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    ChomChima

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    @ChomChimaのぽいぴく。ハーメルンのスラー聖鬼軍中心。ガイコキュなど。

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    ChomChima

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    前にpixivで公開していたコキュリュ小説をリメイクしたもの。第一次スフォルツェンド大戦から十二年後、クラーリィが大神官になるちょっと前、クラーリィがコキュウに喧嘩売る話。

    #ハーメルンのバイオリン弾き
    hamelinFiddler

    白亜の祈りぽん、ぽんと昼の空に響く花火の音に、遊んでいた幼い子供たちが手を止めて空を見上げた。雲は厚かったが、僅かばかりの隙間から陽の光が差し込んでいる。雲の輪郭が金色に縁取られ、街の中心にそびえ立つ城に降り注いでいた。子どもの一人が母親を振り仰ぐと、母親は笑みを見せる。
    「今日は任命式なのよ」
    「にんめいしき?」
    「そう、大神官様のね」
    「だいしんかん」
    子どもは母親の言葉を繰り返す。
    「この国を魔族から護る、魔法兵団を束ねるお方よ」
    へえ、と子どもは視線を城に移した。あの城の中で、国を、自分たちを魔族から護ってくれる大神官が任命される。正確には大神官の一つ手前の役職である大神官補佐の任命式なのだが、市井の者たちにはどちらも大差はない事だった。
    魔族は子ども達にとっても現実的な脅威だ。普段は城壁に囲まれた街の中には入ってこないが、街と街の行き来の際には十分に気をつけないといけない。それでも山賊のような土着の魔族が人を襲い、その度に魔法兵団が退治してくれた。子ども達にとって、魔族兵団はヒーローだった。その頂点に立つ大神官は、もっと凄い人に違いない。
    「僕も大神官になりたいな!」
    子ども達は歓声をあげながら、ヒーローごっこを始めた。強くなって、悪い魔族を退治したい。平和な世の中にしたい。幼く、だからこそ真っ直ぐな正義に憧れる子どもたちを、母親は目を細めて見守った。しかしその心には、一点の翳りがある。
    十二年前の「あの日」を知る者にとっては、魔族は単なる恐ろしい化け物ではない。あれは絶望そのものだった。翳りは輪郭を持たなかったが、確実に心身に刻まれていた。母親は翳りを直視しないよう、光が射し込む城を見やる。
    ――大丈夫、私たちには女王の御加護がある。
    十二年の歳月をかけて、スフォルツェンドの民は立ち直った。ようやく新しい大神官が任命される。新しい時代が幕を開け、魔族との戦いも良い方向に向かうはずだ。子ども達が魔法兵団に入る頃には、もっと世界は良くなっているに違いない。
    母親はそう、自分に言い聞かせた。
    そうやって、必死に復興に向けて立ち上がってきたのだ。

    ◇◇◇

    十二年、長かった。あと少しだ。
    この日、クラーリィ・ネッドは大神官補佐に任命された。十二年前のあの日、第一次スフォルツェンド大戦で負傷した父を女王に救われ、祖国と女王を護ると誓った。それ以来、クラーリィは大神官になることを目指して鍛錬を重ねてきた。あともう少しで、スフォルツェンドの魔法兵団を束ねる大神官になれる。
    十二年もの間、スフォルツェンドの大神官は空席のままだった。国は先の大戦で大神官のみならず、主たる法力使いをも失っていた。当然大神官を担える人材はおらず、スフォルツェンドは諸国の軍に頼りながら、何とか再建を果たそうとしていた。クラーリィは若いながらも群を抜いた法力と戦闘のセンスを持ち、何より強固な意志があった。若干十八歳で大神官補佐を任命されたことに、異論を唱える者はいなかった。
    補佐とは名ばかりで、実務は大神官と変わらない。経験を積んだ後、晴れて大神官となれる。しかし、この十二年間で、大神官補佐の間に殉職した者は十数名。激務に耐えきれず、退職した者は数えきれない。それほどに、大神官の職務は過酷だった。魔族との戦い以外にも自国の警備、訓練、外交など多岐に渡り、強靭な心身が要求される。クラーリィは、それに耐えうる稀有な存在として周囲の期待を集めていた。また、クラーリィ自身もそれを望んでいた。
    あと少しで、スタートラインだ。
    クラーリィは自分に言い聞かせた。

