歪んだ両想い「はると、さん」
掠れた小さな声で、名前を呼ぶ。その名前の男は、ここにはいない。ただ、虚空に消えていくだけだ。
「······いかちゃん」
俺はずっと見てきた男の振りをして、チビ助に触れる。ひとまわりもふたまわりも小さい身体はすっぽりと俺の身体に隠される。
叶わない恋だなんて、そんなこと分かっていた。
チビ助が、本当は選ばれているはずだった。
「ごめん」
その言葉に俺自身の感情が乗る。幸せになれたはずのチビ助を、俺は、俺自身の欲にまみれた黒い感情によって、引きずり下ろしてしまった。今目の前にいる少女は、陽登に選ばれなかった哀れな子。友達という関係が壊れてしまうのでは無いかという不安に駆られ、その言葉を紡げなかった哀れな子。
ふとチビ助が俺の頬を撫でる。
「···泣いてばかりじゃないですか」
「え」
撫でられた感触で自分の頬が濡れていることに気がついた。ぽろぽろと顔を伝っている涙の感覚がわかる。
「なんで有馬氏も泣いてるんですか」
泣き腫らした顔でチビ助は笑う。
「なんでだろ、チビ助のせいじゃね」
「えぇー? 人のせいにしてずるい」
「人を人の代わりにして慰めてもらってる方が十分ずるいでしょ」
「それはお互い様ですよ。······私が陽登さんの代わりになれてるとは思えないですけど」
そんなことを言いながら眉尻を下げるチビ助。
俺はチビ助に陽登を見ているわけじゃない。陽登のことを好きな気持ちは変わらないが、チビ助との関係の始まりは、ただ依存先が欲しいだけのことだった。陽登に否定をされたあの日、それ以上に拒否される恐怖で、陽登に依存することが出来なくなった。
「チビ助は、はーくんに似て優しいから」
優しいから、俺はその優しさに甘えて、チビ助を雁字搦めにしてしまった。
「優しい、ですかね? 有馬氏とのこの不純な関係を築いているだけでかなり酷い女な気はしますけど」
「それは否定できない」
「ぐぬぬ」
先程まで小さく丸まって泣いていたとは思えない、いつも通りのチビ助に戻った気がして俺も笑う。
「てかさ〜、俺のこと名前で呼んでってずっと言ってるじゃん」
「えー? 有馬氏で定着しちゃってるから今更直せないですよ」
「チビ助抱いてる時、アッ、有馬······氏ッ、って言われると萎える」
「なんですかそれ 私の真似!? そんな言い方してないですよー!!」
「気づいてないだけで言ってる言ってる」
「しにたい······」
チビ助はまたしゅうしゅうと俯き丸まる。
『有馬』という名前は俺の源氏名であるが、チビ助との関係は客とキャストでもなんでもない。プライベート以上に秘密な関係で何故源氏名で呼ばれなきゃいけないのかとは前々からずっと思っていることだ。
多分、チビ助なりの線引きなのかもしれないけれど。
「え、瑛介さんって呼ぶと、なんか違和感があってですね」
目も合わせずボソボソと喋りだす。
「いかちゃんさ、線引きしてる?」
「え」
「俺の名前呼んで、俺の事ちゃんと受け入れちゃったら、もう戻れないって思ってる?」
逃がさないようにとこちらを向かせる。図星を着いたのか瞳孔の開いた目で俺を見ている。
「だ、って」
「うん」
「この関係続けてたら、あ、有馬氏、幸せになれないから、いずれはこの関係だって、終わらせなきゃ、いけないから」
この子は、自分の幸せより相手の幸せを考えられる子だったと思い出す。陽登に気持ちを伝えられなかったのも、そんな理由だった気がした。
「私なんかと、一緒にいちゃ」
大きな目からぽろぽろと涙が溢れ出す。俺が顔を掴んでるせいか、チビ助は涙を拭おうともせず、涙は俺の指を濡らす。
「別れる時、少しでも寂しくないように、名前呼ばないようにしてるってこと?」
「······」
「いかちゃん、鈍感ってかさ······馬鹿だよね、馬鹿」
「な!」
溢れる涙を俺は拭い、そのままぎゅうと抱きしめた。
「今更名前呼んでも呼ばなくても戻れねぇとこまできてんのにさ」
耳元でそう言うとびくりと抱きしめた身体が反応する。
逃がすつもりは無いと、地獄に引き込んだのは俺だ。
「こんなボロボロ泣くしかできない泣き虫残して俺一人幸せになれるわけねぇじゃん」
「うう」
「そもそも俺元から幸せじゃなかったし、今のぬるま湯に浸かってる幸せの方がよっぽどいいね」
「ううう」
「一人になったらまた不幸に舞い戻っちゃうよ俺。もう、はーくんもチビ助もいねぇんだもん」
抱きしめる腕に力を込める。
チュ、と耳にキスを落とす。こんな状況ではあるがびくりと反応を示すチビ助の身体に「ふは」と笑いがこぼれる。
「逆にさ俺居なくなったらチビ助生きていけんの」
「えぇ?」
「チビ助の心の穴誰埋めんのって話」
「え、いや、······自立、ですかね······?」
その回答に吹き出しそうになるがそれを抑えつつ言葉を探す。
「俺以外の奴にチビ助抱かれてんの見たくねぇんだけど」
「んん?」
「はーくんに抱かれてんのなんて以ての外、他人ならさらに論外」
「な、なにごと、?」
理解不能と言った顔で顔を顰めている。
「今更俺を一人にしないでよ」
一人きりはもう懲り懲りだ。
陽登という温もりを知った。チビ助という優しさを知った。
俺を、俺として見てくれる人がちゃんといた。
俺とチビ助は似たもの同士で、根本はきっと違う。
他人の幸せを喜べるチビ助は、その心のどこかで我慢をして、自分を殺し、隠れて泣いていることも知っている。
それを知っているのは、俺だけでいい。
俺は他人の幸せなんて喜べない。チビ助の幸せも奪った。同情が欲しいだけなのかもしれない。ただ愛してほしいだけなのかもしれない。チビ助は優しかった。受け入れてくれた。
誰かの特別な存在になりたかった。
「俺も、離れないから」
歪な、俺の依存は、誰かを巻き込むことでしか満足出来ない。
その哀れで可哀想な可愛い被害者。
慰め合いから始まった、歪んだ両想い。それは眩しい恋でも、幸福に溢れた愛でもなく、可哀想なお互いを同情する寂しさの埋め合い。
「ありまさ」
「名前、呼んでよ」
「······えいすけ、さん」
「ん、いかちゃん」
好きと伝え合わないこの関係は、ずっと続いていくのだろうか。