歪みの国のさとし第4話さとしがとっさに入った部屋は寝室だった。大理石の床にフカフカな絨毯が敷かれ、その上に天蓋付きベッドがあった。まるで外国の高級ホテルのような部屋だが今のさとしには部屋をじっくり眺める余裕はなく、とっさにベッドの下に潜り込んだ。と同時にドアの開く音と足音が聞こえさとしは更に息を潜めた。
「さとしー?出てこいよー。すぐ済むから。さとし、アタシ達のさとし…」
段々と悲しそうに聞こえてくるアカネの声にさとしはほんの僅かだが、出てこようかと悩んでしまった。しかし今、顔を出せば首を切られるのは間違いない為、耳を塞いで身を縮こまらせた。
「どこにいるんだ?やっと戻ってきてくれたのに…。ねえ、アタシ達のさとし…」
スンッと鼻を啜る音を残してドアの閉まる音がした。さとしはいつの間にか息を止めており、大きく深呼吸しつつ心の中で『もっとちゃんと話を聞いてあげれば良かった』と後悔していた。
耳を澄ましてみても物音はせず、本当にアカネは去ったようだった。さとしはそこでやっとベッドの下から這い出ようとすると物音がどこからか聞こえ、ピタリと動きを止めた。
リリリリリ…。と音がして、一旦這い出たさとしは、ウロウロ部屋を探索し、音は床下からしているのに気づいた。ゆっくりと床の絨毯を捲りあげると、そこには四角い鉄板が嵌っていた。手を引っ掛ける窪みがあり、さとしはそこに手をかけて横にスライドし、自分一人なら通れる隙間を開けた。穴の中は螺旋階段が続いており、下は暗くて見えないが、リリリリリ…と物音が下から響いた。さとしは少し迷った後階段を降りる事にした。
中は真っ暗でさとしは右手を壁に付けて、足で階段を探りながら一段ずつ慎重に下りていった。下りるにつれて音は大きくなり、一番下まで下りた頃には耳が痛くなる程までうるさくなった。
耳を抑えながら中を見渡すと、そこは牢屋だった。石造りの部屋が鉄格子で仕切られていて、さとし側に椅子がぽつりと置かれていてその背後の壁のフックに鍵束がぶら下がっていた。鉄格子には小さなドアがあり、南京錠がかかっていた。中は粗末なベッドとテーブルが置かれており人の姿はなかった。映画で見るような地下牢そのものだが、明らかに違うのは、そこは時計で埋め尽くされていた。床から壁までびっしりと埋め尽くされ、時刻は全てバラバラだった。共通している事は全ての時計が大音量でアラームを鳴らしていた。余りのうるささに頭が割れそうになったさとしは思わず大声で怒鳴った。
「うるさいっ!!!」
すると、ピタッと全てのアラームが止まり、空気が一気に淀んでしまった。なんとなく悪い事をしてしまった気分になりさとしはそそくさと階段を上ろうとした。すると…
じりりりりり
たった一つだけ、目覚まし時計のアラームが鳴った。心臓が痛くなる位驚いたさとしが音源を探ると、ベッドの上に置かれている目覚まし時計が鳴っているようだった。なんとなく気になったさとしは壁にかかっている鍵束を掴み、牢の扉を開け、時計のアラームを止めた。すると急に空気が重みを持ってのしかかってくるような圧迫感を覚え、恐怖を感じたさとしは急いで階段を上がろうとすると…
ずり…ずり…ずり…
何かが這う音と気配にさとしの足が止まった。こっそりと後ろを振り返っても誰かが隠れられるような所はない。しかしゆっくりと、確実に何かが自分の方へ向かう這う音と気配が濃くなってきた。逃げたくても体が強ばり動けなくなっていると、さとしの足に触手のような物が絡みつく感覚がした。ぬるぬると冷たい感触が足から背中へと這い上がってきた。そして冷たい感触は首筋に絡み、さとしの肩はずしんと重くなった。恐怖が天元突破したさとしは叫ぶ事無く、ギクシャクした動きで階段を上がり始めた。
「誰か…アカネちゃんでもいいから…」
地上へ出ても肩の重みは消える事く、誰か…誰か…と呟きながらさとしは玄関ホールへ帰ってきた。するとあれだけ開かなかった扉がほんの少しだけ開いていた。さとしはギクシャクした動きのまま気分は最高速度で走って、そろりと城を出た。
城を出るといつも通りのブラックが待っていた。ブラックを見た途端、さとしの目から涙が溢れた。走りたいが肩の物が気になり走るのが怖いさとしはそろそろとブラックに近寄った。
「おかえりなさい、オレちゃん達のさとしくん」
「…なんで一緒に来てくれなかったの…?首だらけで取り憑かれて…もう、嫌だぁ…!」
「…?なぜ泣くのですか?」
「肩に…何か…!」
「…乗ってますね」
「…っ!取って!!!」
瞬間的に叫んださとしにブラックはさとしの首筋に目をやった。
「…嫌いですか?」
「嫌いに決まってるじゃん!好きなわけあるか!早くなんとか…っ!」
喚くさとしにそうですか、と呟いてさとしの肩に手を回すとひょいと物を持ち上げるような仕草をした。すると見えない何かはしゅるしゅるとさとしの体から離れ、さとしはゴシゴシと首筋を拭いた。ブラックはそんなさとしを見て腕の中の何かを抱え直すような仕草した。
「いけませんよ、さとしくん」
「え?何が?」
「時間くんを泣かせてはいけませんよ」
「え?時間くんって?泣かせるのは良くない?」
「時間くんは悲観主義者です。気をつけて」
「時間くんって…」
