オー晶♀Webオンリー 合作企画作品ある秋の風が爽やかな日。
晶は中央の国で開かれている骨董市に来ていた。
旅をしながらヴィンテージの服飾を集めては各地の市に出ているという魔法使いの噂を聞きつけたクロエが誘ってくれたのだ。
市と聞き小さなスペースで選りすぐりの品物を並べている様を想像していた晶だったが、その魔法使いの店は表向きは小さなテントでありながら一歩中に足を踏み入れると広々とした空間が広がっているという不思議なものだった。
後に聞いた話によるとこの店は魔力を持たないもの1人では訪れることが出来ないのだという。
晶にとって店内の商品はどれも珍しいものだったが、クロエはかつて訪れた地で見たものも多いらしく「ラスティカが教えてくれたんだけどね」と一つひとつ丁寧に説明してくれた。
試着をしてみたりアクセサリーを相手に合わせてみたりとまるで放課後に寄り道をしているかのように一頻りはしゃいだ2人は其々欲しいものを探すことにした。
しかし、クロエがアンティークのボタンやリボンをあれも良いこれも良いと悩みながら次の衣装を想像して選んでいく一方で晶は何も選べずにいた。
いつか元の世界に帰るのにこの世界から持って行けるか分からない私物を増やしたくはない、仮にその時が突然訪れたとしても極力皆の迷惑にならないようなものにしたいと物欲よりも難解な条件が邪魔をするのだ。
「賢者様も何か記念に買うのはどう?」
晶が品物を手に取らず遠慮がちに見ているだけなのに気付いたクロエが提案した。両手には既にたくさんの品物を抱えている。
「でも、何を買えばいいんでしょう。お洋服やアクセサリーはいつもクロエが素敵なものを作ってくれますし」
「えへへ、嬉しいな。あ、じゃあ香水とかどう?俺は作れないから。ほら、これとかすごく綺麗!」
クロエが指差した棚には繊細な細工が施された小瓶が並べられていた。手にするだけで自分が可憐なお姫様であるかのように思わせてくれるとても素敵な品物だ。
そっと手に取り香りを確かめる。
「わぁ...綺麗ですね。それにほのかな香りで落ち着きます」
「うん!俺も賢者様にピッタリだと思う」
***
自室に戻った晶は早速市で買った香水を使ってみることにした。作法はよく分からないが、映画などで仕草は見たことがあった。ガラスで出来た小瓶の栓を抜き軽く手首に付け、さらにそれを首にも移していく。
好きな香りを纏っているだけでとても心が躍る。
少し甘くて、でも爽やかで、なんだか懐かしい。
このまま部屋にいるのは勿体無い気がして魔法舎の周りを散歩してみることにした。
いつも猫と遊ぶ中庭へ行くとムルとシャイロックがいた。
「あれー?賢者様なんだか今日は一段と気になっちゃう香りだね」
「実は市に行って買った香水を付けてみたんです」
ムルは頬に指を添え、何かを思案している。
「う〜ん、これは西の国で食べたチョコドーム...ネロのトレスレチェス...それとも昨日みんなで作ったなぞなぞたこ焼き?」
彼から聞くととても不穏な"なぞなぞたこ焼き"という名前から、そういえば任務から帰ってきたときにリケが食べ物で遊んではいけないと思います!あんな背徳的な...と戸惑っていて、それを聞いたブラッドリーにてめぇも色々ぶち込んでたじゃねぇかと揶揄われていたのを思い出す。
まとめると甘すぎて変な香り、ということだろうか。
「もしかして付けすぎてますか」慌てて両手首を確かめるが、自分では分かりにくいものなのか、微かにしか香ってこない。
「ううん、ちょっと待ってね。エアニュー・ランブル!」
先程まで思案していたムルが何かを思いついたかのように呪文を唱えると晶の体からキラキラとした粒子が現れた。
彼は目を閉じて手を伸ばし、粒子を混ぜるように触れて何かを確かめている。
