元柱・宇髄天元が猫を飼い始めた話元柱・宇髄天元が猫を飼い始めた。その噂は一気に鬼殺隊士の間で広まった。何故なら、最近の宇髄は世間話では必ず「俺の猫可愛くてなぁ」と話し始めるからだ。その後は宇髄の独壇場…
「アイツ、俺にメチャクチャ甘えてくんだよ。布団の中にも潜ってくるし。でもぜってぇ背中向けてくんだよな。まぁ向き直させるけど」
「昼間は部屋ん中で俺に寄りかかったりしてぐてぇ〜って過ごすんだけど、夜になると外で遊ばせたりすんだわ。遠くにいかねぇように俺が毎回付き合うハメになっちまったけどな。夜行性だからしょうがねぇんだけど」
「実はな、戯れてる最中に背中引っ掻かれちまったんだよ。後、噛まれて痕が残っちまったりもしてなぁ。まぁ可愛いから全然良いんだけどよ」
等々、嬉々として猫との暮らしを話し続ける宇髄。一度この世間話に捕まった猫好きの甘露寺蜜璃に「その猫ちゃんに会ってみたいです」と頼まれた時は、
「アイツ人見知り激しくてな。うちの人間以外には隠れて姿見せねぇんだよ」
と申し訳無さそうに断った後に「でもそういうとこも可愛いよな」と満面の笑顔で告げてその溺愛っぷりを発揮した。そして今日、この宇髄の世間話に捕まったのは、炭治郎と善逸であった。
満面の笑顔で、可愛い、可愛い、と連呼する宇髄に、善逸は、もう解放して…とげんなりとなっていたが、炭治郎は温かい気持ちに包まれていた。
吉原での死闘の末、左眼と左手を失い、柱も引退する事となった宇髄。命は取り留めたものの、その代償は大きく、しばらくは何も手につけなかったと聞いていた。死闘の相手…上弦の陸・妓夫太郎が付けた傷はこの先一生消える事はない。きっと傷を見るたびにあの死闘を思い出す事だろう。この人にとって本当の平穏はまだ訪れていない…そう感じてた矢先の猫の話。
(宇髄さん、すっごく幸せな匂いだなぁ。本当にその猫の事好きなんだなぁ)
宇髄から香る匂いで、彼が今とても心穏やかな生活を送っている事が分かる。それに安堵した炭治郎は「きっとその猫さんも宇髄さんの事大好きなんですね」と満面の笑顔で告げた。炭治郎のその言葉に宇髄は「当ったり前だろ」と歯を見せニカッと笑って、自分が今幸せである事を伝えた。
「はぁ…まさかあの人があんなに猫好きになるなんて…」
「別に良いんじゃないかな。今日の宇髄さん、すっごく生き生きしてたよ」
「あれは生き生きし過ぎぃぃ」
夜も更けた頃、炭治郎と善逸は共に任務を果たし、木々が生い茂る森の中を会話をしながら歩いていた。語り合うのは任務の話ではなく、昼間の宇髄の話。
「あの人、絶対猫に変な名前付けてるよ」
「祭りの神だから、マツリとか?」
「いや絶対そんな普通の名前じゃない。西洋風な名前とか勢いで付けた名前とかそんな感じの…」
そう会話を弾ませていた時…二人は、背筋にゾクッと走る悪寒を感じ取った。それは鬼の気配…それも、普通の鬼ではない…しかもそれは既にそこまで来ていた…
こんな近くになるまで気付かなかったなんて!
そう血相を変え、二人は互いに背中を預け、刀を構えて神経を研ぎ澄ます。その時だった。その気配が姿を現したのは。
二人はその気配を感じ取れなかった事に驚愕したが、何よりも驚愕したのはその正体だった…
「な、なんでッ……」
「……あ"」
その鬼は姿を現すやいなや、炭治郎と善逸へ視線を向けた。黄色眼球に光る薄緑色の瞳が二人を捉える。
その瞳に見つめられ、炭治郎は目を見開き、冷たい汗をどっと流す…
あの時間違いなく頸を斬った筈…斬れていなかったのか?やはりあの時確認を怠ったのがいけなかったのか?
