見守り機能付きの過剰護衛「悪霊に取り憑かれたかもしれん……」
神妙な面持ちでそう告げる鯉登に、目の前の杉元と白石は運ばれてきたラーメンをひとしきり啜ったあとに「また〜?」と声を揃えて返した。
「まっ、またとはなんだ!またとは!」
「いやお前ちょっと前にも同じようなこと言ってたよなぁ?」
「そーそ、鯉登ちゃん、悪霊に好かれすぎ〜」
ズルルルル、と交互に麺を啜りながら言う二人に、鯉登はぐぬぬと眉間に皺を寄せる。ハフハフと熱さに喘ぐ杉元の顔に苛立ちを覚えながら鯉登は話を続ける。
「この間のも悪霊だったが、今度のは絶対ヤバいやつなのだ!」
「ヤバいって、この前のもなんか家の中ズタズタにされたりしてたんでしょ?それよりもヤバいの?」
「うむ……一週間ほど前、ストーカーの女に刺されそうになってな」
「ッブ!!」
「うわ!汚いぞ杉元佐一ィ!」
「ッゲホ、ばっか、おま、そっちの方がヤベェだろが!」
唐突な発言に思わず麺を噴き出し机を汚した杉元に鯉登は憤慨するが、噎せながらも「大丈夫だったのぉ?」と心配する杉元に腕を組んで不遜に返した。
「フン、生きた人間なんぞ怖くはない。大体ストーカーなんてのは自分自身の個人情報管理が杜撰な者が多いからな、警察に突き出す準備は疾うに出来ていた」
「でもさぁ、刺されそうになったってことは相手は凶器を持ってたんでしょ?さすがに鯉登ちゃんでも危なかったんじゃない?」
炒飯をもぐもぐと食べながら白石が問えば、鯉登は「ウム……」と唇を尖らせる。
「まあ……ちょっとだけ油断していた。アシㇼパから貰った御守りも忘れてたし」
「お前ふざけんなよ、アシㇼパさんの善意と厚意を無駄にしやがって。刺されて当然、反省しろ」
「杉元佐一、貴様が今食べているラーメンは誰の奢りだ?」
「こんなん迷惑料にもならんだろーがっ!」
「あーあー、やめなって二人ともぉ。杉元、ラーメン伸びちゃうぜぇ?で、そのストーカーに刺されそうになってどうしたの?」
立ち上がって睨み合う二人をどうどうと諌めながら白石が続きを促す。会う度に喧嘩しているのにどうしてこの二人はつるんでいるのか、白石にはわからなかったが、然程興味もなかったので気にしない事にした。それよりもさっさと本題に入って欲しい、白石はこの後鯉登の奢りでしこたま酒が飲みたいのだ。白石に促され、鯉登は話を戻す。
「油断していた私が悪いのだが、女の持っていたナイフが腹に刺さりそうになったんだが、その瞬間女が吹っ飛んだんだ」
「はぁ?」
二人が訝しがるのも仕方がないと鯉登は一人頷く。困惑する二人に「まあ聞け」ともう一度腕を組んで話し始める。大金持ちの息子、不遜な態度はもはや標準装備なので慣れるしかない。慣れるしかないがムカつくものはムカつくので杉元は苛立ちを餃子で押し込めた。
「私も一瞬何が起こったのかわからなかったのだが、吹っ飛んだ女を見やれば不自然なほどに身体が何度も跳ね上がっていた。そして、よくよく見てみれば、女の上に馬乗りになって拳を振り下ろし続ける半透明の男がいたのだ……!」
真剣な顔で語る鯉登に、杉元と白石は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
鯉登曰く、その半透明の男は女が気絶していたのにも関わらず、何度も何度も拳を振り下ろしていて、その度に女の顔面がへこんでいくものだから鯉登は思わず「やめろ」と叫んでしまった。すると、その男はゆっくりとした動作で鯉登を振り返り、鯉登に向かって敬礼をした後消えたのだと言う。
「女はなんとか生きていたが、これまであんなに直接人に危害を加える霊にあったことはない……」
「ガチのやべぇやつじゃん……」
「アシㇼパさん……いや、フチに視て貰った方がいいんじゃねぇか?俺、連絡するぜ?」
心配をする二人に、鯉登は「いや……」と返答を渋る。
「なんだよ、なんか不都合でもあんのか?」
「鯉登ちゃん、海で子供の幽霊に取り憑かれた時のこと忘れたの?なんか起きてからじゃ不味いって」
二人の心配が心からのものだというのがわかるからこそ、鯉登は言葉が詰まる。ほんの数秒の沈黙の後、鯉登は意を決したように言った。
「話には続きがあって……ストーカーの件のあと、自宅に戻ったらその半透明の男がいてな……」
鯉登は目を瞑り、眉間に皺を寄せながら言った。
「……なんか、ずっと無言でこっちを見ているんだ」
「は?」
「提出期限が近付いている書類があって、それを出そう出そうと思って少し放置していたらな?その男がいつの間にか書類のそばに立って、じっ……とこちらを見つめてくるんだ……。ちょっと無視していたら急にラップ音で主張し始めて、それと無言の圧が強すぎたので渋々書類を出しに行ったらポストに投函するところまでをさらにじっと見張られてた……」
「……」
「一昨日は溜まった洗濯物の隣に立ってこちらを見てきたし、昨日は夜更かししてネット記事を読み漁っていたらいつの間にかベッド脇に立っていて早く寝ろとでも言いたげにこちらを見てきて……」
額を抑え、うんうんと唸るように言葉を紡ぐ鯉登に杉元と白石は顔を見合わせてからもう一度鯉登に目線を向けて言い放った。
「悪霊……?」
「お母さん……?」
「いややっぱりそうなるよなぁ……」
うーんと唸る鯉登に、杉元は「とりあえずアシㇼパさんには伝えておくわ」と言い、白石は「えっちなお姉さんだったら良かったのにね」と白石らしい慰め方をした。
再び目の前の食事に集中し始めた二人を視界に収めつつ、鯉登は視線を少し後ろにズラす。実はその半透明の男は今もここにいるのだ、と伝えれば二人はどんな反応をするだろうか。
己の傍に佇む男の顔は、目深に被られた軍帽に隠れてよく見えない。男の格好を調べたところ、おおよそ百年ほど前の陸軍の下士官だろうということがわかった。だが、わかったことと言えばそれだけで、どうしてこの男が自分のそばにいるのかはちっともわからないままであった。
杉元にも白石にも言っていないが、この男が現れてからの約一週間、鯉登は幼い頃から見ていた悪夢を一度も見なかった。内容は覚えていないが、とにかく気味が悪くて悍ましいものだという感覚がいつもあった。それが、ぱたりと無くなったのだ。
静かに立ち続ける男は相変わらず半透明で、口元は一文字に引き結ばれている。人に危害を加えている時点で、この男が悪霊の類なのは間違いないだろう。だが、鯉登にはそれだけでこの男を判断するのは何故か躊躇われた。幽霊に取り憑かれたことや付き纏われたことは何度もあるが、その度に感じる不快感が何故かないのも不思議だった。
「わいはいったい、だいなんじゃ……」
小さな呟きのような問い掛けに答える声はなく、ただ男が鯉登をじっと見やる。その口が何も紡がないのを何故か惜しいと感じながら鯉登は大きく溜息を吐いた。