撻長死は生きている物にしか行き着けない。生にしか死を産むことはできない。
殻を叩いた君はそのまま死んでしまった。彼を弱者だとは思わないが、この目で見た物が全てだった。
零號、切間撻器は死んだ。
あの箱の中に居た人間しか知らぬ逢瀬の後、実にあっけなく死んだ。
拳を砕かれ、首を裂かれ、重力などまるで無いかのように立ち歩いていた肉体は痙攣ひとつすることなくストレッチャーの上に横たわり運ばれて行った。
そして、その零の名を別の男が冠した。その男が携えていた数字は別の男が抱く事となり、つまりそれは、そういう事だった。
一度内部に入ってしまえばこの賭郎という組織は情報を得るという事に関してはある程度自由が利いた。つい最近意味を取り戻したという號奪戦のしきたりやそれを交わした者らの行く末なども当然知った。
立会人の椅子は101だが、その全てが常に存命で埋まっているワケでもないらしい。自分の胸からハンカチを引き抜き、そこに刺された数字の事を考える。
つい数日前に更新された立会人名簿のどこを見ても、自分が把握している「切間撻器」のデータと重なる物を持つ人物はいなかった。
「随分と熱心なようで。真鍋立会人。」
マホガニーの机にコースターといっしょにコーヒーが注がれたカップが置かれた。
「休憩か、南方…立会人」
お互いを立会人と呼ぶのにはまだ不慣れで、差し込まれた奇妙な間に南方が笑った。
「私が入れた物なのでご安心を」
今はもう、その”安心”の意味も人伝いに聞いて把握している。ならばよしと遠慮なくコーヒーに口をつけた。
「何か探し物でもしていたのか」
「まあ、私も似たような事を…ああ、これ持ってたんですか…」
捲っていた立会人たちの資料を南方が手前に引き寄せて捲る。號の順に並んだページは因縁のある男の顔がすぐに見えたらしく、早々に指が止まった。
「…凄いな、賭郎ってやつは絶対に敵に回せない…」
トン、と指が叩いたところを逆さから覗き込む。
生年月日はもちろん病歴なども含めた身体データ、出身に関すること、学歴、当代の家族構成、数代どころか時代を跨いだ家系の情報、そして南方が目を細めて懐かしむような事までが書かれている。
知った顔と自分のページは飛ばしてしまったのでここは未見で、なかなか激しい人生を送って来たらしいというのがかなり詳細に記録されていた。閲覧にはセキュリティがかかっているが、中に入ればプライバシーなどはないも同然だった。
「…その気になれば門倉立会人にいくつまで蒙古斑があったかもわかるかもしれないな」
「蒙古斑?下手すりゃ尾か角まであったかもしれませんよ」
「牙もあったかも」
「あなたが島で折ったっていうの、牙じゃなかったですか?」
「そうかもしれない。じゃあ今揃っているのは歯医者に行ったのではなく勝手に生えて来たのかもな」
数時間ぶりの人との会話で他愛もない事を話しつつ、また手元の資料捲りに目を戻す。
「…何をお探しか、聞いても?」
存命の立会人ファイルに目を通し終えた南方は自分が持ち込んで来ていた書類を捲りながら真鍋に尋ねた。
「…先代の、零號について少し」
先代、と言いながら南方が別のフォルダを探ろうとした。しかしそれはもう目を通したものだった。
「直接会ったことはないですがその、夜行立会人とタワーで號奪戦をした零號ですか?」
「ああ」
南方もまた、既に號とそれに絡むシステムについては把握していた。だから、席を立ち手元にあった存命の立会人の情報ファイルではないものを探した。
日付の新しいものを棚から抜き、「き、き、」と小さく言いながら該当の人物を探す。しかし、没者名簿のそこには名前がない。
「もういいんだ。彼は私から見ても異質だった。組織にとっても異常か、特別だったんだろう。見て触れる場所にあるとは思っていない」
「しかし…」
「いいんだ。コーヒー、ごちそうさま」
「長…」
南方は頭に浮かんだひとつの可能性を口にしようとしたが、真鍋はもう資料室から出て行ったあとだった。
