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    みゃこおじ

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    みゃこおじ

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    ワンドロに投稿しようと思ってやめたココイヌ未満

    【ココイヌ】「ココ、放課後、塾なかったら一緒にきて欲しいところがあるんだ」
     久しぶりに学校で顔をあわせた乾は、教室の一番後ろの窓側の席に座っていた九井に向けて開口一番そう言った。いつ以来ぶりだろう、乾が笑っている顔を見たのは。長かった金糸は火事で焼けてしまったのを整えるためにすっかり短くなり、顔の左半分を覆った火傷の痕はとても痛々しい。すっかりと塞ぎこんでしまい、感情の起伏が薄くなってしまった乾は、あの凄惨な火事の日以来、笑わなくなってしまった。
     だから、九井は反射的にいいよと頷いていた。本当は塾の日だったけれど、今日くらいサボったって構いやしない。乾はぱぁっと頬を綻ばせ、ありがとうと微笑んだ。朝の会開始のチャイムが鳴ると、じゃあねと言って乾は自分のクラスに戻っていった。
     忘れもしない昨年の秋口、乾の実家は火事で燃えてしまった。この近所でボヤも含めてこの近辺で連続放火事件が起こっており、最悪なことに、乾の家がターゲットになってしまった。後に放火魔は逮捕されたものの、家屋は全焼。そして、乾の姉である赤音は全身火傷が酷く、今でも生死の境を彷徨っている。体を治すためには整形手術をする必要があるが、それには4000万円という途方もない金額がかかるらしい。
     包帯にグルグル巻きにされ、様々な機械に繋がれる赤音を見舞う度にとても心が痛む。火事があったあの日、九井は赤音に対して自分の気持ちを伝えた。小学生の戯言と赤音は一笑せず、待っているねネと子供の戯言に応えてくれた。それは社交辞令なのかもしれないけれど、少なくとも、赤音もどこかで自分と同じような気持ちを抱いていてくれていることが嬉しくて、天にも昇る気持ちだった。
     あの火事は、赤音のことを一生守ると誓った矢先のできごとだった。どうしてあの業火の中から赤音を救い出せなかったのだろう。そうしたら、想像も絶する痛みと苦しみを感じなくてすんだのに。家の中は煙が充満し、息をするのもやっとだった。熱風が遅いかかり、迫りくる死の恐怖に耐えなくてはいけなかった。燃え盛る家の中で赤音の姿を必死で探し出し、どうにか背負って助け出したのは、赤音の弟である乾の方だった。
     赤音じゃない、青宗だと息も絶え絶えに乾が告げた瞬間、ガラガラと全てが崩れ去る音がした。赤音を助け出すために再び業火の中に飛び込もうとしたが、玄関先はすっかり炎の扉で閉ざされ、九井は無力にもその場に立ち尽くすことしかできなかった。
     その後消防隊が駆けつけ、消火活動と赤音の救助活動が行われたが、乾と火事の中に飛び込んだ九井は先着した救急車に乗せられて病院に搬送された。幸いにも、乾は軽い火傷(とはいえ、顔には一生残る火傷の痕が刻まれている)の他には大きい外傷はなく、数日の入院で済んだ。
     赤音を救えなかったことは九井の心に大きな影を落とした。乾の両親からは息子だけでも助かってくれてよかったと九井の無謀ともいえる救出劇に感謝されたものの、九井は素直に喜ぶことができなかった。一生守ると約束したのに、それを守れなかった不甲斐なさに押しつぶされそうだった。なんとしても、赤音のために4000万円という大金をつくりだしてやると決めた九井は、様々な犯罪に手を染め始めた。
     乾は火事の日以来、ほとんど学校にこなくなった。乾は同じ学区内にある都営住宅に引っ越し、そこは九井の家とも正反対の場所だったため、乾と顔を合わせる機会もなくなってしまった。休みの日は赤音の見舞いに病院に足を運んだが、疲弊した乾の両親しかおらず、乾の顔は随分と見なくなってしまった。
     金集めの方が順調で、少しずつ人脈を作り上げていた。しかし、その矢先に、久しぶりに乾から電話がかかってきたと思えば、それは、最悪の知らせだった。