炭治郎の頭の中はグルグルと回りだす。
(何をやってるんだ!動け!奴の素速さは知ってるだろッ!)
色んな考えを振り払い、自らを鼓舞し、炭治郎は刀をぎゅっと握り締め呼吸を整えた…そして臨戦態勢に入ったその時…
「おいコラ!妓夫太郎!遠くに行き過ぎだこのバカタレ!!」
その鬼…上弦の陸・妓夫太郎がやって来た道と同じ道を駆けて現れたのは、元音柱・宇髄だった。
「……え?」
「ん!?」
妓夫太郎の真横に立った宇髄に、炭治郎と善逸は目を丸くした。宇髄もまた、炭治郎と善逸の存在に目を見開き一瞬焦った表情を浮かべたが、すぐさま何事も無かったかのように笑みを浮かべて二人に語りかけてきた。
「よう!竈門に我妻じゃねぇか!昼ぶりだなぁ!何だ?任務帰りか?」
「へ!?あ、は、はいッ」
あまりにも普段通りに語りかけてきた宇髄に二人は思わず肩をビクッと震わせ返事をする。
「そうか!遅くまでご苦労なこった!早く帰って身体休めろよ!」
「は、はいッ…ぁ、あの…」
「ん?どうした竈門」
「ぅ、宇髄さん…その、と、隣……」
「隣?」
炭治郎は困惑した表情で宇髄の隣にいる妓夫太郎へ視線を向ける。その視線を追って、宇髄も自分の隣に視線を移すが、
「……隣がどうした?」
「イヤイヤイヤイヤ!!隣!!アンタの隣にいるでしょーがーーーッ!!!」
笑顔で「何かあるのか?」と言わんばかりの宇髄に、善逸が全力でツッコんでいく。流石に何も言わずにはいられなくなった宇髄は笑みを浮かべながら答えた。
「ん?あぁ。コイツな。俺の猫だが?」
「……は?」
「……は?」
「は?」
さも当たり前のように答えた宇髄に、炭治郎と善逸は気の抜けた声を同時に上げ、宇髄の隣にいる妓夫太郎もまた気の抜けた声を出してしまった。
「昼間話したろ?飼い始めた猫の話」
「え?え?」
「それがコイツだよ」
「いや…あの…ぅ、宇髄さん??」
「今、外で遊ばせてる途中なんだわ。そしたらコイツ勢い余ってこんな遠くまで来ちまってなぁ。参った参った」
ハッハッハッ!と高笑いする宇髄に、炭治郎と善逸は困惑を隠せない…
猫?いやどう見ても鬼…しかも、死闘を繰り広げたあの上弦の陸…瞳に刻まれた文字は消えているが、この気配は間違いなくあの時の鬼、妓夫太郎だ。そんな妓夫太郎を何故宇髄は自分の猫だと言い張るのか…
(嘘の匂いはしない…どういう事だ?)
宇髄からは嘘をついている匂いはしない。それが更に炭治郎を困惑させた。
嘘をついていないという事は、宇髄は本当に妓夫太郎を猫だと思っているという事…まさか宇髄は血鬼術で幻覚でも見せられているのか?そう心配した矢先…
「な?もうこんな遠くまで来るんじゃねぇぞ?分かったか?妓夫太郎」
宇髄は優しい眼差しで妓夫太郎を見つめ、妓夫太郎の顎に指を当てては撫でていく。まるで猫の喉を撫でるかのようなその手付きに、妓夫太郎は眉を顰めて迷惑そうな表情を浮かべ、
「ゃ……」
「ほら妓夫太郎。いつもみてぇに甘えた声で鳴けって」
「!!?」
妓夫太郎が何か言葉を発しようとした時、宇髄はその言葉を遮って意味深な言葉を妓夫太郎へ告げてきた。その宇髄の言葉に妓夫太郎は目を見開いては顔を真っ赤に染めていく…
「え?何?え?何その反応…ちょっと」
妓夫太郎の反応に善逸はより一層困惑していく…
そんな善逸をよそに宇髄は妓夫太郎の顎を撫で続けては、「ほら。鳴けって」と微笑みを浮かべながら促していく…その笑顔の圧に押されて…
「に、にゃあ"ぁぁ」