    「貴方が新しい大神官補佐か?」
    若い男の声がし、クラーリィは振り向いた。そこには、クラーリィより少し若い二人の男性がいた。一人は腰まである長い黒髪に白いターバン、髪と同様の黒い瞳の青年。もう一人は同じく長い髪だが色は真紅でやけに背が高く、鼻も高かった。声をかけてきたのは黒髪の青年だ。服装で、東の大国スラー共和国の王子と分かった。
    「ああ、聖鬼軍の…」
    「コキュウと申します」
    「ガイタだ」
    黒髪の青年が慇懃に会釈するのに対し、赤髪の青年は一見人相が悪いようにもみえたが、それに反して人懐こそうな笑顔で手を振った。
    「大神官補佐のクラーリィ・ネッドです」
    「随分若い大神官補佐だ。十年に一人の逸材と聞いてはいたが…噂は本当のようだ」
    スラー共和国第一王子のコキュウはしげしげとクラーリィを眺めた。
    「この十二年間、空白だった大神官が遂に埋まるかもしれん。期待しているよ」
    「働きすぎてぶっ倒れないようにな」
    丁寧な口調のコキュウと比べ、第二王子のガイタはフランクな対応だった。
    「畏れいります」
    クラーリィは頭を下げた。歳はクラーリィとあまり変わらないように見えるスラー共和国の王子たちだが、彼らは対魔族用としてサイボーグ化されており、先代大神官と共に魔族と戦っていたほどの猛者たちである。従って、クラーリィよりひと回り以上歳上だった。また、スラー共和国は先の大戦で大幅に削がれたスフォルツェンドの軍事力を肩代わりし、東の海岸一体や、隣国との国境の警備も担っている。海を隔てた大国同士ではあるが、古来からの親交は厚かった。
    「もうじき我が軍の体制も整います。そうなれば、スラー共和国のご厄介にもならずに済むかと」
    「厄介とは思っておらんよ。先代大神官がご健勝の頃は、スラーの方が助けられていた。それに…」
    コキュウが僅かに表情を曇らせ、声を落とす。
    「十二年前の大戦では、何の助けにもならなかった…その罪滅ぼしのようなものだ」
    コキュウは薄らと苦笑いを浮かべた。
    「俺たちはその国境警護の定期報告で来たんだ。アンタも次の会議は出席するんだろ」
    「はい」
    スラーの王子達をまっすぐと見据え、クラーリィは言った。眼鏡の奥のその眼差しは、睨んでいるようにも見えるほど冷たかった。

