ループしている、とヨモツザカは結論した。
何がかといえば、7月31日から8月7日までの一週間を、だ。
いつから始まっていたのかはわからない。恐らく最初の何回かは気付かずループしていたのだろうと思う。
なんせこの一週間は珍騒動の博覧会のようなこの街にしては驚くほど穏やかで、まるで嵐の前の静けさのように静かな一週間だったからだ。
何か大きな出来事があったなら、きっと記憶に残っただろう。けれどそんなこともなく、同じような毎日が、同じように過ぎていっていた。
だから、気付くのが遅れた。
しかし一度『おかしいぞ』と気付いてからの記憶は、薄れることなくはっきりと残っている。
タイムループに気付いてから、これで四周目。
色々なことを試し、少しずつこの世界の仕組みがわかってきた。
月曜日の夜中、そこが切り替わるポイントだ。
RINEの通知音が鳴り、ヨモツザカがスマホを持ち上げる。そして返信しようとすると――急激に意識が遠のき、ゴトリ、とスマホを取り落とした音に顔をあげれば――そこは一週間前の7月31日の夜になっている。
ならば寝なければいいと、濃いコーヒーを飲んでみたり、忙しく作業したり、珍しく前日に睡眠をとってみたりしたが駄目だった。急激な眠気に襲われ、がくり、と一回船を漕いだだけで一週間は巻き戻る。
この街のことだ。恐らく吸血鬼絡みだろう。
そうだとすれば早くここから抜け出すにこしたことはない。
だが、本当にそうだろうか、と言う思いも残る。
吸血鬼が原因ならば、目的は吸血だろう。しかし対象をタイムループに閉じ込めておき、衰弱したところで吸血する、というのはあまりにもまどろっこしい。衰弱させるなら、それこそ夢吸いのように夢の世界にとどめておけばいいのだ。ループなどさせるから、ヨモツザカのように気付く者もでる。
それにもう一つの問題は対照範囲だ。
四回同じ一週間を繰り返してわかったが、巻き戻るのはVRC内部だけではない。流石に新横浜全域を確認してはいないが、少なくともVRC近辺では同じ現象が起きている。それだけでもかなりの広範囲だ。その上そこに居合わせた多数の人間の意識に介入するとなると、そんなことができる吸血鬼が果たしているのだろうか。そしてそんな強力な吸血鬼が、歴史の表舞台に一度も現れないというようなことがあるだろうか。
(――わからない)
わからないから、調査をするのは吝かではない。
興味深い世界だ。何をしても、そして何かをしなくても、所定の時刻が来ると全ては一週間前の状態に戻る。使った試薬も、落として割ったシャーレも、コーヒーを溢したキーボードも、補充したはずの犬のおやつも、全部綺麗に元通りだ。
ならば普段できない実験をしたり、多少の危険を冒しても大丈夫だろうか。
答えは“NO”だ。
まずこれが吸血鬼の仕業であると仮定するなら、現実世界と同等の結果が出るとは限らない。
試しにやり慣れた実験を行なってみた結果、出てきたデータは普段と同じだった。だが今目にしているのが現実ではなく自身の夢、または記憶だった場合、この結果も無意味だ。
それに最終的に“元通りになる”または“結果は消えてなくなる”ならいいが、累積された結果が最後に降りかかってきたり、取り返しのつかない事態になった時にループが抜ける可能性もゼロではない。
文献や論文を読んで知識を取り入れるのも、ここが夢幻なら余りにも無駄な時間になる。
唯一できることといえば、この世界の探索だ。
吸血鬼が作ったかもしれない、ループする世界。
それを実際に探索する、というのはまたとない機会といえる。
隅々まで調べ尽くしたい気にもなるが――。
(……そうもいかないな)
ヨモツザカが小さく苦笑すると同時に、机の上のスマホが小さく鳴り画面が点灯する。
「もう時間か」
明るくなった画面に、RINEのメッセージが幾つか表示される。
内容は知っている。年若い恋人からの連絡だ。【お疲れ様です】というプレートを持った犬のスタンプから始まり、『今から出ます』『ドーナツ買いました』『体調は大丈夫ですか?』と幾つかのメッセージが続く。
ヨモツザカの体調を気遣っているのは、明日の午後からデートの約束をしているからだ。行き先は水族館。最初に聞いた時は耳を疑ったヨモツザカだったが、サテツの上目遣いの提案に勝てる訳はなかった。
『行ってやってもいい』という多分に捻くれた返事に、『ありがとうございます!』と心底嬉しそうに笑ったサテツの顔がヨモツザカの脳裏に浮かぶ。
それにサテツが【水族館の癒し効果には、科学的な根拠があった!】というヌーチューブ動画を真剣に見ていたのを知っていたから、余計に突っぱねる気にはなれなかった。
「全く……タイミングが悪いぞ、サテツ君」
スマホを持ち上げ、メッセージを読むとヨモツザカは眠ってしまう。何度試してもサテツからのメッセージに返信はできない。きっと今回もそうだろう。
サテツは待っているだろうか――と考え、いいや、と打ち消す。
恐らくサテツもタイムループにはまっているはずだ。だから返ってこない返信を待つ前に、彼も一週間前に戻っている。そしてそのことに気付いていない。サテツのことだ、気付いたとしたら真っ先にヨモツザカの安否を心配しVRCへやってくるだろう。大慌てで。真っ青な顔をして。
その様子が容易に想像できて、ヨモツザカは小さく笑い、
「……気付いてくれるなよ」
そう呟いて、スマホを持ち上げた。
※
運転席に乗り込んだサテツの上着から、小さな通知音が鳴る。
片手に持っていたドーナツの箱を助手席に置いてスマホを取り出すと、サテツの予想通りのアイコンが表示されていた。
「あ」
開いたトーク画面にはスタンプが一つだけ。
そっけないとも思えるそれに、サテツの顔はみるみるうちに綻んでいく。可愛らしいそのスタンプは、スタンプや絵文字の類に全く興味がない恋人に、少し前にサテツがプレゼントしたものだったから。
画面の中では【OK】というプレートに顎を乗せた犬が、にっこりと笑っていた。