誕生日までにはその壁をその日、音柱・宇髄天元は自宅屋敷へと急ぎ足で向かっていた。
(さっさと帰らねぇとな)
久々の我が家。屋敷に待っているのは嫁三人。その嫁達の元へ急ぐ為と周りの者は思うかもしれない。だが、それは少し違っていた。
(アイツが先に着いちまう)
宇髄が思い浮かべるのは嫁達の姿ではなかった。
小柄な身体をぴょんぴょん跳ねさせては癖のある黒髪を靡かせ、個性的な痣が彩るその顔にニヒヒと特徴的な愛らしい笑顔を浮かべるその姿……
今にも「柱ぁぁ」と自分を呼ぶ声が聞こえてきそうで、宇髄は口元に笑みを浮かべる。
(いい加減「柱」呼びはやめてほしいんだがな)
──らぁぁ
(無理矢理にでも名前呼びさせてみるか?柱って呼んだら罰を与えるっつう名目で)
──しらぁぁ
(そうなると、罰の内容だな。アイツが嫌がんのはアレ辺りか。今度やってみて……)
──はしらぁあ
宇髄の時が一瞬止まる。思考に集中していた為か、聞き慣れ過ぎていた為か、その声に気付くのが遅れてしまった。
「なぁぁ、柱ぁあ」
その声は明らかに自分の背から…背後ではなく、間違いなく背から聞こえてきた。微かに重みを感じる自身の背…チラリと背に視線を向けるとそこには…
「あ、やっと気付いたなぁぁ」
ニヒヒッと今しがた思い浮かべていた笑みがそこにはあった。自身の背に張り付きながら……。
「妓夫太郎!?お前、いつの間に俺の背中に!?」
「んん〜?どうしたんだぁ柱ぁぁ。柱ともあろう者が俺にしがみつかれて気付かねぇなんて……変なもんでも食っちまったかぁぁ?」
他の者が言ってきたら腹の立つ言葉だっただろう。だが言ってきたのは自身が愛しいと想う者。腹が立つなど一切無かった。愛しい者からの言葉に、宇髄は苦笑を浮かべ、ハァ…と深い溜息をつく。
「あぁそうだな。お前を背負うのに慣れ過ぎちまったせいで気付くの遅れたわ」
「そうなのかぁぁ?」
「つか何でしがみついてんだよ…気付いて欲しいなら普通に抱き付いてこいよ…」
「……そこに柱のデッケェ背中があったから?」
「お前のそのわけわからねぇとこも好きだぞ」
宇髄からのその言葉に、妓夫太郎は嬉しそうにヒヒヒッと笑って、宇髄の背をよじ登り、腕を宇髄の首へと回し、ガッシリと抱き付く。そんな妓夫太郎に宇髄はフッと微笑む。こうして甘えてくる妓夫太郎が愛らしくて出た笑みでもあったが、ついつい甘やかしてしまう自分への笑いでもあった。
「俺の屋敷に行くんだろ?このまま連れてくぞ」
そう告げて、妓夫太郎の足を抱え歩き出す宇髄。その問いに口に出して答えなかった妓夫太郎だが、ギュッと強める腕の力が了承の意を伝えていた。
「なぁ柱ぁ…」
「ん?何だ?」
「もうじき柱の誕生日だろぉぉ?何か欲しいものねぇかぁ?」
もうじきと言っても後1ヶ月はある自分の誕生日の話題に、宇髄は目を見開いて視線を妓夫太郎へと向ける。
「まだ1ヶ月以上先だぞ?」
「早めに準備しとかねぇと、何かあったら用意できねぇだろぉぉ?」
「何かって……何だよ」
妓夫太郎の言葉にざわめき立つ宇髄の心中。死と隣り合わせの鬼殺隊…昨日までは無事な姿だったが今日は…という者もいる中でのその言葉は、不穏なものでしかなかった。そんな心中で思わず表情を固まらせてしまう宇髄だが、
「え?だって、いざ買いに行ったら売り切れとか嫌じゃねぇかよぉぉ。俺はぜってぇ柱が欲しいもんを確実に用意してぇんだよ」
そう唇を尖らせながら伝えてくる妓夫太郎…宇髄の不穏な心中等知らないと言った雰囲気である。そんな妓夫太郎に宇髄は思わずククッと笑ってしまう。
あぁ、お前は本当に俺の心を和ませてくれるな…と。
「なぁに笑ってんだよぉぉ」
「ん?あぁわりぃわりぃ。何でもねぇよ」
鬼殺隊が死と隣り合わせなのは確かだ。だからといって日常にまでその不穏な空気を持ち込むのは無配慮だなと…宇髄は心の中で反省をした。
「笑ってねぇで、柱の欲しいもん教えてくれよなぁぁ」
「俺の欲しいもんねぇ…」
自分が欲しいものを思い浮かべ、視線を妓夫太郎に向ける宇髄。
「あ、勿論俺が用意できる範囲でだぞぉぉ?」