    ◇◇◇

    コキュウとガイタは駐在軍の報告や視察、人馬騎兵隊の整備などで月に一回はスラー軍を率いてスフォルツェンドに赴いている。スフォルツェンドからスラー共和国への道のりは、飛行戦艦でおよそ半日ほど。今回の任務を終え、コキュウとガイタは帰路についた。飛行戦艦の司令室では、コキュウは溜まった書類を持ち込み公務を行っていた。
    「兄貴、入るぜ」
    カップを片手に二つ持ったガイタが、ノックもせずに司令室へと入ってきた。コキュウはちらりと目線をやり、「ああ」とだけ返事をした。ガイタはカップを一つ机に置くと、自分はもう一つのカップを口に運びながら向かいにある椅子に腰掛けた。
    「外野がいないから仕事が捗るな」
    「まぁな」
    相変わらずコキュウは書類に目を落としたままだった。
    「根詰めすぎじゃね?」
    「そんなことは無い」
    「コーヒー飲めば」
    「お前のコーヒーは熱すぎる」
    「それ何年前の話だよ」
    ガイタは軽く吹き出す。ガイタは体を一万度の炎に変化させることが可能だが、サイボーグ化の施術直後は体温のコントロールに苦労させられていた。当時コーヒーの入ったカップを持つ手から熱が漏れ、変形させてしまったことがある。中のコーヒーは沸騰を通り越し、煮詰まった黒い煤がカップの底にこびりついていた。だがそれも15年も前の話だ。今は訓練の末体温を自在に操れるようになっている。掌はコーヒーの保温に最適だった。その証拠に、ガイタの持つカップからは湯気が立ち上り、飲み頃だと告げていた。
    母親譲りの黒く長い髪を耳にかけ、コキュウは仕事を続ける。大きいながらも切れ長の目を伏せ、時折睫毛を瞬かせた。
    「ちょっと一休みしようぜ」
    「いや、キリが悪いから…」
    コキュウが言いかけた時、大きく機械の軋む音がして戦艦が揺れた。襲撃か、と二人は立ち上がり身構えたものの、警報が無いため乱気流が原因とすぐ分かった。揺れた衝撃で机から舞った紙がコキュウの髪に触れ、パラリと裂けた。白刃に当たったのだ。コキュウはその体に無数の刃鉄を仕込んでおり、髪も例外ではない。ただし戦闘時以外は刃を無効化しているのだが、今回は。
    「髪の刃が出てるってことは、疲れてる」
    やっぱりな、とガイタは笑った。コキュウは小さくため息を着いて、「分かった」と呟いた。
    「あっぶねー。触らなくって良かった」
    ガイタの軽口を受け流そうか迷いながら、しかしコキュウは無言でカップを手に取った。ガイタの手を離れたコーヒーは急速に温度を失っていた。室温が下がっていたのだ。極東のスラーに近づいていることが分かる。
    「悪い、ぬるくなってしまった」
    「早く飲まねーから」
    コキュウはカップをガイタに手渡した。ガイタは片手で包み、温度を上げた。コーヒーの適温は80℃。体温を自在に操ることが出来るガイタには造作もないことだった。
    「ん」
    湯気が元気を取り戻し、コーヒーから立ち上る。
    「ありがとう」
    差し出されたカップを受け取ろうと手を伸ばすと、ガイタにもう一方の手で掴まれた。
    「手、冷てぇ」
    そのまま、手に力を込められる。
    「…お前の手は、熱いな」
    コキュウは当たり前のことを、ポツリと呟いた。しかし、これが当たり前でなかった時もあった。遠い過去の事。もう他人の人生のようだ。
    ガイタは兄の目線、頬の緩み、仕草を見定め、次の行動を探っていた。気のおけない兄弟ではあるものの、時として綱渡りのような駆け引きを要求される。この十二年間、ずっとだった。あるいはこれからも。二人が兄弟である限り。
    握りあった手に僅かな抵抗を感じ、ガイタは牽制されたと感じた。コキュウは一瞬怯んだガイタの指を掻い潜り、コーヒーカップを受け取った。
    「すまないな。スラーまであと三時間…少し休憩する」
    完全に外された。ガイタはまた、やっぱりな、と肩を竦めた。

