闇に添う灯火小さな子供の声が聞こえた気がして、シマボシは目を覚ました。
「……?」
しんとした部屋の空気から、まだ夜中である事がうかがえる。
隣の布団には、こちらに背を向けたウォロの姿があるだけで、他に人の気配は無かった。
普段ならシマボシの布団に潜り込んでピッタリと添い寝するウォロだが、明日は仕事で早出だからと今晩はそれぞれの布団に寝ている。
なお二人の間に子はいないので、そもそも子供の声が聞こえる可能性はほぼ無い。
──気のせいか。
シマボシが目を閉じようとした時。
「…ぅ…」
小さな声が、確かに聞こえた。
「…?」
シマボシは息を潜めて、耳を澄ます。
「……寒、い………よ…ぉ…」
発音がはっきりしないが、確かにそう聞き取れた。そして声は隣の布団の中から聞こえる。
「ふむ」
シマボシは自分の掛け布団をウォロの掛け布団にくっつけると、彼の布団の中に潜り込んだ。
「……さ……む、い……」
眉間にシワを寄せて苦しそうな表情で縮こまり、うなされるウォロ。彼の指先に触れると、熱を失ってひんやりとしていた。
厳しく冷え込んだ夜、ウォロは時々このようになる。
コギトにこっそり相談すると、幼い頃のトラウマではないかとの返答だった。
詳しくは聞いていないし、本人が口を開くまで尋ねる気もないが、幼少期の彼は寒さと飢えにずっと苦しめられていたようである。
心の傷は、目に見えず治りが遅い事も多々ある。あやつはロクでもない人間だが、愛想が尽きない間はそっと寄り添ってやって欲しい──とシマボシに頼んだコギトの瞳には、ウォロへの慈愛が確かにあった。
「や……め………て」
ウォロは大きな身体をぎゅうっと縮こまらせて、両腕で頭を庇うような仕草をする。
「……痛い、や……めて……」
寒さ。飢え。そして、ウォロもコギトも口に出した事は無いがおそらく──迫害。
彼の逞しい身体に人の手による古傷が少なからず存在しているのを、シマボシは知っている。
「誰……か助け、て」
──幼く無力な頃に受けた傷を癒やす特効薬は、持ち合わせていないけれども。
ぎゅ…っ
シマボシはウォロの頭をそっと抱きかかえる。
「私が、キミを守る」
緊張からびくりと震えた彼の耳元でゆっくりとそう告げると、シマボシはその頭を優しく撫でた。
「安心して休むといい」
ウォロはしばらく、はっ、はっと短い呼吸を繰り返していたが、じきにシマボシの身体に腕を回し、存在を確かめるように少し力を込めて抱き締めた。
そして、彼はふぅー…と長く息を吐いて静かになる。シマボシがそっと絹糸のように細い髪をかき上げれば、ウォロは穏やかな表情で眠っていた。
「落ち着いたか」
さて自分の布団に戻ろうかと彼の腕から抜け出そうとするものの、しっかりと抱きついたその両腕はびくともしない。
「……まあ、良いか」
シマボシは再びウォロの頭を抱いて、しばらくの間は幼子をあやすように頭を撫でてやった。
「……え」
明け方。
目がさめたウォロは、状況が理解出来ずに変な声を出してしまった。
昨晩は別々の布団に寝たはずのシマボシが、目の前で眠っている。しかも自分はその腕に抱かれて、彼女の柔らかな膨らみに顔を埋めるような格好だ。
滑らかな肌を通して伝わる温もりと、規則正しく聞こえる彼女の鼓動はとても心地よくて、今までに体験した事が無いような満ち足りた気分ではあるのだが。
「なん、で?」
深い仲になってそれなりの年月が経つが、彼女が自分から添うのはこれが初めてである。
想う相手からの接触は、本来なら喜ばしい出来事のはずなのだが……なぜこうなったのか分からないウォロは、日頃スキンシップに消極的なシマボシがなぜこのような事をしてくれたのかという疑問の方が強く、この状況を素直に喜べない。
「……ん…」
そうこうしているうちに、シマボシの唇から小さな声が漏れた。
ゆっくりと目が開いた彼女と視線が合い、ウォロはびくりと身体を強ばらせる。
「……お、おはようございます……」
シマボシはしばらくぼんやりとした目でウォロを観察するように見つめ、コクリと頷く。
「…………大丈夫そうだな」
「何がですか?」
「いや、うむ」
とろんとした眠たげな表情の彼女はウォロの頭を撫で、また抱き直した。
「え?ちょっと……ねぇ、シマボシさん?」
ウォロの質問に、シマボシの返答はない。安らかな寝息が聞こえるだけだ。
「もう…何なんですか、一体…」
起床時間には少々早いがこのまま起きてしまおうか…と一瞬考えたウォロだが、すぐにその案は却下してシマボシを抱き締める。
理由は分からないが、せっかく彼女が与えてくれた温もり。もう少し享受してもバチは当たらないだろう。
「……」
とくとくと耳に心地よい律動を聞くうちに、ウォロの意識は再び深く沈んでいった。