「分かってるって。つか、俺が欲しいもんっつったら一つしかねぇからなぁ」
「おっ、何だ何だぁぁ?」
宇髄の欲しいものを聞きたくて、妓夫太郎は瞳を輝かせながらその言葉を待つ。そんな妓夫太郎に宇髄は、「んんんッ」と湧き立つ欲情を必死に抑え、一呼吸を置き、改めて妓夫太郎へ視線を向けた。
自分を見つめる煌めく青い瞳を、真剣な眼差しで……確実にその耳に届く、低く落ち着いた声で、宇髄は告げる。
「"妓夫太郎"っつう名前の、小柄で可愛らしい嫁が、俺は欲しい」
その言葉に妓夫太郎は目を見開く。表情から飄々とした笑みを消して、宇髄をジッと見つめる妓夫太郎。そんな妓夫太郎に宇髄は続けて「用意してくれるよな?」と微笑みながら告げた。
もう何度目かは分からない求婚。お互いに気持ちはある。後は、妓夫太郎の了承のみ……
ほら。「分かった」って返事してくれよ……妓夫太郎。
「……え?そりゃ無理だなぁぁ」
宇髄会心の求婚を、妓夫太郎はあっけらかんとした口調でバッサリと斬り捨てた……その返答に思わずズルッとツッコケてしまう宇髄…
「はぁぁ!?お前、ここまで来て断るか!?」
「だってよぉぉ。俺可愛らしくねぇし、柱の希望通りの嫁は…」
「いやお前は充分可愛らしいわ!お前の可愛らしさに俺がどんだけ欲情してると思ってんだッ!」
「……ド派手にかッ!」
「おう!ド派手に欲情してるわ!」
ハッとした表情を浮かべては宇髄の決め台詞を借りた後、「なるほどなぁぁ」と一人納得する妓夫太郎…そんな妓夫太郎に宇髄は「オイコラ」と眉を顰める……
「何一人納得してんだよ。俺は全然お前の返事に納得してねぇぞ」
「んん〜?だってよぉぉ…柱が俺に欲情してくれんのは嬉しいし、柱と床一緒にすんのも好きだけどよぉぉ……俺が嫁はなぁぁ」
むむむぅッと表情を歪め、思考しながら妓夫太郎は顔を宇髄の首元に沈めていく。
妓夫太郎の自己卑下は今に始まったことでは無い。妓夫太郎が自身を卑下する度に「そんな事ねぇよ。俺はそんなお前が好きだぞ」と妓夫太郎を肯定してきた宇髄は、どこか寂しげな表情を浮かべる。どんなお前でも俺は愛しているのだから、何も心配いらないと伝えていたつもりだった。その気持ちがまだ伝わりきっていないのだと……。
周りからは包容力のある男と言われているが、最も包み込んでいたい相手を未だ安心させる事が出来ないでいる自分に、宇髄は溜息をつく。
(コイツの心にはまだ壁がある…その壁をブッ壊さねぇと無理か……)
心に決めた相手…嫁達には悪いと思っているが、妓夫太郎は初めて自分が惚れ込んだ相手なのだ。この手で必ず幸せにしたい。誰の手でなく、この手で……そう宇髄が心に誓っていると…
「……ん?」
自身の頬に何やらむにむにと当たってくる柔らかい感触に、宇髄は目をパチリと開く。視線を横に向けると、そこには、うっとりとした表情を浮かべながら、自身の頬をむにむにと頬に押し当ててくる妓夫太郎の顔があった…
「……妓夫太郎ちゃ〜ん?何やってんだぁ〜?」
「ん〜…柱の肌はやっぱ艶肌でスベスベで気持ち良いなぁぁ」
「お〜そうかそうか。そんなに俺の肌が好きか」
「ん〜大好きだぞぉぉ。柱自身も大好きだぞぉぉ」
「だったら嫁になれよ」
「ん〜……柱並みに艶肌になったらなぁあ」
「よし。最新の高級化粧水贈ってやる」
初めてだった。妓夫太郎が嫁になる条件を出してきたのは。いつもはあやふやに断られ続けてきた。それが今「艶肌になったら」と答えた。明確な時期ではないが、妓夫太郎にその意志がある事を知れた宇髄は微笑む。本当は今の肌のままで全然構わない…寧ろ妓夫太郎の肌はモチモチしていると思っている。艶肌になるのもそう遠くはない……。
宇髄の耳に、妓夫太郎の心の壁が少しずつ崩れていく音が聞こえてくる。その壁が綺麗に崩れた後はきっと……
「俺の誕生日までに艶肌になれよ〜」
「ん〜……努力するなぁぁ〜」
1ヶ月先の誕生日が楽しみだな…と、宇髄は心を躍らせながら、未だ自身の頬に頬をむにむにと押し当ててくる妓夫太郎を背負って屋敷へと帰っていった。