    「いや、流石は十年に一人の逸材。頼もしい限りだ」
    大神官補佐になって早一週間。クラーリィの執務は滞りなかった。魔法兵団の訓練に城下町の視察、隣国への挨拶回り、各村の対魔族体制の整備など。休む間もなく与えられる任務に疲れていない訳ではなかったが、これも自分で望んだこと。むしろこれまでの仕事の延長のようなものだったので、量は増えたが戸惑う事はなかった。大神官補佐になったことで増えた最も重要な任務が、女王の身辺警護だった。これまで、女王の傍らには執事のパーカスが付き添っていたが、そこにクラーリィも加わる形となった。大神官も忙しいが、執事も勝るとも劣らない。
    ここは女王の寝室の隣に位置する執務室。パーカスは、優秀な助手を得てご満悦のようだった。
    「あの小さかったクラーリィが…出世したもんだ」
    「ありがとうございます」
    パーカスは古くから女王に仕える執事で、クラーリィも子どもの頃、大神官に会いに仲間たちと城に入った時にはよく追いかけ回されたものだった。当時の大神官は優しくて子ども好きで、いつもクラーリィたちに魔法を見せてくれた憧れの存在だった。
    「ようやく我が国も自立できる。いつまでも他国に遅れをとるわけにもいかんからな」
    「仰る通りです」
    スフォルツェンドは法力で栄えた魔法国家で、世界有数の軍事力も持つ大国だった。十二年前、魔族の大群が攻めてくるまでは。第一次スフォルツェンド大戦と呼ばれる闘いで、国は甚大な被害を被り、国家としての機能は壊滅寸前だった。それを建て直したのはホルン女王だった。彼女もまた負傷し、二人の我が子を失った。当時の大神官と、生まれて間もない王女。しかし気丈にも傷ついた国民を自らの力で治癒して回った。クラーリィも、その恩恵を目の当たりにし、享受した一人だった。スフォルツェンドの女王は、自身の寿命を削り回復魔法を施すことが出来る。そのため、二百年という長寿を得ながらも、それを全うすることなく役目を終えていた。ホルン女王も例外ではなく、人類の女王と讃えられる裏で、自らの命と引き換えに多くの民を救ってきたのだった。パーカスはじめ王宮に仕えるものは、なるべく女王の負担を減らそうと、公務を分散させてきた。
    「まずはホルン様に長生きして頂くこと。それが最重要だ」
    パーカスは饒舌に捲し立てた。彼なりに、心を許せる腹心が増えて嬉しかったのだろう。この十二年の間、パーカスも執事として奔走してきたのだった。
    ガチャ、と金具が鳴る音がし、隣の寝室からホルンが入ってきた。
    「あら、パーカス、それにクラーリィも」
    「ホルン様!」
    今はお昼寝の時間では、と、パーカスはあたふたと懐中時計を出して時間を確認した。喋りすぎで時を忘れてしまったかと焦ったようだが、パーカスの言う通り、まだ寝ていないといけない時間だった。クラーリィは突然の女王の入室に、心臓が止まるかと思った。大神官補佐とはいえ、まだまだクラーリィにとっては女王は雲の上の存在だったのだ。その命を多くの国民に分け与えてきた女王は、線が細く儚げに見えたが、明るい笑顔がそれらを払拭していた。光を纏ったかのような微笑みに、クラーリィは無礼とも忘れて見入ってしまった。
    「今日は調子がいいのです。もう大丈夫。それに、新しい大神官さんがいるのだもの、お茶を振舞ってあげたくて」
    「いえっまだ補佐でして、それに女王陛下にそのような気を使ってもらうなど…」
    突然話題を振られたクラーリィはしどろもどろに手を振った。
    「大丈夫、水晶占いをするまでもなく、貴方は大神官になるわ。それも立派なね。私が保証する」
    うふふ、と漏らす笑い声は、優しい鈴を転がすような心地好さがあった。無意識のうちにクラーリィが求めていた母性を埋めてくれるようだった。相対する者全てに安らぎを与えてくれる女神のような女王の肩には、スフォルツェンド公国だけでなく、全人類の命運がかかっていると言っても過言ではない。この人を護らなくては。クラーリィは、あの日の誓いを改めて心に刻んだ。

