月はグリーンチーズでできている 小波美奈子はあの日のことをよく覚えている。梅雨が明け、いつの間にか数を増やした蝉の鳴き声が夕方になっても喧しい、蒸し暑い夏の日だった。
高校生になって初めての期末テスト最終日で、いつもより早く学校が終わったのを良いことに、キンキンに冷房の効いたリビングのソファーに寝そべって学園青春ドラマを観ていたら、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。その頃のはばたき学園、とりわけ一年生たちの間には形容し難い妙な息苦しさがあって、少し疲れていたのかもしれない。キッチンからじゅうじゅうと夕飯支度の音が聞こえてくるまですっかり夢の中を満喫し、起き抜けの美奈子に母が「卵切らしてたから買ってきてくれない?」と、使いに出した。母の一言がなければこの日は怠惰を極めただけの、思い返すこともなければ記憶のフックにかかりもしない、なんの変哲もない一日になっていただろう。
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