     心のどこかではわかっていた。生死の境を彷徨う程の火傷を負って生きられるはずがないと。それでも、生きてくれると信じることしかできなかった。包帯はとることはできなかったけれど、安らかに眠る赤音の顔は、どことなく笑っているように見えた。どれだけ苦しくて、痛くて、辛かっただろう。全てのしがらみから解放され、どれだけ楽になったことだろう。
     しめやかに行われた葬式には赤音の死を悼む高校の同級生や友人たちが集まっていた。すすり泣きと読経が聞こえる会場で、真っ白い花祭壇の真ん中に飾られた遺影の中の赤音は、そのしんみりとした空気を払拭するような満面の笑みを浮かべていた。高校の入学式の日に両親と一緒に撮影した写真なのだという。16年という短い人生を終えた少女の、最後の晴の日。だれがそんな喜ばしい日の写真が遺影になると思ったことだろう。
     人生で初めて経験した葬式が、最愛の女の葬式だった。九井の祖父母は高齢ではあるがまだまだ健勝で、齢70を超えた老人よりも自分よりも少し年上の少女が死ぬなんて、世の中は不条理すぎる。
     乾と顔をあわせたのも、その葬式が最後だった。だから、久しぶりに顔をあわせた乾が少し元気になっていたことが嬉しかった。しかし、乾の顔を見る度にズキズキと心が痛む。どれだけ髪の毛が短くなっても、乾に赤音の影がちらついた。
     その日一日は気もそぞろで授業を受け、帰りの会が終わったのと同時に教室をでた。乾のクラスは先に終わっていたらしく、教室の前で乾が少し疲れた顔をしてリュックサックを背負って佇んでいる。お待たせと声をかけると、乾は顔を明るくして、早く帰ろうと九井の手を引いた。
     校門を出て向かったのは、乾が今住んでいる家の方だった。どこに行くんだよと尋ねても、秘密とはぐらかして行先を答えてはくれない。住宅街を抜け、大通りの方に出る。九井の少し前を歩く乾は少し浮足立っているように見えた。
    「ここだよ」
    「ここって…バイク屋?」
    「そう」
     乾が足を止めたのはS・S MOTERSというバイク屋だった。店の前にも店内にも数多くのバイクが整然と並んでいる。店内には派手な髪色をした客が何人かいて、作業着をきてオイルまみれになった黒髪の青年を取り囲んで談笑していた。
    「真一郎くん!」
     乾がそうやって呼びかけると、作業着をきた青年がこちらを向く。青宗、と彼が手をあげて乾に応える声に、ぞわりと粟肌がたった。乾は飼い主の帰りを待ちわびていた子犬のように駆け出して、真一郎に飛びついた。周りの客とも顔見知りなのか、青宗またきたのかよと笑っている。乾の金糸を撫でる真一郎と呼ばれた青年は、今日は学校行けて偉かったなと慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
     青宗と親しみをこめて乾のことを呼んでいる彼らが、歪んで見える。髪を染め、刺青をいれた典型的な不良というナリをした彼らが、どうして乾と親しくしているのだろう。あんなに楽しそうに乾は笑えるのだと九井は愕然とした。自分が知らない乾青宗という人間が、今目の前にいる。
    「お、青宗が紹介したいっていうココって、あいつか?」
    「うん、そう」
     ココ、と乾しか呼んだことのないあだ名で呼ばれ、いよいよ気分が悪くなってきた。胃の腑からどろどろとしたなにかがこみ上げてきて、九井は思わず後ずさる。どうして初対面の彼にこんなに負の感情に近いものを抱くかはわからない。
    「…ごめんイヌピー、本当は今日、授業はねぇんだけど塾で面談があって、そろそろ行かなきゃ」
    「え……そっか、ごめん」
     明らかにしゅんとしてしまった乾に罪悪感が募る。それでも、どうしてもこの場から逃げ出したくて仕方なかった。真一郎を一瞥すると、ペコリとお辞儀をして九井は駆け出した。ランドセルの中でガチャガチャと教材が跳ね上がる。耳障りなその音は、遠くから九井を追いかける足音のようだった。
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