「うん。やっぱり!これ俺が作った香水かも!」
ムルは子供の頃の玩具を見つけたかのように歓喜した。
「おや、懐かしいですね」
「シャイロックもこの香水を知っているんですか?」
「世紀の知恵者ムルが作った魔法の香水。かつて西の国の貴族たちがこぞって欲しがった逸品です。その香水を付けて会った相手の感情によって香りが変わる仕掛けがあったかと。例えば賢者様のことを好きな方程甘く感じるなど」
ムルとはまた違う、過去の無茶を懐かしむ笑顔を浮かべていた。
「俺は賢者様の香り美味しそう!って思った!」
ムルはにゃーんと飛びついて晶の頬にかぷりと甘噛みした。
「わー!?」
「こらムル。おやめなさい」
この場にシャイロックが居なくて諌めてくれていなかったらとんでもないことになっていたかもしれない。
はしたないですよ、と言いながらもシャイロックがいつものように優雅にしているので晶は慌てている方がおかしいのかなと錯覚しかけた。
***
ムル達の説明を聞き香りを落とそうと決めた晶は部屋に戻ってシャワーを浴びることにした。
なるべく人目を避けようと裏庭を通ると今度はオーエンに出会した。
「けんじゃさま、聞きたいことがあるの」
見た目はスラリと背の高い青年だが、幼子の様な話し方から察するにどうやら"傷"の方らしい。
「こんにちはオーエン、どうしたんですか?」
なるべく早く立ち去りたいところだったが、彼に対しては特に丁寧に接する必要があった。いつもと違う態度を取ればそれだけで不安にさせてしまう。
側まで近付き彼の顔を見上げる。
いつも意地悪を言う口から可愛らしい言葉が出てくると思わず撫でてあげたくなる晶だったが、元に戻った時に変なことをしていると怒って距離を置かれそうだと思い直しぐっと我慢する。
「あのね、さっきね」
傷のオーエンは何かを言いたげにチラチラと晶の顔を見る。
"さっき"という発言と彼の視線の先を辿って晶が出した答えは"ムルの歯形が付いているのかもしれない"だった。
咄嗟に手で頬を隠したせいで、彼の中で何かが確信に変わったらしい。
「けんじゃさまってやっぱり...」
やばい、と思った時にはもう遅かった。
がふりとまるでクレープを食べるように噛みつかれた。
「痛ぁ」
遠慮の無さに先ほどのムルは随分手加減してくれていたのだと知る。
「あ、ごめんなさい!でもさっきも食べられてた...」
「あれは違うんです!」
言動は幼なくともその体躯と力は成人男性のもので逃げようにもがっちり肩を抑え込まれ上手く逃げられない。
一方の傷オーエンは匂いと味が一致しないことが理解できないらしく、あれおかしいなと何度もがぶがぶ噛みついてくる。
「すごく甘い匂いがするのに、味しない...」
晶の頭にふとシャイロックの言葉が蘇る。
"例えば賢者様のことを好きな方程甘く感じるなど"
そういうことなのだろうか。もしそうだとしたら結構嬉しい。エヘヘ、と思わず顔が綻び、制止する力も弱まってしまう。
オーエンの気持ちはいつも推察だった。言動と中身がアベコベなの"だろう"、本当はこういう気持ちなの"だろう"と。
そして同時に皆が香水を欲しがった理由がよくわかる。相手の気持ちは見えないからふとした事で不安になる。自分の気持ちでさえ理解できない事があるのだから指標になるものがあれば手を出してしまうに違いない。
オーエンの気持ちを知って晶がニヤついている間に彼はピタリと動きを止めていた。
それに気付かずデレデレと言い放った「私は食べ物じゃありませんってば〜」の言葉だけが虚しく響く。
そしてようやく気付く。
あれ、なんだかとても嫌な予感がするぞ。
「あの...オーエン、さん?」
おずおずと顔を覗き込んで確かめると先ほどの天使のような瞳は消え去り鋭い眼光がこちらを睨んでいる。