視線を泳がせながら妓夫太郎は鳴いた…そう、鳴いたのだ……猫のように。
そんな鬼とはかけ離れた妓夫太郎に炭治郎と善逸は目を点にしてしまう…
「な?可愛いだろ?俺の猫」
妓夫太郎の鳴き声に、宇髄は満足気な満面の笑顔を炭治郎と善逸に向けた。
「イヤイヤイヤイヤ!おかしいから!色々とおかしいから!!」
(すっっっごい羞恥の匂いだ…何かぷるぷる震えてる…あれ?何だか猫に見えてきた)
善逸は全力でツッコみ、炭治郎は、身体を小刻みに震わせ俯く妓夫太郎への警戒心を徐々に解いていく。
「何がおかしいんだよ」
「鬼だよね!?どう見たって鬼だよね!?猫じゃないよね!?」
直球で投げつけた善逸のツッコミに、宇髄は、
「猫だろ、どう見ても」
頑なに猫だと言い切った。
「アンタの右眼生きてますかぁぁぁぁぁ!!!?」
もう絶叫するしかない善逸は腹の底から声を出して叫ぶ…無論、その叫びは宇髄には響かないのだった。
「あの…宇髄さんっ」
「ん?」
「昼間話してくれた猫の話って…」
絶叫し撃沈して地べたに倒れてしまった善逸をよそに、炭治郎は真剣な眼差しで宇髄へと問いかけていく…
「あぁ。勿論コイツの事だが?」
「布団の中に潜ってきたり」
「おう。いつもそうだな」
「宇髄さんに寄りかかったり」
「今日も遊びに出るまで寄りかかってたぞ」
「戯れてる時に引っ掻いたり噛んだりとか」
「あぁ。あれは仕方ねぇわ。コイツも夢中になっちまって無意識にやっちまうらしいからな。ま、そこが可愛いんだけどな」
にんまりと少し意地の悪い笑みを浮かべては、ククッと喉を鳴らす宇髄。その横では妓夫太郎がしゃがみ込んで真っ赤になった顔を手で覆っていた…。
宇髄に問いかけ終わった炭治郎は、ふぅ…と一息をつく…そして、最後に伝える言葉は、
「とっても可愛らしい猫ですね!!」
それは純粋無垢な満面の笑顔で告げられた言葉だった…
「おう!でも俺の猫だからなッ?そこは忘れんなよッ?」
その純粋無垢さに何か危険を感じた宇髄は、満面の笑顔ながらも威圧感を発していく。
そんな二人のやり取りを善逸は「炭治郎〜戻って来て〜」と嘆きながら見つめるのだった。
「んじゃ俺らはそろそろ帰るな!お前らも早く帰ってゆっくり休めよ!」
そう言い、宇髄はしゃがみ込んでいる妓夫太郎をひょいっと肩に担ぎ上げて二人に背を向けた。
「っと、言い忘れてたわ」
何かを思い出したかのように宇髄は二人へ振り向き、そして笑顔で告げてくる…
「コイツの事、他の奴等にはぜっっってぇ言うなよッ?」
ゴゴゴゴォォッと音が立つかの如く威圧感を発する宇髄…それは決して他言は許さないという宇髄からの圧力…その圧力に善逸は「やっぱこの人故意犯じゃん!!」と心の中で叫び、炭治郎は「はい!分かりました!」と素直に従った。
宇髄の屋敷へと帰って来た妓夫太郎は自身の部屋として使っている日の当たらない座敷でしゃがみ込んでは、まだ真っ赤な顔を手で覆っていた。そんな妓夫太郎の横には胡座をかいて座る宇髄。
「おぃ…お前ぇぇ…」
「ん?」
「俺の事、周りの奴らに猫として話してんのかぁぁっ?」
「わりぃ。お前の可愛さを話したくてつい」
「つい、じゃねぇよボケェェェ……」
何故死闘を繰り広げたこの二人がこうして共に暮らしているのか…何故宇髄は妓夫太郎を愛おしい眼差しで見つめ、妓夫太郎の頭を優しく撫でているのか…何故妓夫太郎は素直に宇髄に撫でられているのか…
それはまた別のお話……。
余談
勿論梅ちゃんも宇髄家にいます。