さとしは恐る恐るブラックの腕の中にいるだろう何かを指差した。
「……それ?」
ブラックは無言でコクンと頷いた。
「その変なのが時間くん!?」
「…ええ、気持ちは分かります」
そう返事を返すブラックだが顔はさとしの方ではなく、自分の腕の中に向けられていた。
「…そうですか?しかし、難しいと思いますよ?聞いてはみますが。…さとしくん」
そこでブラックはさとしを振り返った。
「時間くんが殺してほしいとのことです」
「……は…………はぁ!?」
「でもさとしくんですと時間くんが見えませんからうまく急所を狙うのは難しいと思いますが」
「急所!?」
「じんわり死にたいならいいかもしれません」
「ま、待って!何がどうなってそんな話に!?どういう事!?」
「時間くんが殺してほしいそうです」
「だから何でそんな話に!?」
「さとしくんに嫌われたから生きる気力をなくしたそうです。せめてさとしくんの手にかかる事が最期の望みだそうです」
さとしは余りの展開に言葉が出ず、口をパクパクさせた。ブラックは黙って時間くん(さとしには見えないが)を差し出した。
「無理!」
「ダメですか?」
「当たり前だっ!」
さとしが息を切らせてゼェゼェ言っている間、ブラックはまた時間くんと会話した。
「…やはり駄目でした。…そうですか。…分かりました」
会話が終わったらしくブラックはまたさとしに振り向いた。
「自殺するそうです」
「やめてっ!!!」
それから一時間くらいかけて時間くんを泣き止ますことに成功(したらしい)さとしは、すかさず時間くんに本題を切り出した。
「あの、時間を進めて欲しいんだ。公園のバラが眠らないと扉を通れなくて…」
勘で、そこにいるであろう時間くんを見つめながら言うと、時間くんが何かを話してるらしく、ブラックがコクンと頷くと腰を屈めて手の中の何かを地面に降ろすような仕草をした。するとさとしの足元をずるりと冷気が撫で、時間くんだと分かっていてもさとしの腕に鳥肌が立った。
「じ、時間くん…?」
「行きましたよ。お茶会に戻るそうです」
「本当?ならこれでバラの門が通れるようになるんだよね?」
ブラックがコクンと頷き、さとしは大きい声で時間くんにお礼を言った。それからさとしはじろりとブラックの方を見上げた。
「…先に時間くんは見えないって伝えてくれても良かったじゃん」
「オレちゃんは見えましたので」
「ブラックは見えるだろうけど…。そういえば、時間くんってどんな姿をしているの?」
「……………例えるなら………ちょうです」
「ちょう?蝶々?」
一瞬可愛らしいな、と思ったが、肩に乗った感触からは全くそんな風に感じず、さとしは少し疑問を感じた。
「………人間の腸です」
「………………」
さとしは笑顔のまま固まり、心の底から見えなくて良かった。と安堵した。
「ならオレ達も公園にもど…!!」
さとしが戻ろう、と言おうとすると突然ブラックがさとしを突き飛ばした。さとしはそのまま転倒して頬が地面を強く擦った。驚いたさとしが顔を上げると、長く伸びた草の向こうで…
鮮やかな赤い雫が舞い上がった。
ブラックの首が、宙を舞い、地面に転がった。
﹣ここからは、アラームを無視していたら﹣
たった一つだけ、目覚まし時計が鳴っていたがさとしは無視した。音に背を向けて、暗い階段を上っていく。
「それにしても…時間くんはどこ?」
外から見ただけでも中々の大きさの城だったのを思い出したさとしはどこから探そうかと考えた。
さとしがそそくさと階段を上がろうとした時だった。
じりりりりりり
目覚まし時計のアラームが鳴り響いた。驚こうとしたさとしは疑問を感じた。
「さっきもこんな事なかった?」
あれ?と思いつつ、さとしは音を無視して階段を上がった。
上がる最中、さとしは関係ないことを思い出した。
「そういえば、学校でテスト勉強していたな。…こんな事あったんじゃ今回のテストは﹣」
そそくさと階段を上がろうとした時だった。
じりりりりりり
目覚まし時計のアラームが鳴り響いた。驚こうとしようとして、さっきもなかったか?と考え、その考えもさっきしたような…?と思いつつまた音を無視して階段を上がった。
階段は少し上がっただけでさとしの息が上がった。
「なんで…まるでずっと階段を上がり続けたように疲れたんだけど…」
ハァハァと息を吐きながら階段を上がった。
そそくさと階段に足をかけた時だった。
じりりりりりりり
目覚まし時計のアラームが鳴り響いた。ここら辺で流石のさとしもおかしい事に気づいた。さとしは牢屋の中で鳴り響く目覚まし時計を見た。止めた方が…?と考えたが、いつまでも鳴る目覚まし時計に不気味さを覚えてさとしは音を無視して階段を上がろうとした。すると心なしかより大きな音で鳴る音に驚いて階段を走って上った。しばらく歩くと今度は出口である鉄の扉が見え、さとしはホッとしてその穴から顔を出した。
顔を出した途端、首筋にひんやりと冷たい手が当たった。
「え」
「ここにいたんだ、さとし」
さとしは声を出す事も、振り返る事も出来なかった。
スパッとアカネの手刀が、軽々とさとしの首の肉と骨を切断した。赤い絨毯の上に、赤い華が咲いた。
さとしが最期に見たのは、頭を失った自分の体が、暗い階段を転がり堕ちていく光景だった…。