    スフォルツェンド公国城塞内は広く、緑が広がっている。その一角の森の奥には、白い社があった。木々に囲まれているが、その社の一角だけ拓けており、社と同じ乳白色の玉砂利が敷き詰められている。細かい幾何学模様の彫刻が施されたその社は、そう大きくはない。中はがらんとしていて、透かし模様の彫刻の間から陽の光が差し込み壁が淡く光っている。ひっそりと、しかし荘厳な佇まいで、訪問者を拒んでいるようだった。実際、この社の存在は公表されていない。クラーリィも社のことを知ったのは魔法兵団でかなり上の地位になってから、立ち入りを許されたのは大神官補佐に就任してからだった。箝口令が敷かれている訳では無い。ただ、口外するのははばかられた。形としては在るものの、それがそうだと認めると、事実として受け入れないとならなくなる。それは、スフォルツェンドに住まうものとして、女王に仕えるものとしてあまりにも酷だった。この白亜の社は、先代大神官リュート王子の霊廟だ。祭壇はあるが、そこに祀られるべき王子の遺体はない。凍てつく北の都に、死してなお傀儡として捕えられていた。誰にも知られず、しかし風化するにはあまりに痛々しく、女王の慰めになればと建立された。
    クラーリィは折を見て、時々この社を訪れた。整備する聖職者を除いて、ほとんど誰もこの社に近寄らない。静かで、清められた空気に満ちていた。祈りを捧げる魂の無い、ただの建屋だったが、不思議とクラーリィの心は鎮まり、士気が高まった。社とはそういうものなのだろうとクラーリィは思った。
    この社に立ち入ることが出来るのは、女王に近しい極一部の人間のはずだった。なので、クラーリィが公務の合間に霊廟を訪れた時に先客がいた事に、驚きを隠せなかった。いく筋もの光が降り注ぐ社の中に、一人の青年が佇んでいた。
    「コキュウ王子」
    思わず声量を考えずに呼び掛けてしまい、がらんどうの社の壁で反響した。名前を呼ばれた青年は弾かれたように振り向いた。コキュウもまた、驚いたようだった。
    「あぁ、クラーリィ大神官補佐」
    「何故ここに?」
    今度は声を抑え、クラーリィが聞いた。
    「リュート王子の霊廟に、花を供えに」
    「ここは王室関係者以外立ち入れないはずですが」
    「女王陛下には許可は頂いてます」
    コキュウはサラリと言った。しかし、クラーリィにしてみては腑に落ちない。問い質す権限もなく、仕方なく睨みつけるしか無かった。完全に不審者として認知しているクラーリィに、コキュウはフッと吹き出した。その様子に、クラーリィは更に眉根を寄せる。
    「いや、すみません…実は、リュート王子とは婚約してたのです。だから、伴侶としてここに来ているのです」
    クラーリィが納得出来るようにと、コキュウは子どもを諭すように説明した。しかしクラーリィにとっては逆効果だったようで、事情を飲み込む為に一瞬、間が空いた。クラーリィは困惑はしたが、その隙を悟られまいと、何とか平静を装った。
    「伴侶、ですか」
    「ええ。ただ、式を挙げる前に、リュート王子は…」
    コキュウが目線を逸らし、口ごもった。その先を表現出来ないのは、クラーリィにもよく分かった。リュートの最期については、十二年前の大戦直後はクラーリィはまだ幼くてよく理解出来なかった。大人達に聞いても、みな一様に口を閉ざす。当時は不可解に思ったが、自分が成長して魔法兵団に入り、事実を知る事でその残酷さが漸く身に染みた。しかし、コキュウはハッキリと言葉を繋いだ。
    「リュート王子は冥法王ベースに殺され、心無い人形として北の都に捕えられてしまいました」
    クラーリィは目の前の黒髪の青年を凝視した。コキュウは、自分が言葉にした事実にたじろぐ様子はない。とてつもなく絶望的で、不幸な響きを持つその言葉を、誰も明言する勇気が持てなかったその言葉を、彼は口にし、平然としている。いや、平然ではない。瞳には静かな怒りが含まれている。
    呆気にとられているとクラーリィの様子を見て、コキュウは慣れたように言った。
    「この国の方たちは皆同じような反応をされますね」
    「…そう…でしょうね。誰もが知っていて、誰もが認めたくないと思っています。リュート王子が…その…冥法王となってしまったなんて」
    クラーリィもついにその事を口にした。一瞬戸惑ったが、一度出てしまえばあとは簡単だった。クラーリィも、この慣習に隷属しながらも、無意識のうちに違和感を感じていたのかもしれない。
    「それほどまでに不幸な事でしたし、気持ちは分かります。ですが、事実は事実です…我々は、二度とこの悲劇を繰り返さないように、この事実を受け止め、学ばないとならない。リュート王子の為にも」
    至極合理的で、当たり前のようにも思えた。コキュウは、伴侶を失った悲しみの中から次の希望を見出そうとしている。クラーリィにはそれが救いと感じる一方で、妬ましくもあった。哀しみと困惑に怯えて生きてきたスフォルツェンドが、置き去りにされたように感じた。
    「さすが、科学大国の王子ですね。発想が建設的だ。だがスフォルツェンドの民は、それだけでは割り切れないくらいの心の支えを失いました」
    「ごもっともです。王子は世界中の、多くの民に愛されていました」
    「俺…私も、幼い頃にリュート王子によく遊んでもらいました。王子は城を解放し、子どもたちに魔法を教えてくれましたし」
    「ああ、そうか」
    コキュウの目から険しさが消え、明るい声を上げた。
    「王子が昔、話していましたよ。城内で子どもたちと遊んだこと…もしかしてクラーリィの事だったのかな?」
    突然、子ども時代のことを出され、クラーリィはつい言葉に詰まる。コキュウが記憶しているリュートの思い出の中に、幼い頃の自分が存在していたことが気恥ずかしかった。
    「立派になられたんですね、王子も喜びますよ」
    多分それは、他意の無い褒め言葉だったのだろう。しかし、クラーリィの心を抉るには十分だった。大神官を目指した理由。それがリュートへの憧れだけだったらどんなに幸せだったか。クラーリィの唇が震えた。
    「私は…母を大戦で亡くし、瀕死の重傷を負った父をホルン女王に救って頂きました。それで、ホルン女王を、国を護ろうと決心したのです」
    クラーリィの握る手に爪が食い込む。
    「何故…」
    思わず言葉がクラーリィの口をついた。我慢が出来なかった。