*
「で、それがどうかしたの」
ナイショッ、と言いかけたのを遮られてしまった。気持ちよく飛んでいく打球に対して行き場を潰された掛け声をぐっと飲み込み、南方は空中でただの点となったゴルフボールを目で追いながら無造作に渡された特注のアイアンをバッグに挿した。
「いえ、先代の零號の資料が未収録なのか、紛失なのかと…紛失であれば勿論それは不手際ですので」
「ふうん。見たのは死亡者ファイルと存命ファイルでしょ。そもそもよくそんなの読む気になるね。」
「はあ…私と真鍋立会人は新参者ですので、まずは組織の把握からと…」
「いい心がけだが、それでは探し物は見つからないな。南方立会人。」
「私が探している訳ではないんですが…」
アンブレラで創一の上に影作る棟耶が南方を鼻で笑う。同じく、創一もまたおかしそうにくつくつと喉を鳴らしながら笑い出した。
「いいよ。16時には出るから真鍋立会人を呼んでおいて。蓄音機を鳴らしてあげよう。」
「蓄音機ですか?」
「手配いたします。…大変、良いご趣味です。」
蓄音機?趣味?何が「良い趣味」なのか…知能は高くとも、知らない事はわからない。閉じられた箱の中が透明なら、開ける方法を理解できても目には見えない。南方は誰からも置いてけぼりにされ、ついヘッドカバーのファーに助けを求めた。
手渡された箱の中身はビデオテープだった。U規格とベータ、それからカメラ用であろう小さなテープがいくつかと、あとの大半はVHSだった。
半ば押し込められるようにして案内された小部屋にはいくつかの再生機器とそれと画面を繋ぐコードと水、があり、応接セットの上に無造作にテレビデオが設置されていた。
白い箱からまずVHSを取り出し、まさか呪いのテープなどではあるまいと内心で茶化しながらテレビデオに挿入した。
なんてことはない、ホームビデオのようだった。小さなふくふくとした子供が庭らしい場所を危なっかしく走る背をカメラが追いかけ、時折振り返る子供に撮影者が手を振っている。
『じょ!』
何故転ばないのかが不思議なボディバランスで歩を進める子供の先に黒い脚が見えた。子供が飛びつき、「抱っこ」の催促に応じてその上から手が降りてくる。隣に同じような格好の男がもう一人立っている。
「…は?」
『創一さま。脚が速くなられた。』
主役たるその子供を抱き上げたのは、面差しこそかなり若いが間違いなく夜行立会人とその兄か、弟か、とにかく二人の夜行だった。
そして抱き上げられた子供は「創一」と呼ばれている。つまり、これは。
『創一』
別の男の声がする。その声に反応した創一は画面に向かっててを伸ばし、今度は撮影者の腕に移った。カメラは夜行の手に渡り、元・撮影者の姿が明らかになる。
「————…、」
予想も、考える事も不要なくらい、もう分かっていたことだった。あの子供が創一と呼ばれたのだから、それを抱く腕には限りがある。
『ぐはあ、やめなさい、いてて!それは口だ、おもちゃじゃない』
その姿もまた、若かった。腕には誰かと通じ合った故の結晶を抱いている。何故だかひどく重たい石を抱かされたような気になった。
『創一、』
『創一!』
『こっちに来い、競争だ』
そんな面があったのかと驚く暇もなかった。まだ、表も裏もしらなかった。それでも画面の中で快活に笑う男は間違いなくあの日殺し合ったその男だった。
男の全てを知っているつもりではなかった。表も裏も、知っているといえばそうだ。調べて分かるだけの事は知っていた。それはこの男もそうなのだからおあいこだ。。
どんな種類の暴力も、それらが記録された写真も、映像も、眉一つ動かさずに見て来た。目の前で再生されている映像はそれらよりも入手は難しいだろうが、内容の易しさなんか比べるまでもない。
一本、また一本と再生する。箱の中身は空になってゆく。早送りも巻き戻しもせずただ画面を眺めて知らない男の顔を見ていた。