい、わかってるだろ」
「どうだろうな」
伸びてきた腕に肩を抱かれ、引き寄せられる。楽しそうに細くなったワインレッドが近づいて、吐息が肌に触れた。カイン、と呼ぶ唇からはあっという間にからかう色が消え去っていた。
「わざわざ、恋人の前で選ぶ話題かよ」
してほしいって言ってるようなもんじゃねえかと言外に匂わされて言葉に詰まる。そんなわけないと首を振るのは簡単だった。だって本当にちょっとした嬉しいニュースの一つとして話しただけだ。そこに意図なんてなかった。だけど、してほしくないのかと聞かれてしまうとすぐには否定できなかった。ブラッドリーの特別が欲しくないなんて言えるわけない。だけど素直に口に出すのは少し悔しかった。
ふ、と小さな笑い声がカインの前髪を揺らす。また名前を呼ばれる。
「恋人に特別を与える権利はくれねえのか?」
「あんたなら、勝手に与えられるだろ」
「そりゃあな。だから、頼んでんだよ」
宥めるように、許しを請うように、甘く囁かれる。肩から離れた指先が流れるように長い毛先を掬い取って、そっと唇が触れる。だけどそれ以上はしてこない。武骨な指から離れた髪が胸元に落ちた。きっとカインが求めるまで何もしないんだろう。ブラッドリーはこんな時ばかり何も言わず、静かにカインの言葉を待っている。
「……ブラッドの特別は、ひとつだけ?」
虚をつかれたように目を丸くしたブラッドリーが、すぐに楽しそうに目を細めた。
「俺様がそんなケチな男に見えんのかよ」
笑い交じりにそう言って顎先を撫でた手が、カインの顔をほんの少し上向かせる。かさついた親指が唇の縁をなぞった。
——ちか、と一瞬だけ蛍光灯が瞬き、今いるのがどこなのか思い出してはっとした。慌てて口元を手で覆う。
「ま、まだいいって言ってないだろ!」
「何するとも言ってねえだろ」
そういうのが好みかよと口を隠す手を突かれて顔が熱くなった。特別なキスがほしいと言ってるようなものだと指摘されて初めて気づく。ボスが紛らわしいことするからだという言葉は笑ってあしらわれてしまった。
「後でな」
そういう時ばかり嬉しそうな声を出すのだから、ブラッドリーはずるい人だ。