    「何故十二年前に助けに来なかったのです」

    天井の高い社に、クラーリィの声が谺した。張り詰めた空気が波打ち、乱れる。その振動に、クラーリィは我に返った。弾みとはいえ、一国の王子に向かって大それた口をきいてしまった。しかし一度解き放ってしまった感情は抑えようが無かった。クラーリィが十二年前から感じていた、諸外国への不信感。スフォルツェンドを、母を、自分を助けに来て欲しかった。ましてコキュウはリュートと婚約していたのなら、窮地の時に駆けつけるべきだったのではないか。
    コキュウは、突然の大声に面食らってクラーリィを見つめた。次第に表情が曇る。初めて会った日に見せた、自嘲を含んだ眼差し。
    「本当に…そうですね」
    コキュウが呟く。穏やかではあったが、自らに向けられた失望がありありと感じられた。恐らく彼自身が、一番自分を責めたのだろう。
    「我々にはパンドラの箱を護るという使命があり、国を離れることが出来なかった。とはいえ、スフォルツェンドには申し訳ない事をしました」
    「当時の魔界軍王が総力を挙げて攻めてきたのです。おいそれとは手出し出来なかったでしょうね」
    クラーリィの言葉には、端々に恨みが篭っていた。歯止めが効かなくなっていた。
    「それもあります。冥法王の軍隊は、それまで戦ってきた魔族とは桁違いでした」
    コキュウは何かを言いかけて、首を振る。
    「全て言い訳です。クラーリィ、本当に申し訳ない」
    クラーリィは悟った。この王子は飽くほどに後悔し、愛する者を助けられなかった自分を呪い、そしてそれを受け入れたのだ。リュートという人類の守護神を喪い、世界に絶望に溢れていた中、いち早く動いたのはスラー共和国だった。その中心に、コキュウはいた。彼が、リュートの喪失と魔族との攻防の狭間でどれだけ苦しんでいたか、クラーリィには分からない。ただ、あの十二年前の出来事を共有したということだけが、いくらかクラーリィの慰めになった。
    「いえ…私のこそ…出過ぎたことを言いました」
    先程までざわついていた胸の内が急に威勢を無くして萎んでいった。あの大戦の凄惨さ、スフォルツェンドだけでなく、周辺国にも被害が出ていたのは知っていた。もちろん、スラーにも。コキュウを責めるのは完全なる八つ当たりだ、と少し気まずくなった。
    「それでも…助けて欲しかったんです…」
    弱々しく、クラーリィは呟いた。十二年間、誰にも話せなかった。祈りを捧げるべき希望は、残酷なまでに踏み潰されていた。声無き叫びが澱のようにわだかまっていたのに、クラーリィは見て見ぬふりをしてきた。自分で何とかしなくては、と、その叫びに蓋をしてきた。それが皮肉にも、クラーリィの原動力となっていたのだった。ただ、それももう限界なのかもしれない。怒りと、復讐と、恨みでは無い力が欲しかった。社に導かれていたのも、無意識にそれを求めていたのかもしれない。
    クラーリィの吐露に、コキュウは黙って頷いた。全てを受け止め、詫び、パンドラの箱の守護と魔族の殲滅に心血を注ぐ。
    「俺は、リュート王子の遺志を継いで、人々の笑顔を護るために魔族と戦います」
    キッパリと言い切るコキュウに、迷いの色は見られなかった。
    「それが俺の、償いです」

