嫉妬──また、ナンパされているのか…。
シマボシは、見慣れた光景にふぅとため息をついた。
「もうすぐ彼女が来ますので、お引取りください」
「えー」
時刻は平日18時の帰宅ラッシュ。人がごった返すターミナル駅の改札付近にある広場。
広場内に何本かそびえ立つ柱の周囲を、待ち合わせをする人々がくるりと取り囲んでいる。
その中でも一際飛び抜けた身長と顔立ちの良いウォロは、知らない女性からの誘いを断っていた。
──知り合いなら会話を中断したら悪いと思って迂回したが、こんな事なら正面から切り込むべきだったな…。
シマボシは彼の斜め後ろ側から近づいていたので、ウォロは彼女の存在にまだ気がついていない。
シマボシはウォロの彼女なので堂々と正面から名乗りを上げて良いのだが、ごった返す人の波で近づくタイミングを掴めず、2人の後ろで立ち止まっている。
ナンパを仕掛けている女性は大学生くらいだろうか。化粧はバッチリと決めているが、横顔に幼さがほんのり残っている。
若さゆえの自信からか、無鉄砲なのか、目をつけた美形と何とか縁を繋ごうと必死な様が滑稽でもあった。
「じゃあ、連絡先だけでもっ」
首を少し傾げて、潤んだ瞳で上目遣い。随分と手慣れているから、普段からこんな感じで男性に声をかけているのだろう。
「お断りします」
ナンパに慣れきっているウォロには、全く効いてないが。
「えー」
女性はぷぅっと頬を膨らました。同性からすればあざといとマイナス評価にしかならないが、異性には効果が高いらしい。もちろん、女性のあざとさに辟易しているウォロには全く効果が無い。
「…そ、そーいえば、彼女さん全然来ないじゃないですかー。約束、すっぽかされたんじゃないですか?」
あまりにも彼がなびかないため、やけっぱちになった女性が的はずれな事を言い出す。
「!」
そのセリフが聞こえた瞬間、シマボシの頭がカッと熱くなり、どす黒い何かがブワッと身体中を駆け巡った。
いつもよりカツカツと威圧的に靴音を立てて人混みを割りながら歩を進めると、無言で2人の間に割って入る。
「シ…シマボシ…さん……?」
シマボシはいつもと同じように真顔でウォロを見上げた……つもりなのだが、対面するウォロには彼女の周りに青白い炎が見えるような気がした。
「……」
「えっと、これはですね!」
浮気と勘違いされてはかなわないと弁解しようとしたウォロの前に立ったシマボシは、そのネクタイをぐいっと引っ張る。
「え」
ちゅ…っ
下を向いたウォロの唇と、上を向いたシマボシの唇がかすかに触れた。
「……え?」
「待たせてすまない」
人前で大胆な行動をしておきながら、いつもと変わらぬ涼しい顔でシマボシが言う。
「……ぁ……」
そこでようやっと己の身に起きた事を理解したらしいウォロの顔が、耳までかぁっと赤くなった。
「い、いえ……大丈夫、です……」
道行く人も、ナンパ女も、ウォロとシマボシの方を見て動きを止めている。
「どうした?」
いつもと同じ調子でシマボシが尋ねると、ようやく時が動き出した。
「いえ、ちょっとビックリして…その、お疲れさま…です」
ウォロが少しでも好感度を上げようと恐る恐るシマボシのカバンに手を伸ばす。いつもは遠慮して自分でカバンを持つ彼女だが、今日は素直に差し出した。
「感謝する」
「…彼氏ですからね。コレくらい」
シマボシの意図をくみ取ったウォロは、ようやくいつもの調子を取り戻す。受け取ったカバンを左肩にかけると、右腕をシマボシの肩に回した。
「じゃ、行きましょっか」
「ああ」
その言葉に頷いたシマボシは、珍しくウォロの方に身体を寄せる。
ウォロは満足げに微笑むと、口をぱくぱくさせているナンパ女には見向きもしないで改札へと向かった。
「ふふ、ふふふふふ」
電車に乗り、間もなく最寄り駅に着き、二人が住むアパートへ向かう細い路地。
人がいないのを確認したウォロは、頬をだらしなく弛ませた。
「何がおかしい」
なんとなく癪に触ったシマボシが不機嫌な感情を隠さずに尋ねると、ウォロはギュッと彼女を抱き締めた。
「おかしいんじゃないです。嬉しいんです。シマボシさんが、人前であんな事してくれるなんて」
「……キミが断っているのに引く気がない彼女に、少しイライラしただけだ」
シマボシがそう言うと、ウォロはきょとんとした顔でシマボシを見つめた。
「……そうなんですか?」
「おかしな事を言ったか?」
次の瞬間、これ以上ないくらいデレデレになったウォロがシマボシをきつく抱き締めて額や髪にキスの雨を降らせる。
「もうもうっ!そうなんですねっ!」
「な、なにがだ…っ」
「シマボシさんたら、あの人に嫉妬したんですね?」
「し…っ⁉」
自覚の無かったシマボシは、激しく動揺する。
「ジブンがあの程度の人間になびくワケないでしょう?……いや、でもコレは…とても嬉しいですね」
外では恥ずかしがって手を繋ぐ事もほとんどしたがらない彼女が、嫉妬から公衆の面前で口づけをしてくれたという事実に舞い上がったウォロは、右手をするりとシマボシの尻に這わせる。
「…っ!」
その瞬間、シマボシは自らの右脚を思い切り蹴り上げた。
「ぐは…っ」
短いうめき声が聞こえると、ウォロの腕はシマボシから離れる。
「……っ……ぁ……」
青い顔をして股間を押さえたウォロは、やがて地面に膝をついた。
「……ごめんなさい。調子乗りました。スミマセン」
仁王立ちで見下すシマボシに、ウォロは額を地面に押し当てて謝る。
「次は無い」
「ハイ。肝に命じます……」
ウォロはそのまま顔を少し横に傾けて、上目遣いでシマボシを見上げた。
「でも、家に帰ったら……いいです?」
「キミという男は……」
シマボシは心底呆れた声音だったが、拒否する事は無かった。ウォロはぱぁっと笑顔を浮かべると、ヨロヨロと起き上がってシマボシをそっと抱き締め、ほんのり赤く染まった彼女の耳元に唇を寄せ、甘い声で囁く。
「へへ。シマボシさん、大好きです」