「なに、これ」
オーエンはゆっくりと晶から数歩離れ、口元を拭った。
苦虫を噛み潰したかのように険しい顔をして現状を説明しろと目が口ほどにものを言う。
「あ、あ〜...えっと...話せば長いのですが...」
今度は晶が距離を取る番だった。
確か熊と出会った時もこうするのだ。
じりじりと後退りするが彼の呪文がそれを制止する。
「逃がさないよ」
この時ばかりは晶も確信をもって彼がどんな気持ちか言える。
"怒っている"
そりゃそうだ。
自分の体から感じるスパイシーな香りが和らぐまで相当な苦労を要したのは言うまでもない。
***
少し肌寒くなってきたある日、晶は中庭で猫と戯れていた。
猫吸いをさせてもらっていた1匹が突然腕の中からするりと抜けたかと思うと宙を舞い1人の青年に姿を変えた。
「おまえの間抜け顔ったら...ふふっ。あぁ、おかしい。僕だとも知らずに無防備に戯れついて、どろどろベタベタ甘いのみたいな顔してさ」
「オーエン!また紛れ込んでたんですね」
もふもふとした愛くるしい猫の姿からは想像できないスタイリッシュな出立ちをしたオーエンは目を細めて口元に綺麗な弧を描いた。
香水の一件から彼はこうして晶を揶揄うようになった。
仕返しのつもりなのかもしれない。
ご丁寧に毎回毛色を変えて、特徴的なオッドアイすらも隠して変身するものだから魔力を持たないうえに取り分け猫には盲目的な晶には気付きようが無くいつも騙されてしまう。
猫が好きなことは勿論悪く無い。愛でる気持ちを隠すつもりもない。けれど目尻を下げて赤ちゃん言葉で話しかける姿を猫目線で見られていたとなると話は違う。ふとした時にこの事を思い出しては恥ずかしさで居た堪れなくなる。
でも最近は皮肉屋の彼が楽しげにしてくれているのならそれでもいいかと思えるようになっていた。もふもふさせてもらっちゃったしな、と。
そんな訳で何度同じ目に遭っても晶が警戒心を持つことはなかった。
普段のオーエンなら気が済んだら気紛れにどこかへ立ち去るのだが、今日は珍しく話しかけてきた。しかも贈り物をするために。
「賢者様にこれあげる」
彼が懐から取り出したのはガラスの小瓶だった。
まるで水晶のようなシンプルで透明な容器に蓋の銀細工が映えている。
わぁ可愛いと手を伸ばしなかけたところで、何故あのオーエンが?と疑問が過ぎりぎこちない動きになったのを彼は見逃さなかった。
「へぇ、僕からの贈り物は受け取りたくないんだ」ミスラからの気持ち悪い呪物は受け取るのにねとまた態と晶が気にする意地悪な言い方をする。
「そ、そんなことないですよ!ありがとうございます!これ、香水ですか?」
疑問に思ったことは頭の端に追いやって晶はオーエンの機嫌を直そうと慌てて話し続けた。
「こないだの、使ってないんでしょ」
先ほどの余裕たっぷりの様子とは打って変わり、帽子を目深に被り直したオーエンから素っ気ない返事が返ってくる。
ムルが作ったと言う例の香水は晶に付けこなせる代物では無く、飾って瓶の装飾を楽しむことにした。それは迷惑をかけたオーエンにも報告していたのだ。入手経緯を説明するのに思い出として買った香水だったとも話していたので彼なりに気にしていたのだろう。
でもまさか新しく貰えるとは思っていなかった晶は驚きと歓喜で思わず涙を溢していた。
晶自身この涙に理由は付けられない。心がぎゅっとなってそこからどんどん溢れてくる。
「は泣くことないだろ」
「だって......嬉しいです!大切に使います!」
オーエンが好きな香りなのだろうか。それとも似合うと思うものを選んでくれたのだろうか。
蓋を外せば華やかでありながら凛とした香りが鼻腔を擽る。
きっとこの香りは一生忘れないだろう。オーエンにとってもそうなったらいいなと晶は小さく願った。