    ◇◇◇

    瓦礫の山と成り果てた、スラー共和国。吹き抜ける風は、硝煙と鉄の匂いが混じり、塵を含んで頬に痛い。立ち竦むクラーリィは、喉に重い石がつかえたような苦味を感じていた。妖鳳軍がパンドラの箱を求めて侵略し、スラー共和国は壊滅させられた。城塞は落とされ、生き延びた者はいないと見られている。スフォルツェンドを救った五つの希望も、果たして妖鳳軍には間に合わなかった。スフォルツェンド自体も幻竜軍の襲撃を受けた後であり、他国に加勢できる余裕はなかった。勇者ハーメル達は、既にパンドラの箱があるというコラール山を目指し、出立している。クラーリィは一行を見送ったあと、城塞の残骸の中からあるものを探していた。それは、法力で容易く見つかった。コキュウの遺体だ。八本もの槍が穿たれた光景に、クラーリィは戦慄し、背筋が粟立つのを感じた。左腕のみが投げ出され、それ以外の部位が見当たらない。激しい戦いでバラバラになったのかどうか、もはや知る者はいない。クラーリィは、ここで繰り広げられた死闘に思いを馳せ、左腕を拾い上げた。ぼろぼろに焼け焦げ、仕込み刀は崩れ堕ちていた。それでも、指輪は何とか指にしがみついていた。
    「コキュウ王子…今度は俺が、償いを背負う番ですね」
    もう届かない呟きは、風の咆哮にかき消された。何も出来なかった無力感、後悔が胸を締め付ける。暫くは、苛まされる事だろう。
    クラーリィは、周りに散らばる聖鬼軍の遺体に一礼した。間もなく国連軍の調査団が入り、瓦礫や遺体の処理が行われるはずだ。彼らに回収される前に、クラーリィはどうしてもコキュウの遺品を見つけておきたかった。さすがに唯一遺された左腕を持ち去るのは気が引けたので、薬指から指輪だけ取ると、クラーリィは瞬間移動魔法でスフォルツェンドに帰還した。あの、白亜の社に供える為に。

    「リュート王子は俺が必ず貴方の元に還します」
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    Replies from the creator

    ChomChima

    MOURNING昔書いたコキュリュその2。悪夢にうなされるリュートくんがコキュウ兄さんに少し救ってもらう話。大人っぽいコキュウ兄さんとかっこよく戦うリュートくんが書きたかったです。
    薄明の誓い夢の中ではリュートはいつも一人で、魔族の大群に囲まれていた。生暖かく血なまぐさい風が頬を撫でる。瓦礫の山に立つリュートが身の丈ほどもある剣を振り回すと、同心円状に衝撃波が拡がりその場にいた魔族がなぎ倒された。咆哮、悲鳴、地鳴り。音としてでは無く、脳内で認識される。いやに体が重たく動きづらいのもいつもの事だった。夢の中のリュートは焦っている。逃げ惑う魔族を追いかけて、一匹残らず始末しなければならないのに。蜘蛛の子を散らすように逃げる魔族の一体を掴み、両手に法力を込めて引きちぎる。一度では飽き足らず、何度も拳をその魔族に叩きつけた。肉を抉る感覚が妙にリアルだった。水風船のように破裂する内臓も、指にまとわりつく血も、全てが不快だった。いや、果たして本当にそう思っているのだろうか。どうして執拗に、繰り返し嬲っているのだろうか。リュートには分からなくなっている。そして魔族の肉片は宙を舞う。だめ、見てはいけない。抵抗したいのに、目が離せない。飛び散る魔族の頭部が、回転しながらぐるりとこちらを向いた。嫌だ、止めて。
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